Booの夢はもっとあるゾ!
TONちゃんの勝手な思いをいつも考える、お客様のこと、浅草念珠堂のこと。。。
Booの夢はもっとあるゾ!
いやでも(っていうことはないけれど)
毎日、お金の顔を見る。
小・中学生の時代は、コイン小僧だった
こよなくお金を愛していた。
お札の顔を見るのも数えるのも好き。
古物商、古銭商を見て廻わるのが趣味。
そこの店主には、何故か可愛がられることが多かった。
あのまま大きくなったら、
守銭奴と言わる人間に間違いなくなったことだろう。
子供時代までは、確かにそうだった。
残念ながら、その心はどこかに置いてきてしまったのだが…
デザインとしての紙幣は、今でも見ていると楽しい。
そんな目で見ていると、
お札の痛みがとても激しいのに気付く。
破れた札がここ最近、本当によく目にする。
モラルが低下していることが原因かもしれないぞ。
老婆心がそう思わせる。
[人のモラルと通貨] なあんて、
そんな統計をとっているところがあれば、読んでみたいものだ。
夢の話。
夢の中で、懸命に大念珠を製作していた。
握りこぶし大の平玉を連ねた108玉の本念珠。
前も見たような光景。
前も同じことをやっている。
以前より一回り大きい念珠だった。
修験者か霊能者かなんだかの競い合いに使うという。
親しい人のようだった。
何を競うのか知らないけれど・・・。
とにかく相手が待っている。
一刻も早く仕立てないといけない。
あと、5玉。あと4玉…3…2…1終了。
全部の玉を通し糸(糸といっても綱引きに使おうかという代物)に
通し終え、いよいよ最後の結びに入ろうとした。
けれど…
「あれ?結べない」
糸が短すぎるのだ。おまけに太いからよけい結べない。
「え゛~」冷や汗を出しながら必死になっている。
細い絹糸で、結束しようともがくのである。
どう考えてみても無理な話だ。
それが、それが、である。
「ガンバレーぼく」と念じると
不思議や不思議、スルスルと糸が伸びるではないか…
ホッとしたところで目が覚めた。
夢でまで仕事をするぼく。ガンバレー。
英語が苦手なくせに興味があって
NHKのしゃべらナイトをちょこちょこと見ている。
商売上、海外のお客様の対応に困らない為、
必要に迫られという事もなくもない。
でも強制的に勉強するのでは、全く身につかない。
面白いが一番なのだ。
今日の番組には、日本に住む著名外国人による、
フリートークで、日本の良さをディスカッションしていた。
日本は世界に誇れる良さを限りなく秘めている。と分析していた。
日本人よ、もっと自信を持て。とも主張していた。
彼らが日本に感じる魅力の一つに、「粋」ということをあげていた。
少々驚いた。
禅宗の修行も考えると粋の世界の極みだ。
青い目の禅僧はかなり多い。
何気なく「粋」とは何かを調べてみた。
広辞苑には、
「気持や身なりのさっぱりとあかぬけしていて、しかも色気をもっていること」
また、「遊里・遊興に関して精通していること」と、
わかったようなわからんようなことが述べられていた。
僕なりに考えると「内に秘めて平然を装う」姿に粋を感じること。果てしない奥行きを持つ個の確立した人格を想像した。
粋に対する反対は、無粋だろう。
無粋つまり、「粋で無い」「粋が無い」
やたらとあるものをひけらかす。
金であったり、能力であったり。
また、場の空気を読めない、気配り出来ない人間、
古日本人は、それを無粋といった。
外人たちが、日本にあって海外にない「粋」に興味を持ち来日する。また伝えたいという。
その日本人が、拝金主義、に陥り、粋を捨てている。
抑制の方法を知らない欲望は、味噌もくそも手中に収めようと画策する。行き過ぎた欲は、相手の命をも奪うをよしとする。無粋の極みなりだ。
粋の中に生きていたら、己の了見というものを見極め
必要以上に求めることはしない。
自己主張もいいのだが、無粋にならぬ程度の控えめさは遺したい。
貧乏人の小倅のせいか
「武士は食わねど・・・」の中に
今だに粋を感じる。
10時少し前、開店準備に小走りで店に向かう。
シャッターの前に、見覚えのあるお日様のような方が待っておられた。
よく見ると福島のS師。
そこにおられるだけで、小太陽のよう。
ぼくよりお姉さんのはずなのに、身のこなしが軽やかだ。
それだけでも、パッと春の陽光があたり、春風が吹いた。
何やら大きな荷物をかばんから出され「はい」と、
手渡されるや否や、挨拶もそこそこに「用事があるので」と、その場をあとにされた。
そーと開けてみた。
春が詰まっていた。
こーんなに、心のこもった「春」は、久々だ。
いつも驚かされてしまう…
昔から感動屋のぼくは、何か事あるごとに「これも吉日」が多かった。逆に考えれば、感動しないと動けなくなる。適当なところで(しょっちゅうかも)、給油が必要なのだ。
正月。初日の出。
なんてシチュエーションには、しっかり心の中に、風景と気を叩き込んで、それにからめながら「よし!」を決める。
その為には、決まって海に足が向かう。
冷気に触れながらお日様の顔を見る。
最近なんか足りないなと考えてみると、朝夕の海を見ていない。
陸に揚ったカッパの如く生活をしていることに、書きながら改めて気付いた。
よし。今年は朝夕の海を見よう。
ん?これって今年の目標?
高校2年の長男と腕相撲をした。
去年の暮れにも同じように勝負だと言い出し、
急に手を組んできたものだから
不意を食らって見事、負けてしまった。
子供に負けるなんて、コンチクショー!
悔しさと若干の嬉しさが半々。
上さんは笑っていたが、男って案外本気さ。
本人は、悔しさをかみ締めていたのだ。
今度は、こちらから勝負をかけたのだ。
速攻で、負かしてやろうと組みふした。
97%まで組み伏した。あと1cm。勝利は目の前。
すると、敵は背水の陣をしいて、持久戦に持ち込んだ。
あれ?つぶせない。
96、95、94、93…エネルギーが減っていく。
僕のカラータイマーは「赤」。
力はどんどん抜けていくのがわかる。
比例して、ぐいぐい腕が持ち上げられる。
あ。もうダメだ。
「持久戦になったら勝てないよ」
悔し紛れの一言だった。
今度は左手で勝負だ。
明けましておめでとうございます。
今年は・・・・・と。
いつも寝てないで、
目をぱっちり
したいものです。
除夜の鐘から、とにかく寝ない町。
元旦の夜というのに
今だ、ざわざわ落ち着かない。
今日は、赤穂浪士討ち入りの日。
ひたすらひたすら、忠義を通した武士の美学が、元禄時代当時の民衆の心をわしづかみにして放さなかったわけだ。
(討ち入られたほうは、何百年も悪人にされて、たまったものではなかっただろうが…)
これほど執念深いのが、わが民族の本質かと思えば
情報として耳にする程度だと、悲惨な事故事件も、
すぐに忘却の彼方に忘れ去るようだ。
震災しかり、津波しかり、JR事故しかり、飲酒事故しかり、
情報過多が原因かもしれないが…
2000年の三宅島噴火で全島民避難の悲しみからまだ6年しかたたないのに、
どれだけ意識に残っているだろうか。
ほんの時々の話題として、まだ帰島できない人々が
3割以上いらっしゃる程度のニュースを聞くに留まっている。
けれど、そこを故郷にしている人々には、
10年たとうが、20年たとうが、そこが故郷なのだ。
そして生活の場を求める以上、
そこには、生活の基盤がなければならない。
亜硫酸ガスの噴出する島で何の産業が起こせるのだろう。
考えると、いかに難関であるかが理解できる。
同じ都民としても事実を理解しないと…
英国マン島レースの三宅島版。
都知事が推し進めている。
心から期待する。
http://hochi.yomiuri.co.jp/column/nakajima/news/20060602-OHT1T00157.htm
ついでといってはなんだが、
箱根駅伝が正月行事となっているが、昭和30年代まで行われていた、
東海道ロードレースもエコ意識の象徴として、
復興しないものだろうか…
世の中こういう時代なのだ。
豆を挽き、蒸し、ドリップする。
進捗状況をいちいちディスプレーを通して実況してくれる。
これは画期的!
おりこうさんコーヒー自販機君だ。
そう。
世の中、判断は川下なのだよ。
ついでにいうならば、
蒸し時間の調整、
ドリップ温度調整、
注ぎ方まで、注文者がいじれたら、ロングテール時代にふさわしい
自販機が完成するだろうに・・・無理?。