表装依頼で巡礼軸を、よくお持ちいただく。
尋ねて来られるお客様も、せっかく巡礼いて集めてこられた御朱印を
なんとかしたのだけれど、どこに依頼すれば良いのか
皆目見当もつかず、床の間にたて掛けて置くにまかせざるをえなかった…
というのが正直なところのようで、
たまたま、当店の前を通りかかったら、店奥に架けてある観音軸に目が留まり
「もしかしたら…」と期待されて尋ねてこられるのだ。
というパターンが、圧倒的に多い。
実のところ、もともと写経用品も、巡礼用品も、
お客様への便宜から最小限度を展示していたのだ。
それが、
ある時期、テレビや新聞などの取材の連続で、
店側の意とせぬところで、需要が急激に拡大した。
(Boo店長も、ゴールデンタイムの番組に出演したことがあるのです。
受像機壊れなかっただろうか…)
そんなこんなで、図らずも、コーナーと商品点数の拡大をせざるを得なくなった
という裏話なのですが、が、しかし、一度廻りだした車輪は、
スパイラル的に拡大するようでして、
いつのまにか、少しばかり都内では優位な品揃えの店に成長させていただいた。
というのが、本音のところなのです。
こうして巡礼し、集印されたマクリ(表装前の状態のこと)をお預かりするたびに
実は、ブル!っとくる。
(「ブル!」なのに赤字の表記……?
というところが実はミソなのですが…)
ご理解いただけるでしょうか?
度々、神妙な気持ちにさせられる。
「巡拝軸」にしても、「集印帳」にしても、お客様は当店から
お買い求めされて、巡礼に出かけられます。
そして、何ヶ月かされて日焼けされた顔で再びご来店されます。
表装をご依頼される為です。
お預かりする「それ」は、
数ヶ月前の「それ」ではなくなっているということなのです。
すでに魂の入った、まさしく「御霊」そのものなのです。
もちろん、表装が済んでお寺で開眼されてようやくお御霊となるわけですが
預かるその時点でも、実は充分お御霊と感じられる次第なのです。
携わるものならきっと同じ感触を持つことでしょうが
僕は、受け取った瞬間、ズシ!
っと、その重みを感じます。
お買い上げいただいた数ヶ月前とは、
全く異なるものに化けている。
思いや祈りを質量であらわせるなら、
きっと僕には持てないくらいの重さなのでしょう。
だから一気に、巡礼されてきたお客様の心のレベルまで
グイっと持ち上げられるというのか、引き揚げられるのを感じる。
受け渡されるたびに、そんな畏怖心ともいえるものが
水面下でいつも波打っている。
それはまた、楽しみのひとつでもある訳です。