喜びは力。

お直しで念珠を持ち込まれるお客様は、案外多い。
遠くから伝手を頼ってこられたり、あちこちの仏具店で断られ、たまたまうちを見つけ飛び込まれる方も多い。
長期間のお預かりを余儀なくされたり、高額だったり、新品を勧められたりで、ここもそうかなと思われつつあきらめ顔で尋ねられる。
手が空いているときは、その場で直す。
紐房や、本連の中通しくらいの直しなら、ガヤガヤした環境の中でもわけもない。以前は込み入った仕事もその場でこなしたけど、お客様の入店次第で中座しなければいけない小売の現場では、集中できないことが多い。なのでやめた。
ただ、他では1ヶ月かかるからと、うちの門を叩いてくださったのだから待たすわけには行かないじゃん。
「10分もかかっちゃいました」屈折した言い方だったかな・・・
「いや・・・ありがとう。父親の形見だったんだけど、母親の葬儀で出棺の時にパラパラと・・・」まだ法要は続けないといけない時に、念珠を必需品と考えていらっしゃる方には、なくてはならないもの。
喜びの顔。
ほんのちょっとしたことなんだけど力の元なんだよね。
常ならん。。。

世の中どんどんインターナショナルになってくる。それに伴ってお客様の嗜好も思考もめまぐるしく変化する。
そのへんかについていかれなければ、置いてきぼりを喰らうだけなのだが、商売をしている以上、あ、そうですかでは済まされない。日本人がなんで外国語なんか習わなければならんのだ。なんて屁理屈こねてサボっていたTONでさえ必要に迫られればご肢言語でチャレンジさせられる。おかげで度胸だけはついてしまった。
海外のお客様の嗜好はこれまた難しい。まぁ当たり前なことで、文化的背景が・・・つまり宗教性が違うのだから、違うと思ってかかる必要がある。今までは季節物と思っていた商材も日本人の視点を一回こっちに置いておいて見直す必要があるなぁとつくづく考えらされる今日この頃のTONであるのであ~る。
ちなみに今回は、盆提灯をお買い上げいただいた。
一期一会
そうっかぁ~~~
もう10年以上たってしまったんだ。
「覚えていますか?」若い男女のお客様がTONを訪ねてきてくださった。
詳細をお伺いしてもピンとこなかった。
「母は賑やかな人だったから」印象的な人だったようであった。から覚えているだろうと考えられたのだろう。
本人がお世話になったから、ここにしなさいと言われていたらしい。お位牌を作りに来てくださった。そう。ご本人が鬼籍に入られたのである。
名は体を表すその通りのお戒名を写させていただいて、一部の文字の確認のためにお葬式のときの裁断の写真を見せてくださった。
「あ!M子おかあさん・・・」つい口から漏れてしまった。
絶句した。
つい最近、どうされているかなぁ・・・と思っていたお客様だった。
僕の仕事はこんなことの連続なのだ。
もうこんな時期

もう4月を迎えます。なんと早いことでしょう。
4月8日はお釈迦様のお誕生日。灌仏会(かんぶつえ)一般には花祭りのほうが通りがいいですね。
西暦のお世話になってはいるがキリスト生誕の日(はっきりしないらしいが)クリスマスや、わけのわからない化物を祭るハロウィンを盛大にするならば、せめて仏教文化の恩恵を受けてきた私たち日本人は、その開祖の生誕日をもう少し祝っても良いのではないだろうか?と、ふと思うことがある。
今日は堂上げ
「どうあげ」と漢字変換すると「胴上げ」としか変換してくれない。
浅草で「どうあげ」と言ったら、「堂上げ」なのだ。
三社祭りで氏子が我先に担ぎたがる浅草神社の神輿、一之宮、二之宮、三之宮のご祭神、つまり今から1400年前に浅草浦から観音様を拾い上げ、自分の屋敷に祀られた功労者である土師中知(はじのなかとも)、檜前浜成(ひのくまのはまなり)、檜前竹成(ひのくまのたけなり)の三者(三社)を神社からその氏寺である浅草寺に戻っていただく行事なのだ。
戻る。
そう。もともとの居場所なのだから。
明治以降の神仏分離がなければ神社とお寺は今でももっと密になっていたはずなのだが、明治政府の政策が文化の糸をこんがらがらせてしまったわけだ。
土師という姓もこの明治のドサクサの中、使用することをはばかれる事件が起きて、いまに至ってしまった。
151年。
今年は明治151年だという。この間、土師氏は「土師」を名乗らなかった。正確に言えば明治政府に気兼ねして名乗れなかったというべきなのか。
明日は「堂下げ」の行事がある。上がったものは下がる。行ったものは帰ってくる・・・のだ。で、神社境内に三神の碑が建つ。そこに合わせて現宮司が姓を「土師」に戻すことになった。
元はといえば、浅草寺を司ってきた専堂坊(土師中知の公孫)が神仏分離令に従って、神社の宮司にならざるを得なかった時点からのややこしい問題。土師死を名乗ることの意味を今一度考えていきたい。
と、思うTONなのだ。
念珠堂ショップの大幅見直し・・・
1996年からこつこつ香り中心のサイトを手探りで初めて、2000年に大幅リニューアルしてnenjudo.co.jpがスタート。
気づくと18年も続いている。
HPの種に水をやり肥料を与えを重ね重ねていまに至って・・・手に負えない感じになってきてしまった。あれ?変だな。
念珠堂という名称も、2000年当初には小売としては見当たらない名前であったしなによりもECの環境が実にのどかな牧歌的すらあった時代だった。
楽しいから続けられたし、少なくとも大らかさがあって、サイトをまるごとコピーしても許された(もちろんデザインのことであって商品ではないTONはやらなかったけどね)。作り方が分からなければ、お互いに知識を持ち合ってお互いを助けECの発展をお互いに高め合おう!なんて心意気があった時代。10年一昔がECは一年一昔に変えてしまった。
それがあれよあれよという間に生き馬の目を抜く価格競争だけの世界になってきたり、スパンメールやらトロイの木馬が走り回ってみたり、なんとTONの店かと思う類似商標の店があふれるようになるわ、間違い電話、間違いメールに翻弄されることも日常茶飯事になってしまった今日この頃となっている。ECってこんな世界だったっけ?
てなことで、力の配分をECからブログに方向転換して8年かぁ。。。。
ということで、何から何まで・・・商品構成も含めて見直しているTONです。
生きた仏教に出会いたかった20歳の頃の消化不良を店舗運営の中に見出して今に至ったわけなのだが、もういちどその原点に立ってみようという気になっている。
こよなく念珠堂を愛してくれるお客様がいらっしゃる限りなんとか応えたいと思うTONなのでありました。
浅草のそら

今日は浅草全体で震災時の帰宅困難者対策の避難訓練を行いました。
外人さんの観光客でごった返す浅草ですから本当に大震災が起きたら相当混乱するでしょう。こつこつ地道ではありますが、体と組織の回路は常にオンにしておくべきでしょうね。
何百万と来街されるお客様に対して、街側にはその責任があるのだから。。。

生死の境
読売新聞の記事にこんなのがあった。
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20160915-OYT8T50018.html?from=yhd
朝から重い話と思う人は思うかもしれないけれど、一度は必ず通る道だからそう考えるとつい足を止めてしまう。
自分の母親も今年七回忌なのだが、その母親が生前、病院・・・と言っても終末医療の様な個人病院のお世話の仕事をしていた関係もあって、終末期の患者さんの事や病院内の内輪話もよく耳にしていた。そんな環境で育ったためだろうか同年代の友人たちよりは多く、生死の境界の事を考える時間が多かった気がする。
そもそも母親の語り部的な影響は少なくない。
彼女も少しばかり霊感の強い人だったこともあるのかもしれないが、生前親しくしていた方が亡くなると、訪ねてくれるそうで、報せが入る前に、心の準備はできていたという。母本人が死線を越えるかどうかの病の淵にいた時にも、よく言われる三途の川に行ってきた話を後で聞かされた。不思議ではあったけれど、そういうもんだろうと素直に納得していた。
二足歩行になることで両手が使えるようになって火をおこし、他の動物たちとは違った生物へと進化した。そっれが人間だなんて。なんてつまらない物語だろうと子供の頃から冷ややかに見ていられたのも、深い部分で人は人として世の中に生まれた存在だと信じていたからなのかなぁと今思う。
TONには誰が迎えに来てくれるのだろう・・・・
ネットショップのリニューアル
今、ショップの方を懸命に作り替えている。18年使っているサーバーも乗り換えて、お客様が使いやすいようにするにはどうしたらいいかと思いながらあれこれ算段している。
「念珠堂」という屋号もあちこちで使われてしまうようになり、ついに間違い電話やメールまでしょっちゅう入るようになれば、本家本元が黙っているわけには行かなくなった。という事も遅まきながら動き出した動機であることが正直なところというべきか。
ただ、いじるといっても、いかんせん僕がネットショップを立ち上げた1996年当時とは、まるでネット環境も、人々のスキルも、考え方も異なっているし・・・そりゃぁそうでしょ、パソコン通信に毛が生えたようなネットショップが当たり前の時代からパソコンってなぁに?って言いながらタブレットを子供が弄りまわる時代に変貌しているのだから・・・。家電の普及することを水道理論として説いた松下電器創業者の松下幸之助氏も驚いたであろう程、ネットショップがごくごく当たり前の世の中になってしまっているのだから、今のショップをどう対応すればよいのか、いろいろ考えさせられている。いや、正しく言えば考えて止まっているわけではない。なんせ時間がもったいないということで、走りながら作業しているとい格好だ。
ネットショップに全神経を集中してエネルギーを傾注していた時でさえ、ネットショップになんだか物足りないと思いながら続けていた自分な訳で、それをどう表現したらよいのか・・・
それにしても時間がない。
うまくできればいいんだけどね。

