ナチュラル志向は念珠の世界にもある。
今までは玉の保護のために表面に
クリアーをかけるのが普通だった。
けど、
このほうが確かにいいよねえ。
黒檀、紫檀、柘植・・・
木肌が皆違う。
触った感触も。
だからいい。
ナチュラル志向は念珠の世界にもある。
今までは玉の保護のために表面に
クリアーをかけるのが普通だった。
けど、
このほうが確かにいいよねえ。
黒檀、紫檀、柘植・・・
木肌が皆違う。
触った感触も。
だからいい。
近しい友に誘われて、講演を聴きに四谷まで
足を伸ばした。
西田天香師の創始された一燈園。
一燈園の小中高一貫教育をされている
燈影学園長である相大二郎氏の講演会に参加した。
ネット以外の集まりに出るのは、久しぶり。
相変わらず、駆け足で急ぐ。
演題は、「教わる教育、伝わる教育」
声に出して教えるだけが教育なのではないことを
諄々と説明していただいた。
作務を通して体得させていく教育法。
「気付き」の大事さを改めて文字通り気付かされた。
感じるとことは、本当に大であった。
心で満たされ、
お腹も満たされた。
Sさんご馳走さまでした。
最近お店にこないじゃないの…
どこにいたの?
おまえんとこ行っても、食えんニャン!
おいおい…
そっちは行き止まりだって。
いいんニャッ!
あるようで、なかなかないのが、
弥勒菩薩と修行像。
彫りもバランスがよくていいなあ。
ここに来るたびに、惜しいなあといつも思う。
歴史建造物とは言えないけれど、それなりに趣きはある。
東武鉄道が浅草に延伸し、新生浅草駅として開業したのが
昭和6年。
隅田川の淵に当時これだけの建造物を立てたのだから
難工事だったろう。
基礎杭には、コンクリート杭ならぬ、松杭が何十本も用いられた。
まさしく時代を感じさせる。
戦前の建物を知る古老の話を聞くと、
浅草の表玄関らしく威風堂々たる建物だったようだ。
屋上には、遊園地がありそれが楽しかったと教えてくれた。
残念ながら、東京大空襲の被害は、外観を残して
全て焼き尽くされた。
戦後の姿は、東京駅のそれと同様に
急場のこしらえと言ったら申し訳ないか。
今は外壁を厚化粧されてしまい、
時代のよさを隠してしまっているのが惜しい。
館内を歩くと遺産があちこちに残っている。
いっそ、創業当時の姿に戻したらどうなのだろう。
活き活きと自由闊達な、
見るものの心を自由にさせてくれる、
何かで充たされる、
そんな彫りが好きだ。
浅草にも他の都市と変わらず、というのか、
ご多分に漏れずというのか、むしろ、多くのと言うのか、
とにかくホームレスの数は多い。
上野の山は、問題になるほどのコロニーに成長しているし、
隅田川沿いは、高速道路から遠望すると、
ブルーテントが、川沿いに集合住宅化しているのが見られる。
どう暮らしているんだろうかといつも不思議に思っていた。
ある朝、駒形橋脇に多くのホームレスらしき集団が
巨大なビニール袋を持って
誰かを待っている様子のところに出くわした。
それぞれの袋には、空き缶が山と入っていた。
なあるほど。
ここで缶を換金するのであろう。
彼らはこれが生活の手段なのだ。
少なくとも、生きる意識を持つ者にとっては。
お客様のK氏から電話があった。
香合仏を注文してくださった。
彼は、韓国を祖国とするが、日本での僧籍を持ち、
なおかつ事業主でもある。
お店に来られても言葉少なにお寺で使用するお香を、
あれこれと買ってくださる。
「お寺を運営する為の事業のような格好になっているけど
お金を残す必要はないからね」
「大乗の教えを実践していくことがぼくの使命なんだよ」
電話越しで話してくれた。少なからず驚かされた。
豊臣秀吉の朝鮮出兵時の遺跡である鼻塚に祀られていた霊を
祖国へ帰還してもらう事業を昔、手伝わせていただいたことがあった。
何故か、そんな話がぼくの口をついて出た。
「大邱(てぐ)に行ったことがあるんですよ」
今度は彼が驚いた。
そこが故郷だと言う。
不思議な縁だねえと話が盛り上がった。
今度は、彼が「ぼくの仕事はね…」
聞いて驚いた。
ホームレスから空き缶を買い取っているのだそうだ。
「ぼくが一日でも動かないと、彼らは食べられなくなってしまう」
数千人を養わないといけないのだという。
「だからつらくても休むわけにはいかないのよ」
どこでどうつながりがあるのか
縁とは不思議でならない。
供養するのには、形以上に供養したい心が必要だよね。
そういう気持ちをどう盛り上げ、つなげていくか、
そういう種を探している。
供養したい心は人も動物も同じ。