ここも仲見世

東本願寺門前。
浅草の本願寺さんとして江戸時代の錦絵にも表されている名刹。
今は東本願寺派本山。
ここに店舗が並ぶ町並みがあったら、おもしろいなあなどと想像してしまう。

多いなあ

いやでも(っていうことはないけれど)
毎日、お金の顔を見る。

小・中学生の時代は、コイン小僧だった
こよなくお金を愛していた。

お札の顔を見るのも数えるのも好き。

古物商、古銭商を見て廻わるのが趣味。
そこの店主には、何故か可愛がられることが多かった。

あのまま大きくなったら、
守銭奴と言わる人間に間違いなくなったことだろう。
子供時代までは、確かにそうだった。

残念ながら、その心はどこかに置いてきてしまったのだが…
デザインとしての紙幣は、今でも見ていると楽しい。

そんな目で見ていると、
お札の痛みがとても激しいのに気付く。
破れた札がここ最近、本当によく目にする。

モラルが低下していることが原因かもしれないぞ。
老婆心がそう思わせる。

[人のモラルと通貨] なあんて、
そんな統計をとっているところがあれば、読んでみたいものだ。

浅草の空

思いのほか雲が厚かった。
暑すぎず、寒すぎず。でも今は真冬のはずなのに…

いただき物

何年のお付き合いになるだろう…
もう20年近くのお付き合いだろうか。

コンサートに誘ったり、一緒に旅もしたけれど、

なにより浅草寺五重塔院にまつる先祖さんを
「一緒に行ってくれる?」と
お参りに同行させてもらったことは、浅からぬ縁を感じた想い出だった。

お庭番のご子孫になる生粋の江戸っ子。
人情深く竹で割ったような性格は、善き江戸人を感じる。
そんなTAさんとのお付き合い。

お互い生の続く限り続けさせてもらいたいものだ。

いつも決まって、うさぎやのドラ焼きがお土産。
甘いもの好きなBooにはもってこい。

夢仕事

夢の話。

夢の中で、懸命に大念珠を製作していた。
握りこぶし大の平玉を連ねた108玉の本念珠。

前も見たような光景。
前も同じことをやっている。

以前より一回り大きい念珠だった。
修験者か霊能者かなんだかの競い合いに使うという。
親しい人のようだった。

何を競うのか知らないけれど・・・。

とにかく相手が待っている。

一刻も早く仕立てないといけない。
あと、5玉。あと4玉…3…2…1終了。

全部の玉を通し糸(糸といっても綱引きに使おうかという代物)に
通し終え、いよいよ最後の結びに入ろうとした。

けれど…
「あれ?結べない」

糸が短すぎるのだ。おまけに太いからよけい結べない。
「え゛~」冷や汗を出しながら必死になっている。
細い絹糸で、結束しようともがくのである。

どう考えてみても無理な話だ。

それが、それが、である。
「ガンバレーぼく」と念じると
不思議や不思議、スルスルと糸が伸びるではないか…
ホッとしたところで目が覚めた。

夢でまで仕事をするぼく。ガンバレー。

念珠の仕立で目を寄らせていると、
「よ!」っとばかりに肩をたたかれる。
向島のM先生だった。

80を越えてなおエネルギッシュなのだ。
写仏を教えて長い。
ご本人も高野山に上がり
お坊さんたちを指導するほどの技量を持つ。
老齢にもかかわらず、毎週、和歌山と東京を往復する生活を
10年近く続けた。

向島からここ浅草までも、自転車で桜橋を渡って川沿いに走って来る。
舌を巻く。同じ年齢になった時、自分はできるだろうか・・・と。

今日も、鎌倉十三仏を徒歩で廻ったその足で表装依頼のために
もちろん朱印をもらう、まくり(掛軸の画の部分)の
十三仏は、M先生お手製のものである。

恩人の葬儀のため、寝ずに書かれたと言う。

うちの店には、「難波敦朗氏」の仏画が数点、壁を占領している。

もし氏が体調を崩さなければ、写仏の教室を始める予定だった。

亡くなられた後は、数週間、ぼくの魂は、空中分解状態だった。
それだけに氏の画には、思い入れがある。

「またいい仕事しようね」そうおっしゃった言葉が今も耳について離れない。
店の真ん中で十一面千手観音が鎮座しているが
店の守り仏なのである。

M先生、実は、氏の数少ない弟子の一人なのである。
その話になると、いつも「不思議やね・・・」と
お互い感慨深くため息をつくことになっている。

「本当ですね」
これもぼくの決まり文句なのである。

「どこでどうつながっているかは、わからないよ」
「だから、誠実に一つ一つのことをこなしていくしかないんだよ」
これもM先生の決まり文句。

やんちゃだった若い頃など
微塵も感じない慈愛の目でいつも笑みを残し、

「えっこらしょ」とふたたび自転車を走らすのである。