記憶蔵

頭の構造はなんとも不思議なものだ。
どういう構造になっているのか一度開けて見てみたいが、それだけはよしておこう。

何が不思議って、蓄積している記憶は、ちょっとしたことが原因で連鎖反応的に暴走することがある。暴走した行き先には出発点とは全く違う光景に突き当たることもしばしばなのだから。

友人のハイキング紀行に丹沢(入り口)のヤビツ峠の写真を見ていたら、急に思い出してしまった。

あの写真はどこ行ったっけなあ・・・
たった一枚の写真が脳裏に浮かんでしまうが、思い出せない。
思い出せないとついムキになってどうしても見たくなってしまう。
見たってどうって言うことはないとわかっていても。

ようやく画像ファイルの山の中に見つけ出すことができた。

ツーリングの写真。
しかも一人走りの多い僕にしては、クラブメンバーとの一こま。
丹沢湖の計画が持ち上がった頃で、開発の様相は写真のどこにも見当たらない純朴な風景。

すすきがお日様に透かされて黄金に輝いていたのが、印象的だった。

そのほかの光景は何も覚えていないのに、
僕の脳ミソの中には、ススキの穂だけがインデックスされてしまっている。

ヤビツとススキの穂がどうして繋がっていたのかわからないのだが・・・

体育の日

たーた、たーたたーー・・・♪
(東京オリンピックのファンファーレ)

そうか・・・

今日は「体育の日」の代休ね。

昭和39年10月10日おいら9歳でした。
もう46年前! のこと。
あぁ~~

白黒テレビで開会式を観ていた記憶があります。

小学校の教育の一環で「オリンピック」映画を観に行った記憶も。
記念日一つにも思い入れがあるものです。

おーっとっと・・・
「今日は代休じゃない!?」って。

「ハッピーマンデー制度」の適用により、10月の第2月曜日

だから今日が正真正銘の「体育の日」なんだ・・・
なんだか変なの・・・

子供の誕生日をこれからは、12月、3、5月、7月の第二月曜日とするなんて言ったら反乱がおきるよ・・・

成人の日といい・・・
体育の日といい・・・

記念日は記念日としてそっとしておいて欲しいね。
文化の破壊だよこれじゃ・・・

凝る

ほぼ毎日6キロ走っている。
もうすぐ丸2年になる。
上さんがあきれるほど続いている。

そうなのだ。
子供の頃から凝り出すと何処までも凝る。

車と昆虫が好きで、毎日図鑑を手放さなかった。
グリルの一部、ミラーの一部を見れば何年式の何という車とそらんじた。
はえに興味を示した時は、当時は犬の○ん○がそこいらじゅうに落ちていた時代であったのが幸いして、どんな種類のが集まるのか一日中観察していた。

そのうちお金に興味を示し、古銭マニアが複合した。そうなると読む本もかなりのものだと思うのだが読みこなしていた。、
駆けずり回って集めてはほくそ笑んでいる光景は何となく不気味さも感じる。今思えば。

思うところあって趣味には封印をしたが、自転車も7台持っていた。
毎週、遠出をしていた。峠が好きで富士山頂に担ぎ上げて山道を転がり落ちた。
毎日職場と自宅を28km通い続けた。思うところあってぱったりとストップした。
(最近封印は解いたが体がおぼつかなくなっているのが情けない)

そばを昼飯にすれば、何年も同じ店に通い盛りそばを食べ続ける。

やりだすと何処までも続ける。その自信はある。
それも自分の長所?であると思う。

けど、やめようと思えば、すっぱりやめられる。
やめるには止めるなりの大儀がなければならないのだけれど、心からそうだと理解すれば、次の日からさっぱりとやめられる。

それがいいのか悪いのか解らないけれど、割と感情をコントロールできる人間みたいだ。
人間関係でも同じことが言えるのだが。

この仕事も四半世紀。
職人家業と販売に足を突っ込んで、一向に飽きが来ない。
面白くてしかたがない。

勉強することは山ほどある。
技術的なこと、経営的なこと、学術的なこと
何より人的なことが大きい。

職人というのはややもするとお客様が見えなくなる。
勝手な想像をし、勝手なものを作り出す。
自分の世界に引き入れようとする。
それも一面必要な独りよがりの世界なのだと思う。
我の世界だと知っていて想像するならまだ救われる。

だから販売の現場、人と触れ合う場に絶対いなければいけないと思う。
しかも生半可にいるのでなく、人一倍積極的に。

人の喜怒哀楽の中に文化が込められていると信じるから。
ともに喜び、ともに怒し、とも泣き、笑う。
その感情の蓄積を創造の起爆剤にしたい。

そうした人の切れ目がないお店にいると
まだ暫くは、がんばれそうな気がしてくる。

ポチ

早朝に一仕事で雷門あたりにいると、実に多くの犬が通る。
モモちゃんというメスの柴犬がやたらと馴れてくれた。

子供の頃飼っていた愛犬がポチ。
柴犬の雑種で実にかわいいやつだった。

僕の言うことはまったく聞かなくて、しょっちゅう脱走してのけた。時々は夜中に鎖をどういう手段でかはずしてしまい、逃げ出して子供を作って帰って来ることも季節の変わり目になると行事となっていた。

そんなときは、明治生まれの大家のおばあちゃんに見つからないように、貰い手を夢中になって捜した記憶がある。
何故ならば子犬が見つかれば、近くの川に流されてしまうと恐れたからに他ならない。

ある日予想だにしていなかった事件が起きた。
ポチが大きなお腹を抱えて逃げ出し、近所の家畜に迷惑をかけてしまったのだった。
ついに彼女は悲しい運命を歩むことになってしまった。

冊処分が決まった時、飼い主のふがいなさに泣きの涙で、犬は一生飼わないとポチに誓ったのだった。

そんな思いが柴犬を見ると頭をよぎる。

ふとしたことで、ポチに似たメス犬とじゃれあっている間になんで「ポチ」なんだろうと疑問がわいた。

調べた。

大辞林第二版

(1)小さい点。ぽつ。「文章の切れめに―を入れる」
(2)(京阪地方で)芸妓や茶屋女などに与える祝儀。はな。チップ。「―袋」
(接尾)指示代名詞や数を表す語に付いて、それだけの数量しかない意を表す。だけ。ぽっち。「それっ―のことで怒ってはならない」「これっ―じゃ足りない」〔上の語との間に促音が入って「っぽち」の形で用いることが多い〕 」

秋田犬や土佐犬と比べて小さい犬にポチをつけるような気がしなくもない。
少量(小さい)に対しての形容から来る名称と捕らえていいのかな・・・

なぞと、

調べながら・・・こんなことどうでもいいじゃん。
と、思い直し、また柴犬を飼いたいなとポチへの誓いを破りそうな自分に気がついた。

認知症テスト

朝の情報番組で認知症の特集やっていた。

自分の周りにも、
「え!あの人が・・・」と思えるほどに身近になってしまった。

歳が重ねれば、おのずと同世代にもその傾向は顕著になるだろうことは、ある程度わきまえているつもりではあっても、実際に同世代に発症例があったと伝え聞くといささかショックではある。

それにしても糖尿病とガンと認知症がこんなに身近になるとは考えてもいなかった。
が事実だ。

そういう自分はどうなんだろうと思うに、
人の名前が顔と一致しないなんてのは日常茶飯事だし、

用事があって席を立って目的地まで移動すると、肝心の用件を忘れて「あれ?なんだったっけ」となって、元の位置まで引き返すなんてこともわりにある。

夫婦の会話でも「あれそれどれこれ」ですまされてしまうほど固有名詞の数が少なくなったこと。
長年連れ添った夫婦だから阿吽の呼吸で良いのだと思いたいが、「睦まじさ」とは違う次元で考えさせられることもしばしばである。

情報番組の内容にもどると、認知症予備軍を見つけ出すテストがあるという。
それは、「最近のニュース」を問いかけることなのだそうだ。

専門医の話では、以前は認知症を調べる方法として多項目を書き出すチェックシートを利用してしたというが、時間もかかるし、チェックシートの結果が、現状とそぐわないということが生じて、試行錯誤の末この結論を得たのだという。

それがこの問いかけなのだそうだ。

予備軍とおぼしき人の90%がこの「最近のニュース」という問いに答えられないのだと言う。

答えに窮すると「時間がなくてニュースは見ていません」
という理由を言う者もあるそうで、「忙しい」を理由としてこじつけることと考えられるのだそうだ。

社会に、外向きに対し関心さえあれば、ニュースの一つも耳に入らないなどチョット考えられないものな。

外部への問題意識が薄くなることが要注意信号なのかもしれない。

何にでも好奇心を持っていられるTONはまだ大丈夫ということだろうか。

有り余る好奇心も困りものではあるが・・・

時は絶対基準・・・?

今週末に姉の子供・・・つまり僕の甥っ子が結婚式をあげるという。

小さい頃から優男で、どちらかというと甥や姪つまり彼の兄や姉たちの影にいた甘っ子の末っ子が、「え!結婚!」と驚いた叔父さんであるTONなのである。

年月とはなんと速いものなのだろうか・・・
ついこの間まで、5000円のアルバイトと言えば仏壇の納品に飛んできてくれたり
我が家の4人のいたずら坊主共をいやな顔一つせず面倒見てくれていたり、あれこれとせわになってきた・・・

いつの間にか親子6人で暮らしているぼくのマンションより広い住いを入手し、大学なんて必要ないと社会に飛び出し、高給とりとなって一人暮らしでがんばっていた。

と聞いていた。
「一人暮らし」と聞いても「え~!」と思うこの叔父さんだったのだが。

時間と言うのは実に速い。速すぎる。

いやいや、僕の頭の中がスローリーになってしまっているだけなのかもしれない・・・が。

人それぞれ時間と言う尺度は平等に与えられていると思うのだけど、
なんとなくこの尺度は、絶対基準ではないようだ。

人それぞれの生き方によって、刻一刻、経過速度に微妙な変化があるようである。

そんな時間の妙味を今は感じてばかりいる。

アーケードに想う

ここは、何処かと言うと・・・
田原町の交差点近くの国際通り。

浅草にきたばかりの頃は、アーケードがずっと国際通りには施されていてなんともいえない光景だった。

何がなんともいえないかというと、時代を錯覚してしまう趣きがあったのだ。
口の悪いものには、暗くて薄気味悪いなんていうのも事実いた。

それは古くて低いアーケードに日が遮られていたからという理由以上に、店舗構成が、他の商店街にはあまりお目にかかれない業種が多かったからではないのだろうか。
今にして想えば何だったか記録しておけばよかったのだが、当時は何処となく漂う昭和の香りが心地よかった記憶のみ残っているのだ。


八目鰻のお店

最近は、都道にかかるアーケードは取り除く方向にある。
都道に限らず区道すら、アーケードの新設は許可が下りない。

理由は地震対策という大前提があるのだろう。
歩行者がつぶされては大変だということなのだ。

一見耳障りのよい理由だと思う。

が、しかし、本当にそれで安全なんだろうか・・・

最近の建築物はグラスウォールのこてこてのビルがファッション性からなのかもてはやされているように見受けられる。
近くで改築されるビルの説明会にTONは出かけていって、質問をぶつけてみたことがある。
「グラスウォールって安全なんですか?」って。
(素人はこれだから困るよ)とでも言いたげな表情をみせて、即、答えてくれた。

「全く問題ありません」設計者は話を発展させなかった。
結局、納得のいく答えを得ることはできなかった。

防災の専門家さん本当に安全なの?
あれほどの構造物の安全神話が、最近の地震でもろくも崩れてきたじゃあありませんか?

街を歩く時、今地震がきたら・・・
バラバラと降り注ぐ落下物、建築材からどうやって逃げようかとTONはいつも上を見あげ、シュミレーションしながら歩く癖がついてます。
意外と真剣に考えながら道を歩いているのですょ。

話を戻すと、アーケードってシェルターにならないの?
ということなんです。
と素人のTONは考える。

所々でもよい。落下物から身を守る強固なシェルターが欲しい。

いつ起きてもおかしくない周期にあるという大地震。
防災都市を考えるとするならば、アーケードを取り払うのではなくて強固なものに作り変えることこそ必要なのではないのかな・・・

影法師

真後ろにお日様の光を浴びた時の影法師が一番好きなTONなのです。
都会の真ん中を疾走していても、こういう光景に出くわすと自然と心が緩みます。

比較

「人の庭は青く見える」

とはよく言ったものだ。

「隣のお家は仲良かったのにねぇ」
「あのご夫婦がねぇ」
「あそこのご主人、子煩悩だったのにねぇ」

「~ったのにねぇ」
は、つまり、「何も知らなかったのよ」の裏返しなのだと思う。

つまりは、何も知らないのだ。
人のことは、どこまで行っても解らないのだ。

「解せない」
自分のことすら理解に苦しむことがあるんだから、他の人のこと、家の中など解りようがないのだと思う。

それをわかっているつもりでいる所に、人の不幸が生まれる。

小学生時代の僕の成績はすこぶる悪かった。
全く欲がなかったし、どこか宙を飛んでいる子供だったから、つかみどころがなかったのだろう。

小学校一年生の時「あなたの息子はどうしようもない」
仕事を休んで始めて行ってくれた面談で担任は、母親に対してくそみそに伝えた(ようだ)。
こんなこと言われたと終生(まだ健在だが)母の憤りは続いた。

比べて姉は在学中優等生を通した。
僕は常に比較の材料だった。
よく見れば秀才と言われる岳のことはしていたのだ。
コツコツ勉強をやり続けているのだから。
僕はと言えば、好きなことをさんざん遊びほうけていた。

その結果は、学期末になればみごとに顕れる。
つまらないことなのだが、
ただ、比較され続けたというこの呪縛は、少年の心にある種の種を植えるものなのだ。

一事が万事そういう事なのだと思う。

だから比較してはいけない。

ただ残念なるかな、人は比較できる動物であるしそれを原動力にもできる動物なのだ。

結局、比較することでどうするかなんだよな。

よき方向に向かえば、その差を挽回しようと大いなる力になろうというもの。
負の力、劣等感という力におのれの位置を見失い、踏み外したれば、世の不幸、災禍の種となるのは火を見るよりもあきらかだ。

さて、ぼくはどっちだったんだろう・・・

TONは、昆虫図鑑の大好きな少年だった。
あせもの攻勢に辟易しながらも、昆虫の溢れ帰る夏は大好きだった。

いつ頃からだろうか・・・
タガメやゲンゴロウに出会う機会もなくなったが、身近なものでしいて言えばクワガタやカブトムシさえも、今はゴキブリと同類項に見える。

好きと言う範疇から除外された。
今はあのかわいいカナブンさえあえて手を伸ばしたい衝動はどこかに消えた。

そうした思いに反比例するように、草木に愛でる気持ちが強くなった。

歳を重ねるたびにその度合いは強くなる。
これはどうしたことだろうか。

毎月の写経会に会員さんが用意する仏前の供花は、その後は僕の管理するところとなる。
洋花と和花が取り混ぜになって花立に収まり本尊前を荘厳してくれる。
花たちは日ごと枯れていく。
命あるものである以上仕方のないことなのだが、仲間が減っていくようで寂しいものだ。

まず洋花が消える根から切り離された洋花は朽ちるのが早い。水中にあってもドライフラワーになるのもいる。

が、和花は強い。

菊。

特に真夏、35℃を超える猛暑日の続く夏。
これほど厳しい環境にさえ。

水が腐ろうが、大輪を咲かせてなを頑張っている。
感動する。

つまらないほど小さなことなのだが、日々の中で感動を覚えるTONのだ。