駒形堂の大祭

今日4月19日は駒形堂の一年に一回の大祭です。

朝早くから準備していました。

しかし・・・春だというのに・・・なんという暑さ!

夏日の25℃なんてとっくに越えてしまっているように感じます。
春を通り越して初夏です。

柴又に出かける。

何年ぶりだろう。

電車で来るのはふた桁ぶり?かも。

お客様のご自宅に仏壇修理の下見で伺った。
最近はお客様のご自宅に伺う機会がめっきり減ったのでたまに電車に乗るとわけもなく楽しい。

いつのまにか青砥発から高砂発になってしまった金町線に乗り換え向かう先は寅さんの舞台帝釈天で産湯を浸かりの柴又。

高砂の駅の変わりように驚きはしたけど、高架ホームから出た軌道は次の柴又駅までの間に普通の下町の風景の中に溶け込んでしまった。

浅草が下町下町とよく言われるが、柴又の下町とは全く異なる。

どうかすれば50年前の田無あたりの風景と重なる。

柴又の駅に降りるとその風景はまさにその通りだった。

駅内踏切の残る駅。

5、60年前にはどこでも見られた、隣のホームに渡るためには、踏切を渡らなければならなかった。

まさに昭和の駅。

駅前に出れば、寅さんをさくらが見送っていた。

柴又八幡宮。

古墳(円墳)の上に立つ神社という。
(ちなみに浅草寺も古墳の上に建つ)

柴股村を開墾された古の人に感謝する顕彰碑も境内に建つ。


お寺や神社の中はお宝でいっぱいで去りがたくなるのだ。。。

思いがけないよい出会いをさせていただいた気がする。

せっかくなので帝釈天にも。

堂上げ


桜には早いけれど、風の通り道になる川沿いは寒い。


お寺の本堂内に神輿が入る。

世にも珍しい光景に映るだろう。

元はといえば、浅草神社は権現様。

浅草寺に祀られている観音様を私邸に祀られた篤信者。
それが一之宮の神輿である土師中知。

ちなみに土師氏の末裔は今の神社宮司が62代目である。

神輿の通り道の宝蔵門。
提灯は上げられている。

もうすぐ浅草ルーツのお祭り

意外に、というか、やっぱりと言うか示現会を理解していらっしゃらない人は多い。

浅草の発展には浅草寺の存在は切っても切れない。

その浅草寺の始まりを知る人は地元にいても、「川で拾った観音様」程度にしか認識していない人も意外に多い。

三社祭りの勇壮さは感じても、お寺のお祭りと思っている人も多い。
(本来は間違いではないのだが、神仏が引き裂かれてしまった明治以降は神社のお祭りとなる)

大化の改新は虫五匹と覚えさせられたが、西暦645年よりさらに17年前、西暦628年(推古天皇36年)3月18日に今は隅田川となっているが当時は遠浅の海、江戸浦に漁に出た兄弟の漁師の網に何度もかかり引き上げられた不思議な人形(ひとがた)のものがある。
当時浅草一体を治めていた土師中知(はじのなかとも)に献上する。知識人の中知は観音像であることを理解し、その観音像を祀り帰依し、自邸を寺とした(私度僧)。

観音様の引き揚げられた記念すべき日、つまり示現された日を古式にのっとり祭りとしたのが示現会。

三社祭りは江戸時代末までは観音祭りと称して、神輿はもちろんだが山鉾の如き勇壮な山車も出た。2012年には船祭り・船渡御の再現も行われている。

旧暦を新暦に移した時に5月に変更された三社祭りだが、元々は3月18日がご縁日と覚えておいてもらいたいな。

恵みの雨か・・・

毎月一日は早朝、浅草寺の朝のお勤めと境内の掃除。
一旦家に帰って仕切りなおして正装し靖国神社に向かい昇殿参拝することが日課と言うか月課なのだ。

が、清掃は本降りの雨に押切られて中止。
勤行が終わった後、仲間内でコーヒーを飲みながらの茶話会となり今年一年の反省会。のみとなり、締めのお参りと思っていた昇殿参拝も都合が付かず中止。

師走の靖国神社もなかなか風情があって、一人コツコツ歩いているのも頭が整理されて良いものなのだが。残念ながらその両方とも消化不良で終わってしまった。

ただ、いちょうは冷たい雨に呼応するように黄色を増して靖国境内のイチョウとリンクしているようだった。

故郷横浜の大通公園のイチョウ並木も画家の創作意欲を掻き立てるほどに、きっと美しさを増しているのだろう。

故郷愛に少々浸っているTONであった。

越後国一の宮

機会があるうちに行かしてもらおうと、新潟まで足を伸ばした。

越後国一の宮、弥彦神社。
「ヤヒコ」とも呼ぶが、正式には「イヤヒコ」が正しい。

弥彦も彌彦のほうが趣がある。

ご祭神は天香山命「アマノカゴヤマノミコト」で天照太神の曾孫神にあたる。

天孫本紀には高倉下(たかくらじ)とも記され、和歌山県新宮市に住む。

神武天皇の勅命で、越の国を平定する。

先週伊勢神宮にお参りに行った折、神代の物語がやたらと詳しいバスガイドさんが延々と話をされ、越の国を治めに向かわれた話が妙に印象的だったのだ。

・・・という、なんとも不思議がつながりが今回の新潟行きに乗り気になった訳なのだ。


ヨウキタナ・・・狛犬の声が聞こえそうでしたよ。


弥彦神社の山を越えれば日本海。

視界には入らないが、この浜辺から天香山命は越国の第一歩を踏み出したのだという。

駒形堂のお祭り

昨日は観音様の今年最後のお祭り日となる納の観音でした。
そして今日は、駒形橋際に建つ駒形堂でのお祭りです。

こちらも今年最後のご縁日なので、納めの馬頭観音というのだろうか・・・・と。しばい悩むTONでした。。。

青空で気持ち良いご縁日なれど寒風の中、多くの参拝の方がお見えになっていました。

浅草神社

もう正月の装いです。

これから浅草はたいへんな混みようになります。
つかの間のひとときです。

義士祭

仕入れに品川に行く。

泉岳寺の駅を降りると、ふだん静かな泉岳寺周辺がやたらと人の波が立っている。

なんだろう・・・・

今日は十二月十四日・・・・
カラッとした晴天の下では想像するのに難い環境ではあるが。
当時は旧暦の12月だろうから1ヶ月遅れと考えると確かに雪もふろうというものだろう。

そうかぁ。

赤穂浪士討ち入りの日だ。

その四十七士の行列を待つ人、出店に集まる人、その他の群集。
ごった返していた。