いつまでも・・・

WEBの友人(お客様?)が二人今年初めて店に来てくれた。
ここんところ体調が悪くて午前中は転がっていたので、すれ違いで逢えず、午後の帰り際によっていただいたおかげで寒中見舞いをいただくことができた。

それでは前日、東京マラソンのおニューのパンフレットを東京マラソン財団の人が持ってきてくれたので、お土産のお返しに(たいしたものじゃなくてすんませんでした)。

東京マラソンの話しが契機でランの話になった。
友人は一人は100キロマラソンに出場するような猛者、もう一人も持病を持ちながらもハーフを飄々と走る人。TONにとっては貴重なアドバイザーなのだ。

この真冬まだ短パンで走っているのかと尋ねられた。

そう。
長いパンツが見当たらなくて、短パンというより膝までので走っていますよ。と答えるとアキレス腱、気をつけてよと忠告。

話のついでに、ベスト式のウインドブレーカーで走ってるから腕が寒いのなんの。
おまけに手袋も走っている途中ではずしてしまうから、両手の感覚はなくなっちゃうと言うと、これまた大きい目をさらに大きくして、故障するよ。あったかくして走らなければダメとさらにダメだしの忠告を受けてしまった。

もう故障しているんだけど・・・

そうか・・・
真冬、袴に素足で練習していた時代なんて、もう・・・40年も昔のことだった。
アイスバーンの山道を自転車での峠越えなんてのも30年も前の話。

ガチガチに固まった体が冬の醍醐味なんて思っているのがそれこそ時代錯誤だったのかもと反省に及んだ。

体の調子がよければ受け取り方も多少違っていたのかもしれないけれど、えらく沁みたタイムリーなアドバイスだったのでありました。

阪神淡路大震災

もうすぐ・・・

17日。

95年1月17日
あれからもう16年を数えるんだ・・・。

こんな寒い季節だったんだなといまさらながら思う。

こあんな時期、突然の天災に家族を失い、住む家を失い、何もかもを失って絶望の淵に立たされた被災者、その家族知人を思うと、身をよじるほどの心の痛みが襲いかかる。

身につまされる。

当日僕はちょうど関西方面に出張中だったので、家族はえらく心配して帰郷を待っていた。

当時、神戸の友人たちと研究会を持っていたので僕は僕なりに彼らを心配していた。

半年後に久しぶりに神戸の町に出かけた。
横浜育ちの僕には、子供の頃の記憶に市内の各所に色濃く残っていた戦争の傷跡や瓦礫のまま焼け焦げたビル郡は独特のにおいを漂わせていた。そんな匂いを知っているだけに、神戸の町はどこか似通った匂いと風景をダブらせるに充分だった。

驚愕したあの日から、
もう二十年に手が届こうとしているのか・・・。

影ぼうし

昔から影って好きだったんですよね。

影踏みに興じていた頃の夕暮れに変化していく茜の空はなんとも言えずよかった。
影はどんどん大きくなっていき、のろまな弟をあざ笑う狡猾な姉の影も難なく踏めるようになる。

自転車で旅をしているころ、山道の夕刻と言うのは、迷ったり、道が荒れていたりで予定通り宿に着かないと、昼間は快適な林間コースであっても、かなり心細くあせるものなのだ。そんな時でも、数メートルにも伸びきった相棒の自転車の影を見ると、頼もしく思いながら追いかけて行ける。なかなかおつなものだった。

都会の雑踏も人人人で息が詰まりそうな空間であるのに、ふと目を落としてみると、朝の活力に満ちた影法師が、夕刻の赤い日に伸びた影法師が、時と場所を忘れさせてくれる。

どこに想いのチャンネルが潜んでいるかわからないものだ。

全てお日様のなせるわざ。

やっぱりお日様は偉いわ。

走り納め

いつもの古都ながら、この時期は気が狂っています。
意識が戻るのは、概ね一月下旬頃となります。

「あ!もう二月だ」で正気に戻っていくのですが・・・

そんな頭を冷やすには朝のひとっ走りが丁度良いことを発見しました。

早朝の凛とした空気に触れると頭と体がすっきりします。

今年も故障もなくまあまあ走れました。

何故だか真冬用のタイツやヤッケが見当たらず、いまだに短パンで走っているのですが、鍛えられているせいなのか、この時期、毎年お世話になっているらくだの股引を必要としない身体になっています。

う~~ん。
このまま短パンで走るべきか否か。

・・・・・

ともあれ今年ももうすぐ終了です。

みなさま、本年はご愛顧いただきまして本当にありがとうございました。

来年も変わらず、どうぞよろしくお願いいたします(ペコリ)

熱中症

今年は、急激に読書家になった。

まあもともと歴史物は好きだった。
しかも物語にかぶれて影響されやすいときている。
30年以上も前に龍馬や坂の上の雲など司馬ストーリーにはまって、幕末明治という激動の時代にぞっこんになった。
足を突っ込んだまま今に至る。

その後もあれこれかじり読みしてはいたが、青春の多感期ほどぞっこんにはならず、ビジネス書以外は手に触れなくなった。

必要以上に本を読みたくない。
なんといっても、目がとにかくいけない。
もともと弱視と言われてともに育って来た右目はもどもと見えないところに、唯一頼りにしていた左目がギブアップを予告してしまい、老眼が極度に進んだ感じとなってしまった。

それなのに・・・
急に本が読みたくなってしまう。

この半年間で、池波正太郎の時代物はほぼ完読し、今は山岡双八の徳川家康にぞっこんとなっている。戦時中従軍記者をしていた山岡が特攻隊兵士に「特攻することで日本は勝つと思いますか」と尋ねた場面を見てこの人の書いたものを読んでみたいとする動機となっているのだからちょっと変かもしれない。

死地に行く若人の姿を目の当たりにした彼がどんな人生観として作家として書き残しているのかを知りたくなったとでも言おうか。

案の定、「徳川家康」の文中のそこここに彼の人生観が散りばめられているのに気づかせられた。
まだ26巻中の半分にも至らないが、今しばらくは、熱中症に陥っているだろう。

ちょっと困った

仕事柄、爪を伸ばしておかないと糸をしごけない。
しかたなく不精なTONも億劫ながらも伸ばさざるを得ないでいる。
ギターに熱中していた若き頃とどこか似ているけど決定的な違いはこれが僕の生活の糧なのだということ。

これって生活シーンでは以外に邪魔になることがある。
最近の若い女の子は凄いと思う。
わざわざ付け爪なぁんて付けてまで、爪を巨大化しその指で携帯メールを速押しできるのだから・・・

最近手にしたiPhonの液晶画面を触るのに指先では爪が邪魔して僕にはタッチできない。

指の指紋部分でタッチすると的確に目的地に至らなくて勝手なページに飛んでしまう。

う~~ん。ここは小指を駆使するしかないのだろうか・・・
人前でそんな操作していたら
「あのオヤジ小指で御してる・・・」ちょっと異様な光景に映りはしないか心配である。

一考しなくてはならない。

反対に利点と言えば・・・

・・・・・・・・

しいて言うなら・・・・・・・

背中をかくときになかなか気持ちがいいと言うことくらいなものだろうか・・・

大き目の馨子(リン)をゴンゴンと叩くと、決まって
「むじょうじんじんみみょうほう・・・」

の言葉がついついついて出てくるのです。

仏教者ならば、当たり前のこととして仏前でお経をあげる前の常套句の如くのお経「開経偈」であるわけです。

これから読誦させてもらうお経は百千万劫にも遭うことが難しいものなのだと感謝と感激の導入句。

ただTONの開経偈は開経偈でも人とはチョット違うのである。
自分を特別視しようなどと思うのでは毛頭ないのですが・・・。

じつはそのお経には旋律が乗っている・・・いやいや正しくは旋律にお経が乗って口をついて出てくるのだあります。

だから法要に参加するときには当初ちょっとこまった現象になってしまうのです。
厳粛な顔をしている参列者のなかで、ひとり鼻歌を歌っているのですから・・・。
でもそれはTON的にはお経を読んでいるのであるのです。

でも、周りにはわっからないだろうな・・・

馴れてきてしまえば、だれも気がつきゃしないだろうくらいに一人で歌っているようになったのでありました。

お経を読めば歌になる・・・。そうなったにはそうなった原因があるのでありました。というのも長くお世話になった真言宗智山派智韻寺の住職である新堀智朝尼の創作された讃祷歌の曲の中に原因があったのです。
師は宮沢賢治のことば「これからの宗教は芸術。これからの芸術は宗教」を文字通り実践された方でしたが、諸尊諸菩薩を歌にされた方でした。三帰、開経偈、般若心経、普回向とまさに宝前での勤行どおりの曲もあるのでありました。

歌い込みもし、歌い慣れもし、細胞に擦りこまれている感じなのでありました。

かならず「三帰」の旋律が頭に浮かぶ。
ついで口ずさむ。
開経偈、心経へと細胞がかってに喜んで旋律を奏でているのだから・・・
しかたない。

智朝尼の13回忌がとっくに過ぎているのに、今だに心は勝手にお経を歌うのであります。

浅草LRT

あちこちの媒体に・・・といってもまだまだローカルなものだけれどLRT地元研究会の試案が公表されてきました。

言問橋から白髭橋までの交通過疎化区間をモデル線にして、まず走らしちゃおというのが計画。
南千住まで伸ばせば汐入地区再開発地域の人口を吸収できるし、言問橋際から南進して浅草駅まで立体交差させながら進ませれば、交通の邪魔にはならないし浅草のターミナルとして役立てられる。この区間は櫻の名所。櫻電車も走らせれるじょ。

路線図が出されたから、ほんのチョットだけ現実味を帯びてきたけど、風はどっちに吹くかいな。

研究会の発表会の席上、参加していた台東区幹部はスカイツリーへの巡回バスを東武バスに丸投げの格好で「認可」したいみたいまさしくお上の仕事ぶり。

果たして民意は反映するや否や。

朝のかけっこ

早朝のジョギングは、何故かいまだに続いている。

若い頃はとにかく自転車しか頭になかった。
暇さえあればどこかの田舎道、どこかの峠道、どこかの海岸べりを疾走しているか平塚か川崎か、どこかの競輪場を走り回っていた。
見ようによっちゃそれだけ時間をもてあましていたとも考えられるのだが・・・

ところが今は、とてもではないが半日ですら時間を割くのが至難になってしまった。

世には、ツーキニストなる人々が増え、自宅と職場を自転車で往復するのがナウいのだそうだ。
それがスローライフにふさわしいあり方のような風潮も後押しし、この種の人口が急激に増殖してきたとも聞く。

そのツーキニスト生活ですら職住一体のTONちゃんの今の生活ではむりな話し。
だって100歩圏内の我が家の往復では自転車のお世話にもなれない。

そしてまた、TONが現役サイクリストだったときより、自動車のマナーは間違いなく悪くなった。道路行政も含めてのことであるが。30年前の頃ですら自転車で家を出ると帰り着くまで最低3度は死にソ損なうヒヤリとさせられながら走っていたのだから・・・ まあ・・・トラックの後ろにぴったりついて走ったり、追い越されれれば必ず追い越して見せたりとか・・・峠の下りで車を追い越すのが楽しくてしょうがないとか・・・う・う・  
若気の至りということもないとはいえないのだが・・・
それがぜんぜん恐くなかったしね・・・・

まあ・・・家族にはまだ食わしていかなければならない身の上だし・・・
そう簡単に車に引っ掛けられてなるものか。

そこで風になりたい症候群のTONちゃんは、考えた。
「じゃあ、朝、コンピューターに向かっている時間を走ればいいか」

と、ひらめいた。それが走るそもそもの発端。

息子が着古したつんつるてんのジャージを着、丸くなった体型を気にして暗いうちに外に飛び出したのだった。

飛躍的に運動靴の性能が向上したおかげもあってか、椎間板ヘルニア、坐骨神経痛の発生で2週間程度の休止を除いて、ほぼ毎日の生活リズムになった。

正月を過ぎれば丸二年となる。

おかげで10キロ以上の体重減というおまけもいただいたが、何よりは頭の中がこの時間だけは空っぽに出来る。

夢の仲間ですら仕事をしているのだから、実のところ休む暇がない。
その点、体は極限まで動かしているのに、脳波測定をしたらきっとアルファー波を出しているのではないかなと思うほど考えないでいられる。これは本当にありがたい。

自転車でもその傾向はあるのだが、先に書いたように、田舎道をひたすらトコトコ走るならばよいのだが、車と切磋琢磨しなければならない都会の道路では「コン畜生どこ見てやんだい!」っていうのが頭の中を駆け巡るのが関の山で、それも時としては生きる力に励みになるときもあるのだが、今の生活からは、ちょっとお邪魔な思考なのだ。

TONちゃんにとって走る禅なのだと思う。

ということで、まだ暫くはこの生活が、つまり朝のかけっこは、続きそうな予感がするのである。

ついに昇天・・・

「洗濯機からなんか変な音がするわよー!」

と、
上さんの大声に不安を覚え、そ~~と近寄ってみると

水のしたたり落ちる携帯電話を手にする上さん・・・・・絶句
ズボンのポケットに入れていたのをすっかり忘れていた。

もう丸4年?相棒でいてくれた。ちなみに「浅草のそら」はずっとこの携帯電話からのレポート。

電池が膨らみ始め、フリーズもしょっちゅうとなり、色温度も安定せず、電話のかかり悪くなってと調子がどんどん悪くなっても・・・・愛着があって、もうちょっともうちょっとと思いつつ、先延ばし先延ばしに大切にしてきたのに・・・・

こんな形で終焉が訪れようとは・・・・

しかも、ぜーーーんぶ情報も消えてしもうた・・・

復旧できないかな・・・

通電しないから無理かな・・・

こんなにあっけなくいってしまうんだなぁ・・・・