ちょっとご紹介

年賀状の季節が来ると、師走の慌ただしさの前触れと、新たな年への心構えとがごちゃまぜになって迫ってくる。

年賀状とは実によい習慣と最近思えてくるようになった。
このときを幸いに、日頃の無沙汰を僅かな手間で陳謝できるのだから。

同時に、「喪中につき・・・」
の、文面で送られてくるあのはがきの存在があるおかげで親しかった人の入鬼籍を知るチャンスともなる。

数年前から年賀状の喪中はがきをいただいたことで、お悔やみ用としてお線香をお送りする方が増えてきた。

時期も時期。

日本薫物線香工業会からこんなパンフレットが出された。

とても解りやすくて結構濃い内容だったのでちょっと紹介。


漫画だけではなくてお悔やみ文例集や、表書きの知識が書かれていて解りやすかった。

ちなみに「香典」と言う言葉の意味は、文字通り香を供える意味あいからの言葉であるのだから、仏前に「お香を手向ける」ということは、とても功徳のあることなのだ。

とんだ屁まをしたもんだ

最近図書館に行く機会が多くなった。

岩波正太郎の本を読み漁り、時代小説の主だったものはほぼ読みつくした。
次の本は「徳川家康」にしようと思い、棚は何処かな?と、館内に置かれているコンピューター端末で検索をしようとコーナーに近づいた。

残念ながら大人用の機械は若い女の子が懸命に検索していて・・・
「当分無理だな」

しかたない。隣のく子供用のに向かった。
背の低いテーブルの前で腰をかがめて打ち込むことにした。腰を折っているとジンジン痛くなってきた。中腰は腰痛持ちには最も悪いI姿勢なのだよ。

しゃがむことにした。

実はその直後、事件は起こった。

事件は予期せずして起るものである。

しゃがむとトイレに行きたくなった。
が、もうすぐ検索結果が表示されるのだ。

「なあに。結果を待ってる時間くらい大丈夫さ」

下半身に力を入れて、己に喝を入れた。

「ブヒ」ダッシュ(走り出す様)


・・・たらーっ(汗)
・・・・たらーっ(汗)たらーっ(汗)
・・・・・・・たらーっ(汗)たらーっ(汗)たらーっ(汗)

どこか下のほうでで強烈な破裂音がした。

一瞬、何のことやら理解できず、キョロキョロ周りを見回してみた。
そこには何も変わらない風景。

ただ、隣のコンピューターをいじっていた女の子が逃げていく。

(ん!僕?)

心は叫んだが、いまさらどうすることもできないじゃない。

心で口笛を吹きながらその場を去った。

TONのふてぶてしさにも驚いたが、赤面もしない己にちょっぴり歳も感じた。

ちぇ。

朝方夢を見た。

一所懸命、四輪の自転車に乗って山坂を登っている。
軽い車体の二輪だって大変だと言うのに、重い四輪なんて・・・
そう遊園地にありそうな奴。

こりゃあだめかなあと思ったら、予想通り足が重くなって音を上げた。
そこで目が覚めた。
目覚めても足が痛い・・・あれぇ・・・

部屋は真っ暗。
闇の中で携帯電話が自己存在を主張する青い光のみが、チカーチカーと光っている。
部屋を青白く浮かび上がらせていた。メールを受信したようだった。
すぐに打ち返す。

時間を確認するとちょうど5時。
送る方も送る方、返すのも返す方。といっても、ネット販売に手を染めてからは時間は全く度外視している。3時に起きていたころは、その時間でメルを返していたのだから。

だから数ヶ月前までは遅いくらいの起床時間なのだ。

ここのところ寝坊して6時を過ぎて眼を覚ましているから、日の出が遅くなったことも実感としてわからない。ちょっと異空間。

半身を起こしたままぼんやりしていた。
うつらうつらしながらいの一番に浮かんだのが、
今日が恩師の一周忌だったこと。
ついつい走りに出る時間を忘れて、昔の記憶を反芻していた。

あっという間の一年だったなぁ。

「おかしな自転車に乗る夢を見るくらいなら、夢に出てきてよ」
問いかけても、だれも答えてはくれない。

せんないことを思ったものだ。

プロ根性

ときどきフッと思い出すことがある。

高校時代、プロの仕事を教えてもらった。
当時公団のマンションに住んでいた。

当時でも安い賃料だったと思うが、その賃料に似合わぬほどに、メンテナンスは行き届いていて、しょっちゅう何らか修繕を行ってくれていた。
そうしたメンテナンスの一環で、年に一回だったかトイレ掃除に専門の業者が一部屋づつ巡回に来ていた。

ちょうど出そびれて家に居合わせていたぼくが、その作業員を中に招き入れる役となった。

「ピンポン♪」
と、チャイムが鳴って玄関の扉を開ける。
想像していたよりもはるかに高年齢の作業員が一人バケツとヘラらしきものとブラシを持ってちょこんと立っていた。

「ちょこん」の表現が相応の見るからに貧相な老人だった。
灰色の作業服もよれよれになって、だいぶ使い込んでいるだろうことは一目で理解した。

「こちらです」
と、中に招きいれた。
100世帯ちょっとのマンション。何度も何軒も作業して生きているのだろうから勝手知ったる・・・でさっさと掃除にかかった。

ぼくは、いつも逃げ回っていたから初めての作業。
たまたま目の当たりにしたわけで、手際のよさに口を挟む必要はなかった。

2~30分かかったろうか。

「終わりましたよ」

何をどうきれいにしたのかよくわからない。
「ありがとうございました」とは口に出しても、心底そうは思っていない。ぼく。

「ほんとうに綺麗なんですか」
何でああいう言葉が出たのか、出せたのか今となってはわからない。

けど、でちゃったんだもの・・・

老人は、「綺麗になりましたよ。ほら」
って、行ったが早いか、手が出るのが早いか、

すっ。

水洗便器に溜まっている水に手を入れて水をすくい、「あっ」と言う間もなく口に含んで飲んでしまった。

脇で見ていた母と顔を見合わせた。

「わたしの仕事ですからこんなこと当たり前なのよ」

といったような意味合いのことをさらっと述べて、
「さいなら」と帰っていった。

文字通りショックを受けた。

楽しげにトイレ掃除をしていた老作業員の姿は、いだに僕の心に宿っている。

ひっくり返してみると見えるものがある

昔、趣味で編集の仕事を手伝っていたことがある。
8ページのタブロイト紙のようなものだったがなかなか面白かった。
表紙をデザインしたりカットを書いたり絵の好きな僕にふさわしい仕事だった。

取材して文章を書かなくてはいけないはめになったときがあった。
作文のに苦手意識満タンな僕に何故?

何を書いたのかさっぱり覚えていないのだが、そのときの先輩のアドバイスは当時とても救いに満ちていたし新鮮に響いた。
「記事を書くときはね、表面だけを追ってちゃいけないんだよ。やぶにらみでもいいから、ちょっと斜に構えてみてごらん」

正直一本槍の自分の性格・・・
と聞こえはいいけれど、「それじゃあ物事の本質まで見られない、感じられないと言うことなんだよ」と言いたかったのだろう。
魅力のある記事は書けない。

若い頃から物事に詰まると、よく逆立ちをした。

当たり前のことだが、
天地がひっくり返って見える。
同じ場所、同じ人を相手にしていても、全く新鮮に見える。

新鮮だから、物事を慣習で考えなくなる。
常手を使わない。
「新しいぶどう酒は新しい皮袋に・・・」と聖書に書いてあるけれど
違った環境を人工的に作る僕的な方法なのだ。

これはとても大事なことだった。

ひっくり返してみる。

案外「あたりまえ」と思われている、いや思い込んでいるものの中に見過ごしているヒントが煌いている。

目が飛び出すんじゃないかと思えるくらい長い時間ひっくり返ってみようか・・・

これも勉強

仕事の関連で高知に出かけた。
いくつか有名な観光地を歩かせてもらった。

自分なりに盗み取りたいものがあって参加したのだが収穫は充分だった。

和蝋燭と漉き和紙を全面に押し立てて町おこしを行なっている地域を見学した。
昭和53年に歴史的保存事業の国の補助事業指定を受けて、
ちょうど、中仙道の妻籠宿のように街道に沿った民家を昔の状態に戻している。
景観を保持すると言うのは大変な仕事だと思う。

そこに住むものは、街道に面した部分には、好きに手を加えることはできない。
漆喰壁の連続する通りは、歩いているだけでも癒されるし、先人の知恵に驚かされることもしばしばだった。

六代も続くと言う古い和蝋燭の工房を覗き、説明を聞きめったに見られない櫨(はぜ)の実から取り出した原蝋を触ってみたり、最近はめっきり減ってしまった京都の町屋に似たつくりの土間伝いに坪庭があり、生活の場がその後ろに控えている鰻の寝床ように奥行きのある空間を楽しんでみたりといろいろ見学させてもらった。

その店を出、バスの乗り場へ急いでいると、とある店の店主が観光客相手に熱心に説明をしていた。

バスの出発時間も迫っていたこともあり素通りしても良かったのだが、立ち話が耳に入ってしまった。

「ここの町は和蝋燭なんてやっていなかったんだよ・・・」
「新参のものが古くからいるような顔をして・・・」

「観光会社もいい加減なことを」と言わんばかりにわざわざ、自分でこさえたのだろう、ちらしに、しかも、ご丁寧にラインマーカーまで施して、熱心に説明していたのだ。

よほど後から移動してきた産業(というほどのことか)が脚光を浴びることが腹にすえているという体なのだった。

代々同地点に店はなかったとしても、地場の産業として根付いたものだとすれば、それもありかな・・・
さらに言えば、事実、結果として観光客が増え、その恩恵はその店とて何らかうけているのであろうに・・・

何も知らない観光客に向かって、「これは違う。間違っている。」と、一人ひとりに口説いている姿には、一観光客としてきた自分には、そりゃあんた内輪の話を外来者に愚痴言ってどうするのと、懇切にお話ししても良かったけど、しかたないよね。時間もなかったし・・・

実にいい勉強をさせてもらった気がした。

ったがで帰り

記憶蔵

頭の構造はなんとも不思議なものだ。
どういう構造になっているのか一度開けて見てみたいが、それだけはよしておこう。

何が不思議って、蓄積している記憶は、ちょっとしたことが原因で連鎖反応的に暴走することがある。暴走した行き先には出発点とは全く違う光景に突き当たることもしばしばなのだから。

友人のハイキング紀行に丹沢(入り口)のヤビツ峠の写真を見ていたら、急に思い出してしまった。

あの写真はどこ行ったっけなあ・・・
たった一枚の写真が脳裏に浮かんでしまうが、思い出せない。
思い出せないとついムキになってどうしても見たくなってしまう。
見たってどうって言うことはないとわかっていても。

ようやく画像ファイルの山の中に見つけ出すことができた。

ツーリングの写真。
しかも一人走りの多い僕にしては、クラブメンバーとの一こま。
丹沢湖の計画が持ち上がった頃で、開発の様相は写真のどこにも見当たらない純朴な風景。

すすきがお日様に透かされて黄金に輝いていたのが、印象的だった。

そのほかの光景は何も覚えていないのに、
僕の脳ミソの中には、ススキの穂だけがインデックスされてしまっている。

ヤビツとススキの穂がどうして繋がっていたのかわからないのだが・・・

体育の日

たーた、たーたたーー・・・♪
(東京オリンピックのファンファーレ)

そうか・・・

今日は「体育の日」の代休ね。

昭和39年10月10日おいら9歳でした。
もう46年前! のこと。
あぁ~~

白黒テレビで開会式を観ていた記憶があります。

小学校の教育の一環で「オリンピック」映画を観に行った記憶も。
記念日一つにも思い入れがあるものです。

おーっとっと・・・
「今日は代休じゃない!?」って。

「ハッピーマンデー制度」の適用により、10月の第2月曜日

だから今日が正真正銘の「体育の日」なんだ・・・
なんだか変なの・・・

子供の誕生日をこれからは、12月、3、5月、7月の第二月曜日とするなんて言ったら反乱がおきるよ・・・

成人の日といい・・・
体育の日といい・・・

記念日は記念日としてそっとしておいて欲しいね。
文化の破壊だよこれじゃ・・・

凝る

ほぼ毎日6キロ走っている。
もうすぐ丸2年になる。
上さんがあきれるほど続いている。

そうなのだ。
子供の頃から凝り出すと何処までも凝る。

車と昆虫が好きで、毎日図鑑を手放さなかった。
グリルの一部、ミラーの一部を見れば何年式の何という車とそらんじた。
はえに興味を示した時は、当時は犬の○ん○がそこいらじゅうに落ちていた時代であったのが幸いして、どんな種類のが集まるのか一日中観察していた。

そのうちお金に興味を示し、古銭マニアが複合した。そうなると読む本もかなりのものだと思うのだが読みこなしていた。、
駆けずり回って集めてはほくそ笑んでいる光景は何となく不気味さも感じる。今思えば。

思うところあって趣味には封印をしたが、自転車も7台持っていた。
毎週、遠出をしていた。峠が好きで富士山頂に担ぎ上げて山道を転がり落ちた。
毎日職場と自宅を28km通い続けた。思うところあってぱったりとストップした。
(最近封印は解いたが体がおぼつかなくなっているのが情けない)

そばを昼飯にすれば、何年も同じ店に通い盛りそばを食べ続ける。

やりだすと何処までも続ける。その自信はある。
それも自分の長所?であると思う。

けど、やめようと思えば、すっぱりやめられる。
やめるには止めるなりの大儀がなければならないのだけれど、心からそうだと理解すれば、次の日からさっぱりとやめられる。

それがいいのか悪いのか解らないけれど、割と感情をコントロールできる人間みたいだ。
人間関係でも同じことが言えるのだが。

この仕事も四半世紀。
職人家業と販売に足を突っ込んで、一向に飽きが来ない。
面白くてしかたがない。

勉強することは山ほどある。
技術的なこと、経営的なこと、学術的なこと
何より人的なことが大きい。

職人というのはややもするとお客様が見えなくなる。
勝手な想像をし、勝手なものを作り出す。
自分の世界に引き入れようとする。
それも一面必要な独りよがりの世界なのだと思う。
我の世界だと知っていて想像するならまだ救われる。

だから販売の現場、人と触れ合う場に絶対いなければいけないと思う。
しかも生半可にいるのでなく、人一倍積極的に。

人の喜怒哀楽の中に文化が込められていると信じるから。
ともに喜び、ともに怒し、とも泣き、笑う。
その感情の蓄積を創造の起爆剤にしたい。

そうした人の切れ目がないお店にいると
まだ暫くは、がんばれそうな気がしてくる。

ポチ

早朝に一仕事で雷門あたりにいると、実に多くの犬が通る。
モモちゃんというメスの柴犬がやたらと馴れてくれた。

子供の頃飼っていた愛犬がポチ。
柴犬の雑種で実にかわいいやつだった。

僕の言うことはまったく聞かなくて、しょっちゅう脱走してのけた。時々は夜中に鎖をどういう手段でかはずしてしまい、逃げ出して子供を作って帰って来ることも季節の変わり目になると行事となっていた。

そんなときは、明治生まれの大家のおばあちゃんに見つからないように、貰い手を夢中になって捜した記憶がある。
何故ならば子犬が見つかれば、近くの川に流されてしまうと恐れたからに他ならない。

ある日予想だにしていなかった事件が起きた。
ポチが大きなお腹を抱えて逃げ出し、近所の家畜に迷惑をかけてしまったのだった。
ついに彼女は悲しい運命を歩むことになってしまった。

冊処分が決まった時、飼い主のふがいなさに泣きの涙で、犬は一生飼わないとポチに誓ったのだった。

そんな思いが柴犬を見ると頭をよぎる。

ふとしたことで、ポチに似たメス犬とじゃれあっている間になんで「ポチ」なんだろうと疑問がわいた。

調べた。

大辞林第二版

(1)小さい点。ぽつ。「文章の切れめに―を入れる」
(2)(京阪地方で)芸妓や茶屋女などに与える祝儀。はな。チップ。「―袋」
(接尾)指示代名詞や数を表す語に付いて、それだけの数量しかない意を表す。だけ。ぽっち。「それっ―のことで怒ってはならない」「これっ―じゃ足りない」〔上の語との間に促音が入って「っぽち」の形で用いることが多い〕 」

秋田犬や土佐犬と比べて小さい犬にポチをつけるような気がしなくもない。
少量(小さい)に対しての形容から来る名称と捕らえていいのかな・・・

なぞと、

調べながら・・・こんなことどうでもいいじゃん。
と、思い直し、また柴犬を飼いたいなとポチへの誓いを破りそうな自分に気がついた。