潮流

ついに、ここまできたか。

昨日は、業界の展示会。
そこで渡されたお線香のサンプル。

香りゼロ。
煙ゼロ。

世の中の声に応えての、新製品ということなのだとか。
事実、そういうお客さまは、多いの。

でもね、

なんで線香を仏前にあげるのか…
そこんところの意味忘れないで欲しいなあ。

なんて言いながらもきっと店頭には並ぶだろうな。

昨日は、数箇所に点在している会場目いっぱい廻りきりましたから、
もうへとへと。

あ。ここは、一般の人は入れません。

を、

仏壇をこの日に仕入れると、得点もあって、
まとめて仕入れると言う店もあるようですが、
僕はヒント探しに行きます。

規模が、年々小さくなってきてるのが少し気になりました。

家具調のもの、都会的というのか、
祭壇形式、モニュメント的のものと、

新しい試みも少ないけれど見受けられ、
模索していること、また、振興勢力が生まれつつあることも

現代の供養観の変化がバックボーンになって、
先ほどの香りゼロ線香も含めて、
新しいスタイルが湧出しているのだなあと実感したBooでした。

会場を出ると、雷交じりの春の嵐。
業界のおかれている今みたい
なんて思いつつ帰路につきました

今は過去の結果?未来の為?

人の死出の場に出くわすと言うのは、
当たり前のことだ、悲しいものである。

出会わない人は、本当にその場を経験しないで一生を過ごす。
縁のある人は、これでもかというほどに出くわす。

ちなみに僕は多い。

店に訪ねてくれた、Yさんとお話する機会があって
なんとも、不可思議なお話を伺うことができた。

話はこうである。
知人のお見舞いに九州まで足を伸ばした。
「ようこそいらしてくださいました」と病に付しながらのご挨拶。
いたわりの言葉を交わし、
「それじゃあまた」と言葉を発するか、しないかの間にスーッと息を引き取られた。
つまり、死出の最後の挨拶を受け取ったのである。
家族でもない、ましてや旧知の友人でもない、
そんなYさんに、病人は最期の言葉を託されたのだ。

行きがかり上、亡骸とも同じ屋根の下でくらし、葬儀全てをみとり、
まさしく家族同然(以上かも)の10日間を過ごす結果となった。

よほど深い縁があったのか、Yさんの人柄に安心されたことなのかわからないが、
自分に置き換え考えると、人生観に深く影響するだろうことを強く感じた。

僧籍を持つYさんゆえか、天性のおおらかさからか、
消化して受け止めてしまっていることに「さもありなん」「あ!やっぱり」の言葉がフッと頭に浮んだのは、当然の感想だと思う。

大いなる人生の伏線に、無駄はないことを思うと、
今はわからずとも、将来の役回りがあるのだろうなあと
マジマジとお顔を覗き込んでしまう、Booであった。

はるばると

和光市からお客様をお向かえした。
ネットを見てくださって、ご夫婦でご来店くださった。
ネットの購入には慣れた方のようだった。
若いご夫婦なのに、すごくしっかりした供養心、姿勢をもたれていて
驚いた。

そんな方に
「作ってくれる人を見たかったの」とおっしゃっていただいた。
「書き込みは、全部読ませていただきました」

んん~。恥ずかしい…
駄文ばかりが目立つのに、「申し訳ないです」正直な気持ち。

それでも何か感じ取ってくださったと思うと、嬉しい。
小一時間お話しをさせていただいて、ヒントをひとつ置いていってくださった。
うちの扱い商材は、ネットで販売してよいものだろうかと実は考え始めていたのだ。
多くのショップが、雨後のたけのこのように(屋号まで似たところも出てきた)、現れてきた。それはそれで喜ぶべきことなのだと思う。
けれど、商材に対して、商売の方法に対して、etcと、いろいろな声が聞こえてくる。
自分なりにも少なからず考えさせられたりもしている。

子供のとき、通販でコインを時々買っていた。
夢を描き、比較し、なけなしのお小遣いをはたいて。
しかしそのたびに、通販会社の姿勢や、送られてきた商品に夢をみごとにかき消されてきた。
それは、通販をさせてもらう側となったとき、自分の反面教師となった。

ましてや僕の扱い商材は、お守りとして持っていただくもの。
いつも、どう表現したら、この祈りの道具をお伝えできるだろうか…
必要以上に考えている。

お金を仲介にするということは、形の上では商行為なのだ。

仕事を始めた頃(だいぶ昔の話だが)は、これがいつもネックだった。
職人のままでいたい。幸せだけ願うことが出来ないのか…
けれど、お金の話を出すと、急に自分の心がさめてしまっていた。
だから、いつも揺れていた。

「目標は持つけど、結果は考えない」ことにした。

そこから、商いとしての取り組みが変化したように思う。

20年も前の話だ。

ここしばらく、ホームページの更新速度が鈍っている。
以前は、トップページは毎日どこかしらいじっていたし
買い物ページもどんどん商品をアップしていた。
現実、浅草のリアルの店舗では、新入荷の商品が、
本当は、目白押しなのだが、ネットには反映されていない。

ブログやSNS(mixi)への集中度は、生半可ではない。
家族はあきれ返っているし、
ネットショップの友人からは、心配されてしまっている。
ブログは、同時に複数書いている。
しかも毎日。

商売人が商売をほおっておいているように映るのだろうと思う。
しかし、
羅針盤が狂っているわけではない。
自分なりに考えあってのこと。

ただ、うまく言えないのだ。
途中結果では、何もこたえられない。
いつもそうなのだ。
直感でこれ!と思うと即、動いてしまう。
動くと継続する。
石橋はさんざん叩きもするけれど、
直感で動くほうがはずさない。そして、

すぐにはやめないから困るときもある。
けれど、はずしたことは、今までひとつも無い。

さてさて、いつ、どういう結果になるのだろう。