念珠堂ショップの大幅見直し・・・

1996年からこつこつ香り中心のサイトを手探りで初めて、2000年に大幅リニューアルしてnenjudo.co.jpがスタート。

気づくと18年も続いている。

HPの種に水をやり肥料を与えを重ね重ねていまに至って・・・手に負えない感じになってきてしまった。あれ?変だな。

念珠堂という名称も、2000年当初には小売としては見当たらない名前であったしなによりもECの環境が実にのどかな牧歌的すらあった時代だった。

楽しいから続けられたし、少なくとも大らかさがあって、サイトをまるごとコピーしても許された(もちろんデザインのことであって商品ではないTONはやらなかったけどね)。作り方が分からなければ、お互いに知識を持ち合ってお互いを助けECの発展をお互いに高め合おう!なんて心意気があった時代。10年一昔がECは一年一昔に変えてしまった。

それがあれよあれよという間に生き馬の目を抜く価格競争だけの世界になってきたり、スパンメールやらトロイの木馬が走り回ってみたり、なんとTONの店かと思う類似商標の店があふれるようになるわ、間違い電話、間違いメールに翻弄されることも日常茶飯事になってしまった今日この頃となっている。ECってこんな世界だったっけ?

てなことで、力の配分をECからブログに方向転換して8年かぁ。。。。

ということで、何から何まで・・・商品構成も含めて見直しているTONです。

生きた仏教に出会いたかった20歳の頃の消化不良を店舗運営の中に見出して今に至ったわけなのだが、もういちどその原点に立ってみようという気になっている。

こよなく念珠堂を愛してくれるお客様がいらっしゃる限りなんとか応えたいと思うTONなのでありました。

浅草のそら

浅草のそら20180307
急に冷え込みました。昔の人は三寒四温と、まぁよく言ったものです。

今日は浅草全体で震災時の帰宅困難者対策の避難訓練を行いました。

外人さんの観光客でごった返す浅草ですから本当に大震災が起きたら相当混乱するでしょう。こつこつ地道ではありますが、体と組織の回路は常にオンにしておくべきでしょうね。

何百万と来街されるお客様に対して、街側にはその責任があるのだから。。。

避難訓練
外国語学校の生徒さんたちの参加

生死の境

読売新聞の記事にこんなのがあった。

http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20160915-OYT8T50018.html?from=yhd

朝から重い話と思う人は思うかもしれないけれど、一度は必ず通る道だからそう考えるとつい足を止めてしまう。

自分の母親も今年七回忌なのだが、その母親が生前、病院・・・と言っても終末医療の様な個人病院のお世話の仕事をしていた関係もあって、終末期の患者さんの事や病院内の内輪話もよく耳にしていた。そんな環境で育ったためだろうか同年代の友人たちよりは多く、生死の境界の事を考える時間が多かった気がする。

そもそも母親の語り部的な影響は少なくない。

彼女も少しばかり霊感の強い人だったこともあるのかもしれないが、生前親しくしていた方が亡くなると、訪ねてくれるそうで、報せが入る前に、心の準備はできていたという。母本人が死線を越えるかどうかの病の淵にいた時にも、よく言われる三途の川に行ってきた話を後で聞かされた。不思議ではあったけれど、そういうもんだろうと素直に納得していた。

二足歩行になることで両手が使えるようになって火をおこし、他の動物たちとは違った生物へと進化した。そっれが人間だなんて。なんてつまらない物語だろうと子供の頃から冷ややかに見ていられたのも、深い部分で人は人として世の中に生まれた存在だと信じていたからなのかなぁと今思う。

TONには誰が迎えに来てくれるのだろう・・・・

ネットショップのリニューアル

今、ショップの方を懸命に作り替えている。18年使っているサーバーも乗り換えて、お客様が使いやすいようにするにはどうしたらいいかと思いながらあれこれ算段している。

「念珠堂」という屋号もあちこちで使われてしまうようになり、ついに間違い電話やメールまでしょっちゅう入るようになれば、本家本元が黙っているわけには行かなくなった。という事も遅まきながら動き出した動機であることが正直なところというべきか。

ただ、いじるといっても、いかんせん僕がネットショップを立ち上げた1996年当時とは、まるでネット環境も、人々のスキルも、考え方も異なっているし・・・そりゃぁそうでしょ、パソコン通信に毛が生えたようなネットショップが当たり前の時代からパソコンってなぁに?って言いながらタブレットを子供が弄りまわる時代に変貌しているのだから・・・。家電の普及することを水道理論として説いた松下電器創業者の松下幸之助氏も驚いたであろう程、ネットショップがごくごく当たり前の世の中になってしまっているのだから、今のショップをどう対応すればよいのか、いろいろ考えさせられている。いや、正しく言えば考えて止まっているわけではない。なんせ時間がもったいないということで、走りながら作業しているとい格好だ。

ネットショップに全神経を集中してエネルギーを傾注していた時でさえ、ネットショップになんだか物足りないと思いながら続けていた自分な訳で、それをどう表現したらよいのか・・・

それにしても時間がない。

うまくできればいいんだけどね。

マッチ売りの少女・・・・

炭に火をつける
炭に火をつける。こんな小さな炭の火でも十分火力がある。

今年初めての小春日和かしらと思えるほどお日様の日差しが暖かく感じたというのに、やはりあれは夢だったんだと否定したくなるほどにゾクゾクと足元から湧き上がる冷気に、つい火の力を借りたくなるTON。

なるほど当店はお香やの一面も併せ持つ便利なお店であるのだ。

TONの頭の中に物語がよぎった。

マッチ売りの少女はあまりの冷たさに商品のマッチに火をつけた。

マッチ売りの少女の場合:「あ!あったかい・・・」けれど無情にも短いマッチは数秒で燃え尽きてしまうのであった。あわれマッチ売りの少女よ・・・

TON店長の場合:   「あ!あったかい・・・」炭の火はほんのわずかな付火にも、ポッっと周りを暖める火力を十分持ち合わせていた。しかもその火力の持ち時間は、数十分も継続する。ルンルンのTONであった・・・・

なんと物語の異なることよ・・・・

ドリフト

朝っぱらから区役所まで飛ばなきゃいけない用事ができた。

雪が降り終わって3日も経つのに、そこいら中に雪の塊が山と積まれたまま凍りついている。雪が溶けて道いっぱいに広がったまま凍てついているのが曲者。

自転車であっという間の距離ではあるけど、浅草通りの交通の激しいところは避けるに限る。

小道を行く。それがかえってツルツルの路面との格闘になろうとは。

40年以上前に冬の紀伊半島を自転車で一周したときに、伊勢から山越えにかかったとたん全行程アイスバーンの龍神街道で悪戦苦闘。その末に編み出したドリフト走法にかかれば何でもないと思っちゃうから怖い。

こんなの何でもないと思うのは経過年数をすっかり忘却の彼方にやってしまったTONのちょっとした老化現象なのかもしれない。と頭の隅によぎるのを打ち消しながら走るTONなのだった。

雪と猫
雪だるま:気をつけてね。。。猫:年寄りの冷や水にゃ。。。

記憶

案外人の記憶というのは間違いが多いものです。

ん?TONだからっていうこともあるかもね。

今年で丸十年と思っていたのだけど、日記を紐解いてみると、まる九年の間違えだったことがわかった。

父親の死んだ年齢を前にして、ある事件をきっかけに体調を管理することと、少なくとも四国を自転車で巡れる体に戻そうということが朝ランの発心だったわけで、父の行年も間違えてたし、朝ランを始めた年も間違えていた。なんちゅうこった。。。

日記とは一面正確な情報を教えてくれるものだと感謝に堪えない。けど、一面冷徹である。と言えないことも・・・なくもないなぁ~。

ぼくの初日の出

一番好きな季節

夏生まれのくせに冬が好きなのは、春が大好きだからなのだろう。

外回りを生業にしていた頃は、冬の朝は辛い。言葉に表せないくらい。

一軒目を訪ねるときまで、断られて断られて門前払いされて、まためげずに次に行き、また次に行き、また次に行き、そうこうしているうちに昼を過ぎて、手は感覚がなくなって何時間立つだろうかと思うときにふと顔を上げると寒風にさらされている桜の小枝に目が釘付けになる。

雪が降ろうが、氷雨にあたろうが黒ずんだ枝の先っちょには、春の息吹を感じたら一気に咲こうと桜のつぼみをしっかり膨らませている。そんな姿を見ると、自分の足がさっきまでもう動来たくないよ。と意地を張っていたくせにすっと前に出る。

そんな経験を毎冬毎冬してきたものだから、この季節になると天を見る癖がついてしまった。

寒風のなかに・・・

春。

天気は良いが

風があってさむい、寒い。

こんな日は炭を起こせば暖かい。

香炉に入れる炭団も火をつけるとこれが案外温かいものでつい火を入れてしまう。

せっかく火を入れたのなら・・・

香を焚かないとね。(≧∇≦)


香木は直接火に入れるのはもったいない。

ちゃんと銀葉を使うとしよう。

僕の中の先祖

自分の頭の中には何度もお会いしているような感触があったのだが、
「去年は伺えませんでした」
と耳にする。

しかも、「不動明王を創ってもらってからもう12年ですね」
とまで言われると、

あれ?

だ。
今度は逆に20年くらいお付き合いさせていただいていると思っていた。

まぁ、TONの記憶なんてこんなものだろう。
ますます磨きが掛かっていくことは如実のことだろう。

去年の暮れは、なぜか正月を迎えるには全然高揚感が生れず実に困った。
店の正月商戦への準備は早々に終了してしまったことも災いしているかも。

でも除夜の鐘を聞いて初日の出を見ようと元旦の早朝を走り普段はがらんとした隅田川沿いに人が溢れているのを見ると俄然正月モードにスイッチが入った。

僕の知り合いの神主にちょっと名物神主がいた。

90歳近くまで正月には必ず冷水による禊を、時によっては海中に入ることもあった。
聖職者はこうあっていただきたいと影ながら応援していた。

あまりにモードが切り替わらなければ、水行も一手かと思っていただけに、初日の出と、それを拝もうとする人並みに(何を思うかは別として)あっという間にギヤチェンジさせられようとは。

お日様の力は僕の中のDNAを動かすにあまりあったわけだ。

天照大神の岩戸がくれの故事を思わずにいられなかった。
きっと大御神の光は日本人の心に大いなる力を与えたのだろう。

普段、眠っているくせに、僕の日本人としてのDNAはきっかけさえあればちゃんと機能するようになっているようだ。それはそうだろうなぁ。
僕が生まれるまで、何億、何兆という人の人生が詰まったタイムカプセルが埋め込まれているようなもの。

僕の中の先祖。
僕の中の日本。

侮ってはいけない。
ということを新年そうそう気づかせてもらえたように思う。