懐かしい本が出てきたよ.

事務室の書棚があふれかえって雪崩が起きている。
とにかく本が多いのだ。
もうあきまへん。

がさごそ片付け始めた。
書棚をひっくり返していると、
30年近く前に買った「性格推命術」という本が出てきた。

動物占いのようではあるけれど、もう少し詳しい。
一時は、あれやこれやせっせと友人のを調べたものだ。
いつか埃にまみれていた。
改めて見ると、今更ながらよくあたっている。

ちなみに僕は、「月から来た哀愁のうさぎ」という判断。

昔月に住んでいたウサギ。地球に馴染めずどことなく落ち着きがないのも憂愁の霧がかかって見えるのも遠い故郷を思うため。特異な勘と閃きを持ち独特の世界をつくり上げる跳ねるような行動力もありますがへつらったり妥協しないために、地球人に誤解されもする。お人好しで、短気衝動的で刹那的気まぐれ皮肉屋なのに合理的な理論家。いつも喧騒の中に出かけては孤独をかみしめ明日こそはと月に帰る日を夢見るロマンチスト・・・

要するに周りからは理解されにくい気まぐれ屋ということ。
糸が切れた凧とでも言うことだろう。
思い当たるふしはありありだ。

ついでに上さんは、「機織り牛」という。

おぼろ月夜の明かりに照らされて糸を紡ぎ、丹念に機を織っては倉にしまいこむ堅実な牛。よほど切羽詰らない限り、無謀な危険を冒したりはしない・・・

要するに粘り強く超堅実なのだ。

よくまあ!切れた糸を紡いでくれている。
水と油が一緒にいるものだ。

けれど、面白いことに実姉も、
昔お世話になった先輩も同じ「機織り牛」なのだ。
どうやら僕には、ブレーキ役、修復役が
必要ということなのだろうかな・・・

そんな目でみてみると
結構、補完関係にあったりするんじゃないのかな。

良く考えてみると

依頼されたものだけど
かわいい組み合わせと思う。

念珠のパーツってちょっと視点を変えてみると、
丸玉あり、みかん玉あり、平玉あり、そろばん玉あり、露玉あり、
ボサ玉あり・・・
ありとあらゆる玉が用意されている。

彫り玉にも骸骨、蓮、羅漢、七福神、ハート型、切子・・・
とこれもまた様々ある。

コレを組み合わせていけば、どれほどのバリエーションになるだろう。
念珠のパーツだから、念珠や腕輪に仕立てないといけない
と言うわけではないのだから、

心惹くものを制作するのに不足はないなあ。

自転車でこける

いつものママチャリで出かけようとした。

当店の敷地と道路の間には10cm程の段差がある。
いつもスロープにしてあげないと車椅子の人には
大変だなあと思いながら今だ実現できないでいる。

自転車を押して道路に降ろし、さっそうと走り出そうとしたのだが、
段の下に足をついたとたん、ガクッとコブラ返しのように
足がひっくり返ってしまった。

当然ながら、「あ!」という声と共に、
自転車もろともなだれ込むようにこけた。

たいしたことではなかったのだが、
看板がちょうど立っていて、
挟まれるような格好となり起き上がれなくなった。

「大丈夫!?」「大丈夫ですか?」
ぼくよりはるかに年上の方も含めて3~4人が駆け寄ってくれた。

赤面しながら、「ありがとうございます。大丈夫です」
と、声に出して謝辞を述べたが、店先であり、
おまけに得意とするチャリンコで・・・

恥ずかしい・・・。

けれど、同時に、
「まんざらでもないな」

心が温かかくなったのも確かだった。

ふくまる旅館も総動員?!

「西田がいるー」
若い女の子の通りすがりの一言。
ん?と振り返ると、

良く見た顔がいる。


え、まさかね。

いつも菊花展と合わせて開く野点のような茶店。
今年は、ふくまる旅館になってる。
何でも動員されちゃうんだね。

浅草寺で観音霊場の出開帳があると聞いたのが遅かったためとっくに跡形もなかったが
人の出の多さには辟易するほどの状態だった。

人の出には特に外人の多さが目に付く。
バックパッカーの中高年もはとバスの観光客も
とにかく、人種の坩堝(るつぼ)と化していた。

人に支えられるということ。
二人の人の支えあう姿を意味するところの「人」という漢字。

そうね・・・

どういう形で支えれれるかはいろいろとあるけれど、
とどのつまりは、一人では生きていけないということは確かなことと思う。

継続するには、何らかの形で対象が必要である。
この仕事を続けてこれたのも、やはり「人」。
お客様であり、スタッフであり、外部の職人であり、また仕入先であり、
どれ一つ欠けても、続くものではなかったろう。

今日は楽しいゲストが訪ねてくださった。
団塊の兄さん姉さんになるのだろうか。

それぞれ社会的にもしっかりした地位を築かれた方々だろうと察する。
巡礼をなさるための不足品を求めにいらしたのだ。
曹洞宗の信仰を持たれる正法眼蔵の何々の章の何々などと
ずいぶん専門的な話をしている。ずいぶん勉強されているなあ・・・

それもそのはずで、よく聞くと全員得度を受けている熱心な仏教徒であった。
菩薩戒の授与証書を見せてくださるのを契機に話の花が咲いた。

「僕はね、最近聖書を読んで旧約聖書のあれなんだったかなあ・・・
友人の一人のk氏が話す。
主人公がサタンとかいう悪魔からいろんな試練をうけるんだよね・・・神様から・・・」
表題が思い出せないようで「あれ・・・」が解決できないでおられる。
思い出せないというのは、いやなものである。
記憶喪失をしょっちゅう起こす僕にはよくわかる。

話の筋を聞いていて、大学時代に読んだ「ヨブ記」を思い出し、
ふと口をついて出た。
「あ!それそれ」
とたんにパッと顔が明るくなり声に力が入った。

「店長勉強してるねえ」
そんな大それたものではないんだけど・・・
心で恥じた。

それを読んだ時、吉川英二の宮本武蔵と第九を思い出したのだと教えてくれた。
いささか、不思議な組み合わせだが、不思議とよく理解できた。
お返しに僕は三浦綾子の「氷点」がヨブ記を読むことで理解できたと答えると
なるほどと感心してくれた。
k氏はこうしてお話しすると益が多いねえと縁の大事さを口にされた。
ぼくも同じく思った。

同時にこの年齢の方々が、若造の話をこう素直に受け止めてくれることには
いささか驚いた。僕も同じような年齢に達したとき、同じように感動できる
自分でいられるだろうか・・・
思わずにはいられなかった。

ついつい長話となり店に足を止めさせてしまった。

もと特攻隊のM氏

現役自衛隊のS氏

チベット仏教の行者のM氏と次々に今日はお逢いできて、
頭の枠が10倍にも100倍にも広げられた感がする。

ラベンダー翡翠

ラベンダー翡翠のいい玉と出合えた。
6mm強の大きさで少々小さいけれどしっかりとしたラベンダー色が出ている。
クラック(ヒビ)もなくすっきりしている。

参考までに本翡翠の緑色のものと
ラベンダー水晶(紫水晶の一種)を並べてみました。
(左が水晶・右が本(ビルマ)翡翠・奥がラベンダー翡翠)

濃いでしょう。