間もなく400万カウント

御陰様でまもなく延べで400万人の皆様のご来店をいただきます。

念珠や歳時記だけをアップすればよいのに、TONの感じた心象をぐだぐだ書いてしまい、それにまでお付き合いいただいていることに、深く深く感謝申し上げます(今のうちに(^^)。

CGIで自分で作ったTONちゃん日記は、2004年4月14日からなので、足掛け8年。
http://www.nenjudo.co.jp/topics/topics.cgi?page=390

ブログに変更したのが2006年5月12日からなので概ね6年。
http://http://http://ton.wp-x.jp/wp-content/uploads/image/ton.wp-x.jp/wp-content/uploads/imageblog/2006/05/index.html

ほぼ毎日の更新なので自分ながら読み返してみるとなかなか面白い読み物になっています。
へ~こんなこと考えていたの。。。
変わらないね。。。

等など、当時の大切なお客様も鬼籍に入ってしまった方も何人もいたり、読むと懐かしい空気が漂います。正にTONにとっては日記なのです。

CGI時代のブログは写真点数が多くはアップできないこともあって、文章で本音を吐露しているところが我ながらこっぱずかしくなります。

最近は・・・写真でごまかしてしまったりすることを覚え、ぐうたらTON助だなあと感じること大でいます。

オーダーの部屋もパート3まで真面目にアップしていたのだけれど、最近はブログ上で済ましてしまったり・・・

おかげでWEB店のほうが可愛そうな状態にあります・・・(^^;

近々、HPをリニューアルできるよう(全くコンセプトを変えて)頑張っています。。。

が、どうかなぁ。

まあこんなTONでございますが、どうぞ浅草念珠堂ともども末永くよろしくお付き合いのほどをお願いいたします。

もうそんな季節?

毎月送られてくる「靖国」の機関紙。

もう「み魂まつり」のお知らせが入っていた。

あ!そう・・・・

そんな季節になるのか・・・

38歳から昇殿参拝に毎月通う靖国神社通いも20年たった。
でも、杜を取り巻く空気はまるで変わらない。あいも変わらず、お盆を迎える頃になると国の命令で命を捧げた人々への感謝の念をおろそかにするかしないかを騒ぎ出す。
こんな論法がまだ行なわれなければならない国って本当に独立国なの・・・

いや…そう悲観することばかりでもないかもしれない。
参拝においても、遊就館に学ぶ人においても、若い人たちが格段に多くなってきた。
毎月一日だから休日ばかりとは限らない。それでも人の足は絶えない。

個の精神は、ちゃんと正見をもって時代を捉え始めているのかもしれない。

あとは国が国家としてどこの国でもその国の宗教施設、宗教で慰霊を行なっているように、国が自然体で国の柱となった方々をお祭りできるようになればと願うばかりだ。

子供の目

ゴールデンウィークを利用してコンピューターの中に溜まりに溜まった画像を整理している。

すると、子供が小学校の時に自由研究で同じ班の子供たちと一緒に店にインタビューに来てくれたことがあった。

浅草の子供は商売人の子供が多くて、何屋でもよかったのだろうが、仏具屋というのは珍しがられて同じ班のこどもたちに推挙されたのだろうと思う。

よく覚えていないが息子も含めて4、5人の子供たちがはにかみながらインタビューしていった。

その発表会に使用したときの絵がこの絵だった。
それをお礼にと言っておいて行ったものだった。

10数年ぶりだろうか。

わが念珠堂も子供たちの目から見るとこんなイメージに映るようで面白い。

きれいなものを置くというのは大切だなと改めて気付かせてもらった。気がする・・・

ありがとう・・・・

遠野の物語りをお話ししてくれましたね。

遠野弁で語られる物語は、母親の仙台バイリンガルで耳の慣れている僕でさえ30%の理解力だったです。

そもそもKさんとの出逢いがそんなお話からの出逢いでしたね。

お付き合いさせていただいてから20年近くたちました。

出征兵士の夫との別れの話しでは、二人して泣き出してしまい店内にいながら困ったものです。

しかし、泣くなと言うのは無理です。

だって、当時結婚と言っても顔も見たこともない相手と形だけの婚姻であり、おまけに祝言にも出征準備で妻だけの式。

それではあまりにも妹がかわいそうだとお兄さんが一時集合となる練兵場に連れて行ってくれたという。

遠目に「あの人だ」と指差す方向に夫となる方が偶然にも出会えた。
兄に促されて一言二言もじもじしながらの挨拶。それが帰らぬ人となった夫との最初で最後の出会い。

10代のKさんに戻って話してくださいましたね。

Kさんのおじいちゃんが大将時代に建立したお寺は岩手でも有名なお寺になっているけれど、Kさんが男の子だったら寺を継がせたのにと顔を見るたびに惜しがっていたおじいちゃんのお話し。

そのおじいちゃんに小さい頃から仏の供養について広い敷地に点在するお堂を巡りながら散々鍛えられてきた話し。

寺に寝泊りしなら小僧と同じ生活をしながら思春期を迎えたお話し。

お寺の本尊になる大木の切り出しの話し。

北海道の親戚の家を残すために北へ向かう話し。

北海道では馬二頭を操りながら農作をされていた話し、その腕を買われて全国の農業指導をされていた話し。

お坊さんにならない代わりに終生人助けに生きようとカイロの草分け的存在となった話し。

60歳を越えた齢にバス待ちの列を乱す傍若な若者を合気道でエイと投げ飛ばした武勇伝。

東京に来て数十年たつけど、遠野弁は健在でごめんなさい30%の理解力しかなくて。
でも充分伝わりましたよ。

80歳を越えてもリュックを背負い灼熱の夏も寒風吹く雪の日も文字通り走り回っていた姿は、冷暖房完備の店内にいながらもあくせくしているものにとっては脱帽でした。

140cmに満たないだろう本当に小さい体ながら、大男を投げ飛ばした話しに代表される正義感、毎月東大病院の解剖学を欠かしたことがなかった、時間があっればあらゆる本を真剣に読んでおられましたね。そんなパワーがどこに隠されているのだろうといつも教えられてきました。

もう90歳だったはずですよね。

Kさんまたいつか逢いましょう。

本当に、ほんとうにありがとうございました。

親切?

ある団体から届いた総会参加有無のはがき。
返信はがきが付いている往復はがきとなっていた。
忙しくてとても行けないので、お断りの内容を返信はがきにしたため、表書きの先様の下に敬称を入れようとすると・・・・

返信先にはすでに御中が印刷されていた。

ん?

なんかおかしいぞ。
「御中」とは
団体の誰に出してよいか確定されていない時や、団体名そのものに対しての敬称とおもっていたが・・・・

印刷されている・・・

個人に置き換えれば・・・

「俺様」あてか。

ふ~~ん。

書く手間を省いてくれたのだから
親切と思うべきかな・・・

本題から・・・・逸脱

写経を二十年続けていただいている群馬猿ヶ京近くのお寺「佛心寺」でお施餓鬼があるというので写経メンバーと出かけることとなった。

朝の11時からというので交通渋滞を考えて6:30に浅草を出発した。
上は85歳を筆頭に7人ばかり。
こういうとき年齢にたがわず行動派が揃っているといつもながら思う。

予想は見事にはずれて、9時過ぎについてしまった。
驚いたのは住職。

高速のサービスエリアで仕入れた情報を思い出し、
群馬サイクルスポーツセンターに行ってみることにした。
ロードレースがあるという。

ゾクゾクと集まるレーサーたち。

こういう光景を見ると血が騒いでくる。

杉木立の向うにコースがあるのだが、練習風景は撮り損ねてしまった。

いやーーここにいたかったぁ・・・

おかげで1時間はあっという間に過ぎ去ってしまった。
ご婦人たちもなにやら僕に調子を合わせてくれて、一緒に騒いでくれた。

のんびりし過ぎて危うく本命のお施餓鬼に遅れるところだった。

住職いわく日本一小さいお寺です。


梅です。
桜はまだまだ咲きません。

お寺の精進料理はおいしゅうございました
徹夜で作っていただいたゴマ豆腐は美味しかったぁ・・・・

雨男のTONもどうやら参加者の晴れ女にかなわなかったとみえ、帰路に着くまで一雨も降らせなかった。

ことば

お手紙を頂いた。

ブログつながりでお友達にさせていただいた神戸のお客様から、長く続けてこられたおお店を閉店しますというお知らせだった。
驚いた。あんなにいきいき料理創りをなさっていたのに。。。まだ若いよ。。。どうするの。。。。

きっと、眠れぬ夜をも悶々としながら、苦渋の決断をされたんだろうと行間から滲み出る「気」が胸を刺すようだった。

料理人であるオーナーの故障からとあった。
体の不調で存続できないとなることはどんな思いだったろうか。

お手紙を書こうと思って筆をとるが一行も書けないで筆をおく。

昨年、被災地に支援物資を持っていった。

学校の職員室に案内され、紹介していただいた。
一言お願いしますと振られたが・・・・石巻から北上した道中の景色が頭の中を巡り巡って、言葉にならなかった。

ぎりぎり限界のその場に置かれると、言葉と言うのは無力なものだとついぞ思ってしまう。
でも言葉によって生きると言うことも、それなりに生きてきたTONの人生の中で経験もしてきた。

心がことばという生きた記号の真ん中に住みついていてさえくれているなら、きっと生きた言葉となって相手を生かすことができるのだろう。

だから、今、発した言葉は、どういう動機で発した言葉なのか、常にチェックする。

お逢いしたなぁ・・・・

突然行って驚かそうかなぁ。。。。

いろいろあるなぁ


こういう新聞はじめて見ました。

仏具の業界って古いのかもしれないが、商品の緩衝材に古新聞が同梱される。

地方色豊に、その土地ならではの地方紙が入っていると、つい読みいってしまう。

京都からの便にはこういう題字の新聞も。
作業が止まった。もちろん。

気づき

毎日、道を掃除していると、いろいろな「気づき」を与えてくれます。

そして「気づき」は「福」だと思います。
商人として大事な、お客様の動向が手に取るように見えてくる。各お店の状況もはたまた、通りの企画や、将来像。。。などなど。

トイレの神様の歌がはやってから、トイレ掃除をする人が増えたとか・・・
「お願いします」と言って他人のトイレ掃除をして回る経営者組織もあり、修養団体もあります。掃除するためだけにお金を使って参加するのだとか。

汚い仕事なのに体験者たちは揃って「きもちよかった」と判を押したように感想を述べられるようです。

禅宗のお坊さんの基本は作務(さむ)と言いますが、作業する禅ということなのだそうです。

もしかしたら手を汚す仕事の中に、神様っているのかも知れませんね。

掃除中、道行く人に「ごくろうさま」とか「ありがとう」とか言われることもあります。もうすでに報酬は「気づき」としていただいてしまっているので、感謝の言葉は余禄の気持ちで受け取ります。

なんだかとても申し訳なくなります。