福岡の事故におもう

昨日まで部屋の中を3人の幼子が駆け回り
「うるさいわよ」といいたくなるほど、
活気のある我が家であったことは、
想像に難くない。

それが一晩で全ての子を失う親の心情とは…
いかばかりであろうかは、
想像を絶する苦悩であろうことは、
胸中を考えると、悲しみに破裂する。

しばらくぶりで、「朝ズバ」をつけながら
メールチェックのをしていると、

福岡で起きた3名の幼子の命を奪った、
むごたらしい事故の詳細を報道していた。

さらに、当事者であるご両親が、
中継でコメントをされていた。

家族5名を載せた車は、14m下の海中にダイブした。
バックミラー越しに、泥酔者の車が猛スピードで、
突っ込む瞬間から、衝撃でガードレールを突き破り、
海面に激突する瞬間まで
運転していた父は、はっきりと覚えている。

海中に沈む車内に残されていたわが子を救おうと
4度も海中に潜り、母は救出しようと試みたという。

今にも力尽きようとする夫と自分とに
「しっかりするのよ」と声を張り上げながら、
傷だらけの作業は続いたという。

説明をしながらも、涙を飲み込んでいることは
明らかに伝わってくる。
モニター越しに聞きながら、胸が詰まる。

最後まで、泣き言ひとつ、
泥酔していた暴走犯への恨みを言うでもなく、

ただ、全国の視聴者に向かって
「励ましてくれて、ありがとうございました」の声は、
むしろ、胸に突き刺さった。

ミツトヨの事件に思う

仏教の振興を願い、その布教費捻出の為、
創業したミツトヨ。
沼田惠範師の創業の志しは、いずこへ消えしか!
「悲しい」のひとことに尽きる。

三豊の由来
人間として立派になるには、
智・仁・勇の三つが揃わねばなりません。
智だけではつめたいし、仁だけでは弱くなるし、
勇だけでは行き過ぎる場合があります。
そこで、智・仁・勇の三つが揃って、
初めて立派に完成した人間といえます。
また、事業として成功するには、天・地・人の三つが必要です。
天のとき、地の利、人の和を得てこそ、
初めて事業として成功します。
このうち、どれ一つを欠いても成功はおぼつきません。
仏教が弘まるには、仏・法・僧の三宝が基本であり、
また、キリスト教では三位一体が根底となっています。
立派な人間が沢山育ち、事業も繁栄し、正しい宗教も弘まって
世の中が平和で、各人楽しかれと願いを込めてつけたのが
「ミツトヨ」という名称です

仏教伝道協会を創設し
仏教聖典を編纂し公共の施設に寄贈された冊数は
計り知れない。

この至誠に、感化されて事業に一筋の光明を感じ
目標の一人だった。

創業の志しに帰れ!

理想と現実のはざまで

まだ、この仕事をはじめるか迷っていた頃、
「商売」そのものにどうにもできない嫌悪感を持っていた。

安く仕入れて、利を上乗せして儲けるということに
嫌悪感が生じる。払拭できないでいた。

さんざん貧しい生活を強いられてきたはずなのに
お金の顔を見て、目の色を変えて喜んだのは、
守銭奴児童の小学生までだった。

公に使うなら、私財をはたいても良いなどと
美辞麗句を口では並べながら
その実、利を取っている団体や商人を見ると
「偽善者」といつも小声で叫んでいた。

だから、商業の道の条件が揃っていながら、
頑として、技術者の道を選んだ。

それが、商売をしようと思いたつのだから
人生は、わからない。

生きていく為の術と簡単に割り切れるほど、
僕の心の中に染み付いた、
別人格にも近いほどに育ってしまってた自分を
変えることは、そう簡単な作業ではなかった。

まずその心の檻をどう納めるか、
現実と理想との摺り合わせが必要だった。
そんな作業からはじめた。

40年ぶりの再会

日曜の朝は、
いつも、「所ジョージの目が点」を見ている。
メールの処理をしながらの話なので
聞き流しが多いが
けっこう役に立つ。

雑学の好きな人には格好の番組と思う。

今日は、「水中昆虫」のお話。

いわゆる「ゲンゴロウ」である。
懐かしい響きに、メール作業の手が止まった。

「アメンボウ」「タガメ」…
おお・・・
出てくる出てくる。

子供のときは、昆虫図鑑と自動車図鑑を手放したことがなかったほど、昆虫を追いかけていた。

昆虫でなければ、
車の排気ガスを
「あ~いいにおい」ってな具合で、これまた追いかけていた。

まだ、トンボを追いかけることのできる原っぱも、
底なし沼も、首都圏とは思えぬほど残っていたころだから
それは、子供の目には、宝物のちりばめられた空間であったことは、紛れもない事実であった。

ゲンゴロウは、なかなか捕まえられなかったけれど
毎日のように、何かしら捕まえてきていた。
つかまえると、図鑑とにらめっこ。
というのが、楽しみだった。

40年近く遠ざかっていた昆虫の名前に、
テレビではあったけれど、久々に出くわし
旧知の友と再会するような心持だった。

画面を通して感動的な登場だった。

「ゴキブリ…!?」

おいおい。
こんなの平気で捕まえてきたっけ。

水にもぐるゴキブリ…

そういえば、
夕べやっつけた、ゴキブリがダブって見えた。

矛盾 その二

タバコの顔を見なくなって久しい。
しばらくぶりに再会した。

近くのスーパーで買い物を終え、
階上にある駐車場へ行く為、エレベーターを待つ。
手持ち無沙汰にしていると、ふと自販機が目に入る。

何とはなしに目が走る。
見ると「300円!」どえらく高くなったぎゃあ!驚く。
それ以上に度肝を抜かれたのがこれ↓

洋もくだけではない。
国産品にまではっきりと印刷されていた。

以前は、可愛く「健康に気を付けましょう」というくらいであったものが、
しっかりと誰の目にも読める。

中には、老眼鏡をかけなくても読めるほどの大きい字で、
遠まわしに吸うなと言っている。

「吸うのは勝手だけど、お前のせいだよ。おいらには関係ないからね」
へそ曲がりには、読めてしまう。

そんなに、医学的にはっきりしているの?
無知な僕には、それ以前の?が湧いてきた。

そんな、
体に悪いもの、売るなよ。

わかっているんだったら、
自販機なんて、誰が買ってもわからないような売り方するなよ。

品行方正にそう思うのは、無理があるだろうか。

ちゃんと、「たばこや」のみいちゃんが
窓越しで、お金を受け取って、
「死にたいのね」
って聞いて、「はい。毒よ」
にっこり微笑んで
誓約書を渡したら?どうよ。

「私の責任です。誰の責任ではありません。 印」

そう書いてあったりして…

国民と財産を守るはずの、お上に関係のあるところが、
ドクターキリコ並みの注釈つきで、まだ売っている。とは…

あー驚いた。

遡流

ネットの友人と話している中で
ふと、気が付いた。

衣食住という言葉がある。
人間、最低必要な欲求である。
衣食住を必要な順番という人もいる。
(食が先だという意見もある)

着るもの
食べ物
住むところ

その順番を逆にすると
人格形成に、影響を与えてきた順番
のような気がする。

住には、もちろん家を取り巻く環境
つまり人と郷土も含まれる。

故郷には、友人があり、家族があった。
人それぞれ違うだろうが、親のぬくもりがそこにはあった。

「3丁目の夕日」を代表とする昭和30年代が
その時代を知らない若い世代をも巻き込んで、

妙に懐かしがられている。

なぜだろう。

虚弱だった僕には、医療は、
きっても切れなかった間柄だけに
適切な医療も、医師も少なかった、
この時代は決して楽ではなかった。

その時代に戻れるとしても、もう結構と断るだろうほど
つらいことが多かった。

母子家庭だった我が家には、さらに貧困という過酷さも待っていた。

けれど、その時代がとても郷愁を誘う。
決して記憶から排斥したいとは、思わないのである。

なぜだろう。

「終の棲家」を考えるとき

その時代のイメージが湧き出てくる。

鮭は一生を終えるときに遡流する。
もちろん子孫を残すためにではあるが、
なつかしい川の匂いをたどりながら、何を思うのだろう。

鮭の一生になぞらえるのではないが、
その匂いの元が何かを
そろそろ、嗅ぎ出しはじめ出したのかもしれない。

己の言動にときどき驚くのだ。

日本文化的チャングム

毎週土曜日の夜は、
家族総出で「チャングム」鑑賞会となる。

子供たちもそれぞれ、何をしていても
必ずどこからともなく集まってくる。
そして、普段見せない真剣な眼差しで、テレビを見ている。

親は高じて、ついにDVDにまで手を染め始めた。

一回目から、観返している。

改めて、苦労の多い女の子だと感じる。

「おしん」も苦労続きだったけれど、
「チャングム」も負けじ劣らず、苦労の連続だ。

よくぞここまで、不幸の星を背負って生きていけるものである。
ぼくなら、とうに自分を排斥した宮中など諦めて、
済州島で一小市民として生きて行くだろう。めでたしめでたしなのである。

また、作者もよくまあ、これだけの苦労を思いつくものである。

と、心底関心する。

小学生のころ「氷点」が流行った。
テレビも小説も
イヤでイヤで仕方なかった。
(七人の刑事の次にいやだった)

何でこんなにいじめられ続けなければいけないんだ。

一間しかなかった我が家では、
いやなら寝るしかなかった。

「女、子供をいじめて何が名作だ」
そう思い、ブツブツ言いながらフトンに入った。

後日、作者がクリスチャンであること
そして「氷点」は、キリスト教を根底にして考えないと、理解しづらいんだと友人に教えられ、ようやく納得した。

そう考えると、チャングムは、韓国の精神の底流に流れる
恨(ハン)の心を理解しないと、単なる三文ドラマとなりかねない。
「またか、チャングムちゃん、かわいそう」で終りそうである。
実は、深い深い精神文化が、土台にあることを忘れてはいけないのだ。と、はたと気づいた。

これで、観返す楽しみ方が、増えたというものである。

ただ、くれぐれも主人公に成り代わり、
チャングンの恨みと、頭の中で勝手に書き替えぬよう気をつけないといけない。と思っている。

「おまえら人間じゃねえ、たたっ斬る」と日本文化的チャングムが現れないよう。注意、注意。

天下の廻りもの

最近、とっても気になることがある。

毎日、売り上げの精算をしていると
必然的にお金の顔も毎日見ることになる。

その顔色が、今ひとつ悪いのである。
そっとひとりで心を痛めている。

子供のころ古銭収集が趣味だった。
それこそ、なめまわすように、
毎日たな卸しをし、
現在庫をチェックをし、
収集見込みを立て、
かつ、カタログを暗記していた。

現在の仕事にこれほどの情熱があったら
いかなるものになっていたろうか。(守銭奴になった可能性は十分あるが)

今では信じられないくらい、お金のことには、
頭脳明晰だった。

軍資金のない子供時代のこと、
お金をかけないで収集しようと思えば
現行コインもターゲットだった。

今では、「お宝…」とかで一般化してしまったけれど
現行コインにも、お宝は多い。

それを集める為に、
わざわざ電車に乗って繁華街に通った。
今で言うゲームセンターに毎日通うのである。
遊びの為ではない。

ひたすら両替機で少ないお小遣いを
小銭に両替した。

発行枚数の少ない10円玉や100円を
見つけては、小躍りしながら帰るのである。

だから、
お金の状態がとても気になる。

実に汚いのである。

特に札の状態が悪い。

まだ、発行されて間もない樋口一葉でさえ
よれよれのボロボロが多い。

酸性雨のせいもあろうが、5円玉などに至っては、
両替し、封を切ったたばかりなのに、
一割近くが、錆を出していて使い物にならない。

おつりとして使うのには、
気が引けるほどだ。

素材が悪くなったのか、
はたまた、使い方が荒いのか。

子供の目であったことを差し引いても
昔は、もう少しきれいだったように思う。

世界でもトップレベルの、美術品ともいえる
日本の通貨が、ぞんざいに扱われている。

コイン収集はとうに、卒業したはずなのに、
いまだに心に痛みを感じる。

人の間を渡り歩く通貨は、
だれよりも、世の中を知っている。

モラルの低下ってこんなことにも
赤裸々な情報として伝えてくれる。
と思う。

もっと大事にしないとね。
自分のものじゃないのだから。

お盆におもうこと

もう、お盆までカウントダウンとなった。

3・2・1・ゼロ、と近づく今だから、
いやでも、民族大移動が始まれば、
子供心にも、「何か特別な日が近づくんだ」と
予感をさせる。

敗戦の記念日が、その日に重なることも
印象をより濃くする一因ともなっている。

先祖を考えることのできる環境がこうして、
用意されていることは、
「日本って、なんてありがたい国なんだろう」
と、いつも思うことである。

仏教伝来以前の日本人には、
死者に対し畏怖をもっていた。
畏怖心から、死者は、神となり、子々孫々をお守りくださるのだと
変化したようだ。

死者に対して意味もなく、
おどろおどろしいものと考えるのではなく

活き活きと現世に、はたらきつづけてくれる守り神。
明朗で且つ、強烈なイメージを持っていたようである。

仏教伝来後は、融合されて
仏教行事としての「文化」となってきた。
けれど、本来的には、日本人が根底に持っている、
神観や先祖観に基づくものなのだという。

とりわけ、日本の文化の中でお盆ほど
日本人のDNAが見える形として、
顕されているものは、ないのじゃないかと思う。

だから、文化を大切にしたい。

複雑に絡み合って、どうしようもないとき、
後戻りできないほど窮地に陥ってしまったときは、

「初心に帰れ」とは、よく言うことだ。
日本人には、その「初心」が文化として伝わる。

苦もなく、仏前に初心となって手を合わせる、
一時が持てるのだ。
亡き肉親と実体はなくとも数日間暮らし、
寝起きを共にするのである。

にわか信仰心でも良いと思う。

思い出す行為が、それ以上は、
「軌道を危めない」ことにつながるのではなかろうか。

そのときは、大手を振って「ご先祖さんありがとう」って
声を出したらよい。

お盆とは、先人が残してくれた
「初心還り」のチャンスなのだから。

お墓参り

人のお盆のお手伝いをしていて
気がついたら我が家のお盆は、
すっかり頭から抜け落ちていた。

さぞや、ご先祖さまは、
この一見、先祖不孝者に見えるこの末裔を、
喜んでいることでしょう。

わが身も先祖も顧みず、他の為に滅私奉公しているのだから。

いやはや、じょうだんではなく
オヤジの墓にあいさつせねば・・・

まわりのみなさまは、どこにお墓をお持ちだろう。

最近はやりの、公園墓地の方が多いだろうか。

耳にするのは、寺内墓地が多いのだけれど、
気にしないですむので、宗教に関わらない公園墓地は
人気なのだろう。

僕のところは、ずーーと遠い。
学生時代、本家に預かってもらっていた遺骨を持って
母の田舎に思い切って墓所を設けた。

その昔は仙台藩のお殿様の墓所内ということもあって
喜んでいたこともあったが、
なにせ、遠い。
迎え提灯で先祖をお迎えに行けば、
新幹線でお迎えしないといけない、笑えない話。

やはり、先祖供養と生活。
これはまさしく文化だと、つくづく思う。
その点、家内の実家は、
生活に根ざしている。

家から100mも歩けば墓所に着く。
「じゃあご先祖をお迎えしようね」と言いながら迎え提灯に
墓所からお迎えできるのである。

迷わせることもなく、ちゃあんと手を引いて
おうちまで連れてきてあげれるのである。

生きていれば百歳、二百歳のおじいちゃん、おばあちゃんであろう
大先輩なのだから、お迎えに行くのが、子供の目でみても尋常であろう。

ともあれ、お盆本番もカウントダウンだ。