今日は成人式なんだね・・・

テレビ報道を見ていて、昨日が成人式と思っていたのだが、どうやら地方地方によって、成人式は異なるようで、街には綺麗なおべべを着た成人ホヤホヤの若者たちの姿が目に入る。

ぼくの成人の頃は、式に対してちょっとけじめの色合いが強くて、式のお知らせが来た時から緊張しまくっていた。

そんな緊張感を携えて臨んだ記憶があったが今の青年たちはどうなのだろうか。
一度聞いてみたいものだ。

ただ・・・当時、つまり40年前の自分は、もうすでに働きながら大学に通っていたし、酒もタバコもぐいぐいやっていて、記憶を失うほど酩酊することもしばしばだったし、いっちょまえの顔をして土方のオヤジたちと渡り合わなければならない土木屋でいたわけで、しいてこれから大人の仲間入りだーー!という開放感や感激はなかった。

ただ、ひとりポツネンと式に参加した緊張感だけがどこかにあって、横浜の総合体育館の会場を出た時の開放感が、唯一、二十歳の印象だったような記憶が残る。

そのあと何をしたのかなぁ・・・・
なぁんにも記憶に残っていない・・・

ただ、式場への緊張感と開放感のみが刻まれているだけで、そういう意味では、けじめとも言えるこういう行事がそのときは分からずとも、のちのちになってじわじわと、五臓六腑にしみてくるのかもしれない。

切れない糸

「切れない糸ってないの」
とときどき要求されることがある。

しかしこのご要望は、「死なない体にしてください」と同じレベルのことをおっしゃっているのである。

かたちあるものは必ず消えていく。

諸行無常を教えてくれるのが仏教ではないのだろうか。

まして一番身近な法具といえばプロもアマも等しく仏教徒である以上必需品の念珠である。

法具には一つ一つ必ず意味があり、悟りに近づかせてくれるはずなのである。

そこには気づきが必要なのはもちろんだが、佛の教えを学ぶ思慮も必要だろう。

佛から頂く悟りへの法具であるを前提にしてもう一度見直す必要を感じる。

年末になるととくに門徒の方は子供の頃から仏壇の仏具を磨かされてきたのではないだろうか。
金ピカの色になるまで、ピカールかなにかの金属磨きでゴシゴシゴシゴシ・・・
「その汚れは心の垢だよ。ちゃんと磨きなさい」と。

煩悩を金属磨きで落とせるならこんな楽なことはないと思うが、方便なのだ。
法具を大事にする心、ご先祖様に綺麗なご物販で星させて頂く、掃除なんて嫌だと思う気持ちを押して忍耐の心を養わせる・・・etc・・・

でなければ作務という掃除、作業、etc・・・これはれっきとした行となる。つまり悟りへの第一歩となる。

ただし、そこに気づきがなければ、単なる掃除であり、いやな労働であるとしかうつらなくなる。

ひとつひとつのできごとには意味が有る。佛が何かを教えてくれているという前提で見直してみたいと自分も書きながら思い出した。

これも僕なりの気づきなのだろう・・・

桜より梅

ろうばい(蝋梅)が例年より2週間ほど早く咲きだしたと朝のニュースで流れていた。

大雪を降らせるこんな寒気の厳しい中で、実に可憐な黄色い妖精のような花がポット枯れ枝に色を落とす。

人々の目を楽しませ、明日への希望すら勧めてくれる。

日本といえば桜の国だ。

様々なところに桜はなくてならない。
桜の花が田植え時期を教える指標になることで桜木
桜餅、桜湯、

ぱっと咲いてぱっと散っていくその姿、潔さは日本人の生き方にまで影響してきた。
侍の家ではそのぱっと散るがあだとなり、家の衰退を嫌い家紋として用いられることは少なかったようだが・・・

そういえば合格通知は桜咲く。だったね・・・

桜も日本の真心として海を渡る。
ワシントンのポトマック川縁に咲く桜は東京市長の尾崎行雄が寄贈したものだがハナミズキが返礼として日本に送られてきた日米友好の証でもある。

靖国神社の標準木のソメイヨシノが咲く時をもって東京の開花宣言になり、待ってましたとばかりに桜の名所はゴミの山・・・おっとっと・・・人の歓楽の地へと変貌していく。

TONも以前はその一人でなかったとは言えず、饗宴の輪の中で楽しくリードして過ごさなかったとは口が避けても言えない一人であることは、カミングアウトしておかないといけないのだが・・・

桜の花を見ると、日本人のDNAがわさわさ動き出すのは止められないのだが、

桜の名所に住んでいるゆえに人的公害に悩まされるということ無きにしも非ず。けれど、おかげでここ浅草が潤うということで享受しているということもおろそかにはできない。

桜が日本人と切っても切れない深い仲ということを書いたのだが、好き嫌いで言うならば、最近のTONは、寒さを意とせぬ梅に軍配を上げてしまう。
なんとも心が動かされる。

清楚さ、可憐さの立ち姿なれど、梅林などに観るように、多く集まった時の見事さは息を呑む美しさにみちる。

隅田川沿いの梅たちも蕾を膨らまして準備をしているのだろうな・・・

初夢

最近は空を飛んでる夢を見ないなぁと嘆いていたら、昨夜おかげさまで飛びました。(^O^)

別に嘆くほどのこともないのだけどね・・・

夢の中の体はなぜこうも軽いのだろう。
そのことのほうがお・ど・ろ・き。

知り合いのお坊さんの師匠のお葬式のお手伝いをしているというシチュエーションもなにやら自分らしいのだけど、そこには古い知り合いがゴロゴロしていました。
夢だから自分勝手にできているといえばできているのです。

そのうち舞い上がってしまうのですが。

ん?いっしょにあっちに行ってしまうってこと?

いやいや、元旦に脚下照顧を感じたばかりのTON。

これは昇龍(のぼりりゅう)ということでしょうと完全に徹頭徹尾、思い込むことにした次第です。TONは思い込みは強いからね。

あ!春から縁起がいいわい。。。

新年は死んだ人を偲ぶためにある・・・・

今日お世話になった方から年賀状をいただいた。
その文面に、中桐雅夫の詩の一節が書かれていた。

「新年は死んだ人を偲ぶためにある・・・・
・・・・己が生き残っているのはなぜか問うためにある」

胸に響いた。

数年前まで東京周辺でなにかと話題になったことで、正月の墓参りがブームだということがある。覚えていらっしゃる方もおられるだろう。

TONも昨年の暮れにちょうどそんなことを思い出していたのだ。

最近お正月に墓参りするという声が減ったなぁ・・・あのブームはなんだったのかな・・・
と。

そこで、関西から来てくれる営業マンに何人か尋ねた。関西では当たり前のこととして、新年になればご先祖に挨拶に行きますよ。と、こともなげに答えるのが常だった。

一休禅師の歌には

「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」

とある。(一節には一休さんの歌に見当たらないという説もあるようだが)

正月早々何を縁起でもないと思われるかもしれないが、脚下照顧、自分というものを改めて見直す機会として与えられているのですよと読み解けば良いのだと思うTONなのであります。

神社仏閣に寒い中足を運んだり、手も足先も凍りそうな夜明け前に出かけてご来光を仰ごうとする精神構造は、日本人のDNAにしっかり組み込まれた己を振り返ようとする向上心の姿なのではないのだろうかと思わずにいられないのだ。

「きのうはあすに」 

新年は、死んだ人をしのぶためにある。

心の優しいものが先に死ぬのはなぜか、

おのれだけが生き残っているのはなぜかと問うためだ。

でなければ、どうして朝から酒を飲んでいられる?

人をしのんでいると、独り言が独り言でなくなる。

きょうはきのうに、きのうはあすになる。

どんな小さなものでも、眼の前のものを愛したくなる。

でなければ、どうしてこの一年を生きていける?

         中桐雅夫詩集「会社の人事」より    

1年の計というけれど・・・

昨日元旦はとにかく懐かしいお客様のオンパレードだった。

元旦の夢で懐かしい友の面影と出会ったことが今年の方向性を決める正月のモードとなっているようだし、今一度お店を始めるに至ったころのことを反芻してみる機会なのだと思っている。

ご来店くださったお客様の口から出る共通ワードが

「TONちゃん日記を読んでますよ」

だった。日々の思いつきを書き連ねただけなのだが、読み返してみるとまさに日記だなぁと実感させられる。

同時に、最近は手を抜いているなあとの自戒の念も。

このTONちゃん日記を慣れないcgiを駆使して2004年4月に始めて二年ちょっと、当時で始めたブログ形式に改めたのが2006年5月から・・・・だ・か・ら、今年で11年間続いていることになる。11年かぁ・・・・

二十歳を越える息子たちも年長さんから小学生の頃だったんだもの。

ブログの名称も一般名詞化していなかった頃で名称もウェブログだったし・・・

「浅草のそら」のお題も、2007年6月からだからこの6月で丸8年ということになる。

へ~~。

そしてブログに改めてからの訪問いただいたお客様が583万1649人いらしてくださっているということ。

何ともありがたいな・・・素朴な喜びがある。

サンタはだあれ・・・

クリスマスがくると決まって思い出すことがある。

次男は苦い顔をするだろうからあまり口に出さないが、彼は小学校高学年までサンタクロースを信じていた。

ある年のクリスマス。

吊り下げていた靴下をみるとに何やら入っていることに気がついた。

靴下の外から触るとガサガサ音がするから手紙のようだ。

そーーっと靴下から抜いてみた。案の定小さな手紙だった。

開いてみた。

「サンタさんへ」で始まる文章は、いつもご苦労様と気遣いの文章から始まっていた。世界中の子供たちのところに行って大変ですね・・・・と。
そして最後に当時流行っていたテレビゲームが欲しいと締めくくっていた。

手紙を開けた親のほうが胸が熱くなって、これならサンタクロースも癒されるに違いないと思いつつ元に戻した。

彼の希望した品物とは違うプレゼントであったけど枕元に何やら置いた記憶がある。

この日は子供という姿でサンタクロースは僕のもとに訪れてくれた。

もちろん、そのサンタへの手紙も僕たちへのプレゼントと信じ、大切に引き出しの奥に保存している・・・。

人の円(縁)ということ

今年卒寿になるお得意様が杖をつきながら訪ねてくださった。

「もう来年はこれなくなるから」との弁に、一抹の寂しさもあったけど、今までありがとうございましたという思いも同時に湧いた。

もう30年近くなりますね。お付き合いさせていただいてから。

やることなすことすべてプラスになる。そんな福の神みたいな事業家。
だが利益を中心に事業を進めたことはない。

だいだらぼっちが歩くところには、緑の種が巻かれるというけれど、まさしくその如く人生を歩めれた。

「事業は社会還元のため」
「自分の利益を考えない」
「適正利潤、適正価格」

彼の口癖で僕の心に刷り込んでくれた。

若き頃、新聞に載った記事を「あんたにあげる」と渡された。
若き青年実業家の彼の顔がうつり、事業は世のためとその事業精神を語っておられた。
それがあって今があると無言で伝えてくれたものと信じている。

米寿になった奥様が最近入院され顔をげっそり痩せられた。

「神仏に祈っても自分のことは祈らない」そんな彼が、
でも女房のことだけはねーーとぽそっと言われた一言は、くっと胸に突き刺さった。

また来年も会いましょう。。。よ。

清水谷師の葬儀

今日は午前中、伝法院にて11月に御遷化された浅草寺貫主のお葬儀に参列させていただいた。

ほんとうに寒かった。けれど天気には恵まれた。

いつも明るく受け止めてくださった清水谷孝尚師らしさを肌で感じさせていただいた。

お頼みごとは最善を尽くしてお受けしてくださって、こちらが恐縮するような結果をいつも残してくださった。

ご生家にあたる長野の常楽寺にも何度か足を運ばせていただき、今は天台座主となられていらっしゃるお兄さまである半田孝淳師とも親しくさせていただいたのはいい思い出である。

今日は店を開けられる時間の全くない中だったゆえに、記帳するにとどめて、とんぼ返りの参列だった・・・。

大導師をお勤めされたのが半田先生だったと参列した近所の方に後で聞いて、後悔しきりだった。忙中閑は、ぼくの師匠の言葉だが、もっと「閑」すべきだったと後の祭りだった。
挨拶は叶わないまでも、お顔を拝んでおきたかった・・・

きれいにしなくちゃ

年末が近づいて、あちこち気になる。

お掃除を見落としていた仏具が目に付いた。

真鍮製のものは空気に触れるとどんどん酸化して色がくすんできてしまう。

鳴り物はとくに音色までくすんできてしまう。

で、錫杖と印金が目に付いた。

以前は研磨剤入りのもので懸命に真っ黒になって磨いたものだが、どうしても磨き残しが出てしまうし何より匂いが残る。

なので、最近はつけおきタイプのものでサッとスマートに洗うことにしている。

これで・・・大丈夫かな。

そ・・・ん?あとは心を磨けって・・・・