持ち続けるもの

区内は、ままチャリで用の足りるので、
暑かろうが、寒かろうが、
よほどの天候でない限り銀輪部隊で行動する。

自転車の丁度良い速度と小回り性は、
新しい出会いに遭遇できる魔法の機械なのだ。

つくづくこの町が空襲被害を受けなかったら、
(さらに言えば関東大震災も含めて)
どれほど歴史の香りと下町情緒を残す。

いとおしい町だったのだろうと思うことがある。

それじゃあ、愛着がないとでも言いそうな、
表現に聞こえるけれど決してそうではない。
見える史跡という外観がなくなった分、
語り伝えてくれる人が多いのも事実だ。

だから、僕の頭の中には、
空想で、町のイメージが創られるに及んでいる。
さらに古地図好きの習性は時代時代の町並みを蘇えらせ、
3D画像でインプットされている。

小さな祠を偶然見つけても、いや、昔はこうではなかった。
諸藩の上屋敷にあったはずだから、
その鎮守だの分社だのとつい想像してしまう。

念珠堂のある雷門のこの通りですら、
今では想像できぬほど情緒があったようだ。
今では、商店街を作る話が持ち上がるほど、
人通りを目当ての店が増え、賑わいのある通りとなったけれど、
昔は、お稲荷さんがこの通りにあって、それを目当ての
参拝の足が絶えなかったという古老の話も聞いた。

浅草寺への表玄関は駒形堂からであり、
大店が軒を連ね、町のスケールは、
今より一回りも二回りも大きかったように想像するに難くない。

浅草広小路という名称も、並木町、材木町などの町名も
いつの間にか消えてなくなりはしたが、原風景を
心にさえ絶やさない限り、「風情」はどこかで振子が戻るように
修正されていくのじゃないだろうかと、
ささやかな期待を持ち続けている。