人に支えられるということ。
二人の人の支えあう姿を意味するところの「人」という漢字。

そうね・・・

どういう形で支えれれるかはいろいろとあるけれど、
とどのつまりは、一人では生きていけないということは確かなことと思う。

継続するには、何らかの形で対象が必要である。
この仕事を続けてこれたのも、やはり「人」。
お客様であり、スタッフであり、外部の職人であり、また仕入先であり、
どれ一つ欠けても、続くものではなかったろう。

今日は楽しいゲストが訪ねてくださった。
団塊の兄さん姉さんになるのだろうか。

それぞれ社会的にもしっかりした地位を築かれた方々だろうと察する。
巡礼をなさるための不足品を求めにいらしたのだ。
曹洞宗の信仰を持たれる正法眼蔵の何々の章の何々などと
ずいぶん専門的な話をしている。ずいぶん勉強されているなあ・・・

それもそのはずで、よく聞くと全員得度を受けている熱心な仏教徒であった。
菩薩戒の授与証書を見せてくださるのを契機に話の花が咲いた。

「僕はね、最近聖書を読んで旧約聖書のあれなんだったかなあ・・・
友人の一人のk氏が話す。
主人公がサタンとかいう悪魔からいろんな試練をうけるんだよね・・・神様から・・・」
表題が思い出せないようで「あれ・・・」が解決できないでおられる。
思い出せないというのは、いやなものである。
記憶喪失をしょっちゅう起こす僕にはよくわかる。

話の筋を聞いていて、大学時代に読んだ「ヨブ記」を思い出し、
ふと口をついて出た。
「あ!それそれ」
とたんにパッと顔が明るくなり声に力が入った。

「店長勉強してるねえ」
そんな大それたものではないんだけど・・・
心で恥じた。

それを読んだ時、吉川英二の宮本武蔵と第九を思い出したのだと教えてくれた。
いささか、不思議な組み合わせだが、不思議とよく理解できた。
お返しに僕は三浦綾子の「氷点」がヨブ記を読むことで理解できたと答えると
なるほどと感心してくれた。
k氏はこうしてお話しすると益が多いねえと縁の大事さを口にされた。
ぼくも同じく思った。

同時にこの年齢の方々が、若造の話をこう素直に受け止めてくれることには
いささか驚いた。僕も同じような年齢に達したとき、同じように感動できる
自分でいられるだろうか・・・
思わずにはいられなかった。

ついつい長話となり店に足を止めさせてしまった。

もと特攻隊のM氏

現役自衛隊のS氏

チベット仏教の行者のM氏と次々に今日はお逢いできて、
頭の枠が10倍にも100倍にも広げられた感がする。

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