浅草のそら
見るからに寒いであろう上空は雲が西から押し流されてます。
アップを忘れていました。と言うか時間が・・・
浅草のそら
晴れの日が続きます。。。
子供時代の話が出たおりに読んでいた漫画の話がゼネレーションを掻き立てることを覚えた。
ほんの数年年が離れただけでのらくろは覚えているけど、ロボット三等兵は知らないという。
貸本屋という業態が過去存在したことを知る世代、知らない世代。TONはその本屋で借りてきて読むことが多かった二泊三日で5円の時代。
随分通った。今と違い図書館に行っても漫画なんて一冊もおいていない。それくらいのカルチャーだった。楳図かずおのママが怖い、だの半魚人だの、手当たり次第読んでいた。気がする。本を返し忘れて自宅に返してくれと訪ねられたこともあった。もちろん滞納料金で500円を請求されたこと鮮明に覚えている。
まぁとにかく、戦後生まれの僕らに当時は戦争ものが多かったのをふと思い出した。
堆朱二題
漆を何度も何度も繰り返し塗り重ね固めたものを堆朱(ついしゅ)と呼びます。
層にした部分に墨流しの風合いが生まれて人気があるようだ。
ただし本漆を使用しての堆朱ではないようだが、制作方法は同じ工程を取って製品になる。
お店に展示しているのは古風な色合いの黒や紫、派手といっても堆朱の語源の古来からの朱色くらいだけれど、こういうのもありますよと見せてもらったのが本品。
お~~~~!思わず唸る。
口に入れたくなっちゃうよ。けどりっぱな堆朱。
いっそ腕輪にしたくなった。面白いだろうなぁ。
まだそこまでの冒険心には至らなかった。。。がどうだろう。
蛍光色を混ぜたら暗い夜道に交通安全に寄与できるんじゃないかなぁ。
なんてね。
これでも5、6万円するんだからね。
浅草のそら
いいお天気でした。
浅草のそら 新嘗祭かぁ。。。
勤労感謝の日ということで今日は休日。
戦前生まれの親たちの世代は、この日は新嘗祭(にいなめさい)と終生、口にしていた。
若いころは、「新嘗祭だってぇ、昭和ひとけたは古いねぇ」なんて悪態をついていた。が、日本の姿を的確に射抜いている表現だと今は感心する。
国民の休日としての新嘗祭の名称は使われなくなったが、宮中では新嘗祭の神事は変わらず行われている。天皇陛下が新穀などの収穫物を神々に供えて感謝し、自らも食しておられるのだ。日本のありようを変えることなく延々と脈々と伝え及ぶことは、どう中心から振れてしまっても中心棒が存在するということは、いつでもそこに帰ることができるわけで、日本というお国柄から逸脱することから免れることができる。国民としてはありがたいことだと思う。
浅草のそら
それなりの人出。
柳橋界隈
早朝、、、といっても最近は日が昇ってからでないと表に出なくなっちゃったけど朝ラン(ただいま故障中である気が70%)に出かけるのが日課。
今日はいつもの北巡りを気分転換に南巡りに変更。腰に来ていなければ新大橋の方まで行きたいのだけど、両国橋まででUターンとなった。
柳橋周辺はTONの好きな風情を今なお漂わせている界隈だ。もう花柳界はなくなってしまったけれど、柳橋芸者がお参りしていたお稲荷さんがビルの谷間にポツリんと残り御影石の玉垣に彫り込む文字を目で追うと、花柳界華やかなりしころの当時を彷彿とさせられる。
けどそこからの眺めは、国際都市TOKIOとは思えない風情ある光景であることも確かなのだ。
両国橋は、りょうごくはしと読む。濁らないのだ。但しりょうこくではないことを念のため。
ご存知両国駅前の力士像。いつか持って行かれやしないかと余計な心配。
両国駅から50歩(足の短いTONは100歩)で国技館。を過ぎれば江戸博の裏手をかすめながら安田庭園の入口を右に曲がる。適当にカーブしている遊歩道が気持ちいい。
正面には東京慰霊堂を望む。
素敵な遊歩道としか見受けられません。
建物脇に展示されている鉄塊に気づきそれが何かを理解しなければ。
横浜の実家にいるとき、小学校時代にその存在を知って大人になったら絶対に行ってみたいと思いつつも横浜を離れる気持ちのなかったTONが東京住まいになるわ、住処が慰霊堂の至近距離という立地に住み着くのだから、どうしようもなく縁があったなだろうなと思うしか言いようがないよね。
浅草のそら 今日は二の酉
雷門前は人で混み合い。以前の様相を呈してきているけど。。。