浅草のそら
すかっときました~~~~~!
天賦とは
おはようございます朝ドラのエールが実質今日で終了。ちょっぴりロスとなる。
主人公の懐古の中で音楽が内側から溢れてきて譜面に写すだけなんだ。
若い学生(まぁ学生は若いか・・・)が、隠遁し音楽から遠ざかっている主人公裕一の家を訪ね、どうして新しい曲を書かないのかと、問い詰める場面があった。裕一の一言「音楽は頭の中であふれ出ている。でも余生は自分の中で楽しみたい」という件に、ふと僕の好きだった新宿のお寺の庵主さんを思い出した。
庵主さんは音楽家ではなかったが旋律が天空から燦々と降り注がれ溢れ出す人だった。
音符も書けない中、小学生用の楽譜に女学校時代の音楽の授業内容をたぐりなががら、つたなくも譜面に落していった。
書き留められなくて何曲も無駄にした。一流の作曲家、声楽家、文化人を驚嘆させる音律を生んだ。洋の東西をも越えて感動させた。
天賦の才能とはそういうものなんだなと傍から見て教えられた。
神仏を越えた超宗教の曲作りだった。ゲーテの詩をのせることもあった。子供向きの曲に特に熱心だった。もう十年早く世に出したかったと本人は事あるごとにTONに漏らした。崩れいく現代人の情操に警笛を鳴らしたかったのだろう。天才とは頭の良い人を指す言葉ではない。天から与えられた、預かった才能ということ。そうしたものはやっぱり世の中に出さないといけないんだと思う。
あなたにとっての天賦の才はなんでしょうかと問われてるみたいだった。さ、今日もがんばろ。
浅草のそら
穏やかな空となりました。
はーーー忘れちゃったてたよ。。。。
よくできてるよ。。。ね。
朝一で日蓮宗の念珠のお直しをお持ちいただいた婦人がおられた。
よく見ると下がり(弟子玉部分)は生きているので中糸のみの交換で済む。
30分もかかりませんけどと言うとお参りに行ってきますという。
毎日使われる「念珠」という特殊性を考えると、極力その時に出来る修理はその場でお直ししてすぐにお渡ししたい。
すぐに取り掛かる。
中糸(通し糸)は真っ黒のボロボロ。日蓮宗だからよく擦ることは心得ているけれどそれにもましても・・・強化糸が入っていたがナイロン糸が一本頑張って切れずに済んでいる箇所が四天の位置に多く見られた。よく頑張ったなぁ。。。率直な感想。しかも下がりは無傷。この房(うちでは手鞠房、他では小田巻きとも釈迦梵天とも)になってから壊れることはなくなって手間はかからなくなった。
ただね。ちょっとばかり風情がなくなったかな。。。とも思うTONなのだ。
浅草のそら
今日は勤労感謝の日。子供のころは割とすんなり受け入れたけど、仕事を持つようになってからは、何が勤労感謝なんだ?と。
もともとが新嘗祭(にいなめさい)の名称を改変したことを知ってからは、ますますおかしな気持ちに拍車がかかるようになった。宮中では今日この日には新嘗祭の神事が執り行われる。
農耕民族としての日本人の根底に流れる豊穣への感謝の心を素直に発露することが必要なのではないかなと思うTONなのだ。戦後いろんな習慣が捻じ曲げられてきて、日本人の素直な感情が鬱積してきているんじゃないのかと心配する。
森元総理が日本は神の国と記者の前で話したことが問題となりマスコミのいい飯の種になったことがあったけれど、全然おかしいことではないじゃん。と、当時思った。八百万の神々が住まわれる国、神無月があるかと思えば神有月がある。良き年行ける全ての事物に神が宿られる。神話から現在までシームレスに繋がる血統を持つ皇室をもつ。これほど神話に満ちたお国柄、実に奥ゆかしく神様と一緒に暮らすお国柄、その通りなのだからTONはこんな日本が大好きだ。
浅草のそら
この位置からはもう仲見世が素通しできなくなりました。人は確かに増えました。
古いけど新しい
世の中の動きに鈍感なTONでも「鬼滅の刃」は耳にする。
とか言うのだだけれど、実はこれほど耳目を集める存在になる前に若干かじっていたのだ。
かじるといっても本をカジカジしたわけではない。
物語の導入部分をリアルで読んでいたということ。
面白いな。人気でるな。と思いつつもあとは続かなかった。
これでも根っからの漫画っ子として育った。横浜育ちのTONの近所に望月三起也先生が住んでいたこともあり子供たちは漫画に意識が行かないわけがなかった。。。言い訳です。
話を戻すと鬼滅の刃の主人公、竈門炭治郎をなんと読むのかさらっと読んだ時は読めたふりをして読んでいた。んだが、いざ自分でその字を書こうとすると・・・・これが書けない。
書けますか?
神奈川県御殿場市のお客様の元に荷物をお送りしようとするとお客様は「かまど」と平仮名で書いてくださっていた。これは覚えないといけないというお知らせかも知れないと調べてみた次第。
当用漢字にはない奥行きのある文字だよね。
こんな若者のカルチャーのおかげで、戦後無理やりまとめられてしまった旧字体が少しづつ復活していくのは面白いものだと思う。
漫画がキッカケになるかは知らないが、かえって若い人たちの方が旧使いの達人になるのではなかろうかと思った。
ちなみに、亀の旧字、龜は書けますか?
書けなければ、亀十のどら焼きは食べられませんぜ。。。ダンナ
なんて書いてあるのか浅草に来た頃は???だった。
ついでにこういう斉もあるのですよ。
齋藤さんならかけるでしょう。。。が。
浅草のそら
スカッ!です。
冬バージョン
夏は木の素材のものは極力避けてる。
好きな香木も暑い季節は家でゆっくりしている。
この季節になるとそろそろ懐かしくなってくるのだ。
四半世紀はとっくに越えているのにプンプンしている。腕につけたとたん冬だ。冬が来たと脳が勝手にギヤチェンジしてくれる。
沈香独特の特性は鎮静効果にあることは案外知られていない。
昨今のコロナ騒動でイラつく気持ちをこれに頼ることのありませんように。。。と願うTONなのだ。