少し暑さが戻りました。
けど、乾いた秋の風。
英霊にきく
38歳の時から縁があって靖国神社に参拝に出かけている。
縁というのは、僕を可愛がって下さる父親のような、師匠のような
天台宗のお坊さんとの出逢いが、
毎月初めを参拝の日と決めた要因だった。
それ以前から、神社の崇敬会とは縁があったのだが、
足を運ぶところまでは心が動かなかった。
ただ、歴史大好き人間として、近代史は謎が多くて
いつか解きたい問題ではあった。
師が日韓仏教福祉協会という会を主催し、
月初めは欠かさず参拝していることを知り
金魚の糞の如く様でご一緒させていただいたのがきっかけだった。
自分の中には、近代史特に昭和史がすっぽりない。
生きた語り部が回りにいくらでもいた時代に生きながら
まともに系統立てて認識した記憶がない。
苦労話は、若者の心に「またか」の印象しか
残さなかったのかもしれない。
学校で歴史の授業では、ちょうど昭和史は3学期の末になる。
明治維新前までは、ことさら細かく勉強するが
現代史に入ると、何故か急行列車の如く
授業内容は、はしょるわはしょる。
大きな歴史的事実は記憶にあるが、
大枠のみで、なぜにそれに至ったかは、
疑問符を残したまま生徒に委ねられた格好だった。
委ねられてもね…
そんな印象が強い。
生きた人間がそこに感じ取ることができなくて、
近代史はどうも好きになれない要因でもあった。
今でこそ靖国神社が取りざたされることが多いためか
遊就館という資料館があることも一般的になった。
初参加の頃、ぼくには、ここは全くの異空間だった。
九段の母を唄うのがせい一杯の知識だった。
当時は、改装される前で今のようなオープンさはなくて、
古めかしい旧館のみで展示していたが、かび臭くて
歴史が押し込められていると言う形容がぴったりの雰囲気だった。
改めて指折り数えてみる。14年続けてきた。
英霊の気持ちにささやかでしか応えられないもどかしさはあるのが
確実に抜けていた昭和史が、徐々にではあるが埋められていくのが
実感としてわかるようになった。
イデオロギーの眼鏡をはずして事実として直視することが
必要な作業であることを感じて止まない。