非日常ということ

非日常ということ。

今日は、久しぶりにお休みを貰って、マイサンを一人選別して
ディズニーワールドに出かけた。

ディズニーランドは、工事中から
完成するのを待ちに待っていたほどだったのだが、
いざ出来上がってからは、数えるほどしか出かけたためしがなかった。

何より、サービス業としての見本みたいな
ここの経営スタイルを、

経営者研修では、何度も取り上げられていた。
際立っていた。

それだけに、アトラクションを楽しむと言うより
学びに行くことばかりだった、デズニーランド。

開園から20年を過ぎてなお異彩を放つ。

園内に入ると、何故かミッキー等のキャラクターにみな変身したがる。
やたらと目に付くミッキーの耳やかぶりもの。

冷静になって考えると、何故?
と考えたくなる。

大の大人が、尻尾を生やしてみたり、
クマに頭をかじられているようなかぶりものをしてみたり、
鼠の耳をつけてみたり、

日本人が子供っぽいとは言え、度を越えている。

不思議だと思った。

考えた末、
日常⇔非日常

この使い分けの中で、中庸を保っているようにも見えた。
スイッチングしているのだろう。

ゆえに、非日常時は、
徹底して「非」にならないといけないのだ。

なんとなく、うなずけた。
非日常は、大切なのだよね。

事後承諾

また悪い癖?が出てしまった。

納品する準備をするために最終チェックしていたら、
ん~~・・・
見つけてしまった。
職人のちょっとしたミスなのだが・・・

気が付かないよな、こりゃあ。
でも、もうだめ。
見過ごせない。

念珠つくりでも、おんなじことはしょっちゅうだが
仏像にしても、表装にしても、職人の姿勢に問うてしまう。

完璧でなきゃ・・・

「ごめん。
悪いけどやり直して」
何度いってきただろう・・・

また、お客様の了承前に言ってしまった。
事後承諾だ。

浅草駒形堂

昼間の雰囲気とは打って変わる駒形付近。

馬頭観音がご本尊。
新築された駒形堂もいいけれど、

古い姿もおつなもの。

以前の駒形堂はこんな感じでした。

隣の「むぎとろ」で食べました(^^


桃のババロアです。
べり~グー。

お気に入り

きれいな縞瑪瑙仕立の念珠を、
買い求めてくださったお客様がいらっしゃった。

僕のお気に入りのひとつで(写真を撮る前だったので残念)

販売担当の店の子に、
「売れちゃったの」
と漏らしたものだから、怒られた。

販売してなんぼでしょ。
と言いたいのだろう。

その通り。

けど…僕は、ダメなのである。

大切に使ってくれるかな…
よく出来てるのわかってくれているのかな…
etc…etcなのである。

考えると、なんでこう情が移っちゃうのだろうと思うこともあるが、
その分だけ、情を尽くしているつもりなのである。
しかたない。これがぼくなのである。
諦めている。

自分が創るものは、本当に気に入るまでやり直す。
職人に頼まなければならないものは、気に入るまでやり直させる。

出入りの職人や、業者さんは、たまったものではないだろう。

首を立てに振らないのだから。
この頑固オヤジは。

僕には、4人子供がいる。しかし女の子はいない。
よかったとつくづく思う。

こんな性格だから、
花嫁の父になったら、
さぞかし大変なことになってしまうだろう。

上さんからも、ことあるごとに揶揄されている。
神様はちゃんと考えてくれるようだと。

写経

写経会を行なっている会場は、過去には随分とあった。
企業も行なっていたしカルチャーセンターも、
知るところは、みな採算を考えて、撤退してしまった。

今でも、自分のポケットからの持ち出しだけど
それでいいと思っている。

毎回、写経の時に仏前に備える花や菓子は会員さんがもちよる。
今日はどんな花かなあ…

楽しみである。

いらっしゃいます

お客様のご依頼で、だいぶ前に製作した。

当時は、まだ歓喜天(かんぎてん)の役割をあまりわからぬまま
製作させてもらった。

が、大変重要な仏様と後に知って、
造ったはいいけれど…

となっている。

作るのはいいのだけれど・・・

まずこの写真をじっくり見てもらいたい。
持ち込まれた水晶玉を使って製作したものだ。

お気づきだろうか。

一見して、つないだ玉が、
九十九折れになっているのが判る。

玉の状態を見る限り入手先は海外。
お土産屋で、「お兄さんちょっとちょっと」と片言の日本語で、
「水晶、水晶」「安いよ」

すると、
「ん?水晶?これは安い!」
と思われて、衝動的に求められたのだろう。

現地のものは細い化繊の糸に仮通しされて500mm、600mmと
いうような長さに調整されて売られているはず。

それを本連の念珠にするなら何本と計算して
2~3本買ってこられるわけだ。

日本で買えばウン万円するから、
「これは安い」

人情だろうなあ。

けれど、いざ本仕立になると、それなりの糸を通す。

すると・・・
玉穴にきっちり通った中糸は、

玉穴のゆがみをものの見事に表現してくれることになる。

それが、この写真なのです。

気にしない人は気にしなくてよいのだろうが
僕は気になって仕方がない。

よく見ると、玉の直径も0.5~0.7mm違う
玉穴も、0.4~0.5mm程度誤差がある。
糸を通すと、ばっちりわかる。

これで仕立てて、何年もつかな…と思うと
とたんに手が進まなくなってしまう。

だから、最近は、「作っても、もちませんよ。すぐ切れますよ」
と言うことにしている。
本当は、どうするの?と言いたいのだが・・・

念珠は、プロに任せて欲しい・・・

という気持ちと、

価格の違いはちゃんと意味があるんよ。

と言いたいところなのだ。
けれど、「自分にも説明責任があるよな」と、
自戒も湧いてくる。

さあ頑張って、切れにくいように仕上げるとしよう。

新作二点

木へんに鬼と書く、槐(えんじゅ)
古来より、魔よけの木として珍重されてきました。

過去、本連念珠としては何度か制作しましたが、
不思議と腕輪はありませんでした。

今回、お客様のご要望もあって初めて作ってみました。
落ち着いた風貌があって、なかなかいい感じです。

同時に鳳眼菩提樹の小玉もアップ。
以外に少ない鳳眼の小玉。
流通しているほとんどが10mm以上のものばかりですから、
大事にしてもらいたいなあ。

http://www.hana300.com/enju00.html

写経

ホームページにこられるお客様の解析をしていると、
キーワードで写経が多いのに驚く。

少し前は、念珠や数珠が大部を占めていたのに・・・

写経がマスコミにもてはやされて、
さかんに、雑誌や新聞に取り上げられたのは3年位前のこと。

表向きの流行が過ぎると、マスコミは、見向きもしなくなった感がある。

が、どっこい違うんだなあ。

盆提灯を見ると思い出す。

盆提灯に明かりが入ると
夢幻を感じる。

と同時に、「ほっ」と、僕の心が一息入れる音が聞こえる。

癒される。

この仕事を始めた頃、ある出逢いがあった。

仕事一筋の男性だった。
お仏壇を購入してくださり、お伺いすることになった。

その方は、奥様と二人暮しだった。
ただ、人と違うのは、奥様は意識がなかったということであった。
仕事一筋の企業戦士だったご主人は、
家庭を顧みる余裕すらない中、奥様が、家を切り盛り
典型的な企業戦士の家だった。

ある日、その奥様が倒れられた。
会社を辞め、自宅療養を余儀なくされた。
そんな時に出逢わせていただいたのだ。

初めて伺ったときも、寝たきりとなられた奥様を
かいがいしくも一人で、お世話されていらっしゃった。

二度目の訪問時は、仏壇を納めたとき。
同じような光景を横目に見ながらも
なにより意識のない奥様の下の世話までなさりながら、
ご主人は嬉々としてお世話をされていた、その働きように
心底感動した。

その数年後、
あまりにも急な昇天であった。

弔問にお伺いした。

内心、大変なお勤めから開放されたことで、
多少はホッとされていらっしゃるのでは?

などと、心のすみに思いを持っていた僕は、
心から侘びを入れなければならなかった。

正直、恥ずかしかった。
認識を改めさせられることとなった。

ご主人は四十九日間を文字通り「裳」に服しておられた。

線香を24時間いや、49日間切らすことなく焚き続け、
家を空けることはなかった。
天国の妻に聞かせて上げるのだと言い、
仏教書を読みふけっていた。

そんな薄暗い部屋の中に、
霊前灯の明かりが薄ぼんやり周りを照らしていた。
印象的だった。

亡き妻に手向ける夫婦の絆を見た。

励まそうと訪ねた僕のほうが、胸を熱くさせられ、
ひとつ灯火を持ち帰ることとなった。