どうでもよいことなんだけど・・・

一時期手相に凝ったことがあった。

随分昔の話のことゆえ、どの線がどういう意味を持っていたかなんて、とうに忘れてしまっている。
と、思っているのだけれど・・・

仕事上、ネットで販売するお客様に対して、商品を手のひらに乗せて写真を撮る機会が多い。
見てもらってokをもらうためだ。

そんなときはなるべく指紋が見えないようにアングルに気をつける。

自分の手を広げるのは、なんだか恥ずかしくなる。
でっぷりしてるとか、しわが多い、とかそういうことじゃあない。

見透かされちゃう。なーんて思ってしまうんだろうなぁ。

そんな眼が心の根っこにまだ残っているようだ。
手のしわは、最大の個人情報だと思っているからなのだろう。

商いのかたち

ネットの仕事をしていると、大企業ではないだけに(と誇らしげにいうことでもないのだが)ホームページの更新から商品撮影まで全て一人で行っている。

最近は外注する御仁が増えたが、どうもその気にならない。
ついていけない、というのか自分(の一部)を表現するのに他人の手を借りたくないという気が強い。

そうだから俄然、自分のカラーになってしまう。

でもそれでいいと今は思っている。
無理に美しいページにしたいとも思っていない。
ガバチョガバチョと儲けようとも思っていない。
手を出すとしたら、より多くの人との縁を持ちたいなと思ったときなのかもしれない。

自分の手の長さで収まる人とのお付き合いができればそれでよいと思う。今は。

必要以上に作りこんで、モールに出して、宣伝していけば、比例して売り上げもトントンと伸びた。それはしっかり体験した。
でも比例して楽しくなくなった。

この感情って、以前も味わった。
とにかく根が真面目だし、猪突猛進のところがあるから、一生懸命やる。
やればやっただけの見返りもそれなりにあった。
けれど人がお財布に見えてきたとき、人に命を感じなくなった時、全てやめた。
己の動機に不順を感じたらいつでも撤退できる。

だからお客様も自分も楽しいと思えるようでありたい。
そう思う自分の接し方、商いって何だろうといつも模索している。

答えが出た時には時代遅れになってしまうかも知れない。
けれど模索してみようと思っている。

東京新聞に載りました

四月九日の金曜日にかねてから参道化工事を進めていた我が通りの開通式でした。

東京新聞にうちの商店会(雷門一之宮商店会)の記事が載りました。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20100410/CK2010041002000061.html

浅草寺の森山執事のお導師で始まった式は、最期の歩き初め(お練り)で終了。
商店会員の一人の太鼓の会(皇の会)と江戸源流囃子を伝える金町江戸囃子保存会の皆さんの協力もあって、導師や式衆の法要に厳かの中にも、賑々しさもあって、どことなく心が躍る気がしました。

超雨男のTONちゃんもこの日ばかりは龍神を呼ばなかったようでありました。

モラル


これは捨てられたガムの跡である。
しかもまだ新鮮。まだ口に入れれば噛めるほど・・・するわけはないが!

紙にも巻いていないし、その量的なことを推察するに、板状のものではなく、ブロック状の小分けしたタイプのものであろうことは判別できる。

ということは、包装紙もついていない・・・

いやいやそうではないだろう。

噛み尽くしたカスを口からぺっと吐き出したに違いない。

我が店がある商店会の通りはつい最近、敷石を敷いて浅草寺参道としての面目を一新したばかりなのだ。


が、その工事を行っている真っ最中にも、敷かれたそばから、僅かな面積のまっさらな敷石の上にガムの吐き捨てが行われ、石工の職人を怒らせていた。

「やる気なくなっちまうよ!!」
この嘆きが聞こえるだろうか。

まだ、人も歩かせていない、まっさらな御影石の敷石上にである。
職人でなくとも腐らせるのには十分な材料である。

商店会では毎月第一日曜日の早朝に集まって道路の掃除をしている。
ゴミ一つなく清める。

夕方には、煙草の吸殻がちりとりいっぱいに拾えるほどになる。

草木の茂みには、缶やペットボトルコンビニの弁当がらが隠し捨てられるのも日常茶飯事。

日本国よ、どこまでモラルが下がればよいのだ。

じゃあゴミ箱を設置したいと思うことしばしばなのだ。

「止めたほうが良い」必ず帰ってくる答えなのである。

形見

お母様の形見と言うことでお直しさせていただいた。
ご本人の予想に反して、プラスチックではなく本物の珊瑚だった。
なk糸がテグス仕立だったからそう見えても仕方のないことだと思った。

直しということでは、思い出すことがある。

僕らの仏具業界で本当に全ての念珠の直し(製作)を可能とするお店は何件あるだろうか。
多くの店がお直し承りますと言っていても、自社内では直せず京都に出している。

昔、その本家本元が、手間のかかる修理をいやがり、切れた念珠は供養しましょうという戦略をとった時期がある。あながち間違ってはいないという気もしないでもないが、新しい念珠を買わせる手段としてこういう方法論をとることには、心底腹がたった。また、自分にはそういうことは言えないとも思った。

持ち主の心の問題にまで土足で入るような気がして。

持ち込まれるお客様が、心機一転新しい念珠を持ちたいとか、グレードアップしたいと思う上には何ら抵抗はない。
うちは、自分で直してしまうから、その戦略に乗ることもなく済ませることもできた。

だから、お炊き上げしてしまうということに対して、まったく逆の立場で臨んだ。

もらった念珠をどうしようかと迷っているお客様には親が子にどんな気持ちでお念珠を差し上げたのだろうか。
「そんな気持ちを大切にしてお直ししましょうよ」と。

新しい念珠は売れなかったけれど、気持ちはお客様に伝えられた。と思う。
親の思いを僅かながらも代わりに伝えられたのではないか。と思った。

お客様は、その念珠を親からもらったいきさつをそのつど教えてくれた。

おかげで何度涙を流すはめにあったことかわからない・・・
多くの思いの込められた物・・・いや。物を超越した心の象徴なのだと思った。

ぼくの考え方は正しかったと思った。

あとわずか


TON店長が会長をしている商店会(雷門一之宮商店会)の参道への道路改修工事も今週でいよいよ完了するめどがついた。

できてしまえば、ごく普通に通ってしまう道路なのだけれど、形にしていくことの難しさをいやというほど今回は身に沁みた。
娑婆世界に生きている以上、そんなことも幾度とあることなのだし、またとない経験をさせてもらったと楽しみながらいたいと思うのだ。

クレージーキャッツの歌に「お前の番だと声かけられて、どひゃっとするやっぁ女の子・・・♪」というのがあったが、いつもこの歌がいざと言う時耳に聞こえる。
女性蔑視などと野暮なことは言わないで欲しいが、いざと言う時でも「よし!」原をくくろうと思える潔い生き方をしたいと思っている。

どうせ一回の人生。その人生の中で経験することができてありがたいと思いたい。
どうせ彼岸に持っていけるのは地位でも名誉でももちろん財産でもないのだから。

ずいぶん大げさな話になってしまった。
でも簡単な工事だけれど、難しい工事だったことは正直なところなのだ。

旅の終わり

次男が旅から帰ってきた。

しかし足に使ったはずの自転車は旅先に置いたまま。

結局、彼らのグループは目的地を前にダウンしてしまったようだった。
あともうちょっとで目的地に到着できたのに・・・
夜の10時をまわっての峠越えは都会っ子には荷が重かったようだ。

「あと30kmあったんだもの・・・」

帰ってきた彼は言葉少なになっていた。

TON店長が一緒だったらリードしてやったのにな・・・と思いながらも、彼らが彼らながらの知恵で計画したのだから自分なりの責任を取ったということなんだ。

それなりにいい経験をしたんだと思う。

成功して達成感を持つことも経験。
失敗して悶々としたとしても、それは経験。

頭の中だけで勝った負けたとするよりは、一歩踏み出して悶々とした方がよほどよい。
立ち止まっていたのでは、何にももたらされないのだから。

立場替われば

次男坊が高校の友人たちと卒業旅行をしたいと言い出した。
しかも自転車で行くと言う。
TON店長のサイクリストとしての血を引いたかと、ほくそえんでいる場合ではない。

なぜなら、何度も驚きの壁を越えなければいけなかったからだ。

まず目的地。
房総半島一周、箱根、伊豆・・・とコロコロ変わった。
結局、富士吉田あたりとなったようだ。

友人あってのこと仕方ないにしても随分変わるねぇ。

「13日に出かけるよ」って言っていたのに、前日に突然出かけてしまった。
慌てた。

何時に行くのかと聞いたら、3時に待ち合わせていると言う。
夜中の3時ではない。
今の時期。日も陰ってくるから夕方と言ってもおかしくない午後3時である。
ここで二度目の驚き。

八王子で泊まるのだという。
たった・・・と言ってはなんだが100キロ強を二日がかりで行くという。
ふ~ん。第三の驚き。

やたら軽装でいるからちょっと心配して、地図は?と聞くと、
「友達が持っているから」
え!地図も工具も持たないという。はぐれたりパンクしたらどうする・・・第四の驚き。

携帯を持ちながらもいつも全く通じない次男の携帯電話。
数日前上さんにさんざん叱られ、今回は途中経過をメールで実況中継してくる。

新宿についたと4時に連絡して調布に着いたと8時に連絡してくる。
時速7キロに満たない速度。第五の驚き。

残りの距離から推定すると11時過ぎるな・・・
ドンピシャその時間に着いたと連絡してきた。

八王子を過ぎれば本格的な峠越えが待っているから、
さてさて目的地には何時に着くものやら・・・

僕の親もこんな思いをしたのかな。
ずいぶん無茶をしてきたからなぁ・・・

もすら

ザ・ピーナッツはやっぱりうまいなあ・・・

急に恋のフーガが聞きたくなった。頼みのユーチューブだ。
あれこれ聴いているうちにモスラの歌が聴きたくなった。

でこちら。

小学校時代の僕は怪獣映画ファン。
子供心にこの歌がやたらと切なくて、正義のモスラとあわせて大好きになったのを覚えている。

改めて調べてみた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%81%AE%E6%AD%8C

詩を調べてみた。
全然耳では追いつけない歌詞。
モスラ~~やモスラ、どなたかにやインド娘・・・てな具合で子供時代には歌っていたのだ。そう聞こえてしまうし耳に残らないのだからしかたがない。

ネットとは何とありがたいことか。

ちゃんと歌詞まで教えてくれる。

以下の通りなのだ。

モスラヤ モスラ
 ドゥンガン カサクヤン インドゥムゥ
 ルスト ウィラードア ハンバ ハンバムヤン
 ランダ バンウンラダン トゥンジュカンラー カサクヤーンム

これを訳すと、
モスラよ 永遠の生命 モスラよ 悲しき下僕の祈りに応えて 今こそ 蘇れ モスラよ 力強き生命を得て 我らを守れ 平和を守れ 平和こそは 永遠に続く 繁栄の道と言うことなのだそうだ。

実はこの摩訶不思議な詩は日本人の詩をインドネシア語で訳していたのだそうだ。
露とも知らなんだ。

覚えられないのも無理はないよなあ・・・

作曲は「長崎の鐘」や「君の名は」、札幌オリンピックのテーマ曲を作曲した、古関裕而氏の作というのも実に驚いた。

あぁ。
しばらくモスラ~~やにかぶれるかもしれない。

勝って兜

学生時代に後悔していることがある。(山ほどね)
他から見ればたわいもないことかも知れないけれど、TON店長にはそう些細なことでもない。

中学時代は剣道部に在籍していた。

入学早々、担任の先生はどうしたことかクラス全員に順番で「おまえは何部に入るのだ?」と言わせたのだ。

まったくクラブ活動など頭になかった僕は、自分の番が来たときにはたと困って、どうしたものの弾みか「剣道部に入ります」と答えてしまった。

横浜有数の不良中学だった当時の母校では身を守る術をそこに求めたとはちょっと言いがたいが、まんざら全く見当違いではもなかったかも知れない。

小学校のとき1500mのマラソンの授業で工程のど真ん中でゲロゲロとやってしまったほど虚弱体質な僕が果たして剣道部など持つのだろうか、自分の口はもののけに支配されたのかと思うほど後悔した。

運動部など全く想像すらできなかった家族の不安を一身に背負いクラブに通いだした。
案の定、第一日目は、15分も歩けば帰宅できる中学からの道のりを2時間近くかけて帰った。

半歩歩けば立ち止まり、半歩歩けば座り込み、よく帰ってこれたものだと思う。
そんな出だしがうそのように一年後には、そんきょで校庭何週っといった無謀な命令にも絶えられる体ができていた。

そんなおり、前々から何かと言えばつっかっかってくる部活仲間のH君と試合をする羽目になった。審判を買って出たのはH君の小学校からの先輩各にあたるSさんという人だった。

同門相打つ勝負を止めることもないまま、試合という名目の果し合いとなった。
H先輩は、筋のよいH君の勝利を確信していた。

かぶった火の子は祓わねばならぬ・・・心を固めた。

面をかぶって竹刀をあわせた。
頭が真っ白になった。

何故ならば・・・
面をつけたのはそのときが初めてだったのだ。
H君は筋がよいということで先輩から認められ数ヶ月先に面をつけることを許されていた。

こりゃ僕を負かすのは、赤子の手をひねるより簡単なことだった。

が、どうしたことか奇跡が起きた。

相手の動きがスローに見える。
しかも体全体はぼやけているのに、小手だ、胴だ、と隙がはっきり見える。
どうぞ打ってくださいとばかりに打つ場所を示してくれている。

小手と胴を打って、短時間で勝負はついた。
相手はがっくりうなだれた。

僕はと言えば、信じられない展開に度肝を抜かれた。
われに返った時、自分の力で勝ったわけでもないのに、勝つとはこんなものかと舐めた。

そして有頂天になった。

半年近くクラブから遠ざかった。

そんな僕を見かねて、竜馬の乙女姉さんのような姉に促されながら、クラブに戻ることなった。
敵もさるもので、待ってましたとばかりに、いの一番に指名し、僕はぼこぼこに打たれ続けた。
もちろんH君にである。

それ以来、二度と道場に足を踏み入れることはなかった。

勝って兜の緒を締めよとは、まさに自分のことを差しているのだと、めっぽう痛い教訓を学ばせてもらえた中学時代だった。

あそこで天狗にならなかったら・・・
ぼこぼこにされても仕方ないじゃん。休んでいたのだから。自分が悪い。彼はあの後、頑張ったんだ。と謙虚に忍耐強く練習を続けていたら・・・

歴史にも自分史にも「if」はあってはならないとわかっていても、時々頭に浮かんでくるTON店長なのであった。

お客さんのN君と話しながら、このことが頭によぎった。が、口には出せなかった。
ある一線まで忍耐することは必要なんだよね。