愛宕山、昨日の続き

愛宕ってもともとは、慰霊の土地につける名称。
その為とも思われないが、別格クラスの寺が軒を連ねている。


心霊スポットもあったり

肝試しに夜中、一周してこいと言われたら
早々に辞退するだろう。

こんもりとした杜は、都会の中に憩いを感じさせる一方
そこが霊地であり、聖地である。
つまり祈りの場なのだと言うことを
忘れてはならないことを感じさせられた。

放送博物館を下見し汗が引っ込んだ頃合をみて
勇気を奮って外に出る。
ちょっと目を横に向けるともうそこが愛宕神社だった。

本来なら、この男坂をハーヒーいいながら上るところ
グリーンヒルをとことこ歩いてくると苦もなく神社に到着と言うのは、
得した気分。
井上陽水の「断絶」のレコードジャケットのように

青年が階段に腰掛けて涼んでいたが、
緑が多いためか体感で2~3度違う感じだった。

ぼくは、これで涼んだ。

神社の由来を読んでいると

尊攘義軍玉砕十二烈士女という説明文を発見した。

昭和20年8月22日憂国の士が自決したと二行に渡ってさらりと記されていた。
境内を探したが、殉死された碑は見つからなかった。

ただ、柵で仕切られ、立ち入れない、草ぼうぼうのコーナーが、
ひっそりとあったが、そこが何を示す場所かの掲示はされていなかった。

後で調べると、どうやらそこが殉死した場所と判明した。
戦後22年の自決とは言え、憂国の思いをもって逝かれた志、
もう少し丁寧に扱えないものかと感じつつこの場を辞した。

考えると、
戦後に特攻が行われたことも、
1000名以上のB、C級戦犯と冠された元日本兵が
戦勝国の一方的な裁きで刑場の露と帰したことも、
多くの憂国の士が戦後自決したことも、
その多くが正しく伝えられていないことが、気にかかった。

地元で聞くと、他の戦跡もあったそうだが、
全て片付けられたと聞いた。
戦跡は残さない方針なのだろうか…

帰り道は、灼熱地獄だった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です