ひさしぶりに

朝、同じコースを走り回っているといい加減あきてくるものらしく、アサヒビール脇の勝海舟像を見ながら走っていると急にコースを変更したくなった。

勝海舟の銅像を過ぎると墨田区役所の裏手まで短い下り坂になる。
そして、東武のガードのある枕橋。

ここからのスカイツリーは逆さツリーで知る人ゾ知るビュースポットなのだ。

そうだ、こっちに行こう。
ひさしぶりに、東武鉄道の高架沿いに走ることにした。
江戸時代水戸藩下屋敷のあった公園を横目に、東武の高架にそってスカイツリーを目指す。

屋形船を浮かべ、水藻の揺れる北十間川が下町の素朴さと、戦後すぐ廃駅になった墨田公園駅の形跡を楽しみながら源森橋、路地を走る。そんな昭和レトロのような風景が業平橋に近づくと様相は一変する。

人の注目を集めだすと興味を失ってしまう性格が災いして、業平橋駅周辺は毎週のように通っていた一年前とは、別物のように風景が変わってしまっている。

矢板で仕切っていた暗く汚い護岸もきれいな自然石風に化粧された護岸に生まれ変わりスロープで水辺に下りることのできる親水公園化されている。
スカイツリーの足元を覆うように商業施設も工事用シートが取り払われ、着々と完成の間近を感じさえてくれる。

地震の影響からなのか、以前ほど人は出ていなかったけれど、近場の観光として息を吹き返すのも時間の問題だろう。

押上橋からの風景も一変した。

再開発のため立ち退きでガランとなった商店街の中に一軒だけ最期まで頑張っていた自転車屋の小さなビルも、ついに跡形もなくなっていた。
公番に聞くと本所のほうに引っ越したよという。
商売やめてしまったのか・・・
ミニベロ中心のマニアックな店だっただけにチョット寂しい。

アーケードが架かっていたころは歩道が狭く感じたけれど、今はその形跡さえ見当たらない青空天井。なにやらえらく広く感じる。

商店街で備え付けられていた防火用水の赤いドラム缶がぽつんとアーケード跡に忘れられている光景がいかにも寒々と感じた。

さて、
ツリー観察にそろそろ汗を流すことになりそうだ。

涙を呑む

久しぶりに浅草は賑わった。
ゴールデンウィークは近場の観光地でとかマスコミでも情報を流していたし、
こんな形でどっと出たわけではないのだろうけれど、やはり人がぶつかるほどの活気さが、やはり浅草らしい。

御陰様で店もそれなりに混みだした。

そんな中ある親子さんがご来店くださった。
「チョット待ってね、まだあるから」
仏具を一つ一つ時間をかけて丁寧に選ばれていた。
ご供養するために必要な一通りの買ってくださった。

接客しながらふとお客様の口から、

「津波にあったその日が命日と思って、供養してあげたい・・・から」

ん?と思った。

品物をお渡しするとき、

「どちらからですか?」の問うてみた。

「岩手」と一言。

さらに問うと、

「大槌町」と言葉少なに応えて下さった。

きっと口には出されたくなかったのかもしれない。
僕も僕で次の言葉が出なかった。

自分も岩手のお客様の現状がまったくつかめないこと、
宮城の親戚をなくしていること、

など我知らず口にしていた。

被災時には他所にあって難を免れたお母さんと現地にいた娘。

家族の大事に一緒にいられなかったと心を痛める母の弁。

「母がいてくれたから生きていける」と子の心。

最大級の難が現実として究極な状態に落とし込めたのだ。

我知らず涙を呑んでいた。

あまりに心の傷が深いだろうことを察すると、どんな応答も空々しい言葉になってしまう。
ともに涙を呑むこといかできない自分があった。

外の喧騒とは裏腹に被災地はやっとスタートラインにつけるところにたどり着けたのだろうか・・・・

胸を熱くする

昨日、岩手県の大船渡小学校の校長先生からお電話をいただいた。

先月3日に、商店会員全員(ほぼ)で街頭で声をはって道行く人にお願いし、
同じく田原小学校の子供たちに協力してもらって完成させた寄せ書きそして募金を大船渡出身の知人のつてで、大船渡小学校に持って行っていただいた、そのお礼の電話だった。

正直なところは軽い気持ちの寄せ書きで被災地の人に励ましのメッセージが伝えられたらな・・・くらいの気持ちしかなかったのだが、商店会員の皆と話し合い、スケジュールを組んで今までにない参加率でのぞめた寄せ書きと義援金募集の企画は、780名の人々の寄せ書きと手形押しの結果として残った。

ご協力くださった来街者の皆様へのお礼とご報告をかねて先々週に道路(観光センター前)に掲示させていただいたことは、すでにこのブログでもかかせていただいたけれど、見れば見るほど、780名の心が伝わってきて、おいそれと簡単に援助物資と同梱して送るには申し訳なくなってしまった。

そんな思いにさせてくれたのも、心のこもった一言一言の結晶の力だったのではないかと思った。

小学校では、校長先生が学校の入り口近くに掲示してくださって浅草から応援メッセージが送られたことを説明してくださったと聞いた。

「子供たちが本当に喜んでいます」「ありがとう」

そう言う校長先生の電話口の声に、僕は胸が熱くなり次の言葉が出なかった。