暑さもまた善し

今年は、相変わらず暑い。
日の下にいると、どうでもしてくれ。と、あきれるくらいだ。
室内にはいってもそれは同じこと。
30度を超えた室内。暑いよう・・・

なのだが、何故か我慢できる。
例年ならガンガン冷やし、エアコンもフル活動する。
なのに・・・
異変が起きている。

暑い室内に入ったら、初めに多少エアコンをつけるが、しばらくすると止める。たまに上さんが部屋に入ると何この暑さ・・・
とすぐ出て行く。

でもぼくは我慢できる。我慢ではない。ちょうどよくなる。
店にいても同じことを言われる。
外の直射日光の下にいても、確かに暑い。けど気持ちよく感じる。

気温にいじめられる事に慣れてしまったのだろうか。
上さんにこの異変を伝えると、
「年取ったんじゃないの」の一言に「そうか・・・」と納得してしまう自分も恐かった。

心頭冷却していないけれど日も涼し。

ロードレース

北京オリンピック女子ロードを見ようと
沖美穂
ヨーロッパのプロロードで頑張ってきただけに期待していた。

いつもどおり3時には目を覚ましていたのに・・・
なのに・・・
今日に限って、直前に寝込んでしまった。

あ~~あ。
目が覚めれば6時近く。

結果は31位だったようだ。
何しろメダル圏外のスポーツは放送しないからね!

一見振るわなかったように見えるが、
アシストなしで31位は実に立派。

次につづくレーサーが現れるといいな。

まんがされど漫画

手塚治、藤子不二夫(A)、横山光輝・・・
そして惜しむべく、赤塚不二夫も逝ってしまった。

おそまつ君が世の中を席巻していた頃、大学生が漫画を読む事への偏見からか、
社会を騒がせていた記憶がある。
小学校の頃ゆえ記憶が確かではないが、そうした現象が単純に面白かった。

最近の子供漫画(漫才などお笑いの世界にも共通するが)に見られる、
下ネタや笑われる漫画の氾濫には辟易させられるが、
僕らの育った当時の漫画の世界には泣き笑いさせられながらも
夢を持たしてくれる何かがあった。
なんだかさみしい。

バカボンだったと思うが連載をやめる頃、
・・・もう描く気がなくなったと、
白々した描きかたで終わったことがものすごく印象に残っている。
こんな終わりかたってあるかいと当時は思ったものだが・・・
なんとなく今はわかる気がする。

成人誌と見間違う近頃の少年誌を時々のぞいて見るにつけ、
夢を子供相手にぶつけてくれた昔の漫画家の情熱が思い出される。

まんがされど浪漫の画・・・

http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20080803-OYT1T00393.htm

時間の速さは一定ではないなあ・・・

浅草寺の朝の掃除に3ヶ月ぶりに参加できた。
地元の商店主たちが早朝の浅草寺に集まって読経をし、
境内を掃き清める。

読経の間にすでに寺男たちが、おおまか掃除し終わっているので、おおまかなゴミは拾われているのだが、よく見ると木の根元や休憩所にはまだまだ手を出すものが残っている。
また、朝の浅草寺に集まるというのも楽しいのだ。

子供たちも今日から夏休みとあって、家にいるこのチャンスを逃す手はない、
とばかりに強制的に連れて行くことにした。

強制的に・・・思っていると、一声かけたら案外自分からついてきた。
彼らが小さいときは、一年中連れて行っていたので、思い出のシーンなのかもしれない。

連れて行くと、皆、子供たちが小さいときを知っているおじさんおばさんたちばかりだから、子供たちの成長に驚いている。

本人たちも「よく来たなあ」「久しぶりだなあ」「大きくなったなあ」の声に悪い気はしないようで、愛想笑いをしてやり過ごしていた。

掃除会に参加したのは一番チビが小3のときが最後、今中1だから4年ぶり、長男でも8年ぶりだから、外観は以前と比べ物にならぬほどはるかに大きくなってしまった。

おじさんおばさんたちには急に成長したように見えて驚き、
本人たちは、それほど立っていないのに驚かれるのに驚く。

高齢者の時間の速度と、子供の速度の違いを目の当たりに見て
なんだか可笑しくなった。

さ、これから靖国神社に出かけるのだ。

浅ブラ

ツタヤに夫婦で出かける。
浅草は六区に一軒小さいのがあるので、
住まいからは自転車でスイーっとわけなく行ける。

昨日はサービスデイらしく10時を過ぎているのにけっこうな混みよう。

先だっては硫黄島の映画を米、日、両方を借りて観た。ようやく。
いつも世間の話題とはちょっとずれてしまうがそれでいい。
そろそろ世間の関心がよそに移ってからいいと思うものだけ観る。

観だすと止まらなくなるからこれくらいでちょうどよいのかもしれない。
「今日はいいよ」と初めに借りない宣言して入店したのに・・・

ちなみに途中で藤田まことの「明日への遺言」を借りたくなったけれど
まだないみたいで空振りだった。

なのに、気付くと2枚、なにやら手に持っていた。
上さんは6枚くらい・・・

いったいいつ観るんだろうね。

自然は畏怖すべきもの

神戸市都賀川の事故を今朝、友人の話で知った。

http://www.kobe-np.co.jp/news/jiken/0001277428.shtml
学童保育の子供たちが犠牲になったことは、
子の親として言いようのない悲しみと涙を禁じえない。
引率側も懸命に頑張ったに違いない。
けれど自然の猛威は無慈悲だった。

事故を通し海も山も川も大自然なのだということを改めて知らされる。
「自然」には、リスクも同時に孕んでいることを絶対忘れてはならないのだ。

都会に住む(だけではないが)現代人が自然への畏怖を忘れている事への警鐘としては犠牲が大き過ぎると感じてならなかった。

パイロットランプ

僕の店は路地に面している。
いつも店の位置を説明するのにとてもしづらい。
都営地下鉄をご利用いただければA4出口前と簡単なのだが、
車でこられたり、出口を間違えられるとちょっとややこしくなる。
今なら携帯電話で話しながら説明できるが、
公衆電話の時代はそれはそれは、お客様にご不便をかけた。

ここに店を出す時、実は迷いに迷った。

バブルの影響で物件は雨後の竹の子のように新築ばかりで、
あちらこちらに適当な物件はあった。

地下鉄の出口に近いが路地で天井の低い今のビルより、
大通りに面して車からも一目でわかる大きな物件に実は注目していた。

天井も高く広くて仏壇も充分置けるスペースが確保できるのが魅力だった。
当時は仏壇などの大型材に力を入れていたから、ほぼこちらに決めていた。
大手デベロッパーのテナント募集だった。

コンタクトを持とうと電話をかけると、足元をみるような返答だった。
資料だけは送られてきたがあとはなしのつぶて。

二度三度と連絡をするが、いつも一方通行で、連絡をもらいたいと、
ことづけていても電話ひとつこない。

鼻っ柱は強いほうだから、借りる側が何で日参するの?と、その気が萎えた。
数回の交渉で相手の姿勢に嫌気がさして、責任者が訪ねてきたがお断りした。

路地に面してはいるが、ほどほどの大きさの今の店に決定した。

ビルオーナーは、ぼくがやっていた以前の店に密かに訪ねていた。
店員や店のあらましを調べていたらしく、すぐに快諾の連絡をもらった。
「あの店なら安心だ」そう評価してましたよと仲介者が教えてくれた。
そのオーナーも故人となってしまった。

仕事に慣れが入ってくるとこんなことを思い出す。

恨みの連鎖を絶つということ

「淵田美津雄」と聞いて、
「あーあの人ね」と答えられる方は、相当のミリタリーファンか
昭和一桁以前の御仁か親族かと思われる。

かく言う僕とて、ゼロ戦や戦争漫画の好きだった子供時代を除いて、
ミリタリーファンでもなければ、戦前に生まれたわけでも、
ましてや親族でもない、単なる凡人であるから、
その名は全くもって知らなかった。

彼の名を知ったのは、たまたま書店で手に取った一冊の本によって
知りえたに過ぎない。

彼、淵田美津雄は、太平洋戦争の開幕となった真珠湾攻撃、
つまり「トラトラトラ」の映画を観た人なら「あーあの」と思うかもしれない。
航空母艦「赤城」を発艦し、第一次攻撃隊を率いて最前列の機に乗っていた
その人である。その指揮により奇襲を成功裏に導いた。

最近、本を読むよりweb上の資料を読むことの多い僕にとって、
昼食の僅かな時間がささやかな読書の時間となっている。

長編も短編もこの時間にこつこつ読む。

「真珠湾から66年目の初公開」「真珠湾攻撃総隊長の回想自叙伝」
という表題に思わず手が出たのだが、半年も前に買っておきながら、
他の本に現をぬかして「つん読」状態にあった。

丁度読む手頃な本がなかったことで、ようやく単行本の厚い装丁の表紙を開く機会を得た。
数ページ、目を通した。
海軍士官学校時代、総隊長時代の写真、いかにも軍人の面構えだ。
そして伝道活動中の写真・・・え!伝道って?

そう・・・彼は戦後、東京裁判、公職追放、等々の荒波を受けていた。
一方的な魔女狩り的裁判であった、東京裁判の報復を企てようとアメリカからの引き揚げ捕虜兵たちを取材する中で、ある兵の証言に出会うことになる。

その証言とはこうだ。
手足を失うような重症患者たちが収監されていた捕虜収容所でのことだった。
彼ら日本兵に対して、あるアメリカ人女性の献身的介護が続けられた。あまりの献身さに感動した日本兵はある日、何故それほどに敵国の我々に尽くしてくれるのかと問うた。はじめ口ごもっていた彼女だったが、意を決して口を開いた。彼女は牧師であった両親を日本兵に無慈悲にも首を落とされ殺された。訃報を聞いた彼女は日本人を呪った。しかし、亡くなる最後まで祈っていただろう両親の姿。許しの葛藤の中からキリストの愛が芽生えた彼女だった。恩讐を愛そう、日本人捕虜の収容所にソーシャルワーカーとして介護を始めた。というのがその内容だった。

何故恨みに愛で報いるのか・・・
自分だったらどうするだろう・・・日本の文化ならそうはいかないだろう。
恨みには恨みで応え、さらに恨みは続くだろう。

己の小ささに気付き、驚き、報復のための聞き取りを中止する。

恨みの連鎖は断ち切らなければならない。
聖書に触れる起因となる・・・。

39歳で真珠湾攻撃の総隊長を任じられ、10年後の49歳のときにバプてスマを受けるこの不思議さ。
ミッドウェー、ガダルカナル、沖縄、を指揮し計画し、敗戦のミズーリ号上の調印式の現場にまでも立ち会った戦闘の猛者が敵国の宗教と思われていたキリスト教に改心した。
次々と離れていく友人たち、戦友たちからの疎外、特攻隊から命を狙われることすらあったと説く。

そして、昭和27年5月、周りの反対を押し切り、日米両国とも戦争の傷の癒えぬ、憎しみ渦巻くアメリカに伝道のために渡る。
戦争だったとは言え3000人以上の命を奪った真珠湾のヒーローがその渦中に飛び込む。
行間に血涙が滲み出て見えた。

大艦巨砲主義を批判し続けた熱血漢の若き軍人の軍記ものと思って読み進むと、さにあらず、本の後半部分にちりばめる彼の言には、赤裸々な人としての葛藤と、神との出会いの喜びが溢れている。信仰告白書のようであった。

店から本を持ち帰り夜中に読み始めたが、気が付くと白々と朝を迎えていた。

充電時間

二日以上続けて風邪で休んだのは十数年ぶり。
今日はもういろいろなタイムリミットがあるからそうは行かないだろう。

だし、腰が痛くなった。
贅沢なものとおもうけれど、寝ても立っても痛くなるぼくの腰。
一番のワークポイントなのだ。
多少熱があってももう布団は払って動き出してしまう。

寝ている間にも社会では八王子の事件や東北の地震や
刻一刻と様々な様相を呈している。
たった二日で情報の浦島太郎になってしまう。

けれど、ウラシマ現象を嘆くのではなく
たまに病人になると違った世界が見えてくる特典もある。
考える時間も多くなる。
文字どおり充電時間がとれる。

子供時代は、体が弱くて何らかの病気を抱えていたから
床に付すことも多かったし、病院は一番の友だったし
充電時間ばかりが長かったなとふと思いだした。

そろそろ活動再開だ。

人の振り見て

夏風邪なんて40数年ぶりにひいた。小学校以来だ。
点滴をしていきなさいという。
これも高校生以来だから35年ぶり。

点滴に思いがけず(予測はしていたが)約一時間ベットに転がっていることになった、
やることはないから目をつぶっている。
つい周りの声が聞こえてくる。

「あのばあさんわがままで困っちゃうわよ」
「まだよまあだ!」

横を見ると80歳前後の老女が僕より2倍の量の点滴を受けていた。
なかな減らないから飽きてきたのだろう。
チューブをゆすって(もちろんその先は腕に刺さってい)早く落ちろー落ちろと振り回している。

気持ちはわかるが、ぞっとした。

看護婦さん(僕はあくまで看護婦さんと呼ぶ)のひそひそ話しが、
よりいっそう強く聞こえてくる。
気持ちはわかるけれど、ある意味でのサービス業でもあるなのだから、
躓かせてはいけない。

壁に耳ありで誰が聞いているかわからないのだ。

現に僕は知らぬ顔をしながらも聞いているのだから。
でも、足元は大丈夫かと思い返した。