もう15年経つ。
沈香の香りが好きで腕に付けてとにかく付けっぱなし。
もう真っ黒になっているが、もともとの色合いに輪をかけて
僕の色に染まっているのだ。
こんな色になっても、沈香の匂いはむせるほど香る。
大きい玉が二天となるがこれは、玉の試験のため入れた。
最近の玉の代表格で白っぽいもの、暗黒だが、年輪がはっきりしないもの
あえて二種類を抽出して組んでみた。
数ヵ月後にどう変化しているだろうか。
TONちゃんの勝手な思いをいつも考える、お客様のこと、浅草念珠堂のこと。。。
もう15年経つ。
沈香の香りが好きで腕に付けてとにかく付けっぱなし。
もう真っ黒になっているが、もともとの色合いに輪をかけて
僕の色に染まっているのだ。
こんな色になっても、沈香の匂いはむせるほど香る。
大きい玉が二天となるがこれは、玉の試験のため入れた。
最近の玉の代表格で白っぽいもの、暗黒だが、年輪がはっきりしないもの
あえて二種類を抽出して組んでみた。
数ヵ月後にどう変化しているだろうか。
25年ぶりに友人とひょんな所で再会した。
実はトイレに入りながら、彼のことを思い出していたのだ。
恩もあるのに挨拶一つしていない。
何かのつてを使って近々調べてみよう・・・
と思い立って、後ろで順番待ちしている気配に気遣い、
早々に切り上げ、どうぞと交代しようとした。
何の気なしにその顔を見た。
血の気が引いた・・・いや、狂喜した。
その本人が立っていたのだ。
何故?
なんて全く思わない。
やあー・・・言葉にならなかった。
握手を交わし、近況を伝えた。
世話になった彼のお母さんは亡くなっていた。仕事も替えていた。
すっかり様相は変化してしまったが、時の経過もすっかり忘れ
白髪が多くなったことも、形容しがたい身体的変化も目には入らなかった。
25年前にすでに飛んでいた。
縁とはこんなものか・・・
TONちゃん日記が気が付かないうちに、
455000アクセスを超えていた。
本体のHPがまだ393897アクセスをうろうろしているというのに・・・
2年以上後発でしかも2万アクセス以上を失効しているというのに・・・
「おかげさまで」と思っています。
毎日訪ねて来てくださっているコアな方もいらっしゃるみたいですし・・・
責任を感じちゃいますね。
本体も頑張らないとナア・・・
日の出日の入りの日がとっぷり傾いたときの影は
なんとも言えない趣きがある。
写真を撮りまわっていたころも必ず夕方の時間を狙って、
被写体を追いかけていた。
自転車に乗るようになってからは、
とにかく影を追いかけた。
影法師は、なんとも哀愁を放ちぼくを誘うのだ。
お日様が地平線にスポット隠れる前の数分間の影が
なんとも言えない情緒を感じる。
影法師はお日様だけの特権でもない。
月明かりの中にもすてきな影が現れる。
街灯にも、車のヘッドランプでも瞬間ではあるがせわしく現れ消える。
友人とつるんで走るときは、その光景を見るだけでもあきない。
カメラを構えてアングルを求めながら疾走する。
がぜん両手ばなしとなるから人には、とても勧められない撮影方法である。
もう30年も前の話だから時効と思うが・・・
でも今でも・・・やっぱり、夕方のこのアングルが一番好き。
10時間寝たあ。
狭い所にひっくり返えっていたから
ほとんど寝返りできなかった。
腰がめちゃくちゃ痛かった。
絶対寝たきりにならないと心に決めた。
仲良くさせていただいているSさんの紹介で知り合うこととなった
元特攻隊のMさん。
上さんの郷里とMさんの実母の郷里が同じでもあったことは驚きでもあった。
90に手が届こうとしているとは思えぬ闊達さと
物腰の柔らかさにいつも感服している。
僕のつたない質問に快く答えてくださるのだ。
戦争を知らない子供たち世代の僕には、
皇国少年だった世代は当たり前なことでも、驚きの連続なのである。
明治生まれの父が生きていれば聞けることであろうが、
あいにくそれもかなわないまま冥界に行ってしまったから、
聞きたいことは山とある。
まして、志願して国の桜花になろうとした方はどんな心境だったのかと。
はなしの種にと、熊本に戻った際、
お互いの共通項になるモニュメントを訪れた。
無事生還されたとき、郷里長崎が原爆の被害にあい図らずも訪ねた実母の郷里。
そして思い出の橋
今は架け直されてはいたが、存在した。
目的の家はとうに消滅していたようで、影も形もなかった。
しみじみ思いながら橋の周りを散策した。
橋際に慰霊堂を見つけ、これも縁とおまいりした。
この土地は軍人墓の多いところである。
そこに建つ墓もすべてがそれであった。
ちなみにMさんの話では熊本の兵隊は勇敢だったという。
弾が飛んで来るのも何ら恐れず飛び込んでいく。
だから戦死者も多かったのだと。
墓標を読むと陸軍・・・之墓とある。
Mさんと同名を発見した。
この地方にはきっと多い名前なのだろうと手をあわせた。
最近Mさんとお話しする機会があり、
「同じお名前のお墓がありましたよ」と報告すると。
「ホー」とため息とも思える声を発した。
「それは兄です」
計らずも、Mさんの実兄のお墓まいりをさせていたのだった。
お互い目を丸くした。
やっぱり!
こうなると思った。
http://mainichi.jp/select/today/news/20080419k0000m040103000c.html
ここにきて聖火を巡って問題が噴出している。
国策の如く、権威まで振りかざさなければ、その火が守れないとは・・・
嘆かわしいとしか言葉が見つからない。
聖なるオリンピアの火が、まるで疫病神扱いされているのは、
いかがなものだろうか。
見るに耐えないものを感じる。
地に落とした原因は難だろうかと考える。
チベットというキーワードにどれだけの人が、
今に至るまで関心を持ってきただろうか。
今に至るまで、人権侵害に対して世界が無関心だったことが、
チベット進攻の暴挙に等しく原因なのだと思う。
世界が見て見ぬ振りをしてきたつけが、
オリンピックという大祭の火であぶり出されてきたと思えてならない。
生老病死。
釈迦は「生」を「苦」と考えた。
苦の原因は何か。
生きる苦しみ
老いる苦しみ
病の苦しみ
死の苦しみ
求不得苦・・・
釈迦の生きた2500年前の時代・・・
日本は縄文時代。
時を経過した今現在にあっても・・・
苦の原因は、
どこが変化したろうか・・・
何ら変わらない。
どうもいけない。
出張先から、携帯で日記、画像をアップするのだけれど・・・
ひょんなところを間違えて、お化けがアップされてしまう。
:と、打つこんだつもりが、
:だったり
.が。だったりで
プログラム違反でアウトになっているようである。
どげんとせんといかん。
田舎の朝の風景。
何人の人がお坊さんになったかな。
「数年後にはお坊さんですね」
お客様や、友人と冗談ともいえぬお話をしていて
数年度には、事実となった方が数えてみると・・・
両方の手では収まらない。
もちろんぼくがそうしたわけではない。
そんな本質を求めている方にたまたまご縁があっただけなのだろうが
気持ちとしては、度重なってくると内心穏やかでなくなるところもある。
なぜならぼく自身がそのチャンスを何度も棒に振ってきたからだ。
簡単なように見える在家得度にしても、その時がある。
一度棒に振ると、なんだかどういうわけかすべることが多くなる。
やはり縁なのだと思う。
どこかで変わらないといけないな。
そう思いながらも仕事に流されている。
考えると僕にとっては念珠創りが
仏道を極めることなのかもしれない。
頑張らねば。