矛盾 その二

タバコの顔を見なくなって久しい。
しばらくぶりに再会した。

近くのスーパーで買い物を終え、
階上にある駐車場へ行く為、エレベーターを待つ。
手持ち無沙汰にしていると、ふと自販機が目に入る。

何とはなしに目が走る。
見ると「300円!」どえらく高くなったぎゃあ!驚く。
それ以上に度肝を抜かれたのがこれ↓

洋もくだけではない。
国産品にまではっきりと印刷されていた。

以前は、可愛く「健康に気を付けましょう」というくらいであったものが、
しっかりと誰の目にも読める。

中には、老眼鏡をかけなくても読めるほどの大きい字で、
遠まわしに吸うなと言っている。

「吸うのは勝手だけど、お前のせいだよ。おいらには関係ないからね」
へそ曲がりには、読めてしまう。

そんなに、医学的にはっきりしているの?
無知な僕には、それ以前の?が湧いてきた。

そんな、
体に悪いもの、売るなよ。

わかっているんだったら、
自販機なんて、誰が買ってもわからないような売り方するなよ。

品行方正にそう思うのは、無理があるだろうか。

ちゃんと、「たばこや」のみいちゃんが
窓越しで、お金を受け取って、
「死にたいのね」
って聞いて、「はい。毒よ」
にっこり微笑んで
誓約書を渡したら?どうよ。

「私の責任です。誰の責任ではありません。 印」

そう書いてあったりして…

国民と財産を守るはずの、お上に関係のあるところが、
ドクターキリコ並みの注釈つきで、まだ売っている。とは…

あー驚いた。

遡流

ネットの友人と話している中で
ふと、気が付いた。

衣食住という言葉がある。
人間、最低必要な欲求である。
衣食住を必要な順番という人もいる。
(食が先だという意見もある)

着るもの
食べ物
住むところ

その順番を逆にすると
人格形成に、影響を与えてきた順番
のような気がする。

住には、もちろん家を取り巻く環境
つまり人と郷土も含まれる。

故郷には、友人があり、家族があった。
人それぞれ違うだろうが、親のぬくもりがそこにはあった。

「3丁目の夕日」を代表とする昭和30年代が
その時代を知らない若い世代をも巻き込んで、

妙に懐かしがられている。

なぜだろう。

虚弱だった僕には、医療は、
きっても切れなかった間柄だけに
適切な医療も、医師も少なかった、
この時代は決して楽ではなかった。

その時代に戻れるとしても、もう結構と断るだろうほど
つらいことが多かった。

母子家庭だった我が家には、さらに貧困という過酷さも待っていた。

けれど、その時代がとても郷愁を誘う。
決して記憶から排斥したいとは、思わないのである。

なぜだろう。

「終の棲家」を考えるとき

その時代のイメージが湧き出てくる。

鮭は一生を終えるときに遡流する。
もちろん子孫を残すためにではあるが、
なつかしい川の匂いをたどりながら、何を思うのだろう。

鮭の一生になぞらえるのではないが、
その匂いの元が何かを
そろそろ、嗅ぎ出しはじめ出したのかもしれない。

己の言動にときどき驚くのだ。

日本文化的チャングム

毎週土曜日の夜は、
家族総出で「チャングム」鑑賞会となる。

子供たちもそれぞれ、何をしていても
必ずどこからともなく集まってくる。
そして、普段見せない真剣な眼差しで、テレビを見ている。

親は高じて、ついにDVDにまで手を染め始めた。

一回目から、観返している。

改めて、苦労の多い女の子だと感じる。

「おしん」も苦労続きだったけれど、
「チャングム」も負けじ劣らず、苦労の連続だ。

よくぞここまで、不幸の星を背負って生きていけるものである。
ぼくなら、とうに自分を排斥した宮中など諦めて、
済州島で一小市民として生きて行くだろう。めでたしめでたしなのである。

また、作者もよくまあ、これだけの苦労を思いつくものである。

と、心底関心する。

小学生のころ「氷点」が流行った。
テレビも小説も
イヤでイヤで仕方なかった。
(七人の刑事の次にいやだった)

何でこんなにいじめられ続けなければいけないんだ。

一間しかなかった我が家では、
いやなら寝るしかなかった。

「女、子供をいじめて何が名作だ」
そう思い、ブツブツ言いながらフトンに入った。

後日、作者がクリスチャンであること
そして「氷点」は、キリスト教を根底にして考えないと、理解しづらいんだと友人に教えられ、ようやく納得した。

そう考えると、チャングムは、韓国の精神の底流に流れる
恨(ハン)の心を理解しないと、単なる三文ドラマとなりかねない。
「またか、チャングムちゃん、かわいそう」で終りそうである。
実は、深い深い精神文化が、土台にあることを忘れてはいけないのだ。と、はたと気づいた。

これで、観返す楽しみ方が、増えたというものである。

ただ、くれぐれも主人公に成り代わり、
チャングンの恨みと、頭の中で勝手に書き替えぬよう気をつけないといけない。と思っている。

「おまえら人間じゃねえ、たたっ斬る」と日本文化的チャングムが現れないよう。注意、注意。

天下の廻りもの

最近、とっても気になることがある。

毎日、売り上げの精算をしていると
必然的にお金の顔も毎日見ることになる。

その顔色が、今ひとつ悪いのである。
そっとひとりで心を痛めている。

子供のころ古銭収集が趣味だった。
それこそ、なめまわすように、
毎日たな卸しをし、
現在庫をチェックをし、
収集見込みを立て、
かつ、カタログを暗記していた。

現在の仕事にこれほどの情熱があったら
いかなるものになっていたろうか。(守銭奴になった可能性は十分あるが)

今では信じられないくらい、お金のことには、
頭脳明晰だった。

軍資金のない子供時代のこと、
お金をかけないで収集しようと思えば
現行コインもターゲットだった。

今では、「お宝…」とかで一般化してしまったけれど
現行コインにも、お宝は多い。

それを集める為に、
わざわざ電車に乗って繁華街に通った。
今で言うゲームセンターに毎日通うのである。
遊びの為ではない。

ひたすら両替機で少ないお小遣いを
小銭に両替した。

発行枚数の少ない10円玉や100円を
見つけては、小躍りしながら帰るのである。

だから、
お金の状態がとても気になる。

実に汚いのである。

特に札の状態が悪い。

まだ、発行されて間もない樋口一葉でさえ
よれよれのボロボロが多い。

酸性雨のせいもあろうが、5円玉などに至っては、
両替し、封を切ったたばかりなのに、
一割近くが、錆を出していて使い物にならない。

おつりとして使うのには、
気が引けるほどだ。

素材が悪くなったのか、
はたまた、使い方が荒いのか。

子供の目であったことを差し引いても
昔は、もう少しきれいだったように思う。

世界でもトップレベルの、美術品ともいえる
日本の通貨が、ぞんざいに扱われている。

コイン収集はとうに、卒業したはずなのに、
いまだに心に痛みを感じる。

人の間を渡り歩く通貨は、
だれよりも、世の中を知っている。

モラルの低下ってこんなことにも
赤裸々な情報として伝えてくれる。
と思う。

もっと大事にしないとね。
自分のものじゃないのだから。

お盆におもうこと

もう、お盆までカウントダウンとなった。

3・2・1・ゼロ、と近づく今だから、
いやでも、民族大移動が始まれば、
子供心にも、「何か特別な日が近づくんだ」と
予感をさせる。

敗戦の記念日が、その日に重なることも
印象をより濃くする一因ともなっている。

先祖を考えることのできる環境がこうして、
用意されていることは、
「日本って、なんてありがたい国なんだろう」
と、いつも思うことである。

仏教伝来以前の日本人には、
死者に対し畏怖をもっていた。
畏怖心から、死者は、神となり、子々孫々をお守りくださるのだと
変化したようだ。

死者に対して意味もなく、
おどろおどろしいものと考えるのではなく

活き活きと現世に、はたらきつづけてくれる守り神。
明朗で且つ、強烈なイメージを持っていたようである。

仏教伝来後は、融合されて
仏教行事としての「文化」となってきた。
けれど、本来的には、日本人が根底に持っている、
神観や先祖観に基づくものなのだという。

とりわけ、日本の文化の中でお盆ほど
日本人のDNAが見える形として、
顕されているものは、ないのじゃないかと思う。

だから、文化を大切にしたい。

複雑に絡み合って、どうしようもないとき、
後戻りできないほど窮地に陥ってしまったときは、

「初心に帰れ」とは、よく言うことだ。
日本人には、その「初心」が文化として伝わる。

苦もなく、仏前に初心となって手を合わせる、
一時が持てるのだ。
亡き肉親と実体はなくとも数日間暮らし、
寝起きを共にするのである。

にわか信仰心でも良いと思う。

思い出す行為が、それ以上は、
「軌道を危めない」ことにつながるのではなかろうか。

そのときは、大手を振って「ご先祖さんありがとう」って
声を出したらよい。

お盆とは、先人が残してくれた
「初心還り」のチャンスなのだから。

お墓参り

人のお盆のお手伝いをしていて
気がついたら我が家のお盆は、
すっかり頭から抜け落ちていた。

さぞや、ご先祖さまは、
この一見、先祖不孝者に見えるこの末裔を、
喜んでいることでしょう。

わが身も先祖も顧みず、他の為に滅私奉公しているのだから。

いやはや、じょうだんではなく
オヤジの墓にあいさつせねば・・・

まわりのみなさまは、どこにお墓をお持ちだろう。

最近はやりの、公園墓地の方が多いだろうか。

耳にするのは、寺内墓地が多いのだけれど、
気にしないですむので、宗教に関わらない公園墓地は
人気なのだろう。

僕のところは、ずーーと遠い。
学生時代、本家に預かってもらっていた遺骨を持って
母の田舎に思い切って墓所を設けた。

その昔は仙台藩のお殿様の墓所内ということもあって
喜んでいたこともあったが、
なにせ、遠い。
迎え提灯で先祖をお迎えに行けば、
新幹線でお迎えしないといけない、笑えない話。

やはり、先祖供養と生活。
これはまさしく文化だと、つくづく思う。
その点、家内の実家は、
生活に根ざしている。

家から100mも歩けば墓所に着く。
「じゃあご先祖をお迎えしようね」と言いながら迎え提灯に
墓所からお迎えできるのである。

迷わせることもなく、ちゃあんと手を引いて
おうちまで連れてきてあげれるのである。

生きていれば百歳、二百歳のおじいちゃん、おばあちゃんであろう
大先輩なのだから、お迎えに行くのが、子供の目でみても尋常であろう。

ともあれ、お盆本番もカウントダウンだ。

メルマガ出せないよー

メルマガを書かなくちゃ。
準備号を発行して一ヶ月過ぎてしまった。

サボっているわけではないのだが
時間が物理的にとれない。
言い訳だ。
いいわけでしかないのは、充分わかっている。
書きたいことは山とあるのに…

福島から来た友人にも、書かないのはもったいないわよと
釘を刺されてしまった。
まだ、習慣化してないのもあるのだが、
直しと製作に追いまくられている。

職人として、販売員として、WEBマスターとして、店長として、
そしてライターとして頑張らないとね。

もうちょっと待ってて下さいね。

ジンクス、未だ破られず。

この仕事に就いて、20年を経過してしまった。
その間、何台(わが業界では何本と言うが)
仏壇を納めてきたただろう。

初めの頃のお客様は、よく赤飯を炊いて待っていてくれた。

仏壇が、ただの箱物ではないということ。
しかも、死者のみ霊箱の為だけのものでもなかった。
とてもめでたいことなのだ。

本尊と仏さん(ご先祖さん)をお住みになっていただくおうちを新築した訳で
上棟式にお餅やお菓子を、地方によってはお金を撒く、
それと同様のものなのであるわけで、しょうがなく買うというものだはないのである。

だから、こんな若造が(当時の話)、出向いても
「良くぞお持ちくださった」とばかりに
下へも置かない待遇であった。

当時は、たいへん恐縮したものだ。

そうした、仏壇であるから、こちらも細心の注意を払って
お持ちした。

特に天候には気をつけた。
気をつけても、相手はまさに水もの。

思うとおりにはいかない。

あるとき、土砂降りの中、出向く羽目となった。
「施主さんは、雨の日に納品なんて、いやだろうなあ」
と思いつつ車を走らせた。

都内ではあったが、緑が多い。
アジサイや花々に木をとられ雨のことなどすっかり忘れていた。
車から降りると、
むっと、むせ返るような暑さ。
「あれ」雨どころか、雲間から日が差している。

これは好機とばかりに、急ぎ運び込んだ。
運び込みが終ったとたん、まさしく「とたん」に
ザーと、すこぶる強い雨足となった。

その日まで気づかなかったが、「納めのときに雨の中」
ということは、一度たりなかったことに気づかされた。
1年前の話である。

以来、どんな不利な状況でも、
大舟にいつも乗っている。

今日も例外ではなかった。

うとましい

うとましい
国語辞典で調べてみた。

●いやな感じがして避けたい。いとわしい。

と、どの辞典にも大同小異だった。

人間関係には、頭ではわかっていながら、
感情は全く反対に働いてしまう関係って確かにあるにはある。

赤の他人とは、好かんと思えば会わなければよいのだが
怨憎会苦(おんぞうえく…会いたくないのに会わなければいけない苦しみ)
という苦しみも、2500年も昔からあるのだから、
今に始まったことではないわけだ。

ただ、親子の場合は、そうはいかない。

結婚して子供が産まれれば、誰でも自然と親になり
何人いても、子供は皆同じように、かわいいのだろうと独身時代は信じていた。
母性本能、父性本能というものは、自然と噴出するものだろうと・・・

しかし、実際に2人、3人、4人と増えてくると、
同じ愛情を子供それぞれに持つとは、ちょっと言い難い心があることに気が付いた。

親は無条件に子を愛せると言うのは、自分に限ってのことかもしれないが、
あるレベルまでは、懸命な努力が必要なのだとわかった。

親学と言う子供から教えてもらう実践学が必修なのである。

これは、生涯通じて学ばなければいけなようだが、
特に十月十日の間は、集中講義が必要なのだと思う。

さらに言うなら、男親は特に女親以上のガリ勉を要するみたいだ。

母親と子供は、お腹の中にいたときからのお付き合い。

けれど、男はオギャーと産まれてから、「こんにちわ」
とお付き合いが始まるわけで、この時間的、距離的、肉体的感性の違いは、
やはり、遅れをとっているように思う。

子育てを放棄する親の感情って何だろう…

一番大事な、大事な時期に、
子を通して己を育てられなかったつけなのだろうか。

愛情のギヤチェンジを間違えたのか、
チェンジせねまま、今に至ってしまった故であろうか。
ローのままでは、さぞかし苦しかろうて。

これでいいのかなあ

和歌山のお客様と電話で話をしていたら
なんだか話がずれる。
あれ?
何でだろう?

東京は、明日でお盆は終る。
和歌山のかたは、お盆に間に合えばよいという。

ん?
そうか…

日本の大部分は8月盆だったんだよね。

日本人として奥底にある感情としては
旧暦にそっての行事のほうが合点がいくことが多い。

お盆はその最たるものだろう。

明治新政府によって、太陽暦に改めた時点で
多くの日本の文化が改変された。

主要都市、特に東京は、政府のお膝元ゆえに
7月盆はいやおうなかったようだ。

仏壇屋にはありがたいことであるけれど
心情は、8月盆に軍配が上がる。

声を出したら言いのだろうが、勇気はない。
「もうそろそろ、文明開化の呪縛から逃れてみては?」って。