灯台下暗し

自転車で郵便局に行く途中
近くに発見。

元居酒屋の店内を所狭しとパーツで埋め尽くし
体を折り曲げて作業をしていた。

話しながらも、決して手は休めなかった。

去年の夏に開店したのだとか。
30年を越える趣味が高じて、はじめたのだそうだ。

昼間はバイク便を本業としているから、夕刻からの開店なんだとか。
なるほど!どうりで、開店中に出くわさなかったわけだ。

けっしてお世辞にも、「綺麗な」という形容詞は使えないとしても、

2階を埋め尽くす、フレームやパーツの数々には、

好きでなければ、集まらないだろうことが、
同じ好き者として、びんびんと伝わってくるのだ。

店主の情熱に、感じいることしきりだった。

消費者の立場に帰って、改めて教えられた。
我が店はどうだろうか・・・

心のトレース

ALS(筋萎縮性側索硬化症)
久しぶりに、テレビのドキュメントを介して目にした。
NHKの人間ドキュメントのなかで、
少年期に心を開かせてくれた友人に、
己が僅かな余命の間に逢いたいとして、探し出すノンフィクションであった。

自分がALSを始めて知ったのは、30年以上前のことではあるが、
当時は、名前すら知らなかった。
とにかく奇病としか告げられなかった。

次にその病と出会ったのは、
親しくしてくださった、お坊さんが寝たきりとなった。

頭の良い方であっただけに、
本人も、介護する側も口で言い表せない苦悩であったろう。
人生の理不尽さを、心底感じた記憶が今も残る。

科学の進歩著しい現代にあってもなお、
解明されない、病に苦しまねばならないのかと、
目頭を熱くした。

愛する人が、人が人として生きる最低のラインを下回ったとき
周りはやさしくなれるだろうか…。

いや、そうならなければならないのだろう。
そしてまた、知ったものは、
わが身に当てはめてトレースしていくことが必要なのだと思う。