聖天さま

待乳山聖天・・・要するに地元語で「まっちやましょうてんさん」


隅田川沿いは今、梅が見ごろ。
桜の名所というイメージが強いけれど、梅を観るお客さんも結構多い。

江戸時代までは、桜が花見のメインではなく、花見と言えば梅見だった。
その気持ちもよく解る。
肌寒いのは玉にきずだけれども、これもまたおつなものかも知れない。

右端のしだれ桜のような木も梅の一種。
呉服(くれは)というのだそうです。

ミニ仏像

手の平にすっぽり入る。
こんなに小さくても、いっちょ前に希少材料の白檀を使用している。

超細密彫りである。

どんなに小さくても一切手を抜いていない。
当たり前の話だが、意外に当たり前ではないみたい。

阿弥陀様もこのとおり。
仏身で45mm

表情もしっかり出ている。

普賢菩薩。


こんな表情なかなかないよ。

大日如来。

WEB2.0的企業

NHKの小さな旅をたまたま見ていた。

昨年12月江ノ電が難病で10年前江ノ電の運転手になる夢を見ながらも他界した少年のために運転士の辞令を出したことを知った。

朋(とも)君、天国で思いっきり走ってください・・・。

江ノ島電鉄(神奈川県藤沢市)は22日、「運転士になりたい」という夢を持ちながら10年前、難病で亡くなった少年(当時16歳)に運転士の辞令を発令する。
少年は亡くなる4日前、運転席に試乗してハンドルを握る夢をかなえたが、毎日新聞神奈川県内版で当時のいきさつを知った深谷研二社長が
「ぜひ夢の続きを」と、本物と同じ辞令書を少年の父親に手渡すことにした。

少年は東京都大田区の会社員、新田和久さん(56)の一人息子で、先天性心疾患「拡張型心筋症」だった朋宏さん。
4歳の時に母親を同じ病気で失い、約11年間、同県茅ケ崎市の施設で育った。
見舞いに来る和久さんとよく江ノ電に乗り、「大きくなったら江ノ電の運転士になるんだ」と語っていた。

試乗は容体が悪化した98年11月11日、江ノ電の全面協力で実現した。制服、制帽姿で運転席に乗り込み、運転士の後ろで全線の旅。
その後、検車区で「タンコロ」の愛称で知られる108型車両のハンドルを握り、運転士と一緒に動かした。
当初は反対していた関東運輸局(横浜市)も「聞かなかったことにする」と黙認したという。

10年後の今年10月、和久さんの知人で東京都品川区の塾経営、石井彰英さん(53)が感謝の気持ちを込めて江ノ電の精巧な模型を同社に寄贈。
これを報じた12月3日付の記事を読んだ深谷社長が「他の仕事を休んででも、早く朋宏さんに夢の続きを」と職員に指示した。

22日は、江ノ島駅(藤沢市)で辞令を交付した後、利用客のボタン操作で動くように改良した模型電車の出発式もある。
和久さんは「ここまでしてくれた江ノ電を(将来の夢に)選んだ朋宏を褒めてあげたい」と感激している。

テレビを見ながら、法規を弾力的に運用(無視)してOKする運輸局も粋だし、少年のそして家族を失った父親の心に灯火を灯した江ノ電もいい。

なんだろう・・・
企業の動きとしては久しぶりに感動した。

WEB2.0的企業とでも言うのかな・・・
http://www.47news.jp/CN/200812/CN2008122201000133.html