塩素の匂い

あまりに排水口が臭うのでTONは掃除中です。

この暑さで地下の浄化槽がアップアップなのかな・・・とにかく人でも沈んでいるんじゃないかと思ううほどの臭さに、不本意ながら塩素系の洗剤を流し込んでみた。

しばらくすると、独特の匂いが立ち込めてくる。

ふと妄想の世界に迷い込む・・・・。

子供の頃、夏になると何度通ったことだろう。
たいして泳げもしないのに水場が好きで、市民プールは芋洗いの状態だった。

最近は若者の海やプールからの疎遠が叫ばれているが、僕らの夏のイメージは小麦色の濃さで遊びの優劣を競ったものだ。
カナヅチではないが、足の届かないプールには極力入らない。

それでも男一番勝負の時もある。

エイと豪快に頭から飛び込む(飛び込みはうまいと家族からは褒めらていた)。
ドボンと勢いよく水に入るが、そもそも足が届かない。

慌てるがもう入っちゃった。前に進むしかないじゃん。
しかしどっちが陸かわからない。

目を開けようとすると、くそーー。
おまけに誰かがバシャバシャ水をかける。

焦る・・・
しこたま水を飲む。

プ~~~~~ン。

塩素の匂いが鼻を突く。

もうだめ。と思うとプールの端に手が届いていた。

ぐるっとブーメランのように引き返していたんだ。

塩素の匂いは、TONの溺れかけた思い出と重なった。

川島由美さんのコンサートへ

上野大仏前でコンサートをやります。

とお誘いの手紙を頂いたのが何週間か前のこと。
上野大仏前。パゴダのお山というより、最近は合格大仏というほうが存在感がメキメキ顕れてきているあの上野大仏のこと。

その広場を使ってのコンサートと聞いたのでした。

仲良くしてくださっている堂守りのSさんからもお誘いをいただき、これは何としても行かずばなるまいと・・・じつはギリギリまで迷っていたわけでありまして・・・
だって今日はお盆の最終日ですからね。

5時からの開演ということなのに4時45分まで店の仕事に張り付いていたわけです。

自転車を駆って飛び出しました。

脇目も振らず、ただただ上野のお山ぁぁぁ。。。。

経年・・・・

年数は失念しましたが、以前に求めていただいた白檀の護り仏。
お直しで持ち込まれました。

直ぐにお直ししてお渡ししますので時間つぶしをしてもらいました。

白檀の玉は黒光りするほどですが、肌に触れる面積の率が大きいのに、そのものの体積が小さいので、乾湿がネック。いくつか玉に割れが見えました。

白檀のプレートは汗を吸ってあと乾燥するその繰り返しに強いみたいで、色の変化はあってもしっかりしていました。

こちらは正絹の頭房。
初めはグレーかしらと勘違いする。
よく見ると・・・あ!そうか! ナイルブルーと判明。

ここまで変化しちゃうんですよね。

その経年変化が心の変化なのですよね・・・・

プール付き仏壇店。。。(^O^)

あまりに暑いから、小さなガラス皿で泳がせておいた浮きローソクが溶け始めてしまいました。

水が完璧にお湯になていました。

ならば大きい容量に変えようか・・・
道行く人の遊び場を兼ねて、プールを出してみました。

さっそくお子様のご来店です。

どうせなら・・・
金魚すくいでもやりたくなってきました。

自然力

店前のプランターにモンシロチョウが舞ってました。

どこで卵からかえったのだろう・・・

どこで青虫時代を過ごせたのだろう・・・

時々はアオスジアゲハも飛んでいることがある。

水をまいているとシオカラトンボも敷石の隅のわずかな水たまりにツンツンとお尻をついていく。
おいおいそんなところに卵を産み落としても、子供たちが苦労するよ。

そんな光景も展開する。自然の力ってすごいものだ・・・といつも思う。

都会といっても、膨大な地球という大自然の地殻のわずか部分をお借りして、動物たちの骨が変成した石灰石から作るセメントや白亜紀の植物たちの変質した油から取ったアスファルトやなにやらかにやらで作ったわずかばかりの人工物なのだもの。ほんの僅かな空間なのだ。

大自然の前に畏怖する心を常に胸のここに保ちたいものだ・・・

東照宮

徳川家康公が元和二年(1616)に没して、今年でちょうど400年という年回りにあることをご存知だろうか。

関ヶ原から16年、戦国の慶長から元和へ時代は平和になったことを宣布され、家康公は二年後に亡くなられた。
その没後400年という年を記念して各地でさまざまな催事が催されているわけで、身近でも江戸東京博物館でも関ヶ原展と銘打って行われている。

友人に東武でこんな企画しているよと教えられたのが、昨日。

御朱印ブームに乗っかって?東武鉄道沿線の各所にある東照宮(本家本元は日光だが)を巡ってくるというもの。

御朱印帳は特別なもので、その朱印帳でないと頂けない朱印がある。
早速、浅草駅に飛んだ。

友人から言われた二階の売店に行くと一階だと案内され、一階に行くと置いてないとすげない返事、それを見かねた駅務の女性が反対側じゃないかと別の売り場を案内し、行ってみるとここではないとまたまた言われ、結局、出口近くに目的のものとようーーーーーーーーーーーーーーーーやくにして出会うことが叶った。

「やってますよ~」と幟旗を出すでもなく、みなさんの意識にないとは・・・。
売店先に積んどくだけということではね。どこまで東武さん本気なの?と少々TON自身の毒気を抜かれた感じ。
けれどこれも神事なのだろう・・・。

で、やっと手にしたのがこちら。

カワイイ柄です。
スペーシアの日光詣出号もちゃんと入っている。

そして、今朝早速、浅草神社に詣でさせていただいた次第です。

とても日光まで行く時間はないけどね・・・

何ヶ月ぶりだろうか、春の梅の時期以来になっていた靖国神社に昇殿参拝に今日は無事行くことに成功。

成功?その言葉通りあらゆる条件をクリアしなくては出かけられない今だからこそ、また喜びもひとしおなのであるが・・・。

英霊に会いにいく以上気軽な格好では行くことはできない。
いつも額に汗をかきかき、九段の坂を重装備して登っていくのだ。

月初から雨でいやだーとの声もあるようだが、おかげで若干涼しいし、湿度の高さを我慢すればこんなに快適な参拝日はなかなかない。
雨に濡れた本殿も苔むした植え込みもオツに見える。

参集殿にはウィークデイということもあってかざわついた空気は流れていなかったが、それでも茨城県鉾田の遺族会のお年寄りの団体さんで活気はあった。

参拝の順番を待ちながらその顔顔を知らず知らず見ていたが、お年寄りと言っても7~80歳というところだろうか。戦中は幼い子供時代の方々ということか・・・

参拝を始めた頃は、まだまだ弾丸飛び交う中を行きて戻られた戦友会の方々の姿をよく見たものだけど、最近はよほどの時にしか同席することができなくなった。

時の流れとはいえ、当時を生きた証人の生の声がどんどん遠くなっている。時代の変わり目に焦る気持ちが湧いてくる。

参拝後、今日のお目当ての一つでもある大東戦争70年展の最終章を拝見しに遊就館に足を運ぶ。

じっくり見すぎて、時間がなくなり昼食も抜いた。海軍カレー食べ損ねた。

時代が変わるということか

30年以上こういう仕事をしていると色々なお客様の意見を聞くことができて、思わず苦笑せざるを得なくなることも、それ以上に文化の危機を感じることもある。

仏壇を収めさせて頂く時には、その家にとっては大変喜ばしいことなのだ。
なぜなら、先祖をお祭りできる家が入ることなのだから。ご先祖様のおうちを建てれることが喜びなのだ。

これはセールストークでも何でもない。いかに仏壇を買ってもらおうかと先祖の名を借りて商売をしようとしての言葉ではない。
TONがこの仕事を初めて10年くらいの間にお客様から教えていただいた言葉なのだ。

10年くらいというのはえらく限定しているけど・・・と思うだろうがめっきり減ってきてしまったということなのである。まだお年寄りが(といっても戦前生まれのお年より)一家のうちにいらっしゃって、信心のないTONにでもわかりやすく噛んで含ませていただくように教えていただいたものだ。
そういうお年寄りのおうちに伺うと決まってお赤飯が炊かれていた。
おめでたいことなのだから・・・。

時が移ると徐々にめでたいことという感触から離れていった。

実用的ということがあきらかに優先となってきた気がする。
それは肌で感じることで、必要に迫られてということが購入動機の割合が多くなったことにもよるのかもしれないが、赤飯で迎えられることは皆無になった。

仏壇屋が家具屋になるのも日を待たないのではないかと思わされている・・・。

少し前にある方からお叱りをいただいた。
火がぼーぼー出て蝋がダラダラ垂れる。すすがめちゃくちゃ出る。

本和ろうそくをお買い求めいただいたからお小言を頂戴した。
洋ローソクがあたりまえの時代にあって、和ローソクの燃え方はとてつもなく火が大きい。

実は洋ローソクとて、もともと火が小さいわけなのではない。
芯の寸法を抑えることで出さないようにしているのだ。

と、いうことで快く引き取らせていただいた。

この燃え方にf分の一ゆらぎが隠されていて、人の心のストレスを癒してくれるのだということを理解していただいている方でないと使えないものなのだろうか・・・今は。

と考えてしまうTONなのである。

いいねぇ。。。和ろうそくの火は・・・・・