一時は、まったく途絶えた外人さんの姿が見られるようになった。
2ヵ月にしてようやくと言う感じだ。
一時は、まったく途絶えた外人さんの姿が見られるようになった。
2ヵ月にしてようやくと言う感じだ。
腕輪念珠。
これならば、いざと言うとき役にたちますね。
店の子がお店に入って来られたお客様の体に羽蟻が数匹ついているのに気づき、
「なんか付いてますよ」ととって差し上げて、ふと外に眼を向ける。
やたらと表をぶんぶん飛んでいる・・・
それを見て驚き「店長!!大変大変!」
と叫び呼ぶ。
こういうときは僕の仕事となるのです。
隣のビルとの間を覗くと・・・
黒いじゅうたん・・・
おっと・・・
ちょっと・・・
気持ちのいいものじゃない・・・
ホースで水を撒いて綺麗に流しちゃったけど、
急に陽気がよくなって慌てて種族繁殖作用に沸いたんだね。
コンクリートジャングルの中にもかかわらず自然の力はたくましいものだ・・・
人にも本来、奥底に併せ持っているはずだよな・・・と思った。
ぼくの店が位置する小さな通りの小さな商店会でたった一日のがんばりだったけど
道行く人、近くの小学校の子供たち、プロの歌手、そして商店会の仲間たちによる寄せ書きが大船渡小学校に届いた。
そんなに集まらないだろうと思っていたのに蓋を開けたら780名もの人々の善意の言葉が寄せられた。
子供たちが元気をいただいていると聞かされると、努力したかいがあったと素直な気持ちでありがたい。
日本人の特徴は人の噂も何とやらで、良くも悪くも忘れやすいしマスコミなどの論調によって変わりやすい。
被災地の復興は、1年や2年で終るわけもなく、これからも息の長い支援ができたらと思う。
ここ、今問題になっている雷門前の区の建物。
計画当初31mで公表していて、いつの間にか45mに設計変更されてしまっていたのだとか。
浅草寺も地元も大反対の立場にあるのだけれど、工事はドンドン進んでいる。
実際に鉄骨が建て込まれると、重圧感満点。
まださらに高くなるのだという。
総ガラス張り。
大震災の後だけに、おいおい大丈夫?
ガラス落っこちてこないの?
いざと言う時、避難所になれるの?
観光の目玉にしたいのだろうが、
同時に防災の拠点でもあると思うんだけどな。
老婆心だろうか・・・
連休の最中だと店を抜け出すことは至難の業。
でも行きたかったなぁ。
うちの店を四半世紀前にオープンした時、店は画廊として使えるように設計したのも、絵がすきだったから。
故人となってしまったが、写仏では第一人者の難波淳朗氏の個展をオープンセレモニーとさせてもらったことは、縁の不思議さを感じる。
さらに言えば、オープニング時に讃祷歌を主催しておられた、新宿の智韻寺住職、新堀智朝尼と詠唱団の中心メンバーに、讃祷歌を南極も唱和し清めていただいたことが昨日のように思い出される。
写仏教室は講師が鬼籍に入ることで準備段階で挫折してしまったし、讃祷歌浅草支部ですよと話すといつも喜んで下さっていた智朝尼も、早や13回忌を過ぎてしまった。
でもふと当時を思い出すと、念珠堂という店のあり様や生き方、個性を知らず内にしっかり主張していた、恵まれた出発だったなぁと、今でもしみじみ感じるのだ。
早朝から雷門前はラインひきで騒がしい。
ようやくスクランブル交差点化する。
何年か前に信号のタイミングが変更となって、歩行者と車を完全に分離させるようになった時点ですでにスクランブルと思い込んでいたから、斜め横断も常習犯だった。
それはどうやら違っていたようで、ゼブラ(横断用)が斜めに引いていない交差点での斜め横断は違反だったみたい。知らなかった・・・
これでもまだ空いている方なのだから、人の流れを事故なくスムーズにするのは、大変なことでしょう。雷門前もさらにお祭り広場っぽくなっていくかな。