TON観音さま

少し以前から気付いてくれる方は気付かれたと思うけれど、TONちゃんの自画像がTONちゃん日記へのリンク画になっています。

上さんの実家(田舎というと怒るので)が長く養豚業をやっていた影響ですこぶるのつくぶた好きになったTONでありますもので・・・

と、同時に豚の足先、二股に分かれるブタの蹄のように、いつか二足のわらじになろうという気持ちと、これまたいつかは仏陀=ぶった=ぶた=TONにぴったりじゃん。

と、いうところから、いつかは観音さまのようでありたいとの願望もあってブータ観音様をTONの自画像としたいな~となったしだいなのでございます。。。。

ある日、お付き合いさせていただいている、上野のSさんと店で雑談しました。
そのうちに・・・・

「じゃ、頼んであげるよ」と軽く引き受けてくれたのでありました。
しかもひろみさんは仏像大好き人間だから。とはSさんの常日頃の口癖。

彼女のイラストはいつも目にしていたから、まさかね。。。と思うのが半分。そのうちにホイと持ってこられたのです。ホイっと。。。

見ると塗り絵用の線画でありました。

じゃ色をつけないと・・・と、なれないイラストレーターで色を落とし完成したのが、今の「TONちゃん日記」の表紙になっているブーちゃんです。

ある日、これまたその画像がSさんの目にとまり、

「店長こりゃないよ」

と、人の苦労も露知らずけなされて、「色塗ってもらうか」・・・としばし考え

数日後・・・

しっかり塗り絵してきてくださったのであります。

それがこちらでございまする。

仏像大好きのイラストレーターの田中ひろみさんが描いてくれた。
わ~~~い。

プロの手になる色づかいもさることながら、頭にちゃんと化仏(観音様の証です)が乗っかっているではありませんか~~(あの番組の調子で)

とすると今までの表紙のブータは観音様になろうとしてがんばっているTONちゃんそのものでありますな。
と自分なりに納得した次第なのであります。

さ、いつになったらブータ観音様に表紙は差し替えられるでしょう・・・・ね。

やっと5月

ようやく五月らしい気候に戻ったのではないだろうか。

こんな日は歩くに限る。

川向うの行きつけのメガネ店まで歩くことにした。
まあ、ご褒美なのか、タワーのすっきりした光景に出くわす。

片道1.5kmくらいはるのかな。
けど今は自転車には乗る気がしない。
だって・・・
今見ても痛いもの。

まず一本

怪我後の初仕立て。

が、TON創作のお守り念珠でした。

指のセンサーが過度に敏感になっているので、水道の水が針のチクチクに感じる有様で、そんな狂った指で正絹紐を触っても、荒縄で擦られている感覚で痛いのなんのって・・・

指も思うように使えないし・・・

でも・・・創っていられるのって一番だね。

ともよ遠方よりきたる

ブログ上に自転車でこけたお話を書き込んだために思いもかけない方々のご訪問をいただいた。

講義していた担当の大学の授業を早々に切り上げてお見舞いに来てくださったN氏。
情報分析の結果、フランケンシュタインのような状態になっていたかと思っていたけど意外に元気なので安心したたとおっしゃって帰えられた。

田無から顔を見に来てくれたM女史。
同じく包帯でぐるぐる巻きになっていたかとおもっていたらしい・・・

フェースブックやメールでも頂戴してやはり大同小異の状態に想像の産物と化していたようであった。

電信情報社会はありがたい一面と、書き方一つで想像の翼を広がりすぎることをも可能にしてしまう怖さを(この場合は申し訳なさを・・・)感じた。

ま。たしかにね。。。

ここ最近の記事を読み返してみるとね。
事故ったあとの、顔面制動した歯抜けの画像を出しておけばよかったのよ。とは、上さんの弁だが、まぁ・・・百聞はなんとやらというのだから・・・

でも、そらぁ・・・いくらなんでも・・・

まして心の傷は映し出せないもん。

有るはないの実地。。。

「いつも有るはいつもない」を書いたのが先週の土曜日。

あって当然と考えることは人の傲慢だと自分なりの感じ方を書いたのだが、その夕刻早速といってよいのか、身を持って経験しなさいとの仏の勧めなのか、最近手に入れたばかりのミニベロに乗ってさっそうと近くまで所要を足しに出かける途中、早速、体を張って実証してしまった。

手に入れた時、自転車はやたらと重心が前にあるすこぶる乗りにくい代物だった。
出かける前に調整が必要だなぁと感じながらも、用を足すのはすぐ近くだからと工具を手にする億劫さを優先してそのまま未調整の自転車で出かけた。
で、前転半回転を演じてしまったのだ。

重心が前よりすぎの自転車は下り坂に弱い。
まして小さな車輪となれば・・・前転の危険はつきものと理解していたのに。。。

歩道から車道へ出たところに人を避けようとした。。。ところまでは覚えているのだが、あっという間に地面に顔面制動していた。

人がTONの横を避けてすり抜けているのを感じつつも気丈に起き上がり・・・実際は、手は痺れ、足はモツれ、声も発せられなかった。
転がっていた折れた前歯を拾い自転車を引きずるって歩道までたどり着くのがいかばかり長かったことか・・・

両手とも針で刺されるような痛み、滴り落ちる血をハンカチで抑えうずくまるしかなかった。

体の痛みもさる事ながら、見知らぬおっさんとは言えべしゃんとカエルのように車道の真ん中で潰れているおじさんを避けて通っていったアベックがいたことに・・・おじさんは心が痛んだ。

以前見たテレビの番組でどこかの国で交通事故でうずくまる人をなにも手助けしないで行き交う人のモラルの低さを嘆く番組があったが、どこか似ているな。この光景・・・。

なんで転がったんだろう・・・
なんで自転車なんてほっぽり出して逃げなかったんだろう・・・
そもそもなんであの道通ったんだろう・・・

とぐるぐる頭の中を駆け巡る。

若けりゃ、ひょいと後ろに飛んで転がるなんて考えられないのに・・・

ん?

有るはないって書いたばかりじゃん・・・

痺れる指でキーボードを打ち込みながら、ハタと感じたTONであった。。。

ちょっと早いですけど。。。

ちょっと早いですけど・・・

このTONちゃん日記、600万人目の閲覧も時間の問題となりました。

多い時で一日4000人少ない時でも1000人前後のご来店をいただいていつのまにか丸九年。

CGIで自作していた以前の日記も含めると、とうに大台は突破してしまいます。

これもご愛読の皆様のお陰様。と平身低頭感謝申し上げます。

本にしたら良いのにとのアドバイスもありますが、好き勝手なことを書き散らしているのでなんだかね・・・

心の変化、自分の年齢の変化に環境の変化に伴う?興味の対象の微妙な違い。
はおもしろいなぁと読み返してみて思います。

ただ、「浅草のそら」は定点観測としてはもうすぐ10年。

一時は気圧計も導入したりもしましたが、気圧計が故障(電池切れなのですが)してからは映像だけに逆戻り。

10年続ければ、これっていい資料だよなとひそかに思ってます。

東北大震災の3.11の朝も変わらず記録していますからね。

流行歌を聞くと当時の思いや風景が脳内に再現されると言いますが、TONにとってはそれに近い大事な思い出の栞になりつつあります。

まだまだ書きたいことは山ほどありますが、おいおいと書いていきたいなと思っています。

これからもTONちゃん日記、お付き合いの程をよろしくお願いしまーーーす。

600万回を踏んだ人ご連絡いただきたいなぁ・・・などと・・・

走り禅

毎朝ここのところさぼらずに走っている。
さぼるといえば聞こえが悪いが、ヘルニアと古い?腰の骨の一部の骨折もちゆえに、気をつけながら・・・というのがより現状に即した表現ではないかと思う。
2009年の1月からだから9年続いていることになる。

東京なんやらとか、手賀沼なんやらだとか大会に出ようと思って走っているわけではないのでタイムを考えたことはない。
いや、ないというと嘘になる。

走り始めたころは、何キロを何分何秒と記録していたのだから。
6kmを25分で走ったのが最短で、30~35分でコンスタントに雨がふろうが、雪がふろうが一ヶ月休まず走っていた。月平均180kmのペースで走っていた。

初心者がそんな走り方をすれば悲鳴が上がるのも時間の問題。
案の定半年で、腰に来た。
そこではじめて病院でヘルニアと骨折が見つかったわけだ。

ランナーズハイというのも経験してしまうとそう言われても休めない。

10日もおとなしくして腰の痛みが引くと早速飛びだした。

腰にガードルを巻いたまま。

腰をかばうと、膝に来た。右膝に来て、左ひざに移って、また右に来て腰に来て・・・

と、こんな堂々巡りしているうちに、なんで走っているんだろうと考えてしまいだした。

・・・・・・

日が昇る暗闇の中、ひたひた自分の足音に呼応するように、脳波もひたひたS波を奏でる。
その波の中に時々ポン!とイメージがわくのだ。
なにやら考えようとしていても考えつかないイメージばかりなのだ。

書き留めておけば良いのだが、足を止めることができない(今は簡単に止めちゃうけど)。だからどんどん垂れ流しだった。その中でも二三のイメージだけはなんとか持ち帰る。

天台宗の十二年籠山行を満行された師と長く親しくさせていただていたが、行の最中のイメージをよく話してくださった。ふと思い出してなんだかよく似ていることに気がついた。
とても比較できるものではないけれどね・・・

そう・・・走ることで自分の中に何かを感得させてくれているんだなと思い当たったTONなのだ。。。

そうかぁ・・・自分にとって行みたいなものね。。。

どうりで走破後の締めは駒形堂で馬頭観音様へのお参りなのだから。

あけましておめでとう・・・・

「あけましておめでとうございます」

の春節の日。が今日。

きっと横浜の中華街(僕の意識はいつまでも南京町なのだが)は、爆竹が鳴り響いて賑やかなのだろう。帰りたいな・・・

春節という単語。
数年前までは話題に上らなかったのに(話題になっても広まらなかったし)経済が伴うとあっちでも、こっちでも春節、春節で騒ぎ始めるマスコミ。中国からの観光客が押し寄せる観光地、爆買いのさま・・・

2月といえば、商売では落ち込む月なのだが、旧暦の新年を祝うこの日を取り入れることでバレンタインどころではなく、とてつもなく大きな経済効果が見込まれる。
となると、見逃すはずはないか・・・・

でも日本とて、明治に太陽暦が導入されるまで陰暦がもちいられていたわけで、決して異文化なわけではない。

むしろ日本の五節句にしても、和歌の世界でも、文化の根底にはお月様の満ち引きが大きく関わる旧暦のほうが納得できる。

梅雨のさなかの七夕まつりでひこ星と織姫はどれだけ涙を流してきただろう。桃の節句と言いながらまだまだ桃の花は咲いていない・・・

ひょんなことから日本人の旧暦への気づきが生まれると楽しいと思うのだが・・・・

何処にも青春有り

おはようございます。

朝、NHKのカラーアーカイブスの放送を見ていて出遅れてしまいました。ハハ(ノ∀`)

モノクロフィルムをカラー化するなんて大した技術だね。。。と思う気持ちと
暗黒の時代なんて言っても、ちゃんと色はあったじゃないのという思いの交錯が実感。

昭和一桁の先輩たちは、生まれながらに戦雲の時代を生き青年期は戦後のドサクサを掻い潜るそんな時代にあった。そんな青春の中にいたんだなと亡くなったおふくろのことを思い出した。

母ははキラキラとした青春なんてなかったと口癖のように言っていた。
でもねよくよく聞き出すと、軍需工場の非番の時は、集団デートして奥多摩に行ったり、浅草を遊んだりと、私よりよほど東京の繁華街を知っている。
それなりにその時代の中で煌めいていたんだよなぁ。

いついかなる時代でも、心を失わなければ青春の中にいる。煌く青春の。

さて、今日も頑張らなくちゃ。

こんなところに・・・

昨年の暮れに入庫はしたものの、見本分しか入らなかったニャンコ達。

どこに行ってしまったかと思っていたら・・・・

さすが猫は自由人(?)です。

お店のそこかしこ、こんなところでゆったりしていましたよ。