モチベーション

昼食は、何年もの間、近くの立ち蕎麦屋で
ぱっと済ませてしまうのが日課だった。

昼食といっても、お店の混み具合は水物。
お客様の入り具合を見ながら合間に昼食となる為に
お昼にはまず食べられない。

若い順に昼食に入るから、自分の番は、2時3時は当たり前。
4時過ぎもありなんなのだ。

もう夕食?とよく聞かれるが
「いや昼食」と意地でも言うことにしている。

熱いそばはいらない。

ざるそばは、あんなチョロチョロの海苔だけのために、
100円も高いのは解せないから、
ここは至ってシンプルにもりそばが定石。

ちょんと汁を付けてズット吸い込む。
あまり噛まない。
一枚食べ終わるのに1分で済む。
そのかわり蕎麦湯を飲む時間が4分かかる。
しめて5分。

通ったときは2年間ほぼ毎日通った。

立ち食いの時は、そばをゆでている厨房越しのカウンターが
僕の定席。
そこで、来る日も来る日も、同じ作業を見ている。
そばうち作業を見ていると、面白いことがわかってきた。

見ていて、楽しそうにそばを打っている店員の
そばは、旨い。
リズムがある。
踊っているようにさえ見える。

何が楽しいのか、つい秘訣のひとつも聞き出したくて
声をかけてしまう。
そのうち仲良くなっていくから、僕の顔を見ると
念を入れて作ってくれるので、よけいにおいしく感じる。

反して、そうでない店員に当たると、半日気分が悪い。
形だけで打っている。

果たして、水っぽい。
腰がない。
要するにまずい。

これは本当に際立つ違いだと思った。

自分の仕事では、大丈夫だろうか?

いつも楽しむ仕事にしているだろうか?

水っぽい、腰のないそばを平気で出せる、高慢な姿勢に
なっていないだろうか。

値上げに思う

去年の6月から線香業界は
値上げにつぐ値上げラッシュ。
2割り3割増しはあたりまえ。

理由は、小売店としては、理解している。

伽羅は、言うまでもなく、沈香のワシントン条約入り
老山白檀の高騰ダブル、トリプルパンチを浴びせられっぱなしの
原料急高騰は、線香業界を震え上がらせている。

仏像を彫るにも5寸以上の坐像は白檀では無理なのだ。
原木がない。
特に光背を作る幅広の白檀がまったく手に入らない。

そんな状況だったから、線香類の価格が改定されないはずはないだろうと
考えていた。

「よくやっていられましたね」とむしろ同情する。

けれど、うちは、足並みはそろえなかった。

何故?。

納得できなかったからに他ならない。

当店のように、香り用品を三本柱の一つに据えているような業態のお店の場合、
足並みをそろえないと言うことは、本当は死活問題なのだ。

ほとんど利益のないものを、有料の梱包材を使って
さらに、ネット販売の場合、
送料をお客様と折半しているような料金体系なので、その負担分も含め
下手をすると、売れば売るほど赤字になってしまう。

それでも上代価格を抑えてきたのは、
納得できなかったからなのだ。

お客様に対し、メーカーとしてどれだけ周知しているだろうか?
これは、小売店としても同じかもしれないが。

原料が高騰している事実を(材料は確かに高騰を続け
この一年でも2倍以上上がっているのだが)広告する努力もしないで
土壌が熟成することもないのに、種は蒔けないもの。

けれど、それをやっちゃった。

それに追随して量販店も、一部の大型店もかまわず値上げしてしまった。
でもこれでいいのかなあ…

どうしても納得できずいるうちに、
主力にしていたメーカーも4月に値上げしてしまった。

そろそろ考えないといけないか…

モチベーション

時間の流れが早い。

あれこれ予定しているのに
何にも手付かぬまま、日が過ぎること、過ぎること。
このジレンマから脱出しないと…

しかし、体力が続かない。
四万六千日や花火大会など、夜の10時11時まで元旦など

中田の引退で「モチベーション」の言葉がよく取りざたされている。
「サッカー界ではよく使われている言葉です」って
アナウンスされていたけれど、そうだったかなあ。

モチベーションはどんな分野でも大切なことでしょ。
「やる気を起こさせる内的な心の動き」
Hatena diaryの解説である。
「意欲の源(みなもと)になる「動機」のことです」
三省堂ワードワイズの解説である。

動機一つで、結果に影響する。天地の差が出る。

モチベーションには5段階あるとか 。

戦後の食べられさえすればという、自己生存の動機というレベルから
中田にみられるように自己実現への欲求の段階まであるそうな。
(我が家は、子らをたべさせなあかんから、第一段階だ)

商売をしていて、仏壇屋が物を並べていて
簡単に食べていける時代ではなくなった。
このことは、痛く感じる。

密教法具や経典、経典解説書、写経等々関心を持たれるお客様が
すこぶる多くなったこの現実。

考えるまでもなく、数字は語っている。
このことは、自分なりにも肌で感じさせてもらえる。

「モチベーション」を調べているうちに
面白いサイトに出会った。
http://www.kokken.go.jp/public/gairaigo/Teian1_4/iikaego.html
国立国語研究所「外来語」委員会の書替え語提案。

最近カタカナ語、多すぎるものね。
知らんけれど何となく使っている言葉って多い。

また後で読んでみよう。

また寄り道が増えてしまいそうだ。

オーダーで思い出すこと

オーダーのご依頼が多くて、お客様にご迷惑をおかけしている。
たいへん心苦しい。

創作は、もともと好きなので、いつもぞくぞくするくらい楽しい。

自分流は、納得しないと、即、やり直ししてしまうものだから
待たされる側はたまったものではないだろうなあ…といつも思う。

お客様側から見れば、ただ、時間ばかりの経過が目立つことだろう
と、心が痛い。

昔、趣味の自転車で、
あきれるほどフレームをオーダーしては、散財していた。

ある日、憧れだった日本一と言われる職人集団に
清水の舞台から飛び降りて、注文をおこした。

夢を描きながら、何度も何度も設計しなおした。

シートチューブが何mm、トップチューブが何mm、角度が何度 etc
と、自分の特殊な体形似合わせ、細かく細かく指定しお願いした。
一言もなく受け取った。

仕上がりの予定を聞いて唖然とした。

「1年は、お待ちくださいね」と鼻からくじかれた。
そう…まあ、納得のいくものが欲しいから、どうぞよろしくと頭を下げた。
1年、ワクワクしながら待った。

予定日が過ぎ、1ヶ月が過ぎ、3ヶ月が過ぎ、半年が過ぎ
少し記憶から薄れていた。
ワクワク感はどこかに行ってしまっていた。

ついに連絡する。
「どうなっていますか」
「あ、できていますよ」
あまりにもあっけなく完成の返事だったので、拍子抜けをした。

フレームの完成までにと、関東一円をたずね歩き、
集めたオールドパーツを
組み立ててみると、とんでもない事実と直面するのだった。

なに!
ペダルが前輪と接触する…

スポーツ車には、当たり前のトークリップと言う金具が付属する。
なんとそれが、前輪の泥除けとぶつかるのだ。

試しに試運転をしてみると、みごとにカーブに差しかかると
足をとられ、こけた。何度もこけるのである。

ワクワク感どころの話ではなかった。
1年半以上待ったあげく、半年分の給料が飛んでいく…のである。

日本一の職人なら、なんで一言、言ってくれぬのか…
ふっと心をよぎった。

お客様からクレームをいただくときは、
いつもこの昔話を思い出してしまう。

ちゃんと職人としての義務を果たしただろうか…
やれることは、なかったのだろうか。

ずいぶん、できたぞ。新交通システム。

ユリカモメと同じ新交通システムが日暮里にできる。

足立区のドイトに行くたびに、何だろう、なんだろうと
いつも首をかしげていた。

新交通とわかったのは数年前。

でも、いつまでたってもピアーの工事ばかり、
桁がつながらないねーと思っていた。

それが来年19年に開通と聞いてからは、
あれよあれよというまに、ドーンとつながってしまった。

最後の難関だったろう、荒川をまたぐこの区間は、
きゃしゃな造りの他区間と違い、どの区間にも増して
頑強なつくりになっているように見える。
なかなかきれいなカーブと独特な構造で美しい。

来年が楽しみと思いつつも…
でも営業車両には、車掌を乗せてよね。
(運転手はいらないのだろうから)

スローライフには、サービスの低下は、
含まれていないはずですよね。

讃祷歌

今日はどうしたものか、ぜんぜーんお客様が少ない。
雨のせいにはしたくないが、少ない。
おかげで、念珠堂の倉庫の整理に汗を流すことができた。

おかげで、懐かしいものを発見した。

「歌マンダラ 讃祷歌 31回公演」
10年前の公演のパンフレット。
この公演の直前まで新宿のお寺まで練習に3年通っていた。
師の理想に共感したこともあったが
何より旋律の美しさに、魅了されつづけたためである。

さらにさかのぼること8年前(通算18年)にコラムで紹介されていた
讃祷歌と呼ぶ聞いたこともない楽曲に興味を示した。
讃美歌?祷り?さんとうか?山頭火?
?が4つも5つもついてしまう
試聴テープを依頼するも、期待はしていなかった。

まもなく送られてきた。

しかし、一度、耳にして魅了された。
感動した勢いで、感想をしたため、ポストに投函していた。

ある日、お店に電話が入った。

新堀智朝尼ご本人からであった。
はがき一枚の感想文に、作者がわざわざ連絡をくださった。

「こんなにストレートな感想を書いてくださってありがとう」
開口一番、か細くも芯のある声だった。
興味がわいた。

新宿参宮橋の小さな庵に、訪ねるのはまもなくのことだった。

お付き合いすればするほど
どれほどの教訓を与えてくださったかろうか。

早々に彼岸に渡られてしまったことを心から惜しむ。

パンフレットには、96年5月と記されている。
それまでの8年間、実際、歌ったのは3年間ほどだったろうか。
歌の世界には程遠いが、プロの声楽家と曲がりなりにも(大曲だが)
肩を並べて歌う機会を与えてくださり、歌の楽しさを伝授していただいた。

新堀智朝尼。
天才的仏教歌作曲家。

日常生活中、仏前でお勤め中、場所にかまわず、
自然と口からこぼれ出る曲を書き留めていかれた。
亡くなるまでの僅かな期間に240曲を越える曲を書き留めて逝かれた。

音譜一つ書いたこともない、一尼僧が著し続けた業績は大きい。
文字通り「天賦の才」と思っている。

宗派宗教を超えて、歌の世界で融和させようと試みてこられた。

「十年、世に出すのが遅かったわ…」
僕にポロリと、口に出されたことのある言葉だった。
今思えば、ご自分の死期を感じておられたのだろうか。

世の乱れを心から悲しみ、
女学生のような笑顔に似合わぬ、痛烈な(大人社会への)警告、
宗教界への警笛を鳴らし続けられた姿。

70才を越えてなお世界を飛び回られた。

そんな姿を、死の直前まで、間近に接することができたことは、
見えざる宝だった。

次の一歩を出す迷いを感じるとき、師の言葉を規範としている自分に
今も気付く。

じゃがいも

朝から嬉しいお客様。

PDSD(心的障害)という不可解な病に職も辞し
長く苦しみ(無理解の苦しみという副産物付きの病)続け
病に屈することなく
持ち前の頑張りで克服された。

その途上で念珠と出会い、当店と出会った。

「お蔭様で」

と、いらっしゃるたびに、感謝の辞をいただくが
それは、ご本人の粘り強さに他ならない。
(ちょっとお手伝いできて嬉しいとは思う)

「家で作ったんだよ」
と、浅黒く、見るからに日の下で焼けたのであろう、
健康的な顔に笑みがこぼれていた。
「ホー!」お芋だ。


これまた元気そうな土付きじゃがいも。

出合った頃の姿とクロスオーバーして胸が熱くなった。

思うと自分も
小学校5年の頃、無理解の中にいた。

判で押したように、4時間目の授業が始まると
決まって猛烈な苦しさに襲われた。

「すいません。気持ちが悪いんで、保健室行っていいですか」
恐る恐る手を上げると
「またか」の表情だけで全てが伝わってきた。

クラス全員の奇異と同情の眼に送られて、
保健室で天井見ながら泣いていた。

「何でこうなんだろう…」

そのくせ、昼休みになるとケロって直っている。
そのまま病人らしくしていれば、
幾ばくかの友人には、
同情し続けててもらえるであろう悪知恵は、
当時は、まったくなかった。

人一倍給食を食い、昼休みには走り回っていた。
「どこが病人なんだ」しごく当然の思い、
誰の眼にも映っただろう。

しかし、
来る日も、「先生、すいません」が続くのである。

「理解して」と願うことに無理がある。

そのうち、クラス中から揶揄されるようになった。
あとは、どうなってしまったのか、よく覚えていない。

PDSDを知ったのは、
40年経って、
図太いオヤジになった、今頃なのだ。
特効薬もあるという。

けれど、まだ無理解の土壌があるかと思うと
やりきれない思いも、あるにはある。

なぜオーダーのお店になったの

おかげさまで、
「オーダーの念珠堂」として覚えてくださる方が
確実に増えている。

「浅草念珠堂(実店舗は念珠堂)なら、
細かいオーダーに応えてくれるみたいだよ」

「そういう細かいことは(変わったことは)あそこ行けばいいよ」
と、同業者からも推薦を得て、ネットはもちろん、
実店舗の店にも、遠くは、広島や九州、青森のほうから、
尋ねてきてくださる。

浅草で下車されれば目の前なのに
どういうわけか、上野から歩いてこられる方も少なくない。
1キロも2キロもあるというのに、

他のお店をリサーチされながら、歩いてこられるんだろうが
申し訳ない思いにさせられる。

上野からここ雷門までには、60軒も同業者がひしめく
仏壇のメッカなのだ。歩いてきても飽きることはない。
(自分も何度お客の顔をして、往復したかわからない。)

念珠堂をオーダーの店に、特化しようとは、
もともと思ってはいなかった。

なのに何でオーダーの店に…

細かい仕事は、確かに好きだけれど…
出来たものを、販売させていただいたほうが、数倍楽なのに。

思い当たることは、ひとつある。
「自分が納得出来なければ、先に進めない」という偏屈さだ。

だから、
「自分が楽しめないものは、人にも勧めたくない」
となってしまう。

「納得しない以上、納得したものを作るしかない」
となる。当たり前のことなのだ。

当たり前と考ええているところが、すでに偏屈なのかもしれない。

我ながら、この頑固、辟易するときもある。
けれど、決して嫌いではない。

使い方によって、コントロール次第で、
お客様の側に(少しだけ)、
近くに立つことが出来ると、信じているからだ。

原発ならぬ、「頑固」の臨界点を超えぬよう
日々、努めている。

早く自動制御に切り替えないととも思う。

商機をあそぶ

今年は、遅れている。
何がって?
それはもうこの時期だもの
お盆。

お盆のしたく。
仏壇業界では、今が、かきいれ時(おかしな表現ですが)のはずなのです。

けれど、わが店は、未だに平常運転(多少、お盆らしいお飾りも、したのですけれど)なのです。

理由は何か…

1)忙しいから?
2) 仕入れるお金がないから?
3)お盆がきらい?
4)boo店長が歳をとって体がうごかない。?

1)の理由。これは理由にならないね。年中忙しいのだから。
 だからブッブー。

2)の理由。ん~あるかな…これは…金欠病 
 でもブッブー。

3)の理由。だったら仏壇屋やめちゃうな。
 だからブッブー。

4)あーこれはあるかも。
「最近、からだが動かなくてねぇ…」てなことないっしょ。
 健忘症ぎみだけれど…だからブッブー。なのだ。

じゃあ何でじゃい!

そ・れ・は、
お盆提灯をい~~ぱい飾って、盆だなを出して、毎年同じレイアウトにしていれば、
販売している気になってくる。お客様は求めているのだ。と勝手に思い、安心してしまう。ちょっとー?これでいのかなあ?って自問自答しまったのですね。そうしているうちに、遅れてしまったという単純なことでした。

夏の間、お盆が過ぎるまで、お見せしたい商材、これいいよっていう商材も、
棚は提灯に占拠されて、お蔵入りっていうものは多いのです。
それが、お見せできなくなる…ん~~。

今年の新人…いえ、新商品。きれいでしょ。

商売上手は、商機を逃さない。
考えるより、体が動いてしまう。

私は考えてしまう。
毎年毎年、同じエンターテイメントのようなことなのだけれど、
これでいいのかなあって。

ゼロにもどって、考えることにしている。

そのことで、商機を逃してしまうことになるかもしれない。
けれど、逃がしてでも、偽りのない商売をしたい。
そう思うから、「納得」の二文字が腹に収まるまで
反芻し続ける。

いつも新鮮でありたいと思う。

日本人

盆提灯がお店に並ぶと
ふだん何屋さん?
と、しゃべりながら入ってこられるお客さん同士の会話も
「お盆ねー」
「おばあちゃん亡くなってさあ」
「お葬式はいつだったっけ」

と、明らかに夏向きの話題に変化する。

人は環境によって進化する…いやいや変化する。

お客様から盆提灯の質問を受け、
久しぶりに、改めて虎の巻を読み返した。

それによれば、
「仏壇屋は、日本の文化を後世に残す使命がある。」

日本人の生活様式が、どんどん変化しお盆行事すら
行わない家庭が増えた。

「お盆は海外旅行」だの
「お盆は家族で海水浴よ」
「デズニーランドがいいよ」

ぶわ、ぶわ、ぶわっかもーん!
日本人の日本人たる心を何とするか!

そういうboo店長何しているの… て?

お店してマーす。って。
それは違うだろう。って?

日本人の根底にはね、お天道様に感謝する
言い替えれば、先祖と自然の恵みに感謝し、その気持ちをお返しする
そんな心がDNAに仕込まれているはずなんだよね。

だから、訳がわからないけれど、気がそそられるって言うことがある。
落ち着いてしまう。って言うことがある。

2500年かけて日本人の心の文化を創ってきたのだから
それが、短期間で消えるわけない。
お盆が近づくと
どことなく落ち着かなくなってくる。
ザワザワしくるのがわかる。ホントだよ。

そんなことおっしゃっている諸兄がいれば、お墓参りしてごらんって。
心落ち着かないときは、心に反していることをしてるんだって。
ちっちゃくてもいいから、精霊棚つくって、迎え火焚いて、
手を合わせてごらんって。

日本人でよかったーーって思うことが、大切と思う。