四国36不動胸飾製作中
二本の糸穴に対しての中間玉はこのサイズがせいぜい。
水晶を軸(共通)にして、胸側からインドヒスイ、本ヒスイ、水晶と入れてみた。
すべてインドヒスイでもいいような気もするし・・・
どうかなぁ・・・
(片側だけ通してみた)
ヘッド周り。
左の方の医師は、白っぽく見えてしまうけれど薄緑の本ヒスイ。
胸飾はこれだけ大きいのだから、いちいち金具をとったり付けたりする手間なくすっぽりかぶることができる。
と言うことは、首裏の金具は必要ないと思うが、通し紐の結び目が隠しようがないことに気づく。さてまた考えるか。
浅草のそら
浅草のそら
浅草のそら
やっぱり念珠は・・・
よくお直しで持ち込まれる。
もちろん同じお客様というわけではない。
おばあさまがお嫁に来られた時の花嫁道具の一つとして、とか、お婆さんが使っておられたのを頂いたのでとか、親子三代で使っているのでとかとにかく共通して言えることは、とにかく古いお念珠だということだろう。
だからというのではないが、最近の安価(もしくは安直)に作られる念珠と比較しても小さいし要は立派に見えないから大したものではないのだろうと値踏みしてしまうことが多いだろう。
玉の一個一個も不揃いだし・・・
これこのとおりなのだ。
けど、捨ててしまう前にちょっと想像してみてほしい。
おばあちゃんのお母さんの時代からなんていう話も聞くということ。
少なくとも大正時代、いや明治に遡れる時代に、水晶と珊瑚を使用した念珠を持っていらっしゃったということ。
その時代に水晶の磨きだしなんて手でろくろを回して作るしかないだろうということ。
そんな手間のかかる玉を180個もつないで作るわけで当時、安かろうはずはない。
また、婚礼祝いなのかもしれない。
なにか特別な思いを込めて手に入れたのだろうことぐらい察知できるというものだ。
そんな物語が伝えられていたのなら、TONもぜひ聞きたいと思う。
今回は仏壇の中にしまわれていたからと持ち込まれた念珠だったけど、手を加えればこんなに冴えるものなのだ。
緑色のはもともと付いていた房。
親から子へ、子から孫へ、孫からひ孫へ・・・代々、親心とともに次の代へ伝えてもらいたい。
念珠作りとしては、ついぞそんな気持ちにさせられる。
浅草のそら 今日は建国記念の日
今日は、建国記念の日でしたね。
TONは建国記念日と覚えていたのですが、「建国記念の日」と「の」の字が入るのだそうです。
TONの親たちは「紀元節」という呼び方をしていましたが、神武天皇がご即位されたその日を記念するのだから、紀元節のほうがTONにはしっくりきます。
だし、重奏な響きがありますよね。
紀元節(きげんせつ)は、古事記や日本書紀で日本の初代天皇とされる神武天皇の即位日をもって定めた祝日。日付は2月11日。1873年(明治6年)に定められ、1948年(昭和23年)に占領軍 (GHQ)の意向で廃止された。かつての祝祭日の中の四大節の一つ
こういう歌もあるのですよ。
母親がよく口ずさんでいました。
戦前までの人たちが羨ましくなります。
国を純粋に誇れる教育を受けられたんですもんね。
浅草のそら 雪になります。。。
浅草のそら そうか、今日は北方領土の日。
そうか、今日2月7日は北方領土の日。
安政元年(1855年)2月7日、下田で「日露和親条約」が締結された。
四島と千島の間に境界線が引かれ、樺太を混住の地と決めたのだ。
でもそののち明治8年、千島列島と樺太北部は交換されて日本の領土として確定されるんだけどね。
浅草のそら
なんだか光のコントラストの強い朝です。
個人的には好きな風景になります。