浅草のそら
3年
僕の腕について二人三脚?じゃないな、同行二人・・・かな。
生命樹54平玉水晶仕立。
ずいぶん貫禄が出てきた。
( 三年前の画像 )
使い始めの頃を日記にしていた。
日記は、2007年6月3日
http://http://http://ton.wp-x.jp/wp-content/uploads/image/ton.wp-x.jp/wp-content/uploads/imageblog/a/10351726.html
生命樹の試行の為に腕にしだした。
中糸(オペロンゴム)の耐久性も測りたいと思ってのことだった。
いつしか実験開始日を忘れて
「そろそろ2年くらいたったな・・・」
と、ゴムの状態を考えながら思いもしはじめていた。
で、過去の日記を遡ってみると
予想をオーバーして3年をゆうに越えていた。
( 三年前の画像 )
糸の状態はこんな感じで、まだまだ使用に耐えられる。
実験だからと思い、水にも構わず浸けてきたし、ずいぶん乱暴に扱ってきたのだけど・・・
まだコゴムの張力は失われない。
ささくれ立って来はしたが、糸が切れてだまになることもない。
糸への信頼性はここにきて僕の中では増した。
土木の技術者だった頃、構造物の鉄筋量を計算する際、統一断面の中に太い鉄筋を少なく入れるか、細い鉄筋を多く入れるかの考え方で論争の種になったことがあった。当時は細い鉄筋を多く束ねていれるほうに軍配が上がったことを思い出す。
鉄筋とゴムではあまりにも違う素材だけれど、細い部材の集合体のほうが、しなやかな動きもはかれるし、いっぺんに全てがせん断される危険性も回避される。
細いゴムを束ねた糸が僕的には、いまさらながらやはりよいように感じる。
中糸はいつか切れるもの。
その時期を、細かい糸の集合体のこれは、糸のほつれで教えてくれる。
切れる時期を教えてくれようとする声に素直に従わないといけないことは言うまでもないことだけど・・・。
浅草のそら
30分のところが・・・
今日は今日は朝の9時から商店会の掃除日。
自分の企画だから休むわけにはいかないし、準備があるので一時間くらい前から、しこしこ箒や塵取りを使いやすいように出したり先に水を撒いたりと作業を進めていた。
今年春に出来たばかりの敷石の通りを綺麗にしていきましょうと誓ったはずなんだけど、一人減り二人減りと参加者が月毎に減っていく。
とまれ。
一人でもやっていくのだ。
ところで、道を汚すもので一番汚く感じるものは何かと言うと・・・
まあいろいろあると思うのですが・・・
「ガムの吐き捨て」
煙草のポイ捨ては多少減ってきたし、それに拾ってしまえばそれで終了だけれど、ガムの吐き捨ては、堪忍袋を押さえるのに苦労するほど悲惨な状態になる。
とにかく敷石の地が白いから、通行人に踏まれていくと、どんどん黒ずんでいく。
ガムははっきりわかる。
概観すると黒点があたり一面に咲き乱れることになる。
ヒョウ柄かいと思うほど。
しかもこれが簡単には取れない。踏んで他にも持ち運ばれる。
本当に気分を害される。
で、最近、新兵器を見つけ、借りてくることにしている。
「ガムバスター」という。
掃除機の先からスチームを吐き出し削り取る。
ついつい・・・
30分の予定で始まった掃除が、気付くと3時間。
でも、これでもまだまだ・・・取りきれないの。
ガムのポイ捨て。
モラルの常勝を待つしかないのかなあ・・・
水際で防ぎたいものです。
浅草のそら
天竺と鼈甲のコラボ
伝教大師