歳重ね

商売柄、仏壇屋というのは、お年寄りとのご縁が多い。

もともと人の話を聞くのが好きだから、
苦もなく…というより興味深々で、その方の人生を聞きたくなる(時間の許す限り)

自分の人生は、まあ…せいぜい…よくて80年と思っているけど、
お年寄り(と思うことはないのだが)の話を聞くということは、
相手の人生のエキスを短時間に経験させていただける、
ということを意味していると思う。

プラス云十年。また他の方の話を聞けば、プラス云十年・・・
と、歳を加算できる気がしてならない。

そう考えると、自分は妖怪のような年齢になってしまうのだが、
今だ元気だ。

だから、聞けるときは、同調できるよう、
話しの環境にすっぽり入るようにする。

喜怒哀楽すべてに周波数が合うように。

中途半端だと聞き逃してしまう。

真剣勝負だ。
相手の人生の山谷をトレースしたいと思う。

昨日の元特攻隊のMさんの話もそうだった。
今日は93歳のおばあちゃま。

かくしゃくと一人で浅草経由で西新井大師に出かける。

「あんたんとこが好きなのよ」
と言って、小一時間浅草の昔話をして帰る。

誠に楽しい。
いったい幾つ歳を重ねただろうか。

昨日は、仲良くさせていただいている智鏡師のご縁で
よい出会いをさせていただいた。
御歳82歳になられる元特攻の隊員の方だった。

僕にとってのひと月は、靖国神社参拝からはじまる。

身内に戦闘員としての戦没者が見当たるわけではないのだが、
15年前から、よほどのことがない限り毎月続けてきた。

昇殿参拝を終えると、遊就館にほぼ定期便のように通う。
そして、命の言葉を読み返し、帰る。
常設している命の霊簿帳をいつもめくっては、
自分と同姓をいつも探すのだ。

上さんの故郷熊本近くで、同姓の津留何某命は見つかるが
僕の家計の名は見つからない。

近いお名前で「新海」という名に親近感を持った。

「新海希典少尉」
特攻のコーナーに遺品も展示されていた。
説明書きも読ませていただいた。
「恩人と同じ名前か…」

ここに来るのは初めてとおっしゃっていた
アサヒビール最上階の小じゃれた喫茶店で、
元特攻隊員の前村氏とお話しをさせていただきながら、

その口から「新海少尉が戦果確認機で僕の機を含め4機で飛び立ち
ながら死ななくてよい方が先に亡くなった」

と、耳を疑う名が飛び出した。

新海氏は上官であったのだという。

(ネット上に戦記を見つけ読み返してみた)
http://ysptclub.rithosts.net/ktftw/maemura2.html

よく聞けば、前村氏と数人の戦友が、元上官の遺品をご苦労の末、
靖国神社に奉納した経緯を語ってくださった。

「僕が今の会社を設立するとき、多大なバックボーンになってくださった方がいた。
その方も新海という方だったんですよ。」

話しは盛り上がった。

心の中では、
「動かされた・・・」。

正直そう思わざるを得なかった。

非日常ということ

非日常ということ。

今日は、久しぶりにお休みを貰って、マイサンを一人選別して
ディズニーワールドに出かけた。

ディズニーランドは、工事中から
完成するのを待ちに待っていたほどだったのだが、
いざ出来上がってからは、数えるほどしか出かけたためしがなかった。

何より、サービス業としての見本みたいな
ここの経営スタイルを、

経営者研修では、何度も取り上げられていた。
際立っていた。

それだけに、アトラクションを楽しむと言うより
学びに行くことばかりだった、デズニーランド。

開園から20年を過ぎてなお異彩を放つ。

園内に入ると、何故かミッキー等のキャラクターにみな変身したがる。
やたらと目に付くミッキーの耳やかぶりもの。

冷静になって考えると、何故?
と考えたくなる。

大の大人が、尻尾を生やしてみたり、
クマに頭をかじられているようなかぶりものをしてみたり、
鼠の耳をつけてみたり、

日本人が子供っぽいとは言え、度を越えている。

不思議だと思った。

考えた末、
日常⇔非日常

この使い分けの中で、中庸を保っているようにも見えた。
スイッチングしているのだろう。

ゆえに、非日常時は、
徹底して「非」にならないといけないのだ。

なんとなく、うなずけた。
非日常は、大切なのだよね。

お気に入り

きれいな縞瑪瑙仕立の念珠を、
買い求めてくださったお客様がいらっしゃった。

僕のお気に入りのひとつで(写真を撮る前だったので残念)

販売担当の店の子に、
「売れちゃったの」
と漏らしたものだから、怒られた。

販売してなんぼでしょ。
と言いたいのだろう。

その通り。

けど…僕は、ダメなのである。

大切に使ってくれるかな…
よく出来てるのわかってくれているのかな…
etc…etcなのである。

考えると、なんでこう情が移っちゃうのだろうと思うこともあるが、
その分だけ、情を尽くしているつもりなのである。
しかたない。これがぼくなのである。
諦めている。

自分が創るものは、本当に気に入るまでやり直す。
職人に頼まなければならないものは、気に入るまでやり直させる。

出入りの職人や、業者さんは、たまったものではないだろう。

首を立てに振らないのだから。
この頑固オヤジは。

僕には、4人子供がいる。しかし女の子はいない。
よかったとつくづく思う。

こんな性格だから、
花嫁の父になったら、
さぞかし大変なことになってしまうだろう。

上さんからも、ことあるごとに揶揄されている。
神様はちゃんと考えてくれるようだと。

作るのはいいのだけれど・・・

まずこの写真をじっくり見てもらいたい。
持ち込まれた水晶玉を使って製作したものだ。

お気づきだろうか。

一見して、つないだ玉が、
九十九折れになっているのが判る。

玉の状態を見る限り入手先は海外。
お土産屋で、「お兄さんちょっとちょっと」と片言の日本語で、
「水晶、水晶」「安いよ」

すると、
「ん?水晶?これは安い!」
と思われて、衝動的に求められたのだろう。

現地のものは細い化繊の糸に仮通しされて500mm、600mmと
いうような長さに調整されて売られているはず。

それを本連の念珠にするなら何本と計算して
2~3本買ってこられるわけだ。

日本で買えばウン万円するから、
「これは安い」

人情だろうなあ。

けれど、いざ本仕立になると、それなりの糸を通す。

すると・・・
玉穴にきっちり通った中糸は、

玉穴のゆがみをものの見事に表現してくれることになる。

それが、この写真なのです。

気にしない人は気にしなくてよいのだろうが
僕は気になって仕方がない。

よく見ると、玉の直径も0.5~0.7mm違う
玉穴も、0.4~0.5mm程度誤差がある。
糸を通すと、ばっちりわかる。

これで仕立てて、何年もつかな…と思うと
とたんに手が進まなくなってしまう。

だから、最近は、「作っても、もちませんよ。すぐ切れますよ」
と言うことにしている。
本当は、どうするの?と言いたいのだが・・・

念珠は、プロに任せて欲しい・・・

という気持ちと、

価格の違いはちゃんと意味があるんよ。

と言いたいところなのだ。
けれど、「自分にも説明責任があるよな」と、
自戒も湧いてくる。

さあ頑張って、切れにくいように仕上げるとしよう。

写経

ホームページにこられるお客様の解析をしていると、
キーワードで写経が多いのに驚く。

少し前は、念珠や数珠が大部を占めていたのに・・・

写経がマスコミにもてはやされて、
さかんに、雑誌や新聞に取り上げられたのは3年位前のこと。

表向きの流行が過ぎると、マスコミは、見向きもしなくなった感がある。

が、どっこい違うんだなあ。

盆提灯を見ると思い出す。

盆提灯に明かりが入ると
夢幻を感じる。

と同時に、「ほっ」と、僕の心が一息入れる音が聞こえる。

癒される。

この仕事を始めた頃、ある出逢いがあった。

仕事一筋の男性だった。
お仏壇を購入してくださり、お伺いすることになった。

その方は、奥様と二人暮しだった。
ただ、人と違うのは、奥様は意識がなかったということであった。
仕事一筋の企業戦士だったご主人は、
家庭を顧みる余裕すらない中、奥様が、家を切り盛り
典型的な企業戦士の家だった。

ある日、その奥様が倒れられた。
会社を辞め、自宅療養を余儀なくされた。
そんな時に出逢わせていただいたのだ。

初めて伺ったときも、寝たきりとなられた奥様を
かいがいしくも一人で、お世話されていらっしゃった。

二度目の訪問時は、仏壇を納めたとき。
同じような光景を横目に見ながらも
なにより意識のない奥様の下の世話までなさりながら、
ご主人は嬉々としてお世話をされていた、その働きように
心底感動した。

その数年後、
あまりにも急な昇天であった。

弔問にお伺いした。

内心、大変なお勤めから開放されたことで、
多少はホッとされていらっしゃるのでは?

などと、心のすみに思いを持っていた僕は、
心から侘びを入れなければならなかった。

正直、恥ずかしかった。
認識を改めさせられることとなった。

ご主人は四十九日間を文字通り「裳」に服しておられた。

線香を24時間いや、49日間切らすことなく焚き続け、
家を空けることはなかった。
天国の妻に聞かせて上げるのだと言い、
仏教書を読みふけっていた。

そんな薄暗い部屋の中に、
霊前灯の明かりが薄ぼんやり周りを照らしていた。
印象的だった。

亡き妻に手向ける夫婦の絆を見た。

励まそうと訪ねた僕のほうが、胸を熱くさせられ、
ひとつ灯火を持ち帰ることとなった。

ジンクス

雨が断続的に続いている。
明日は、仏壇の納品が待っているのだが、
必ず晴れると信じている。

全く心配していないから、雨具の用意もしない。
少なくとも仏壇を家に納める時だけは止むだろう。

僕のジンクスは、20年破られていないのだ。
明日が楽しみだ。

雨に考える

とっても不思議な日。

雨は、人を選別してくれるみたい。

天気がよく、人の出がよければ、浅草という観光地は好立地となる。
それに伴って、入店してくださるお客様もがぜん多くなる。
それはそれで、新しい出会いの場が醸造されて楽しいものである。
じゃあ、それが、売り上げにつながるかと言えば、必ずしもそうではない。
これは出逢いなのだとつくづく思う。

個人的には、人混みは避けたい口だし、
ただ、お客様をマネーの対象に見る商売の仕方は、
身震いするほど嫌悪感を感じてしまう。

「損得より善悪を考える商売をせよ」とは、古人の言であるけれど
当を得ている未来永劫の原則だと思う。

商売をし始め、少し慣れてきた頃のことを思い出した。

商売スタート当初は、全く未知の分野であり、
対人(嫌)恐怖症に近くもあったのだからおのずと、
薄氷を踏むような仕事ぶりであったはずだ。

そんな、恐る恐るお客様に接していたものが、
多少の自信がつくと、やる気満々が度を越して
かなりの増長慢になった時期があった。

何をやってもうまくいくのだ。
そんなときの自分は、
お客様を見ると、一目で心のうちが、伝わってくる。
何をしたいのか、家族構成は、血液型は、出身地は、懐具合は・・・
何もかもが、心に浮かんでしまう。
それをそのままお伝えするだけで、
成約につながることが多かった。

不思議な話しだと思う。
人間そう単純ではないらしい。
また、慢心にはちゃんと、奥底にある良心が警告をしてくれるようだ。

いつのまにか人の顔をみると、相手のお財布が優先するようになってきていた。
そうすると、徐々に、商売そのものまで嫌気がさしてきた。

「おはようございます」と挨拶すると、この方はいくら持っている。
と顔が円に見えてしまうのだから、これはショックである。
たまったものではない。
縁を大事にしたいと始めた仕事が、円を先に考えるようになっていた。
唖然とした。

このままじゃいけない。
あせればあせるほど空回りしてくる。

結果、一切、手を引いた。

一からやり直した。
この経験がありがたいと今は思える。
僕にとっての商売とは・・・と、心底、心に焼きついた。

歴史

子供の時から歴史物が好き。
世界史より日本史が好き。
特定の人物と自分を重ね合わせて読むのが好きなのだ。

でも、最近になって、若いときの読みかたでは得られなかった、
歴史が、ぐっと身近に感じるようになった。

明治維新も江戸時代も鎌倉時代も平安時代も・・・
ぐっと近づいてきて、当時が生きいきと感じるようになってきた。
なぜだろう。

考えてみた。

今、51歳。言葉を替えれば半世紀。
これの倍生きれば一世紀。

ということは、その4倍で江戸時代。
その9倍で鎌倉時代・・・

あ。たったそれだけなのだ。
と、換算値が身近になったためなのかもしれない。

歴史は断片じゃないんだよね・・・
連綿と連続しているもんなのだ・・・

当たり前なことなのだけれど、
今更と思われるかもしれないけれど、

妙に実感させられているのである。