中越地震で10人目の犠牲者が出てしまった…
しかも菩提寺の墓石類に押しつぶされる形で
発見されたと聞く。
胸が押し付けられる苦しさを感じる。
今回は、聖域での犠牲者がなかったと、
昨日早朝に書いたばかりだっただけに、
やるせない気持ちになった。
なんだか、
そこら中で書き散らしている感がある。
道路で事故が起きれば、加害者本人はもちろん、
道路管理者の責任も取られる。
川が氾濫すれば、河川管理者が。
崖が崩れれば、斜面の管理者の責任がいつも問われる。
聖域と呼ばれる公共の区域は、
決して一宗教法人の私物ではない。
都会にあっては特にそれは顕著に思う。
その区域内にあって、まして付帯施設で事故が起きれば
管理責任を問われるのははもちろん、
俗な言い方をすれば「聖域」という看板に傷がつくというものではないか。
なにより、尊い生命は帰ってこないのだから。
畏怖を感じるほどの伽藍建築にしのぎを削るのもよいが、
そこが、災害時には広域避難所になるのだという概念が
どこまで用意されているのだろうか。
その地域何万人分の非常食や飲料水、テント、
トイレまで用意せよとは言わないが
(丸の内の事業所では、準備していると聞くが)
少なくとも宗教の看板を掲げるところが、
広域の非常時の意識を持たないでどうするのだろう。
「災害時には、まかせなさい」
と言ってくれる、法人はいないものだろうか。
ましてや祭事用具で人命を落とす愚は、
そろそろ辞めにしまいか。