浅草にちんちん電車

と言っても、都電の延伸ではない。

ちんちん電車。
今どきは、LRTという。

浅草に逢いに初めて足を運んだのが、高校時代。
都電に乗りたくて学校を病欠し、神田からの28系統に乗ったのがそもそもの縁。

もちろん浅草は伝助や芸能の発信地として、物心つくころからの行きたいNO1の場所として幼心に擦りこまれて育った下地はあったにはあった。

が、真面目?な学生がそこまで行動を起こしたのは、鉄(鉄道マニア)の血の芽生えと共に・・・であったわけで、深川や浅草への憧憬は鉄の血によって実現されたということだ。

神田神保町の交差点から柳島福神橋までの車窓は、少年の心に忘れることができないものとなった。おかげでその後の人生の展開に大きく影を・・・いやいや、おもしろく転がっいったのだ。

しかし、昭和47年に旧東京市電は全廃されてしまった。

時は流れ・・・

スカイツリーが川向こうに計画されて、過去にもあった都電の延伸計画とは全くことなる浅草のLRT計画が噂された。

にわかにその噂を聞きつけ、おかしな縁にて参加するとができた。

なんだか不思議な気がする。

それにしても走るといいなあ・・・


こんなかわいい連接車構想


架線を必要としないLRTもある

トンネル

この絵は、30年前竜飛だか大間へ向かう道すがらの写真だったと思う。

雨男の僕の時らしく、しとしと雨が道路をぬらしていた。
今はどうなったか知らないけれど、当時は素彫りのトンネルがあちこちに口をあいていた。

トンネル内からのシルエット写真は好きでよく撮っていたがこれはその一枚。

だいぶネガが痛んでしまっているのは、30年という時の隔たりを充分に感じさせてくれくれる。
大のトンネル嫌いが、トンネルの構図で写真を撮るのはは大好きと言う相矛盾さ。

トンネルをくぐるとそこは雪国だったことは、山越えのトンネルでは良くあることだった。

走りなれない時分はその変化が頭にあらず、トンネルを出た先で、アイスバーンにひっくり返ったり、雪の吹き溜まりに突っ込んだりしたものだった。

けれど考えてみれば元気だったなぁ。
木枯らしが吹き出すと、小瓶を忍ばせて、わざわざ冬の峠道を選んで走ったのだから。

峠の陽だまりを見つけて、湯を沸かせて紅茶を入れるあの楽しさはなかなか口で説明できない悦の世界であった。

昔のツーリング仲間も年のせいか林道はやらないと言っていたし、自転車の性能も道路も格段に良くなったのに、反比例して、何か失ってしまったものが多いように感じるTONちゃんなのである。

三社祭

今年の三社祭りは、5月14日(金)から16日(日)まで。

本社神輿が担ぎ出されてくるのは16日です。

浅草寺縁起によると、今から1380年程の昔、隅田川で漁労に精を出していた檜前浜成・竹成の二兄弟が魚網の中から一像を持ち帰り、土地の文化人である土師真仲知に一見を請うたところ、土師はこれは尊い聖観音像であり、自分も帰依する所の深い仏像であると二人の者にその功徳を諄々と説き、自邸に堂舎を構えててらとし、三人共々厚く聖観音像をお祀りするようになったという。
これが浅草寺の期限であり、後世この三人が浅草の開拓者として、三社大権現の尊称を奉られ祭祀されるようになった。それは権現思想(仏が神の姿をかりて現れる神仏同体説)の流行しだした平安末期(約800年前)だろうといわれる。その後明治6年三社権現の名称は廃され、現在は浅草神社と呼ばれている。
その大祭の神輿渡御は江戸第一の荒祭りとして浅草人の血をわかせその賑わいは府外随一として全国に喧伝された。

また、現在の社殿は徳川三代将軍家光が慶安二年(1649)に建立寄進した、江戸初期の代表的権現造り建築で、幾多の災厄をのがれ、国の重要文化財に指定され、昭和38年と平成8年に多額の国費の補助を受け創立当時の姿に修復された。

と、三社祭りのしおりに書いてあった。

ところどころ修正したい部分が散見されむずむずしてくる。

江戸期まであれほどおおらかだった日本の宗教事情はどこへいってしまったんだろう。

明治の神仏分離令(廃仏毀釈)によって、狂ってしまった神社と寺の関係が修復されないかと願うのは決して少数意見ではないと思うのだ・・・

すっぽかす

朝のジョグに出かけてから、浅草寺の掃除会があったことに気づき、後の祭り第一号。

朝のメールをチェックし10時を過ぎて、手が離せなくなってから、靖国神社に行くのを忘れていたのに気がついて、後の祭り第二号。

さて・・・

二度あるということは・・・

なんだか両方とも月一の大事なセレモニーだっただけに、頭が月替わりしない感じで気持ちが悪い。

でも靖国に出かけなかったおかげで、大事な御用をすっぽかす不始末を犯さないで済んだし、朝の掃除に行かなかったおかげで、ゲゲゲの女房を観ることができたし・・・
と、これは筋違い。

明日は商店会の掃除の日。これはすっぽかすわけには行かないのだ。

どうでもよいことなんだけど・・・

一時期手相に凝ったことがあった。

随分昔の話のことゆえ、どの線がどういう意味を持っていたかなんて、とうに忘れてしまっている。
と、思っているのだけれど・・・

仕事上、ネットで販売するお客様に対して、商品を手のひらに乗せて写真を撮る機会が多い。
見てもらってokをもらうためだ。

そんなときはなるべく指紋が見えないようにアングルに気をつける。

自分の手を広げるのは、なんだか恥ずかしくなる。
でっぷりしてるとか、しわが多い、とかそういうことじゃあない。

見透かされちゃう。なーんて思ってしまうんだろうなぁ。

そんな眼が心の根っこにまだ残っているようだ。
手のしわは、最大の個人情報だと思っているからなのだろう。

商いのかたち

ネットの仕事をしていると、大企業ではないだけに(と誇らしげにいうことでもないのだが)ホームページの更新から商品撮影まで全て一人で行っている。

最近は外注する御仁が増えたが、どうもその気にならない。
ついていけない、というのか自分(の一部)を表現するのに他人の手を借りたくないという気が強い。

そうだから俄然、自分のカラーになってしまう。

でもそれでいいと今は思っている。
無理に美しいページにしたいとも思っていない。
ガバチョガバチョと儲けようとも思っていない。
手を出すとしたら、より多くの人との縁を持ちたいなと思ったときなのかもしれない。

自分の手の長さで収まる人とのお付き合いができればそれでよいと思う。今は。

必要以上に作りこんで、モールに出して、宣伝していけば、比例して売り上げもトントンと伸びた。それはしっかり体験した。
でも比例して楽しくなくなった。

この感情って、以前も味わった。
とにかく根が真面目だし、猪突猛進のところがあるから、一生懸命やる。
やればやっただけの見返りもそれなりにあった。
けれど人がお財布に見えてきたとき、人に命を感じなくなった時、全てやめた。
己の動機に不順を感じたらいつでも撤退できる。

だからお客様も自分も楽しいと思えるようでありたい。
そう思う自分の接し方、商いって何だろうといつも模索している。

答えが出た時には時代遅れになってしまうかも知れない。
けれど模索してみようと思っている。

東京新聞に載りました

四月九日の金曜日にかねてから参道化工事を進めていた我が通りの開通式でした。

東京新聞にうちの商店会(雷門一之宮商店会)の記事が載りました。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20100410/CK2010041002000061.html

浅草寺の森山執事のお導師で始まった式は、最期の歩き初め(お練り)で終了。
商店会員の一人の太鼓の会(皇の会)と江戸源流囃子を伝える金町江戸囃子保存会の皆さんの協力もあって、導師や式衆の法要に厳かの中にも、賑々しさもあって、どことなく心が躍る気がしました。

超雨男のTONちゃんもこの日ばかりは龍神を呼ばなかったようでありました。

モラル


これは捨てられたガムの跡である。
しかもまだ新鮮。まだ口に入れれば噛めるほど・・・するわけはないが!

紙にも巻いていないし、その量的なことを推察するに、板状のものではなく、ブロック状の小分けしたタイプのものであろうことは判別できる。

ということは、包装紙もついていない・・・

いやいやそうではないだろう。

噛み尽くしたカスを口からぺっと吐き出したに違いない。

我が店がある商店会の通りはつい最近、敷石を敷いて浅草寺参道としての面目を一新したばかりなのだ。


が、その工事を行っている真っ最中にも、敷かれたそばから、僅かな面積のまっさらな敷石の上にガムの吐き捨てが行われ、石工の職人を怒らせていた。

「やる気なくなっちまうよ!!」
この嘆きが聞こえるだろうか。

まだ、人も歩かせていない、まっさらな御影石の敷石上にである。
職人でなくとも腐らせるのには十分な材料である。

商店会では毎月第一日曜日の早朝に集まって道路の掃除をしている。
ゴミ一つなく清める。

夕方には、煙草の吸殻がちりとりいっぱいに拾えるほどになる。

草木の茂みには、缶やペットボトルコンビニの弁当がらが隠し捨てられるのも日常茶飯事。

日本国よ、どこまでモラルが下がればよいのだ。

じゃあゴミ箱を設置したいと思うことしばしばなのだ。

「止めたほうが良い」必ず帰ってくる答えなのである。

形見

お母様の形見と言うことでお直しさせていただいた。
ご本人の予想に反して、プラスチックではなく本物の珊瑚だった。
なk糸がテグス仕立だったからそう見えても仕方のないことだと思った。

直しということでは、思い出すことがある。

僕らの仏具業界で本当に全ての念珠の直し(製作)を可能とするお店は何件あるだろうか。
多くの店がお直し承りますと言っていても、自社内では直せず京都に出している。

昔、その本家本元が、手間のかかる修理をいやがり、切れた念珠は供養しましょうという戦略をとった時期がある。あながち間違ってはいないという気もしないでもないが、新しい念珠を買わせる手段としてこういう方法論をとることには、心底腹がたった。また、自分にはそういうことは言えないとも思った。

持ち主の心の問題にまで土足で入るような気がして。

持ち込まれるお客様が、心機一転新しい念珠を持ちたいとか、グレードアップしたいと思う上には何ら抵抗はない。
うちは、自分で直してしまうから、その戦略に乗ることもなく済ませることもできた。

だから、お炊き上げしてしまうということに対して、まったく逆の立場で臨んだ。

もらった念珠をどうしようかと迷っているお客様には親が子にどんな気持ちでお念珠を差し上げたのだろうか。
「そんな気持ちを大切にしてお直ししましょうよ」と。

新しい念珠は売れなかったけれど、気持ちはお客様に伝えられた。と思う。
親の思いを僅かながらも代わりに伝えられたのではないか。と思った。

お客様は、その念珠を親からもらったいきさつをそのつど教えてくれた。

おかげで何度涙を流すはめにあったことかわからない・・・
多くの思いの込められた物・・・いや。物を超越した心の象徴なのだと思った。

ぼくの考え方は正しかったと思った。

あとわずか


TON店長が会長をしている商店会(雷門一之宮商店会)の参道への道路改修工事も今週でいよいよ完了するめどがついた。

できてしまえば、ごく普通に通ってしまう道路なのだけれど、形にしていくことの難しさをいやというほど今回は身に沁みた。
娑婆世界に生きている以上、そんなことも幾度とあることなのだし、またとない経験をさせてもらったと楽しみながらいたいと思うのだ。

クレージーキャッツの歌に「お前の番だと声かけられて、どひゃっとするやっぁ女の子・・・♪」というのがあったが、いつもこの歌がいざと言う時耳に聞こえる。
女性蔑視などと野暮なことは言わないで欲しいが、いざと言う時でも「よし!」原をくくろうと思える潔い生き方をしたいと思っている。

どうせ一回の人生。その人生の中で経験することができてありがたいと思いたい。
どうせ彼岸に持っていけるのは地位でも名誉でももちろん財産でもないのだから。

ずいぶん大げさな話になってしまった。
でも簡単な工事だけれど、難しい工事だったことは正直なところなのだ。