経典のイメージチェンジ

普段使いのお経典でも、紙のぺらぺらの表紙からドンスがけにすると随分イメージが変わるものだ。

お釈迦様が生涯をかけて顕してくれた人生の指針である大切なお経典なのだから、これくらい大事に使いたいものだと思う。

お経典について思うこと。
日頃感じることがいろいろある。
が、僕も含めてお経典をなおざりになりすぎていないかちょっと気になる。

般若心経一つとっても、お店では210円で手に入る。
お金があれば簡単に交換することができる。

もちろん210円を手にするには、汗水流してようやく手にする人もいるだろうが。

しかしその般若心経には、人生を大きく左右するほどの貴重な命の光、指針が散りばめられている宝石のような宝箱なのである。

心眼の働かぬ者、人生に飢え渇いていない者には、単なる二百四十余文字の文字の羅列にしか思えないかもしれない。
けれど、限界線を綱渡りしている者には、まさしく強い味方となるのだ。

二十歳代に悩み苦しんだ時期に、心経の文言に救われた。
色素癖空空即是色に救われた。
TONちゃんとてそんな時代があった。

そう思うと、お経の取り扱われ方が僕には気なって仕方がない。

お釈迦様が一国の王子という栄耀栄華をかなぐり捨てて、生老病死苦の根本に命がけで挑まれ掴み取られたお経の一言一句。

それをどう扱うかは、受け取る側、バトンタッチした側の姿勢そのものだと思えてならない。
骨と皮になるほどの荒行の末にお経を読んでみなさいとは言わないが、それ相応の心の姿勢、構えが受け取る側に必要なことは、当然のことなのだと思う。

さあて、取り越し苦労もそこそこにして仕事に戻らなくちゃ。

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