こんな夢ばっかり・・・

夢の話し。

旅先で精密検査を受けている。
歯科だか耳鼻咽喉科の検査だかで口をあんぐり開いてもいた。

そのくせ不真面目にも、ぼくはガムを噛みながらいたのに、
そのまま脱脂綿を突っ込まれ、検査されるのだ。
ドクターがあっちを向いている間にガムを口から出そうとするが、
すぐに振り向いてしまう。

ぼくがそんな苦労をしているというのに、同じ室内では、
宴会が始まっているようで、知ってる顔もあり、
初対面の顔もあり4、50人が集まってワイワイやっている。

「あ、僕も参加したい」
早く終わらないかな。そう思うのだ。
しかしドクターが田舎育ちののんびりした人のようで、
なかなか先に進まない。
そうこうしているうちに・・・

突然
「結果が出ました」とドクター。

あれあれ?
CTの結果とか壁に張り出してる。
?そんなのやってないじゃん。

酒宴の皆は注目しているが口は止まない。
ドクターは何か言っている。
僕の耳にはうるさくてよく聞こえない。

「オー」歓声が上がる。
聞こえないっツーの!

そう思いながら目が覚めてしまった。
結果が気になる。

石にかじりついてでも結果を聞けばよかった・・・

飛石連休

飛び石連休って今は言わないの?

ゴールデンウィークをウィキペディアで調べてみた。
1985年の法改正で、連休になりやすくするための新しい休日を作り出した。
その年以降徐々に使われなくなってきたのだそうだ。

どちらにしても、今日は「昭和の日」。
この名のほうがすっきりしている。
「みどりの日」なんて意味がわからなかったもの。

みどりの日は5月4日にそのままスライドとなって大型連休の一日として組み込まれた。

若い頃なら(サラリーマン時代でもあったし)大喜びの所だろう。
今は小売をしているのだから喜ぶべき所なのだが・・・

飛び出したくなってきてしまう・・・

ホスピス

友人のブログを読んでいて、自分が以前参加していた、
仏教ホスピスの会のことを思い出した。

「末期がん患者の集い」と当時は呼んでいたと思うが、
毎週土曜日に築地まで出かけていた。
もう14、5年前の話だが。

参加者は本人が末期のがん患者、家族が患者、生還者、
支える家族、そしてご遺族。
モルヒネを打ちながら参加していた方もいらっしゃった。

入会のあいさつを求められ、参加動機を訪ねられた。
「僕もどうなるかわからないから」と正直なところを話した。
健常者ではぼく一人の参加だった。

そう・・・どうなるかわからないから。
そのときにはどう闘うのだろうか、どう開き直るのだろうか、
メンタル部分と、最新医療を知っておきたいと思ったからに他ならなかった。

壮絶な闘いを繰り返し、生を勝ち取った話しもあれば、
術後でいつ再発するかと戦々恐々の毎日を送っているといった話など、
まさしく「生」の闘いのなまなましい話を車座になって聞くことができた。

そんなおどろおどろしい話しを一人一人がこともなげに話されるのだが、
誰もが明るいのには驚かされた。

同じがん患者同士話し合えるということが、安らぎを与えられたと、
殆どの人からの共通した答えだった。

「一人じゃない」に気づくことで、人は荷を軽くできるんだと知った。

十五年

もう15年経つ。
沈香の香りが好きで腕に付けてとにかく付けっぱなし。
もう真っ黒になっているが、もともとの色合いに輪をかけて
僕の色に染まっているのだ。

こんな色になっても、沈香の匂いはむせるほど香る。

大きい玉が二天となるがこれは、玉の試験のため入れた。
最近の玉の代表格で白っぽいもの、暗黒だが、年輪がはっきりしないもの
あえて二種類を抽出して組んでみた。

数ヵ月後にどう変化しているだろうか。

25年ぶりに友人とひょんな所で再会した。

実はトイレに入りながら、彼のことを思い出していたのだ。
恩もあるのに挨拶一つしていない。

何かのつてを使って近々調べてみよう・・・

と思い立って、後ろで順番待ちしている気配に気遣い、
早々に切り上げ、どうぞと交代しようとした。

何の気なしにその顔を見た。
血の気が引いた・・・いや、狂喜した。
その本人が立っていたのだ。

何故?
なんて全く思わない。

やあー・・・言葉にならなかった。
握手を交わし、近況を伝えた。
世話になった彼のお母さんは亡くなっていた。仕事も替えていた。
すっかり様相は変化してしまったが、時の経過もすっかり忘れ
白髪が多くなったことも、形容しがたい身体的変化も目には入らなかった。
25年前にすでに飛んでいた。

縁とはこんなものか・・・

いつのまにか・・・

TONちゃん日記が気が付かないうちに、
455000アクセスを超えていた。
本体のHPがまだ393897アクセスをうろうろしているというのに・・・
2年以上後発でしかも2万アクセス以上を失効しているというのに・・・

「おかげさまで」と思っています。

毎日訪ねて来てくださっているコアな方もいらっしゃるみたいですし・・・

責任を感じちゃいますね。

本体も頑張らないとナア・・・

ぼくの好きな風景

日の出日の入りの日がとっぷり傾いたときの影は
なんとも言えない趣きがある。

写真を撮りまわっていたころも必ず夕方の時間を狙って、
被写体を追いかけていた。

自転車に乗るようになってからは、
とにかく影を追いかけた。
影法師は、なんとも哀愁を放ちぼくを誘うのだ。

お日様が地平線にスポット隠れる前の数分間の影が
なんとも言えない情緒を感じる。

影法師はお日様だけの特権でもない。

月明かりの中にもすてきな影が現れる。

街灯にも、車のヘッドランプでも瞬間ではあるがせわしく現れ消える。

友人とつるんで走るときは、その光景を見るだけでもあきない。
カメラを構えてアングルを求めながら疾走する。
がぜん両手ばなしとなるから人には、とても勧められない撮影方法である。
もう30年も前の話だから時効と思うが・・・

でも今でも・・・やっぱり、夕方のこのアングルが一番好き。

決めた

10時間寝たあ。

狭い所にひっくり返えっていたから
ほとんど寝返りできなかった。

腰がめちゃくちゃ痛かった。

絶対寝たきりにならないと心に決めた。

ひかれるままに・・・

仲良くさせていただいているSさんの紹介で知り合うこととなった
元特攻隊のMさん。
上さんの郷里とMさんの実母の郷里が同じでもあったことは驚きでもあった。

90に手が届こうとしているとは思えぬ闊達さと
物腰の柔らかさにいつも感服している。
僕のつたない質問に快く答えてくださるのだ。

戦争を知らない子供たち世代の僕には、
皇国少年だった世代は当たり前なことでも、驚きの連続なのである。
明治生まれの父が生きていれば聞けることであろうが、
あいにくそれもかなわないまま冥界に行ってしまったから、
聞きたいことは山とある。

まして、志願して国の桜花になろうとした方はどんな心境だったのかと。

はなしの種にと、熊本に戻った際、
お互いの共通項になるモニュメントを訪れた。

無事生還されたとき、郷里長崎が原爆の被害にあい図らずも訪ねた実母の郷里。

そして思い出の橋

今は架け直されてはいたが、存在した。
目的の家はとうに消滅していたようで、影も形もなかった。
しみじみ思いながら橋の周りを散策した。

橋際に慰霊堂を見つけ、これも縁とおまいりした。

この土地は軍人墓の多いところである。
そこに建つ墓もすべてがそれであった。

ちなみにMさんの話では熊本の兵隊は勇敢だったという。
弾が飛んで来るのも何ら恐れず飛び込んでいく。
だから戦死者も多かったのだと。

墓標を読むと陸軍・・・之墓とある。

Mさんと同名を発見した。
この地方にはきっと多い名前なのだろうと手をあわせた。

最近Mさんとお話しする機会があり、
「同じお名前のお墓がありましたよ」と報告すると。
「ホー」とため息とも思える声を発した。

「それは兄です」

計らずも、Mさんの実兄のお墓まいりをさせていたのだった。

お互い目を丸くした。