久しぶりに手に入れた、5万分の1の地形図。
山登りにはなくてはならない必需品。
等高線を追ってみたり、小字(こあざ)を確かめたり、
時のたつのを忘れて鳥瞰図が頭の中に描き出されている。
冷静に考えると子供と一緒だ。
TONちゃんの勝手な思いをいつも考える、お客様のこと、浅草念珠堂のこと。。。
久しぶりに手に入れた、5万分の1の地形図。
山登りにはなくてはならない必需品。
等高線を追ってみたり、小字(こあざ)を確かめたり、
時のたつのを忘れて鳥瞰図が頭の中に描き出されている。
冷静に考えると子供と一緒だ。
自転車もほぼ準備できた。
朱印帖とTさんからいただいた片道の乗車券もOKだ。
だけど何か足りない・・・
足りない・・・
足りない・・・
そうだ。
写経だ。
人には「忘れないで下さいね」なんて言っているのに、
すっかり自分で忘れている。
今から般若心経を34枚書くにはちょっと時間がない。
(溜め込んだものはあるけれど、巡礼に行く気持ちを込めてはいないからボツだ)
じゃあ・・・どうしよう。
ということで、急きょ白羽の矢を立てたのが、
延命十句観音経の写経。

四十二文字の写経なれど、十句観音経の功徳は測り知れないことは知っている。
これにさせてもらうことにした。
観音霊場でもあるし。
いつでも飛び出せるようにひたすら書こう。
長かった連休も今日で終り。
ようやく日常に戻れるかとおもうけれど、
浅草は三社祭の空気が占めている。
そう。
浅草は、これからが本番じゃ・・・
さあ!今日もがんばろ!!
毎年5月の第二日曜日が母の日なんて、誰でも?知るところだろう。

小学校の頃、母の日が近づくとお母さんに何をあげる?と、とかく話題になった。
学校側でもカーネーションを用意してくれたり、
プレゼントを工作の時間に手作りしたり、
母の似顔絵を描いたりと、学校上げて忙しくなった。
同じクラスに母親のいない友人がいた。
いつも我が身のことのように気になった。
何故なら僕には父がいなかった。
当時は父の日はあまり熱心ではなかったようで、
父のいない僕にはそれだけでも、ホッとするのだった。
もしかしたら母の日と同じように父親の似顔絵を描いたり
プレゼントを用意したりと慌しかったのかもしれないのだが、
人間の記憶とは、都合の悪いことは海馬の奥底にしまいこんでしまうようで
記憶にまったく残っていない。
もしこの母の日のように「お父さんに何か送りましょ」と
学校あげてお祭り騒ぎになったらいる場所がなくなってしまう。
どうしよう・・・さぞかし悲しい思いになったことだろう。
だから母の日が近づくにつれ、
友人の心のひだが痛いくらい伝わってくるのだった。
その日の前日、だと思うが・・・
担任の先生は、「○○さんは、おかあさんはいなかったね。君がおうちではお母さん代わりなんだよね」
ぎょっとした。
わかっていたんだ(担任だものあたりまえなことだが)・・・
「だからそういう人は白いカーネーションをあげるんだよ」
「おうちに帰ったら、仏壇に「産んでくれてありがとう」と言って、カーネーションをあげて下さい」と一輪の白いカーネーションを手渡したのだった。
胸がジーンとなった。


夢の話し。
旅先で精密検査を受けている。
歯科だか耳鼻咽喉科の検査だかで口をあんぐり開いてもいた。
そのくせ不真面目にも、ぼくはガムを噛みながらいたのに、
そのまま脱脂綿を突っ込まれ、検査されるのだ。
ドクターがあっちを向いている間にガムを口から出そうとするが、
すぐに振り向いてしまう。
ぼくがそんな苦労をしているというのに、同じ室内では、
宴会が始まっているようで、知ってる顔もあり、
初対面の顔もあり4、50人が集まってワイワイやっている。
「あ、僕も参加したい」
早く終わらないかな。そう思うのだ。
しかしドクターが田舎育ちののんびりした人のようで、
なかなか先に進まない。
そうこうしているうちに・・・
突然
「結果が出ました」とドクター。
あれあれ?
CTの結果とか壁に張り出してる。
?そんなのやってないじゃん。
酒宴の皆は注目しているが口は止まない。
ドクターは何か言っている。
僕の耳にはうるさくてよく聞こえない。
「オー」歓声が上がる。
聞こえないっツーの!
そう思いながら目が覚めてしまった。
結果が気になる。
石にかじりついてでも結果を聞けばよかった・・・
飛び石連休って今は言わないの?
ゴールデンウィークをウィキペディアで調べてみた。
1985年の法改正で、連休になりやすくするための新しい休日を作り出した。
その年以降徐々に使われなくなってきたのだそうだ。
どちらにしても、今日は「昭和の日」。
この名のほうがすっきりしている。
「みどりの日」なんて意味がわからなかったもの。
みどりの日は5月4日にそのままスライドとなって大型連休の一日として組み込まれた。
若い頃なら(サラリーマン時代でもあったし)大喜びの所だろう。
今は小売をしているのだから喜ぶべき所なのだが・・・
飛び出したくなってきてしまう・・・
友人のブログを読んでいて、自分が以前参加していた、
仏教ホスピスの会のことを思い出した。
「末期がん患者の集い」と当時は呼んでいたと思うが、
毎週土曜日に築地まで出かけていた。
もう14、5年前の話だが。
参加者は本人が末期のがん患者、家族が患者、生還者、
支える家族、そしてご遺族。
モルヒネを打ちながら参加していた方もいらっしゃった。
入会のあいさつを求められ、参加動機を訪ねられた。
「僕もどうなるかわからないから」と正直なところを話した。
健常者ではぼく一人の参加だった。
そう・・・どうなるかわからないから。
そのときにはどう闘うのだろうか、どう開き直るのだろうか、
メンタル部分と、最新医療を知っておきたいと思ったからに他ならなかった。
壮絶な闘いを繰り返し、生を勝ち取った話しもあれば、
術後でいつ再発するかと戦々恐々の毎日を送っているといった話など、
まさしく「生」の闘いのなまなましい話を車座になって聞くことができた。
そんなおどろおどろしい話しを一人一人がこともなげに話されるのだが、
誰もが明るいのには驚かされた。
同じがん患者同士話し合えるということが、安らぎを与えられたと、
殆どの人からの共通した答えだった。
「一人じゃない」に気づくことで、人は荷を軽くできるんだと知った。
もう15年経つ。
沈香の香りが好きで腕に付けてとにかく付けっぱなし。
もう真っ黒になっているが、もともとの色合いに輪をかけて
僕の色に染まっているのだ。
こんな色になっても、沈香の匂いはむせるほど香る。
大きい玉が二天となるがこれは、玉の試験のため入れた。
最近の玉の代表格で白っぽいもの、暗黒だが、年輪がはっきりしないもの
あえて二種類を抽出して組んでみた。
数ヵ月後にどう変化しているだろうか。
25年ぶりに友人とひょんな所で再会した。
実はトイレに入りながら、彼のことを思い出していたのだ。
恩もあるのに挨拶一つしていない。
何かのつてを使って近々調べてみよう・・・
と思い立って、後ろで順番待ちしている気配に気遣い、
早々に切り上げ、どうぞと交代しようとした。
何の気なしにその顔を見た。
血の気が引いた・・・いや、狂喜した。
その本人が立っていたのだ。
何故?
なんて全く思わない。
やあー・・・言葉にならなかった。
握手を交わし、近況を伝えた。
世話になった彼のお母さんは亡くなっていた。仕事も替えていた。
すっかり様相は変化してしまったが、時の経過もすっかり忘れ
白髪が多くなったことも、形容しがたい身体的変化も目には入らなかった。
25年前にすでに飛んでいた。
縁とはこんなものか・・・