空白をうめるもの

「主人は浅草生まれだったのよ」

「浅草のどちらですか」とTON。

「千束でね、でも親も兄弟も主人を残してみんな死んじゃったの。空襲でね」

3人連れの陽気なお客様との話題の中に出たことば。
今年は、東京大空襲の碑にお参り行かなかったなぁ。ふと思い出した。

毎年、梅が咲く頃になると、いつもそわそわし始めるのに。

東京には、僕の住む浅草周辺には、戦跡が限りなく存在している。
浅草寺の境内には空襲で萌え残った銀杏の木々がそこここに存在を誇示しているし、平和祈念のための碑や像は数限りない。

お付き合いのある寺院の境内にも観音菩薩や地蔵菩薩の説明板には、3月10日空襲の犠牲者の骸をここに祀ったとあって思わず手を合わせる。

毎朝走る川沿いにも、空襲で亡くなった子供たちを供養する地蔵たちが並び、何千と仮埋設された墨田公園には、哀悼の碑が建つ。墨田公園ばかりではなく、下町の公園地には、所構わず、空襲の犠牲者を仮埋葬がされていた。占領軍GHQの指令で掘り出すのは数年先だっったということもあって、仮埋葬の所わからずとなっているご遺体もあるようで、数十年後、地下工事の時、人骨が掘り出されたなどということもあったと聞くと、僕らの住むこの場所は、おいそれと足を踏めない場所であると思わされるのだ。

昭和史に関心があるのは、こういう場所に住むことも手伝っているのかも知れない。

昭和史と言えば、僕らの世代は中学も高校も駆け足になってしまっていた。
最近は全く教えられないなど子供の口から聞くが、本人が怠けているだけではなさそうだ。

近代史、特に昭和史は飛ぶように過ぎ、心の残っているのは、2.26や真珠湾攻撃、原爆投下の写真と終戦記念日、皇居前で人々がひざまずく写真が残る程度というお粗末なもので、明治維新から一挙に戦後に行ってしまうのだからその空白を埋める作業はたいへんなものだ。

今年は、そういう思いを深める時間も与えられぬまま、大震災の災禍を被って、頭の中が真っ白になっていた。

お客様との会話の中で、二ヶ月間の空白を少しだが埋めてくれた気がした。