難病に思う

たまたまつけたテレビ番組の中でのドキュメントに改めて、「あたりまえに生きれる」ことの難しさに気付かせてもらった。

番組内では、パーキンソン病と伝えられたと思うのだが、調べたが細かいところはわからない。ただ進行性の筋萎縮症の少年を追跡したものだった。

発病する割合も3000人に1人とアナウンスしていたので、そんなに多いの?と正直驚いた。

進行性の難病で、体中の筋肉が衰えていってしまう。
筋肉が衰えると言うことは生物としての当たり前の運動機能が停止することなのだ。

目の開け閉めも、呼吸も、内臓や心臓の運動もこれ全て筋肉のおかげなのだから、自分の意思をはなれてしまう。
想像に絶する病気である。
そして介護する家族の状況は・・・

脳内のドーパミンという物質の減少に由来するとは研究されているようだが、根本治療は見つかっていないという。
身近にALSの患者を何人か知っているだけに、考えさせられる。

こんなに難病が多いとは、認識を改めさせられる。

そして、「生きる」こととはかくも奇跡的な事象の積み重ねの上に成り立っているという事実。
「当たり前だ」なんていうことは何一つないという事。
だから「生かされている」という事実を感謝のうちに気付かないといけないと思うのだ。

神経難病情報のホームページ
http://www.niigata-nh.go.jp/nanbyo/index.htm#start

ALSについてのホームページ
http://www.als.gr.jp/public/als_about/index.html

いつか来る道

サザエさんキャラからの弔辞

TONさん、あなたはあまりにも突然、私たちを残して浄国の世界へ行ってしまわれましたのですね。
もう何処を探しても、TONさんに会うことが出来ないのかと思うと胸が張り裂けそうです。
私が隣に引っ越してきて、初めて出会った日からもう5年も経ってたなんて・・・。
カオリやサザエに内緒にしながら親しくお付き合いしてきた私たちが、こんな形でお別れになるなんて・・・。
グスン・・・・ハァ・・・・ンクッ・・・・もう、もう二度と会えないなんて信じられないよ・・・!
半年前に一緒に空き地と磯野家に旅行に行った事を覚えていますか?
同じ部屋に泊まって夜遅くまでおしゃべりしたり、それから・・・。
これから先も、一緒に楽しい思い出をたくさん作っていけるって想ってたのに・・・なんで先に行っちゃうの!
いつの日か、私も同じ世界に行きます。その時まで、TONさん、安らかに眠っててくださいね。

今も愛し続けています。タイ子

というサザエさん関連からの弔辞を読んでくれるサイトがある。
http://uranai-honpo.sakura.ne.jp/tyouzi/sazae/

ぼくもいつか聞く側に立つのだろう。
そのときに弔辞を読んでくれる人がいるかしら。

そう思うと・・・まだまだ逝けないゾ。

お天道様がみている

子供のころは盛んに耳にした。

「お天道さまに恥ずかしくない生き方をしなさい」

「お天道さまは陰日向(かげひなた)なく見ておられるのだから」

「罰が当たるよ」

当時の子供には年寄りの言うその言葉が意外と効いたものだ。

人の目は、見える所でしか判断しないけど、お天道さまは、すべて見透かしてしまうんだ。
そう理解し、しゅんとなったものだ。

しかし、最近は全く耳にしなくなって久しい天道さま。

親もそして年寄りの口からも、なかなか発せられない死語となった。
子供を叱る言葉も、
「お巡りさんとこ連れてくよ」「店員さんが見ているよ」

(見ちゃいないってお母さん)

大人は大人で「訴えてやる!」の世界である。
天道様に替わって「法律さま」が牛耳っているのである。

お天道さまはいったいどこに行かれてしまったのだろう。

自分も含め戦後教育の中には、天道の「て」の字も現れなかった。
あるのは、校則、規律、法律、契約・・・人の手によるものばかり。
人間間をいかにスムーズにするか、を問題視し解決する方便としてのもの。

人を超越した何かの意思というものを、日本では身近に見受けられないまま育つ。

法律万能と思われるアメリカでさえ、大統領就任式や裁判の証言において聖書に手を置き宣誓する姿に、法を超える何かに委ねる姿が新鮮(日本人には奇異?)に映る。

ましてや成果主義の現日本社会となれば、結果オーライの事なかれ主義とあいまって、報酬の大小、地位の高低に過程(アプローチ)、動機、が駆逐されてきたのではあるまいか。
真っ正直に生きたって何になるのさ。ニヒリズムよろしくその生き方を変えさせられて、いや、変えてきてしまう事にもつながらないとも限らない。

昨今の風潮を見るにつけ、合理主義に侵された日本人の心にどれほど、天道のかけらが存在しているだろうかと思う。

しかし間違いなく、日本人の根っこにあって社会生活をまとめてきてくれていたことは事実なのだ。

少し天道を調べてみた。

Tento(天道)。Tenno Michi.(天の道)。天の道、あるいは秩序、または摂理。一般にわれわれはデウスをこの名で呼んでいる。しかしながら異教徒らは最初の意味以外を感得しているとは思われぬ

1603年に刊行された日蘭辞典(オランダ語辞典)の中に「天道」として解された説明文だ。
宣教師たちはキリスト教の神と天道をイコールで結んでいるのがおもしろい。

江戸時代初期の心学五輪書の文中にも

天道とは天地の間の主人なり。形も無きゆえに目に見えず。(中略)人間を生ずることも、花さき乱ることも、五穀を生ずる事もみな天道のしわざなり。(中略)この天地の間に有りとあらゆる物は、みな天道のはらの内に、はらまれて有るなり。

とある。

何にせよ、陰日向なく働き続けておられる超越した存在と見ているのだ。

お天道さまは日本人の心の何処に潜んでおられるのだろうか・・・
潜在化しているだけなのだと信じている。
今一度お戻り願って(つまり顕在化していただき)、活躍していただきたいと思うのだ。

生きると言うこと

「ヒトはいつヒトになるのか」と親しい人に問われ反射的に
人と交わることで人となると答えた。

人は考える葦であるとか、笑いは人のみがなせる業とか様々なことエが用意されているだろうが、人類学的にどうこういうわけではなく自分の経験値がそういわせたのだと思う。
交わるにも僕の言いたいのは、人の縁、人と人のつながりのことだ。

自分のまだ決して長いとは言えない人生でもそれを振り返ってみると、それなりに山と谷を何度も上り下りしてきた。
いや、谷底をさ迷う時間のほうが、山上を歩くよりはるかに長かったような感もある。

人は1人で喜ぶこともできる。

しかし対象があって、その対象を喜ばせようと思考しそれを実現するときの、無類の喜びは言葉に表せない。人が感動したり喜ぶ姿を見れば、喜びは二乗にも三乗にもなって帰ってくることを経験する。
その喜びの根源がどこからくるのか知らなくても。喜びにはパワーがあるのを体感する。

僕は作家のやなせたかしの隠れファンである。
今はアンパンマンの作家として有名になったが、僕が始めてその名を知ったのは、中学時代悩みの極地にあったときからだから、比較的長い。
姉が大切にしていたマグカップの絵柄にあったたかだか数行の詩に救われたことに始まる。出逢いである。

アンパンマンの世界でお金が流通したのを見たことがない。
それもそのはずで、喜びが通貨の世界なのだ。
極楽トンボゆえにそう思うのかも知れないが、すばらしい世界だと思う。
本質的な喜びが価値を決める。

便宜上、代価がついて回ると考えたらよいのだ。
ただ、残念なことに本質を見失った金銭価値が物の本質を見失わせ横行している。

そろそろものの価値観が変化しないだろうかと思うのだ。

思いは

昨日でちょうど父親が鬼籍入りして50年(50回忌は去年)だった。
ふと、姉に知らせてやろうと神妙な気持ちとなって、
夕方の買い物途中ながら連絡をしてみた。

「ツー・ツー・ツー」

「ちぇ、お話中か・・・」

しばらくして折り返しの電話が入る。
姉「お前今日何の日か知ってる?」

Boo(挨拶もなく突然の本題・・・あいかわらずの上から目線・・・)
 「親父の50年だろ」
姉「知ってたの?」ホーおまえが・・・という風に聞こえた。

姉弟で同時に思い続けていたということか・・・
Boo「二三日前に急に思い出してさ」
姉「あたしはずっとだよ」

(おみそれしました。姉は姉だね)
血は水よりは濃いか。ちょっと近いものを感じた。

パラリンピック

たまたまつけたTVでパラリンピック選手のドキュメントを放送していた。
http://www.tbs.co.jp/birth-day/onair/oa081016.htmlパラリンピックは意識していたのだけれど、よくわからないうちに終わってしまった。

大学時代に交通事故で両足を失った藤田征樹選手。
1000mを全速で走ってタイムを競うタイムトライアルを1分17秒で駆け抜けた。

両足が義足で。

1分17秒。

脅威だった。

http://sankei.jp.msn.com/sports/other/080907/oth0809072158008-n1.htm
(もし健常者だったら凄いことになっただろう・・・)けれど、考えをすぐに打ち消した。

最悪の境遇を打ち破る強い意志が彼にメダリストの力を与えたのだと。

男女の差?

gooランキング
男女の差がおもしろい。

結婚するなら最低限満たしていてほしい男性の条件ランキング
http://ranking.goo.ne.jp/ranking/017/marry_precondition_male_2008/

結婚するなら最低限満たしていてほしい女性の条件ランキング
http://ranking.goo.ne.jp/ranking/017/marry_precondition_female_2008/

「価値観が一緒」が男女とも筆頭というのが実に面白い。
そうやすやすとは見つからないぜ。

だから、祈りの場が家庭の中にあるのはプラスなのだ。
外人が仏壇や神棚を見ると絶賛したそうである。
各家に教会があるようなものですもの。
さぞかし、毎日神に家族が祈りを捧げる姿を思い浮かべたのかもしれない。

原日本人の心の風景にはそれがあった。
何でも仏壇に供え、ご先祖様を優先して、

でも今は・・・

「暴力を振るわない」が男に暴力を振るう女性もいるのか・・・
世も末じゃのう・・・

地べたに生きる

最近、いつもお世話になっている尼様’sとお話をする機会に恵まれた。

いつも生きるヒントを何かしら置き土産にしてくださる。
だから一言一言が聞き逃せない。
長耳とならざるを得ない。

「坊主は地べたにいるのがいい」
いつも口癖にされている。
僕も真にそう思う。

これまたお世話になりっぱなしの師も同じ事を口にする。
師は文字通り地べたに生きて、耳塚鼻塚の霊を国家レベルで供養した。
ぼくの知るお坊さんは、みな地べたに生きる。

ふと思い出す事がある。

自分の人生の舵を大きく切るに及んだ原因が親友の自殺にあったことは
以前のTONちゃん日記で少し触れたことがある。
当時を振り返ると、「人生って?」を暗中模索、もがきにもがいた。
荒海の中の小船のような大揺れの毎日。

もし地べたに生きる坊さんに巡り合えていたら、
一も二もなくその道にいただろうと思う。

縁あって仏具業界の中に身を置くようになったけれど

ただ気持ちは当時となんら変わらない。

だから心ある方と話す中で、もし初心に響かなくなったときは、
そろそろ交代のときかなと思っている。

玉石混交

古いフォークを聞いているうちに
こんなものに出くわした。

便利な世の中だ。
ネットは確かに便利なツールだとおもう。

けれど、いいものも悪いものもごった煮のような世界。
その中から玉(ぎょく)を選ぼうとすれば、ちゃあんと用意されている。

石に躓かないようにしないとね。