タイムスリップ

仏壇のお届けに、横浜と藤沢の境まで出かけた。

横浜の清楚な住宅街であった。
ぼくの青年期を過ごした下町とは目と鼻の先でもあった。

もう30年も40年も経ってしまっているなあ・・・
と思いながら、浦島太郎を決め込んで車を走らせた。
案の定、あまりに変貌して道に迷うこともしばしばだった。

お届け先のお茶呑み話で、鎌倉街道が話題になった。
「ずいぶん変わったよ」の一言に
散々通った鎌倉往還の峠道に帰りしな向かうことにした。

そこは七曲という。
鎌倉への切通しのひとつになるのだろうか。
夜にもなれば狸も出そうな真っ暗な、文字通り峠道だった。
自転車で大船側からこの峠を越えると、「無事横浜に帰ってきた」といつもホッとしたものだった。

唖然とした。
30年の月日は、七曲の峠道をスロープに変えていた。

大船側に碑を発見した。

「鎌倉街道完成記念碑」だそうだ。

写真を撮っていると人が寄ってくる。
ものめずらしいのかなあ。

地元の80歳になるおばあちゃんに、懇切に説明をいただいた。
佐賀弁。まったく聞き取れない。

唯一、理解できたのは、54年住んでいる。という。
あ!身の上話ね。

ここもずいぶん変わったよ。とも話してくれた。

最後は、振り返り、振り返り別れた。

おたっしゃで・・・

人生摩訶不思議

もう十数年お付き合いしている貿易業者さんが訪ねてくれた。
もう70歳をとうに越えて年齢的に言えば
「おじいちゃん」と言われる御歳になるわけだ。

しかし、口が裂けてもいえない。
タブーである。

それよりも何よりも、実年齢よりはるかに若い。
全く歳を感じさせない。

着る物も、ぼくと比べても、はるかに若くセンスのよさが光る。
なにより、さりげなく着こなしている。

定年までは、某テレビ局でチーフプロデューサーをやっていたくらいだから、
芸能人にも知り合いが多い。
そして何人ものスターを世に送ってきた人だから、
彼にとってはごく自然な姿なのだろう。

最近、大病を患い、いろいろ思うことがあるようだ。

今日は、いつになく元気がない。
そのまま帰らせたくない気持ちになった。
「じゃあね」と立ち上がろうとしたときから、
昔話のモードのスイッチが入った。

人生のドラマは、聴いていて楽しい。
どのドキュメント番組よりドキュメントであるし、
一回しか生きれない人生を倍にしてくれているような感触をいつも感じる。

気がつくと2時間近く話し込んでいた。

子供の頃に観ていた番組を製作していた父親のような人と
こうしてコンビを組むのだから、人生摩訶不思議さを感じる。

すがすがしい気持ち

この浅草という土地柄、
海外のお客様のご来店が非常に多い。

この数年は、特に中国本土や東南アジアのお客様が、
明らかに目立つようになってきた。

以前は、欧米の方がほとんどだったのに。

こんなところにトップダウンの情報より、
草の根経済学のほうが、
現状の世界経済を肌身に感じるところだ。

海外のお坊さんもずいぶん来店される。
以外に思われる方も少なくないだろうが
西欧への日本の僧による布教は歴史が長い。
青い目の修行僧は、日本の本山で修行して地元に帰り寺を建てる。
そうした修行僧もいれば、アジアのお坊さんもいる。

開店早々、初めて接した外国のお坊さんは、
開放前のポーランドの雲水(修行僧)だった。

東欧圏から国を抜け出し、
禅の修行にこられていた若い僧だった。

下手に帰れば刑に服さなければならない。
命がけで修行していた顔は神々しくも感じた。

韓国、台湾、中国、ハワイ、米国、ドイツ、フランス…
本当にさまざまだ。

最近、
シンガポールの雲水さんとお付き合いをはじめた。

「何でも人にあげてしまうから、何にもないの」
といつも笑いながら、少ないお小遣いをもって
店に念珠を買いに来られる。

沙門(独身で生涯を通す僧)であり、
激しい修行をされてきたであろうことは微塵も見せない。

でも、わかるよ、それくらい・・・

指に文字通り火をつけ、仏を供養する。
しつこく聞き出す僕の要請に応じ、信仰の決意の一端を漏らしてくれた。
目がきらきらした青年だ。

国を越えてまで修行を極めようとする心が、
かの昔、日本の僧が命がけで荒海を越え、
唐の国に仏法を学びに行ったその姿とダブってしまう。

毎回顔を見るたびに
何とも言えない、すがすがしい気持ちにさせられるのだ。

米穀通帳

朝一の日課は、メールチェックとmixiチェック、
それとお米とぎ(^^

弁当用のごはんが足りないと思うと、つい手を出してしまう。
子供のときからの習慣だから眠気覚ましには丁度良い。

うちのお米は、上さんの熊本の実家から送られてくる。

結婚してから、このかた肥後米で養われてきた。
子供たちも肥後の水と土で育ってきたようなものだ。
農家の娘とはいえ、親は凄いと思い知らされている。

初めてこの肥後米を口にしたときの驚きは、今でも忘れない。
多少柔らかめながら甘く、しっかりした味がある。
何より、次の日冷えてからが美味しいのだ。
おにぎりになんてすると、たまらなく美味しい。

スーパーに行くと、いつも肥後米を探すが、
見つけたためしがない。
流通量が少ないのだろうか。美味しいのに…。

少し調べてみると、江戸時代は米価を決める重要な銘柄だった。
明治から昭和初期までは、美味しい米として全国に知れ渡っていたようだ。

以前、店のものと歓談しているとき、米の話が話題になった。
もちろん、肥後米を話題にしたのは当然だった。

案の定だれも口にしたことはないようで、
肥後米の宣伝マンとして、話題をリードし盛り上がった。

しかし、ちょっと口を滑らした。

「今でこそブランド米どうの言うけれど、
昔は古米、古古米当たり前だったし『米穀通帳持』を持たされて、
買いに行かされたよね」と発言したとたん・・・

冷ややかな空気に包まれた。

「米穀通帳?なんですか?それ」

って、皆口をそろえて、のたもうたのだ。

結局、米穀手帳を知るものは、上さんを含め、
僕の周りには、 一人だにいなかった。

まあ、農家の娘は別として、東京育ちにまで、
記憶がないといわれるとは、いささかショックだった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E7%A9%80%E6%89%8B%E5%B8%B3

中学生のころまでは、たしかに米穀通帳を持って
米屋に古古古米を買いに行った。

「配給」の名残、
つまり「戦後」を、ぼくは体験してきたということなのだろうか。

衝動

手元に国土地理院昭和49年版20万分の1地形図がある。
20万図といわれている地図だ。
区分けは「岐阜」

パソコン脇が彼の定席となっている。

頭がいっぱいいっぱいになってくると、
広げて道を追っているだけで、ぼくの頭をほぐしてくれる。

サイクリング、主にパスハンティングというジャンルで
全国の峠や温泉を巡っていた時の相棒の生き残りである。

几帳面に隅を裏返しに折りたたみ、地図どおしのつながりが取れるように、
山屋なら誰もがするであろう畳み方をしている。

黄ばんでいる角が時間の経過を感じさせられる。

いつでもスタンバイOKよ、といわんばかりに自己主張している。

何故この地図を買ったのか良く覚えていない。
赤線が、道路上に引かれていないから、
出番なく終わったのだろうことは、容易に察する。

多分、越前街道を走り金沢に抜けるか、九頭竜湖あたりか、
琵琶湖周辺を狙っていたのかもしれない。

改めて眺めていたら、関が原、長浜とNHK連ドラの舞台であったことに気付いた。
昔なら、一もニもなく、自転車担いで飛び出しただろう。
が、しかし、手かせ足かせが多すぎる。

今しばらくは、机上ツーリングとならざるを得ないだろう。

あ!体力は別問題です・・・

チャレンジ

仕事の道具を見つけに南千住に足を伸ばした。

目的地はダイソーのメガショップ
要するに100円ショップ。

早々に目的は達した。

相棒がまだ買い物を続けているようなので、
もてあまし気味に店内を物色する。

書籍コーナーに懐かしい名前を発見。
つい手が出てしまう。
「荘司としお」のチャレンジ君
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%98%E5%8F%B8%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%8A

昔、同作家の「サイクル野郎」にワクワク胸躍らしたものだ。
(それがきっかけで生涯の趣味になったのだから…)

村野守美の「オサムとタエ」も含めて4冊、
続けざまに立ち読みしてしまった。

冷ややかな視線に気付き、振り返ると呆れ顔で相棒が見ていた。
慌ててカートに隠す。

貝塚ひろしも好きだったなあ。
良識的な、冒険ものを書いていた漫画家は
どこに行っちゃったのだろう?

久しぶりに見た漫画を見ながら、
子供を取り巻く環境が本当に変化していることを改めて気付かされた。

子供の頃は、メディアにしろ漫画にしろ、
それをきっかけに、チャレンジ精神に火をつけてくれるものが多かった。

ミクシーの書き込みに、20歳の大学生だろう
人生の目標や熱中することを口にできないことを嘆いたのを思い出す。
熱心に論議する土壌がないという。
ややもすると、「うざってえなあ」と嫌われたり
いじめの対象になるのだという

脳裏の隅にも起きない思考回路だ。

冒険心に火をつけても消して廻る輩も多いということなのか

ゲーム世代の子供たちは、ゲームの後、
次のチャレンジとして、何を所望するんだろう。

さらに新しいゲームだろうか?
刺激的なゲームだろうか?

夢の種を与え続けてくれていた時代とは、

まったく異種な時代に今あるように思った。

子供の劇に徳をもらう

末っ子の小学校生活最後の学芸会があった。
土曜日ということで、時間を搾り出すのには、いつもながら苦労する。

学校の行事には、過去、何はともあれ駆けつけた。
十年を越えればいい加減に、飽きてもよさそうなものだが…
バカ親なのかなと我ながら考える。

低学年までは、演目は何なのか、何の役なのか、事細かに、
時にはリハーサルまでしてくれて当日前に、
ほぼプレビューのおかげで頭の中に完璧に刷り込まれての確認のための鑑賞であった。

高学年の今は、さっぱり情報が入らない。

当日、催しがあることすら、知らされないこともざらになって、
親としては若干の寂しさも否めない。

まあ、振り返れば同じことを、自分のしてきたのだから、
報いといえば報いなのだ。
きっと、世の親は頼もしくなったと慰められるのだろう。

ともあれ、つかの間のおひまをもらって、のぞいてみた。
ジャストタイム!前の演目が終わり、6年生の劇が始まろうとする幕間だった。

この浅草も都会の学校の性で、ご多分にもれず
、学年合わせても70名そこそこの文字通り「小学校」だ。
学区外からの電車通学者も多い学校で、○○ちゃん遊ぼうよで集まる人数も底が知れている。
まとめるのが難しいだろうことは容易に察っする。

演目は、「南中ソーランの誕生ドキュメント」だった。
南中ソーランと聞いて何のことやらわからない諸氏も多いと思うが
ぼくもその一人だった。南中って何?素朴な疑問 。
http://www.ecpla.net/nantyuu/nan_rekisi.html
である。
全国に感動を呼んだあのロック調のソーラン節で
「ソーランソーラン」って踊りまくるやつでしょくらいのものだった。

稚内の校内暴力で荒れていた中学校が舞台で世に出てきたことを演じたわけなのだが、思いがけず感動した。涙腺を押さえるのに苦労した。

親ばかとしての感動ではない。なぜなら
愚息の出番は、幕が開いて活字にして2行の台詞で終わってしまい、
その後は、集団に飲み込まれ、全く識別がつかなかったのだから。
感動しようがない。

純粋に、劇として感動した。
見渡せば涙を流している父兄も我が妻も含め少数ではなかった。
最後は、例のドッコイショの踊りでフィナーレだったが、
アンコールを取るほど盛り上がって幕を閉じた。

思いがけず、思いがけない感動をもらう事ほど、
これほど得した気持ちはないなと正直思った。

人間の条件

ホームレスのおじちゃんおばちゃんに対して
猟奇的というのか、差別的というのか、
今のモラルの現実というのか、無残な事件が相次いで心が痛い。

ただ、ここ浅草では、聞かないのが、唯一ホッとする。
人として大切な心の一つ「同情心」を失った若者が
一部にも輩出しているのかと思うと身が凍る。

お先真っ暗じゃない。

以前は、時々ではあるが、
ブルーテントを持たないおじちゃんとはよく話をしていた。

ごく普通の日本人だ。何にも変わらない。

何がそうさせたかは、闇の部分もあるけれど、

自分もいつそうなってもおかしくないと思った。
話せる機会があったら、また話をしてみたいと思っている。

吾唯足知

mixiの友人のコメントを読んでいて
はっとした。

幸せの基準について書かれていた。
生活の、ちょっとしたことに「幸せ」を感じる
ということなのだ。

忘れているのではないつもりなのだが、
改めて耳(目)にすると
へへ~とばかりに、頭が下がる。
新鮮に映った。

仏教に、足るを知る(吾唯足知)という言葉がある。
禅語のひとつ。
http://www.kyocera.co.jp/event/inamori/keyword/life10.htm

忘れないようにと目の前のモニターの枠に
汚い字で書いて時々眺めては戒めにしている。

口の字を真ん中に上に「五」下に?(字がでてこない…)
ようするに、

つくばいなどでよく見るこれである。

また別の友人の日記の中で占いサイトを紹介していた。
タロット占いだった。

タロット占いは初めて挑戦。
http://www.e-witch.jp/cgi-local/tarot/sample1.cgi

おそろしいほど言い当てられた。
「いこじになってはいけない、職人気質も程ほどに、人の意見を聞きなさい」というのが要約。
たしかに、ね。心当たりアリ。

「吾唯足知」といい、タロット占いの意見といい、

近しい人に裏切られる昨夜の夢の解釈に、
なんとなくガテンがいった。

いい夫婦

今日は、11月22日
つまり「いい夫婦の日」なのだそうだ。

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いいことです。とにかく明るい話題は。
どんどん明るくして欲しい!

最近の子殺しのニュースを見ると
11月05日「いい親子」の日も制定して欲しいと思いますね。

この11月は、ネットで「e-○○」(いい○○)と同じようで、
ごろのよさから、いろんな「いい」が生まれてもよいような。

11月4日  いい嫁の日 or いい爺の日
11月10日 いい夫の日  
11月5日  いい子供の日
11月28日 いい爺婆の日

ちょっと苦しいけど。

こじつけでも、「そうだな!」と万民が納得できる毎日だといい。