大き目の馨子(リン)をゴンゴンと叩くと、決まって
「むじょうじんじんみみょうほう・・・」

の言葉がついついついて出てくるのです。

仏教者ならば、当たり前のこととして仏前でお経をあげる前の常套句の如くのお経「開経偈」であるわけです。

これから読誦させてもらうお経は百千万劫にも遭うことが難しいものなのだと感謝と感激の導入句。

ただTONの開経偈は開経偈でも人とはチョット違うのである。
自分を特別視しようなどと思うのでは毛頭ないのですが・・・。

じつはそのお経には旋律が乗っている・・・いやいや正しくは旋律にお経が乗って口をついて出てくるのだあります。

だから法要に参加するときには当初ちょっとこまった現象になってしまうのです。
厳粛な顔をしている参列者のなかで、ひとり鼻歌を歌っているのですから・・・。
でもそれはTON的にはお経を読んでいるのであるのです。

でも、周りにはわっからないだろうな・・・

馴れてきてしまえば、だれも気がつきゃしないだろうくらいに一人で歌っているようになったのでありました。

お経を読めば歌になる・・・。そうなったにはそうなった原因があるのでありました。というのも長くお世話になった真言宗智山派智韻寺の住職である新堀智朝尼の創作された讃祷歌の曲の中に原因があったのです。
師は宮沢賢治のことば「これからの宗教は芸術。これからの芸術は宗教」を文字通り実践された方でしたが、諸尊諸菩薩を歌にされた方でした。三帰、開経偈、般若心経、普回向とまさに宝前での勤行どおりの曲もあるのでありました。

歌い込みもし、歌い慣れもし、細胞に擦りこまれている感じなのでありました。

かならず「三帰」の旋律が頭に浮かぶ。
ついで口ずさむ。
開経偈、心経へと細胞がかってに喜んで旋律を奏でているのだから・・・
しかたない。

智朝尼の13回忌がとっくに過ぎているのに、今だに心は勝手にお経を歌うのであります。

浅草LRT

あちこちの媒体に・・・といってもまだまだローカルなものだけれどLRT地元研究会の試案が公表されてきました。

言問橋から白髭橋までの交通過疎化区間をモデル線にして、まず走らしちゃおというのが計画。
南千住まで伸ばせば汐入地区再開発地域の人口を吸収できるし、言問橋際から南進して浅草駅まで立体交差させながら進ませれば、交通の邪魔にはならないし浅草のターミナルとして役立てられる。この区間は櫻の名所。櫻電車も走らせれるじょ。

路線図が出されたから、ほんのチョットだけ現実味を帯びてきたけど、風はどっちに吹くかいな。

研究会の発表会の席上、参加していた台東区幹部はスカイツリーへの巡回バスを東武バスに丸投げの格好で「認可」したいみたいまさしくお上の仕事ぶり。

果たして民意は反映するや否や。

朝のかけっこ

早朝のジョギングは、何故かいまだに続いている。

若い頃はとにかく自転車しか頭になかった。
暇さえあればどこかの田舎道、どこかの峠道、どこかの海岸べりを疾走しているか平塚か川崎か、どこかの競輪場を走り回っていた。
見ようによっちゃそれだけ時間をもてあましていたとも考えられるのだが・・・

ところが今は、とてもではないが半日ですら時間を割くのが至難になってしまった。

世には、ツーキニストなる人々が増え、自宅と職場を自転車で往復するのがナウいのだそうだ。
それがスローライフにふさわしいあり方のような風潮も後押しし、この種の人口が急激に増殖してきたとも聞く。

そのツーキニスト生活ですら職住一体のTONちゃんの今の生活ではむりな話し。
だって100歩圏内の我が家の往復では自転車のお世話にもなれない。

そしてまた、TONが現役サイクリストだったときより、自動車のマナーは間違いなく悪くなった。道路行政も含めてのことであるが。30年前の頃ですら自転車で家を出ると帰り着くまで最低3度は死にソ損なうヒヤリとさせられながら走っていたのだから・・・ まあ・・・トラックの後ろにぴったりついて走ったり、追い越されれれば必ず追い越して見せたりとか・・・峠の下りで車を追い越すのが楽しくてしょうがないとか・・・う・う・  
若気の至りということもないとはいえないのだが・・・
それがぜんぜん恐くなかったしね・・・・

まあ・・・家族にはまだ食わしていかなければならない身の上だし・・・
そう簡単に車に引っ掛けられてなるものか。

そこで風になりたい症候群のTONちゃんは、考えた。
「じゃあ、朝、コンピューターに向かっている時間を走ればいいか」

と、ひらめいた。それが走るそもそもの発端。

息子が着古したつんつるてんのジャージを着、丸くなった体型を気にして暗いうちに外に飛び出したのだった。

飛躍的に運動靴の性能が向上したおかげもあってか、椎間板ヘルニア、坐骨神経痛の発生で2週間程度の休止を除いて、ほぼ毎日の生活リズムになった。

正月を過ぎれば丸二年となる。

おかげで10キロ以上の体重減というおまけもいただいたが、何よりは頭の中がこの時間だけは空っぽに出来る。

夢の仲間ですら仕事をしているのだから、実のところ休む暇がない。
その点、体は極限まで動かしているのに、脳波測定をしたらきっとアルファー波を出しているのではないかなと思うほど考えないでいられる。これは本当にありがたい。

自転車でもその傾向はあるのだが、先に書いたように、田舎道をひたすらトコトコ走るならばよいのだが、車と切磋琢磨しなければならない都会の道路では「コン畜生どこ見てやんだい!」っていうのが頭の中を駆け巡るのが関の山で、それも時としては生きる力に励みになるときもあるのだが、今の生活からは、ちょっとお邪魔な思考なのだ。

TONちゃんにとって走る禅なのだと思う。

ということで、まだ暫くはこの生活が、つまり朝のかけっこは、続きそうな予感がするのである。

ついに昇天・・・

「洗濯機からなんか変な音がするわよー!」

と、
上さんの大声に不安を覚え、そ~~と近寄ってみると

水のしたたり落ちる携帯電話を手にする上さん・・・・・絶句
ズボンのポケットに入れていたのをすっかり忘れていた。

もう丸4年?相棒でいてくれた。ちなみに「浅草のそら」はずっとこの携帯電話からのレポート。

電池が膨らみ始め、フリーズもしょっちゅうとなり、色温度も安定せず、電話のかかり悪くなってと調子がどんどん悪くなっても・・・・愛着があって、もうちょっともうちょっとと思いつつ、先延ばし先延ばしに大切にしてきたのに・・・・

こんな形で終焉が訪れようとは・・・・

しかも、ぜーーーんぶ情報も消えてしもうた・・・

復旧できないかな・・・

通電しないから無理かな・・・

こんなにあっけなくいってしまうんだなぁ・・・・

ちょっとご紹介

年賀状の季節が来ると、師走の慌ただしさの前触れと、新たな年への心構えとがごちゃまぜになって迫ってくる。

年賀状とは実によい習慣と最近思えてくるようになった。
このときを幸いに、日頃の無沙汰を僅かな手間で陳謝できるのだから。

同時に、「喪中につき・・・」
の、文面で送られてくるあのはがきの存在があるおかげで親しかった人の入鬼籍を知るチャンスともなる。

数年前から年賀状の喪中はがきをいただいたことで、お悔やみ用としてお線香をお送りする方が増えてきた。

時期も時期。

日本薫物線香工業会からこんなパンフレットが出された。

とても解りやすくて結構濃い内容だったのでちょっと紹介。


漫画だけではなくてお悔やみ文例集や、表書きの知識が書かれていて解りやすかった。

ちなみに「香典」と言う言葉の意味は、文字通り香を供える意味あいからの言葉であるのだから、仏前に「お香を手向ける」ということは、とても功徳のあることなのだ。

とんだ屁まをしたもんだ

最近図書館に行く機会が多くなった。

岩波正太郎の本を読み漁り、時代小説の主だったものはほぼ読みつくした。
次の本は「徳川家康」にしようと思い、棚は何処かな?と、館内に置かれているコンピューター端末で検索をしようとコーナーに近づいた。

残念ながら大人用の機械は若い女の子が懸命に検索していて・・・
「当分無理だな」

しかたない。隣のく子供用のに向かった。
背の低いテーブルの前で腰をかがめて打ち込むことにした。腰を折っているとジンジン痛くなってきた。中腰は腰痛持ちには最も悪いI姿勢なのだよ。

しゃがむことにした。

実はその直後、事件は起こった。

事件は予期せずして起るものである。

しゃがむとトイレに行きたくなった。
が、もうすぐ検索結果が表示されるのだ。

「なあに。結果を待ってる時間くらい大丈夫さ」

下半身に力を入れて、己に喝を入れた。

「ブヒ」ダッシュ(走り出す様)


・・・たらーっ(汗)
・・・・たらーっ(汗)たらーっ(汗)
・・・・・・・たらーっ(汗)たらーっ(汗)たらーっ(汗)

どこか下のほうでで強烈な破裂音がした。

一瞬、何のことやら理解できず、キョロキョロ周りを見回してみた。
そこには何も変わらない風景。

ただ、隣のコンピューターをいじっていた女の子が逃げていく。

(ん!僕?)

心は叫んだが、いまさらどうすることもできないじゃない。

心で口笛を吹きながらその場を去った。

TONのふてぶてしさにも驚いたが、赤面もしない己にちょっぴり歳も感じた。

ちぇ。

朝方夢を見た。

一所懸命、四輪の自転車に乗って山坂を登っている。
軽い車体の二輪だって大変だと言うのに、重い四輪なんて・・・
そう遊園地にありそうな奴。

こりゃあだめかなあと思ったら、予想通り足が重くなって音を上げた。
そこで目が覚めた。
目覚めても足が痛い・・・あれぇ・・・

部屋は真っ暗。
闇の中で携帯電話が自己存在を主張する青い光のみが、チカーチカーと光っている。
部屋を青白く浮かび上がらせていた。メールを受信したようだった。
すぐに打ち返す。

時間を確認するとちょうど5時。
送る方も送る方、返すのも返す方。といっても、ネット販売に手を染めてからは時間は全く度外視している。3時に起きていたころは、その時間でメルを返していたのだから。

だから数ヶ月前までは遅いくらいの起床時間なのだ。

ここのところ寝坊して6時を過ぎて眼を覚ましているから、日の出が遅くなったことも実感としてわからない。ちょっと異空間。

半身を起こしたままぼんやりしていた。
うつらうつらしながらいの一番に浮かんだのが、
今日が恩師の一周忌だったこと。
ついつい走りに出る時間を忘れて、昔の記憶を反芻していた。

あっという間の一年だったなぁ。

「おかしな自転車に乗る夢を見るくらいなら、夢に出てきてよ」
問いかけても、だれも答えてはくれない。

せんないことを思ったものだ。

プロ根性

ときどきフッと思い出すことがある。

高校時代、プロの仕事を教えてもらった。
当時公団のマンションに住んでいた。

当時でも安い賃料だったと思うが、その賃料に似合わぬほどに、メンテナンスは行き届いていて、しょっちゅう何らか修繕を行ってくれていた。
そうしたメンテナンスの一環で、年に一回だったかトイレ掃除に専門の業者が一部屋づつ巡回に来ていた。

ちょうど出そびれて家に居合わせていたぼくが、その作業員を中に招き入れる役となった。

「ピンポン♪」
と、チャイムが鳴って玄関の扉を開ける。
想像していたよりもはるかに高年齢の作業員が一人バケツとヘラらしきものとブラシを持ってちょこんと立っていた。

「ちょこん」の表現が相応の見るからに貧相な老人だった。
灰色の作業服もよれよれになって、だいぶ使い込んでいるだろうことは一目で理解した。

「こちらです」
と、中に招きいれた。
100世帯ちょっとのマンション。何度も何軒も作業して生きているのだろうから勝手知ったる・・・でさっさと掃除にかかった。

ぼくは、いつも逃げ回っていたから初めての作業。
たまたま目の当たりにしたわけで、手際のよさに口を挟む必要はなかった。

2~30分かかったろうか。

「終わりましたよ」

何をどうきれいにしたのかよくわからない。
「ありがとうございました」とは口に出しても、心底そうは思っていない。ぼく。

「ほんとうに綺麗なんですか」
何でああいう言葉が出たのか、出せたのか今となってはわからない。

けど、でちゃったんだもの・・・

老人は、「綺麗になりましたよ。ほら」
って、行ったが早いか、手が出るのが早いか、

すっ。

水洗便器に溜まっている水に手を入れて水をすくい、「あっ」と言う間もなく口に含んで飲んでしまった。

脇で見ていた母と顔を見合わせた。

「わたしの仕事ですからこんなこと当たり前なのよ」

といったような意味合いのことをさらっと述べて、
「さいなら」と帰っていった。

文字通りショックを受けた。

楽しげにトイレ掃除をしていた老作業員の姿は、いだに僕の心に宿っている。

ひっくり返してみると見えるものがある

昔、趣味で編集の仕事を手伝っていたことがある。
8ページのタブロイト紙のようなものだったがなかなか面白かった。
表紙をデザインしたりカットを書いたり絵の好きな僕にふさわしい仕事だった。

取材して文章を書かなくてはいけないはめになったときがあった。
作文のに苦手意識満タンな僕に何故?

何を書いたのかさっぱり覚えていないのだが、そのときの先輩のアドバイスは当時とても救いに満ちていたし新鮮に響いた。
「記事を書くときはね、表面だけを追ってちゃいけないんだよ。やぶにらみでもいいから、ちょっと斜に構えてみてごらん」

正直一本槍の自分の性格・・・
と聞こえはいいけれど、「それじゃあ物事の本質まで見られない、感じられないと言うことなんだよ」と言いたかったのだろう。
魅力のある記事は書けない。

若い頃から物事に詰まると、よく逆立ちをした。

当たり前のことだが、
天地がひっくり返って見える。
同じ場所、同じ人を相手にしていても、全く新鮮に見える。

新鮮だから、物事を慣習で考えなくなる。
常手を使わない。
「新しいぶどう酒は新しい皮袋に・・・」と聖書に書いてあるけれど
違った環境を人工的に作る僕的な方法なのだ。

これはとても大事なことだった。

ひっくり返してみる。

案外「あたりまえ」と思われている、いや思い込んでいるものの中に見過ごしているヒントが煌いている。

目が飛び出すんじゃないかと思えるくらい長い時間ひっくり返ってみようか・・・

これも勉強

仕事の関連で高知に出かけた。
いくつか有名な観光地を歩かせてもらった。

自分なりに盗み取りたいものがあって参加したのだが収穫は充分だった。

和蝋燭と漉き和紙を全面に押し立てて町おこしを行なっている地域を見学した。
昭和53年に歴史的保存事業の国の補助事業指定を受けて、
ちょうど、中仙道の妻籠宿のように街道に沿った民家を昔の状態に戻している。
景観を保持すると言うのは大変な仕事だと思う。

そこに住むものは、街道に面した部分には、好きに手を加えることはできない。
漆喰壁の連続する通りは、歩いているだけでも癒されるし、先人の知恵に驚かされることもしばしばだった。

六代も続くと言う古い和蝋燭の工房を覗き、説明を聞きめったに見られない櫨(はぜ)の実から取り出した原蝋を触ってみたり、最近はめっきり減ってしまった京都の町屋に似たつくりの土間伝いに坪庭があり、生活の場がその後ろに控えている鰻の寝床ように奥行きのある空間を楽しんでみたりといろいろ見学させてもらった。

その店を出、バスの乗り場へ急いでいると、とある店の店主が観光客相手に熱心に説明をしていた。

バスの出発時間も迫っていたこともあり素通りしても良かったのだが、立ち話が耳に入ってしまった。

「ここの町は和蝋燭なんてやっていなかったんだよ・・・」
「新参のものが古くからいるような顔をして・・・」

「観光会社もいい加減なことを」と言わんばかりにわざわざ、自分でこさえたのだろう、ちらしに、しかも、ご丁寧にラインマーカーまで施して、熱心に説明していたのだ。

よほど後から移動してきた産業(というほどのことか)が脚光を浴びることが腹にすえているという体なのだった。

代々同地点に店はなかったとしても、地場の産業として根付いたものだとすれば、それもありかな・・・
さらに言えば、事実、結果として観光客が増え、その恩恵はその店とて何らかうけているのであろうに・・・

何も知らない観光客に向かって、「これは違う。間違っている。」と、一人ひとりに口説いている姿には、一観光客としてきた自分には、そりゃあんた内輪の話を外来者に愚痴言ってどうするのと、懇切にお話ししても良かったけど、しかたないよね。時間もなかったし・・・

実にいい勉強をさせてもらった気がした。

ったがで帰り