旅の終わり

次男が旅から帰ってきた。

しかし足に使ったはずの自転車は旅先に置いたまま。

結局、彼らのグループは目的地を前にダウンしてしまったようだった。
あともうちょっとで目的地に到着できたのに・・・
夜の10時をまわっての峠越えは都会っ子には荷が重かったようだ。

「あと30kmあったんだもの・・・」

帰ってきた彼は言葉少なになっていた。

TON店長が一緒だったらリードしてやったのにな・・・と思いながらも、彼らが彼らながらの知恵で計画したのだから自分なりの責任を取ったということなんだ。

それなりにいい経験をしたんだと思う。

成功して達成感を持つことも経験。
失敗して悶々としたとしても、それは経験。

頭の中だけで勝った負けたとするよりは、一歩踏み出して悶々とした方がよほどよい。
立ち止まっていたのでは、何にももたらされないのだから。

立場替われば

次男坊が高校の友人たちと卒業旅行をしたいと言い出した。
しかも自転車で行くと言う。
TON店長のサイクリストとしての血を引いたかと、ほくそえんでいる場合ではない。

なぜなら、何度も驚きの壁を越えなければいけなかったからだ。

まず目的地。
房総半島一周、箱根、伊豆・・・とコロコロ変わった。
結局、富士吉田あたりとなったようだ。

友人あってのこと仕方ないにしても随分変わるねぇ。

「13日に出かけるよ」って言っていたのに、前日に突然出かけてしまった。
慌てた。

何時に行くのかと聞いたら、3時に待ち合わせていると言う。
夜中の3時ではない。
今の時期。日も陰ってくるから夕方と言ってもおかしくない午後3時である。
ここで二度目の驚き。

八王子で泊まるのだという。
たった・・・と言ってはなんだが100キロ強を二日がかりで行くという。
ふ~ん。第三の驚き。

やたら軽装でいるからちょっと心配して、地図は?と聞くと、
「友達が持っているから」
え!地図も工具も持たないという。はぐれたりパンクしたらどうする・・・第四の驚き。

携帯を持ちながらもいつも全く通じない次男の携帯電話。
数日前上さんにさんざん叱られ、今回は途中経過をメールで実況中継してくる。

新宿についたと4時に連絡して調布に着いたと8時に連絡してくる。
時速7キロに満たない速度。第五の驚き。

残りの距離から推定すると11時過ぎるな・・・
ドンピシャその時間に着いたと連絡してきた。

八王子を過ぎれば本格的な峠越えが待っているから、
さてさて目的地には何時に着くものやら・・・

僕の親もこんな思いをしたのかな。
ずいぶん無茶をしてきたからなぁ・・・

もすら

ザ・ピーナッツはやっぱりうまいなあ・・・

急に恋のフーガが聞きたくなった。頼みのユーチューブだ。
あれこれ聴いているうちにモスラの歌が聴きたくなった。

でこちら。

小学校時代の僕は怪獣映画ファン。
子供心にこの歌がやたらと切なくて、正義のモスラとあわせて大好きになったのを覚えている。

改めて調べてみた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%81%AE%E6%AD%8C

詩を調べてみた。
全然耳では追いつけない歌詞。
モスラ~~やモスラ、どなたかにやインド娘・・・てな具合で子供時代には歌っていたのだ。そう聞こえてしまうし耳に残らないのだからしかたがない。

ネットとは何とありがたいことか。

ちゃんと歌詞まで教えてくれる。

以下の通りなのだ。

モスラヤ モスラ
 ドゥンガン カサクヤン インドゥムゥ
 ルスト ウィラードア ハンバ ハンバムヤン
 ランダ バンウンラダン トゥンジュカンラー カサクヤーンム

これを訳すと、
モスラよ 永遠の生命 モスラよ 悲しき下僕の祈りに応えて 今こそ 蘇れ モスラよ 力強き生命を得て 我らを守れ 平和を守れ 平和こそは 永遠に続く 繁栄の道と言うことなのだそうだ。

実はこの摩訶不思議な詩は日本人の詩をインドネシア語で訳していたのだそうだ。
露とも知らなんだ。

覚えられないのも無理はないよなあ・・・

作曲は「長崎の鐘」や「君の名は」、札幌オリンピックのテーマ曲を作曲した、古関裕而氏の作というのも実に驚いた。

あぁ。
しばらくモスラ~~やにかぶれるかもしれない。

勝って兜

学生時代に後悔していることがある。(山ほどね)
他から見ればたわいもないことかも知れないけれど、TON店長にはそう些細なことでもない。

中学時代は剣道部に在籍していた。

入学早々、担任の先生はどうしたことかクラス全員に順番で「おまえは何部に入るのだ?」と言わせたのだ。

まったくクラブ活動など頭になかった僕は、自分の番が来たときにはたと困って、どうしたものの弾みか「剣道部に入ります」と答えてしまった。

横浜有数の不良中学だった当時の母校では身を守る術をそこに求めたとはちょっと言いがたいが、まんざら全く見当違いではもなかったかも知れない。

小学校のとき1500mのマラソンの授業で工程のど真ん中でゲロゲロとやってしまったほど虚弱体質な僕が果たして剣道部など持つのだろうか、自分の口はもののけに支配されたのかと思うほど後悔した。

運動部など全く想像すらできなかった家族の不安を一身に背負いクラブに通いだした。
案の定、第一日目は、15分も歩けば帰宅できる中学からの道のりを2時間近くかけて帰った。

半歩歩けば立ち止まり、半歩歩けば座り込み、よく帰ってこれたものだと思う。
そんな出だしがうそのように一年後には、そんきょで校庭何週っといった無謀な命令にも絶えられる体ができていた。

そんなおり、前々から何かと言えばつっかっかってくる部活仲間のH君と試合をする羽目になった。審判を買って出たのはH君の小学校からの先輩各にあたるSさんという人だった。

同門相打つ勝負を止めることもないまま、試合という名目の果し合いとなった。
H先輩は、筋のよいH君の勝利を確信していた。

かぶった火の子は祓わねばならぬ・・・心を固めた。

面をかぶって竹刀をあわせた。
頭が真っ白になった。

何故ならば・・・
面をつけたのはそのときが初めてだったのだ。
H君は筋がよいということで先輩から認められ数ヶ月先に面をつけることを許されていた。

こりゃ僕を負かすのは、赤子の手をひねるより簡単なことだった。

が、どうしたことか奇跡が起きた。

相手の動きがスローに見える。
しかも体全体はぼやけているのに、小手だ、胴だ、と隙がはっきり見える。
どうぞ打ってくださいとばかりに打つ場所を示してくれている。

小手と胴を打って、短時間で勝負はついた。
相手はがっくりうなだれた。

僕はと言えば、信じられない展開に度肝を抜かれた。
われに返った時、自分の力で勝ったわけでもないのに、勝つとはこんなものかと舐めた。

そして有頂天になった。

半年近くクラブから遠ざかった。

そんな僕を見かねて、竜馬の乙女姉さんのような姉に促されながら、クラブに戻ることなった。
敵もさるもので、待ってましたとばかりに、いの一番に指名し、僕はぼこぼこに打たれ続けた。
もちろんH君にである。

それ以来、二度と道場に足を踏み入れることはなかった。

勝って兜の緒を締めよとは、まさに自分のことを差しているのだと、めっぽう痛い教訓を学ばせてもらえた中学時代だった。

あそこで天狗にならなかったら・・・
ぼこぼこにされても仕方ないじゃん。休んでいたのだから。自分が悪い。彼はあの後、頑張ったんだ。と謙虚に忍耐強く練習を続けていたら・・・

歴史にも自分史にも「if」はあってはならないとわかっていても、時々頭に浮かんでくるTON店長なのであった。

お客さんのN君と話しながら、このことが頭によぎった。が、口には出せなかった。
ある一線まで忍耐することは必要なんだよね。

ばっかじゃない

春のゴールデンウィーク、秋のシルバーウィークを地域ごとに分散する法案が浮上しているそうな。

今の連休の状況は、観光地へのアクセスが集中しすぎて、せっかくの休日が渋滞で大変だからだとか・・・
迎える宿泊施設や観光地側も断らなければならないほどの事態が生じるからと言う理由らしい。

夫婦別姓法案等も含めて、民○党の考える事って、日本人のアイデンティティーをぶっ壊すことが目的なの?

って???が次から次に生まれてくる。

国民の休日の意味合いがわからず(ちゃんとおせーてないもん)単なる休暇、お休みと考えるむきも中にはあろうと思う。

が、どうであろうか。

休みたいなら自分で好きなだけ有給を取ればよいのであって、わざわざ法律上で国民の休日にする必要がどこにあるの。

しかも地域ごとに、北海道は5月の第一週、東北は5月の第二週、関東は・・・
だという。

そのうち正月休みも1月の第一週は北海道、1月の第二週は東北・・・
お盆休みも8月の第一週は北海道、8月の第二週は東北・・・
となりかねないぞ。

その日にちに意味があるのであって、記念日としたより内在している精神的な意味あいを知らしめる役目が国にはあると思うのだ。
単なるおやすみ欲しさの休日では実は恐ろしいわなが待ち構えているのだ。
民族としてのアイデンティティーを失うという落とし穴。

自○党の政権下であったけれど、成人式や体育の日やその日にちに意味を持つのに・・・
休みを増やす為に第何曜日の月曜日だのと変動するようになってしまった。

例えば成人の日を例にとれば、1月15日としたのは、この日が小正月であり、かつて元服の儀が小正月に行われていたことによるのであって、大人の仲間入りを果たす歴史的な日にちだった。

(そういう意味では三社祭りも人が集まりやすいように土日に移動した。3月18日がもともと観音示現にまつわる火なのに・・・後の人の勝手で変更してしまうことは、同じような事である)人が人の都合で運用してはいけない事だってあると思うのだ。

休日にするほどの大切な日にちって何だろうってちゃんと教えなきゃいけないし、伝えなきゃいけないんだと思うよ。

今年の結婚記念日は忙しいから第4週の何日ね。
やあ今年の誕生日は、お父さんの都合で3週の月曜日にしよう。
なんてなったら、それこそ夫婦喧嘩、家族からの総スカンを食うのが落ちだろう。

ふざけんじゃないって。

休みを取らせたいなら、「国民の休日」という名称で充分。
この場合の意味なんてない。休みにしたいからでいい。

この法案は観光庁案という。なら、文化庁は日本の文化を守る上で絶対反対と唱えるべしと思うTON店長なのだ。

嵐の後の静けさ

過ぎてしまえば、あのお祭り騒ぎも、喧騒さも何処へやら。
東京マラソンも終って3日も経っていたのだ・・・

走る人たちはもう次の大会に心は向いてしまって、もうここにあらずだろう。

マラソン終了直後にスポーツウーマンぽい都のスポーツ課の方が、状況調査方々顔を見せてくれた。

そして今日、
「ご迷惑をおかけしました」と大会関係者が挨拶にこられた。

「今年はいかがでしたか」と心配そうな面持ちだったけれど、規制線を張られなかったことで何とか助かりましたと述べると、ホッとして帰られた。

本当は普段の売り上げの半分にも満たなかったのだけれど、野暮なことは言いっこなしにしたかっただけなのだ。
あちこちで苦情を聞く立場も辛いよね。

フー・・・
これでやっと嵐が終った・・・。

当日はこんな地図があちこちで配られました。もっと抜け道あるのにね。
でも効果は絶大だったろうし、何より道を尋ねれるという安心感が何よりだったと思うのだが。
今度はぜひ二色刷りにして抜け道をもっと書き込んで欲しいな。

感動

つまらないことだけど・・・

人様に話すほどのことではないけれど・・・

レジのお金とふと目があった。
(お金のどれが目だと突っ込まれそうだけど・・・)

とにかくあってしまったのだ。しかたないジャン。

ビタ銭(江戸時代までの通貨で違法鋳造を繰り返していくうちに小さくなった硬貨のこと)かと思って手に取った。

製造年月日、昭和28年。
もちろん縁はギザ有りの硬貨。

その隣に同じく平成21年生まれのピカピカの10円玉が。

手にとって比べてみた。

横から見たら?

あんれ~僅かに小さい。

薄い。

模様も潰れてしまって細かいディテールは訳がわからない。
やたらと大きく見える。玩具みたい・・・

28年っていうとぉ・・・
1953年だからぁ・・・
2010年から引くとぉ・・・

お!お!お!

感動した!
今年57歳じゃん。

姉と同じ年齢だった・・・

LRT

浅草にLRTを走らせたい。

有志で研究を続けている。

都電が三ノ輪橋でストップのまま早稲田との往復のみ残して、旧東京市電の路線が東京の道路上から消えて40年近くなるわけだ。
専用軌道という利便のよさもあるとはいえ、よく続いたものだと交通局と地元の熱意に感服させられる。

ただ・・・ただ、おしいことに、一度でも利用したことのある方ならわかるが、三ノ輪橋駅と日比谷線の駅との乗り換えは可能だというだけで、実に乗り換えにくい。
つなぎの悪い交通機関は現状以上に伸びる手立てがあるとは思えない。

せめてどこかのターミナルへの乗り入れ、せめてバスとの乗り継ぎでもいい、利便性を図らない限り都電の明日はない。
都電は下町を走るジオラマではない。

れっきとした中型輸送手段である。

しかも排気ガスも出さないエコな公共機関である。

年寄りや子供、さらに肢体不自由な方にも優しい乗り物である。
乗り降りは地上である。最近の低床式の路面電車はほとんど段差がない。
バスが低床式になったといっても、電車のそれにはかなわない。

地下何十メートルからエスカレーターやエレベーターを乗り継いで、乗り継いで、地上にやっと出たら、あれここどこ?となる。
地下から地上に出ると人の方向感覚を狂わす。

町をみられないままで移動すると言うのは、乗車駅と降車駅の断絶を生む。
町の景観が連続しないからそこはブラックボックスなのである。

ということは、地上の目線がすこぶる限られてしまうと言うことなのだ。
これは商店を営むものからすると、大変なマイナスなのだ。店や商店街が手を尽くして目線に訴えかけようがそのチャンスを失うことになるのだから。

購買意欲や尋ねてみたい町の風景というものがある。

人の心には準備段階というものが必要なのだ。

プロローグもなく突然主題に入る小説なんて面白みが半減してしまう。
ちゃんと前段があって導入があって、初めて主題が生きてくるのではないか。

電車の窓から、視覚的に訴えかけられて、心は訴求する。ビジュアルは大事なのだ。
そんな心の準備が次の行動を起こす。

電車道(でんしゃみち)を歩いていけば、何とか我が家にたどり着ける。
そんな感覚をもったことはないだろうか。
軌道敷はランドマークなのだ。

市電が全廃した町では、
お年寄りが迷子になりやすくなったと聞く。

鹿児島市電のように軌道敷内をグリーンベルトにすることもできる。

定時運行もやりかたひとつで可能である。

無軌道の交通機関。運転手のみに命を預ける危うさを受け入れるほどの許容は、ぼくにはない。

建設コストが地下鉄の10分の1以下と安いという。
ただ大量輸送の地下鉄と路面電車は性格を全く異とする交通機関なのだ。比較するのはそもそもおかしいと思うのだが。

路面電車のよさを上げたらきりがない。

路面電車にはもう一つネットワークのよさがあげられる。
全盛期の都電のネットワークは世界一だった。
同一運賃で乗り換え自由。何処まででも行ける。
ただ技術開発の遅れと軌道内に車を入れてしまったことに衰退の道が敷かれた。

廃止ありきを前提に論議されていた当時の風潮は聞くに堪えない。

広島や長崎は、廃止論議もありながらもなりふり構わず改革して今の市電王国を作った。
利を訪れた方ならその便利さは共有できるだろう。

しかし、モータリゼーションという便利な言葉を大上段に次々にネットワークの部分部分を切り捨てた。寸断されたネットワークはもうネットにならない。
手足をもがれた格好で、加速度的に利用客は減少し、お先真っ暗となった。

そろそろよいものはよいと割り切って、どんどん取り入れていく勇気のある欧米のよさに気が付いてくれないかなと思ってしまうTONちゃんなのだ。

個人主義のアメリカでさえ次々に路面電車を復活させていっていると言うのに。

インターナショナル?

友人が三社祭りの山車のミニチュアを西参道商店街で見つけたよという。
買い物帰りに店に寄って立ち話をしていった。

江戸期の勉強をしていると山車の話しが出てくる。
僅かな文献にしか顕されていないので、興味は尽きないテーマである。
現物は地方に流出していった以外は、震災と戦火に全て灰となった。

三社祭りに山車?といぶかる向きもあろう。
神輿一色になる現在の三社祭りからは想像だにできないからしかたないことだからしかたないことと思う。

けれど江戸の文献を紐解くと、三社祭りは神輿以上に山車の華やかさを競うかのごとく祭りの風景だったようだ。
町会ごと絢爛豪華に仕立てられた山車が6基も7基も列を作る。
その豪華さは京都の祇園祭を髣髴する。

例えば明和8年にはこのような山車が出たと浅草寺の日並記に記されている。
壱番 諏訪町 武蔵野の山車
弐番 西仲町 同断
参番 材木町 牡丹之花山車
四番 花川戸町 桜花之山車 
五番 山之宿町 綱引船人形之山車
六番 田町壱弐丁目 諫鼓の山車
浅草見附(浅草橋)から御蔵前、諏訪町、並木町、仲見世、本堂前で参詣し芸能を演じ、随身門(二天門)を出て各町会に戻るという按配だったようである。

残念ながら明治以降は下火になり、ついに記憶にも留めなくなってしまった。

山車の模型。しかも一之宮と聞けば、すっ飛んで行かざるをえないではないか。

西参道は、子供時代を思い出す懐かしさの残る商店が軒を連ねる。
そんな中の一軒の店に目的のものが店奥に展示してあった。
ただ、ちょっとデフォルメしすぎかなとも思ったが・・・

それを前に店主のご老人と勧められるままついつい座り話になった。

昔の職人が三社様の神輿庫の虫干し時に開扉していた時に書き写したものから起こした模型なのだとか。
もう職人がいなくて作り手がないんだとか。

80歳を有に超えている主人は、だんだんと主題からそれて、お茶のみ話に興じた。
ぼくは僕で小学生のころ古銭集めに夢中で、足しげく通っていた水戸黄門みたいな古物商のおやじを、店の匂いとあいまって思い出していた。

「中国の人多いでしょ」ぼくが何の気なしに問うた質問に大きくうなずき反応した。
とにかく多いという。

店に入ってきて大声で騒いであれやこれやと仲間内で喋り捲っているよ。と。
「で、何が欲しいの?」と中国語で聞くと、ぎょっとされるのだそうだ。

「戦争中ぼくは北京にいたからね」
会話程度はおおかた理解できると言っていた。
わからない振りして聞いていると、中国人同士で「お前まけさせろ。とかなんとか勝手なこと言ってるよ」
だって。
まさか中国語で一喝されるとは夢にだに思えなかっただろうから、驚くのもむりはなかろう。

この年齢以上の方々は、好むとこのまざるとにかかわらず海外に出兵していた方も多いはずだ。
僕の知り合いにも大陸生まれがけっこう多い(大陸育ちには豪快な人が多かった)。
故郷は満州と言うことである。
何年も駐屯していただろうし、中には、大陸で諜報活動をしていた方も知っている。

彼らはいつ戻れるとも解らない外地において、慣れない水を飲み、その空気を吸い、人肌に触れ、同化していた。いやがおうにも言葉も人も文化をも記憶しただろう(せざるを得なかっただろう)。

今の日本人より、よほど地に足の着いたインターナショナルの地盤にいたと言えよう。

まじまじと、店主の顔を見ていた・・・

地球的損失

昔お世話になった方の奥様が寝たきりになっていたことをひょんなっことから知ることとなった。

事故(交通事故だろうか)で7年間寝たきりで下のお世話もご主人が続けているという。
やり手のご主人は家に戻る時間さえ惜しんで飛び回っていた。

それに輪をかけた活動的な奥さんは、全国を飛び回っていた。
我が家は夫婦ともども世話になった。

まったく性格の違う二人にかわいい女の子が生まれた。仕事の重要さをわきまえながらも、わが子の世話をご主人がかって出ていたのが傍目からも感心させられていた。

そういえば彼の言葉に感心したことがあった。

物を大事にすることを旨にしていた彼だった。
人は彼をケチとも節約家とも読んでいたが、いつだったか何故ケチなのかを聞いたことがあった。

一面的にはもちろん金銭的な理由。
必要以上の消費は神様への冒涜であるという。
さらに私の無駄は地球的規模でとらえなきゃいけないという。

水を節水する。エネルギーの無駄使い。地球的規模で考えなさいと。
必要以上の飲食、地球的規模で考えなさいと。
地球的損失でしょ。というのだ。

これには参った。一本とられた。

日本がバブルに沸いていた、消費が美徳の時代の話である。

あ。この人は尊敬に値する人だなと直感したのだった。
あれから20年以上か・・・

そんなことを思い出しながら彼の今を考えていた。

倒れた当初は途方にくれたという。
しかし今は、奥さんの下の世話をしながらも、
生きていてくれるだけでありがたいという。

ビックベービーになっても、生きていてくれることが自分の励みになるという。
そんな感想をもらしていたという。

思い出しながら、
そばにいた上さんの顔をちらっと伺った。