パラリンピック

たまたまつけたTVでパラリンピック選手のドキュメントを放送していた。
http://www.tbs.co.jp/birth-day/onair/oa081016.htmlパラリンピックは意識していたのだけれど、よくわからないうちに終わってしまった。

大学時代に交通事故で両足を失った藤田征樹選手。
1000mを全速で走ってタイムを競うタイムトライアルを1分17秒で駆け抜けた。

両足が義足で。

1分17秒。

脅威だった。

http://sankei.jp.msn.com/sports/other/080907/oth0809072158008-n1.htm
(もし健常者だったら凄いことになっただろう・・・)けれど、考えをすぐに打ち消した。

最悪の境遇を打ち破る強い意志が彼にメダリストの力を与えたのだと。

男女の差?

gooランキング
男女の差がおもしろい。

結婚するなら最低限満たしていてほしい男性の条件ランキング
http://ranking.goo.ne.jp/ranking/017/marry_precondition_male_2008/

結婚するなら最低限満たしていてほしい女性の条件ランキング
http://ranking.goo.ne.jp/ranking/017/marry_precondition_female_2008/

「価値観が一緒」が男女とも筆頭というのが実に面白い。
そうやすやすとは見つからないぜ。

だから、祈りの場が家庭の中にあるのはプラスなのだ。
外人が仏壇や神棚を見ると絶賛したそうである。
各家に教会があるようなものですもの。
さぞかし、毎日神に家族が祈りを捧げる姿を思い浮かべたのかもしれない。

原日本人の心の風景にはそれがあった。
何でも仏壇に供え、ご先祖様を優先して、

でも今は・・・

「暴力を振るわない」が男に暴力を振るう女性もいるのか・・・
世も末じゃのう・・・

地べたに生きる

最近、いつもお世話になっている尼様’sとお話をする機会に恵まれた。

いつも生きるヒントを何かしら置き土産にしてくださる。
だから一言一言が聞き逃せない。
長耳とならざるを得ない。

「坊主は地べたにいるのがいい」
いつも口癖にされている。
僕も真にそう思う。

これまたお世話になりっぱなしの師も同じ事を口にする。
師は文字通り地べたに生きて、耳塚鼻塚の霊を国家レベルで供養した。
ぼくの知るお坊さんは、みな地べたに生きる。

ふと思い出す事がある。

自分の人生の舵を大きく切るに及んだ原因が親友の自殺にあったことは
以前のTONちゃん日記で少し触れたことがある。
当時を振り返ると、「人生って?」を暗中模索、もがきにもがいた。
荒海の中の小船のような大揺れの毎日。

もし地べたに生きる坊さんに巡り合えていたら、
一も二もなくその道にいただろうと思う。

縁あって仏具業界の中に身を置くようになったけれど

ただ気持ちは当時となんら変わらない。

だから心ある方と話す中で、もし初心に響かなくなったときは、
そろそろ交代のときかなと思っている。

玉石混交

古いフォークを聞いているうちに
こんなものに出くわした。

便利な世の中だ。
ネットは確かに便利なツールだとおもう。

けれど、いいものも悪いものもごった煮のような世界。
その中から玉(ぎょく)を選ぼうとすれば、ちゃあんと用意されている。

石に躓かないようにしないとね。

時の缶詰

もう失くしたと思って諦めていた写真が、本棚の奥に転がっていた本の間から偶然にも現れた。

下北半島を友人と二人で自転車で一周したときのものだ。
二十歳の頃だろうか・・・

相棒は5月の連休を利用して八戸に帰省するという。
なら、最後の一日は彼の家に帰着すればよい。
ちゃっかり泊まらせてもらうつもりもその算段の中に入っていた。
逆算して計画を練った。

素朴な民宿ばかりだったが、毎回の食事に出されるホヤの攻撃にはもう唸りっぱなしだった。

大間を過ぎてからはとにかく向かい風。
最北の道は手厳しい北風の洗礼だった。

横浜ではもうとっくに桜は散って暑いくらいの陽気だ。

「いくらか寒いかもょ」と注意をもらっていた。
がしかし、いくらなんでも寒すぎ。

全く忘れていたはずの場面なのに、いくらでも記憶が湧き上がるから不思議なものだと思う。

ボケて何も思い出せなくなったら、またこんな写真を引っ張り出して見たいと思う。

ありがとう

捨てられず10年以上手帳に挟んで持ち続けている。
次男の保育園時代に書いたサンタクロースへの手紙。

子供の純粋さは最大の教科書だと思う。

気遣いさも見習いたい。

時とともに

義理の兄が若きころ好きだった曲。
姉も影響されてよく口ずさんでいた。
「春夏秋冬」も良く聞かされた。

心象を素直に現す名曲だと思うが、曲の内容云々ではなく、
がらっぱちな歌い手が好きではなかったことと、

姉が心寄せる者への感情の波の中で、
坊主憎けりゃの論理で一把一からげにアレルギーを起こし、
人も曲も全く寄せ付ける心を失っていた。

この歳になって、気付くと口をついて出る。
どこか詩に共感するようになってきたのだろうか。

玉石混交

この10月から台東区は、ゴミの集荷方法が変わりました。

今までの可燃ごみとプラスチックゴミの分別がなくなりました。
そこで二日目の感想。

正直なところ、ゴミながらも、無分別の混合集荷は気持ちが悪い。
玉石混交に感じてしまう。

この同じゴミ箱に何でもかんでも捨てる行為がまず第一の関門。
混じったごみを見るのが第二の関門。
気持ちの悪さを誘う。

何年も続いた分別ゴミの習慣は、意外にエコ意識を植え付けてくれた。
可燃ごみにピニール製品を見つけられたら、集荷しなかったのだから
俄然出す側の意識は育つ。

こうなるとは予想していたけれど、気持ちの悪さは子供ですら思っているみたい。
いや、子供だからなを思うかもしれない。

混合ゴミでよいというのは処理場の理由だったり、
焼却炉が高性能になったからという理由なのだろう。

けれど、住民に育ったエコ意識を落とさせない配慮が大事なのではと思った。

ビニールやプラゴミなどは、貴重な石油製品。
集荷場に集まるそのゴミの量を見るにつけ、「これではいけない」意識が自然と芽生えてくる。
これだけ石油を無駄にしていると認識できるだけでもエコ意識と思うのだが・・・

水際が自然に啓蒙すされるよい機会なのだと改めて知った。

これでは精神衛生上良くない。
我が家では今までどおり、2系統に分別し続けることにしようと思う。

ゆめ

夢をみた。

小学校3年生のときの担任のN先生の子供に涙ぐみながら依頼された。
「父は非業の死をとげたのです。
その思いを解決して下さい」。

N先生は、元特攻隊の変わり者だった。
母と同じ年のはずだから、志願兵でぎりぎりの出陣だったことになる。

沖縄戦(だと思う)で途中エンジン故障のため引き返し不時着し、そのまま終戦となり九死に一生を得た(無念の涙を呑んだ)。
復員し、代理教員となり国語の先生になった。

結婚したが子供に恵まれず、その愛情を余すことなくぼくらに振り向けてくれた。

熱血教師は、軍隊式だった。
宿題を忘れた、間違ったことをした等と言うときは男も女も差別なく、即ビンタであった。
僕は何度そのグローブのような平手を食らっただろう。

バケツを持って廊下に立たされた。

忘れ物をすれば、走って取りに行かされた。
職員会議で何度もつる仕上げをされたと後で聞いた。

じゃあ、よほど恐怖教室だったかと言えばそうではなかった。
休み時間には生徒の中にいつも溶け込んでいた。
生徒の話に反応して猿のような赤ら顔をさらに赤くし、細い目を目をくしゃくしゃにしながらいつも笑っていた。
子供たちは、畏れながらも先生の愛情が充分わかっていた。

帰り間際になると、教員になって覚えたオルガンを楽しそうに弾きながら、
「お山の杉の子」の歌を「昔々その昔、しいの木林のすぐそばに♪」と合唱した。
いつか会いたいと思っていた。

その娘の頼みである。
「父の非業の死」・・・何だと言うのであろうか。
彼女の口から事情を聞いて七つ整合性が取れない話を確認した。
僕が指を折りながらもう一度復唱したところで、
「チン♪」という甲高い音で目が覚めた。

息子が夜食がわりに牛乳を温めた電子レンジの終了音だった。
本を読みながらいつの間にか転がっていたのだ。

「あやつられた龍馬」「幕末維新の暗号」と謎めいた本ばかり読んでいるから、そのストーリーに染まってしまったのかもしれない。

もう一度寝ようと横になりはしたのだが、ふと思い出した。

恩師は、50を間近に念願の子宝を授かった。
女の子だった。
鬼が神になったと風の便りに聞いた。

一人娘。ぼくよりもちろん年下。
おや?そっくり当てはまるではないか・・・。

目が冴えて眠れなくなってしまった。