子供の劇に徳をもらう

末っ子の小学校生活最後の学芸会があった。
土曜日ということで、時間を搾り出すのには、いつもながら苦労する。

学校の行事には、過去、何はともあれ駆けつけた。
十年を越えればいい加減に、飽きてもよさそうなものだが…
バカ親なのかなと我ながら考える。

低学年までは、演目は何なのか、何の役なのか、事細かに、
時にはリハーサルまでしてくれて当日前に、
ほぼプレビューのおかげで頭の中に完璧に刷り込まれての確認のための鑑賞であった。

高学年の今は、さっぱり情報が入らない。

当日、催しがあることすら、知らされないこともざらになって、
親としては若干の寂しさも否めない。

まあ、振り返れば同じことを、自分のしてきたのだから、
報いといえば報いなのだ。
きっと、世の親は頼もしくなったと慰められるのだろう。

ともあれ、つかの間のおひまをもらって、のぞいてみた。
ジャストタイム!前の演目が終わり、6年生の劇が始まろうとする幕間だった。

この浅草も都会の学校の性で、ご多分にもれず
、学年合わせても70名そこそこの文字通り「小学校」だ。
学区外からの電車通学者も多い学校で、○○ちゃん遊ぼうよで集まる人数も底が知れている。
まとめるのが難しいだろうことは容易に察っする。

演目は、「南中ソーランの誕生ドキュメント」だった。
南中ソーランと聞いて何のことやらわからない諸氏も多いと思うが
ぼくもその一人だった。南中って何?素朴な疑問 。
http://www.ecpla.net/nantyuu/nan_rekisi.html
である。
全国に感動を呼んだあのロック調のソーラン節で
「ソーランソーラン」って踊りまくるやつでしょくらいのものだった。

稚内の校内暴力で荒れていた中学校が舞台で世に出てきたことを演じたわけなのだが、思いがけず感動した。涙腺を押さえるのに苦労した。

親ばかとしての感動ではない。なぜなら
愚息の出番は、幕が開いて活字にして2行の台詞で終わってしまい、
その後は、集団に飲み込まれ、全く識別がつかなかったのだから。
感動しようがない。

純粋に、劇として感動した。
見渡せば涙を流している父兄も我が妻も含め少数ではなかった。
最後は、例のドッコイショの踊りでフィナーレだったが、
アンコールを取るほど盛り上がって幕を閉じた。

思いがけず、思いがけない感動をもらう事ほど、
これほど得した気持ちはないなと正直思った。

人間の条件

ホームレスのおじちゃんおばちゃんに対して
猟奇的というのか、差別的というのか、
今のモラルの現実というのか、無残な事件が相次いで心が痛い。

ただ、ここ浅草では、聞かないのが、唯一ホッとする。
人として大切な心の一つ「同情心」を失った若者が
一部にも輩出しているのかと思うと身が凍る。

お先真っ暗じゃない。

以前は、時々ではあるが、
ブルーテントを持たないおじちゃんとはよく話をしていた。

ごく普通の日本人だ。何にも変わらない。

何がそうさせたかは、闇の部分もあるけれど、

自分もいつそうなってもおかしくないと思った。
話せる機会があったら、また話をしてみたいと思っている。

吾唯足知

mixiの友人のコメントを読んでいて
はっとした。

幸せの基準について書かれていた。
生活の、ちょっとしたことに「幸せ」を感じる
ということなのだ。

忘れているのではないつもりなのだが、
改めて耳(目)にすると
へへ~とばかりに、頭が下がる。
新鮮に映った。

仏教に、足るを知る(吾唯足知)という言葉がある。
禅語のひとつ。
http://www.kyocera.co.jp/event/inamori/keyword/life10.htm

忘れないようにと目の前のモニターの枠に
汚い字で書いて時々眺めては戒めにしている。

口の字を真ん中に上に「五」下に?(字がでてこない…)
ようするに、

つくばいなどでよく見るこれである。

また別の友人の日記の中で占いサイトを紹介していた。
タロット占いだった。

タロット占いは初めて挑戦。
http://www.e-witch.jp/cgi-local/tarot/sample1.cgi

おそろしいほど言い当てられた。
「いこじになってはいけない、職人気質も程ほどに、人の意見を聞きなさい」というのが要約。
たしかに、ね。心当たりアリ。

「吾唯足知」といい、タロット占いの意見といい、

近しい人に裏切られる昨夜の夢の解釈に、
なんとなくガテンがいった。

いい夫婦

今日は、11月22日
つまり「いい夫婦の日」なのだそうだ。

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いいことです。とにかく明るい話題は。
どんどん明るくして欲しい!

最近の子殺しのニュースを見ると
11月05日「いい親子」の日も制定して欲しいと思いますね。

この11月は、ネットで「e-○○」(いい○○)と同じようで、
ごろのよさから、いろんな「いい」が生まれてもよいような。

11月4日  いい嫁の日 or いい爺の日
11月10日 いい夫の日  
11月5日  いい子供の日
11月28日 いい爺婆の日

ちょっと苦しいけど。

こじつけでも、「そうだな!」と万民が納得できる毎日だといい。

国民総幸福量

ブータンは、国の指針を
GDP(国民総生産)ならぬGNH(国民総幸福量)に置いているのだそうだ。

つい先日Sさんから仕入れた情報である。
僕の無知ゆえかも知れないが、全くの意識外であった。

「すべての国民の「幸せ」を増加させることを国家の使命」
の国なんてあったんだ。
いささか驚きだった。

ブータンに興味が出てちょっと調べてみた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%B3

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/bhutan/index.html

ふ~ん知らなんだ。

日本は、経済の成長に…富の豊かさに幸福を求めてきたけれど、
その先に待っていたものは何だったのかな…

ふっと考えさせられた。

けれど、大国に挟まれるこの国が
列強の前に侵食されぬことを望んでしまう。

4人の子持ちの素朴な疑問

巷は「履修不足問題」で、もうたいへん。
自分の高校時代にもあったような気もするけれど
まあ…もう時効だから、いいでしょ。

いじめ問題とこの履修不足が、塾の先生をしている上さんと、
ここ最近、話題の中心となっている。

熊本県を除いた全県で、延べ10万人の高校生が履修不足という。
熊本生まれの上さんには、この結果がいささか気持ちが良いようで、
僕の前では、郷土のまじめさを勝ち誇っている。

小学生から高校生まで、一応揃っている我が家では、
生きた素材が目の前にあることもあり、どうしてもひっかる。
毎週土曜日となると、土曜スクールという日を除いて、
家でぶらぶらしている。

親が必死こいているときに、体力のある学生どもが、
週休二日をきっちり取っている。

要するにゆとり教育を享受しているのである。

ゆとり教育って、なんなの。
(先生のゆとり教育じゃない?というぼくの疑問)

良い機会と思い、少し調べてみた。

履修時間が小学校6年生の段階で
ぼくの育った頃より60時間も減っている。
戦後すぐからは、100時間超の減少だ。

この減少分は、中学に持ち越しということとなるだろう。

しかし、中学、高校も同じく週5日制。
どこで、帳尻あわせるの。

大学入試のハードルは、ゆとり教育用に安易になったわけではない。
おのずと大学入試を受け持つ高校は、最終責任を持つこととなるわけだ。

これは、たまったもんじゃない。

学力の低下が、大学に入学してから、補習させる大学もあるとか聞く。

これって、どこかおかしいよ。

いつも不思議感覚

ちょっと席を空けている間に
「お客様でーす」といわれて、慌てて個室を飛び出した。

ネットで注文をいただいている、茨木のお寺さんがご来店されていた。

全く面識はないのだけれど、慕わしさが先に出てくる。
いつものことながら、つい長話になってしまう。

こうしてWEBで仕事を始めて丸6年。
こういう出逢いが、年々、加速度がついて多くなった。

バーチャルからリアルへ。
聞きなれた言葉でいえばそうなる。

顔が見えないだけに、会話には気を使うが、
相手の精神性が先行して、すでに心は行き来しているから、
特別な感覚が湧いてしまう。

いつも、お客様との再会には、
「あんれま~逢いたかったョ~」の感情が先に噴き出している。

おもしろい世界だなとつくづく思う。

約束

久しぶりに…本当に久しぶりに
大島から船に乗って、Toおじいちゃんが来店してくださった。
2時を過ぎるとお店のピークを迎えるが、
人混みの中に懐かしい顔がニコニコ僕を見ていた。

通院のために東京に出て来られたのだが、
ぼくと交わした約束を果たす為、貴重な一日を使い、
曲がった腰で、杖を突きつつ来店してくださった。

彼は特攻隊の生き残りの一人。
彼の父親は、戦後生きていれば、戦争責任を追及された一人かもしれない。
現に家族でGHQの目から逃れる為に、逃避行をせねばならなかったという。

それだけにToおじいちゃんから伺う話は、文字に残せない、
生身の人物像と歴史を伝えてくれる。
いつもオフレコ談話なのだ。

海軍時代は180cm、90kgを超えていた巨体も、
今では僕よりも小さくなって、蘭の好きな善き翁である。

学徒出陣は、どんな思いで出兵したかを聞くが、
「今の平和の世の尺度では、戦争時のことは、はかれないよ。
同じ戦争へ行ったものでも、特攻はさらに尺度が違う。
だから、特攻帰りの人間は、理解してもらえないから、
しゃべらなくなるんだ」

と、漏らした言葉が「ずしん」と心に響いた。
でもぼくには、戦争前後の経緯、身内の話しとオフレコ話しをしてくださる。

「じゃあまたね」と曲がった腰を痛そうに伸ばしたとき、
すでに、外は夕暮れ時だった。

昔の名前(フレーズ)で出ています。

ハイブリット電車の実験車が開発されたという。

日本の技術陣は進んでるねえ!
架線が必要ないということも考えられるとか。
ミクシーの友人の日本のものづくりを称えた言葉が
本当にうなづける。

ただ、それを報道していた内容で気になった。
というか、気に障った。

「架線がなくなって『景観の向上』になる」と
テレビでは説明していた。

「架線があると景観が悪い」誰がそう感じたの。
その一文を聞いて、またかと思ったのだ。

路面電車ぞっこんのBooちゃんです。
為政者が故郷横浜の市電を全廃させたとき、
社会の論調=マスコミの論調は、
「路面電車は消え行く時代遅れなもの」だった。

事実、電車の一番の売りであるはずの定時運転は、「
軌道敷内通行可」でマイカーで溢れていたし、
一路線、二路線と網の目のように張り巡らされていたネットワークの一部でも欠ければ利便性は恐ろしく劣化する。

不便な乗り物であれば利用客が減るのは当たり前。
交通計画が間違っていたのだ。

マスコミの題字には、「モータリゼーションに対し邪魔者」、
「時代遅れ」、
「景観の悪さ」…
と散々叩いたものだった。

路面電車のよさは、網の目のように張り巡らされた路線網、ネットワークのよさであり、乗降のよさ、乗り心地のよさ、定時運行のよさ、ランドマークとしての役割、経済的な建設費、公害問題、都市の活性化、防犯上の利点・・・いくらでも上げたらきりがない。
あの個人主義の国アメリカやフランスで復活し始めているのは、何より良い例である。

路面電車は、赤字赤字と赤字の権化のように言われていたが、
見てみい、横浜のバス路線をはじめ、大赤字やないか。

時の責任者、都市交通内での路面電車の位置づけをどう考えていたんだ。
併行してバスをバンバン走らせ、ドアツードアの利便性をまくし立て、軌道敷内のマイカー進入を許し、過去の乗り物のレッテルを貼り、逆風をさらにまくし立て激風にした。

両手バンザイで受け入れ、尻馬に乗って論調をさらに強めたのは誰だったの?
広島や長崎といった民間がその激風の中、生き残りをかけて企業努力をしてきた。

架線のある風景を「景観の悪さ」と決め付ける。
また持ち出してくる、この古いフレーズ。

ほんとうに辟易する。

上野に来るといつもここ

台東区内なら、まず雨が降らない限り愛車で出かける。
人間エンジンのママチャリが交通手段。

極力、車は乗らないから、排気ガス条例で泣く泣く手放した四駆の
代替で購入した、ワゴンの一回目の車検で走行メーターは7000km。

整備のおにいちゃんから「もっと走ってあげてよ」といわれるほど
まったく走らない。

おかげでバッテリーが上がり気味だとか注意されるほどだった。
お金にならないお客でごめんね。

「お国のために油は使わない」のではなく
疲れるから乗らないの。

その点、自転車は楽しい。
上野までママチャリで走っても、10分もあれば着いてしまうし
駐車場もいらないし、おまけに脂肪も燃焼するし、と
いいとこづくめだ。

で、上野にでると、決まってこの一角によることにしている。

コリアタウンだ。
焼肉屋やチョゴリの店もそろっていて
居場所がどこかを錯覚する。大阪や川崎ほどではないけれど
なんとなく、それらしい空気が漂う。

寄る店、買うものは、いつものきまり。


ずーっとこればっかり。
ゴマの葉を味付けしょうゆに漬けただけなのだが。
旨い。

よくまあ飽きないで、20年も食べ続けてると思う。
あったかいご飯と一緒に食べてごらんって。

あー。早く帰ろう。っと。