マニア的広報誌

東京都交通局と印刷されているから、交通局の広報誌と考えてよいのだろうと思うのだけれど・・・

町の定点比較や文章に市電好きをオッと言わせてくれるものが感じられる。
ちょっと嬉しくなっちゃうTONちゃんなのだ。

路面電車は郷愁を呼ぶのは僕らの時代の人間なのかもしれない。
もうすでに海外では市電はライトレールと名を進化させて、エコな交通手段として、交通体系の中で必要条件化しているのだ。
日本は本当に遅れている。

天は必要な時に必要な人を

上を見たらきりがない。
下を見てもきりがない。

去年あるきっかけで、それまでメール漬けだった朝の一時間を走ることに決めて、丸一年が過ぎた。

子供の頃の校庭マラソンで赤っ恥をかいたのがもとでトラウマになり、長距離ランは苦手中の苦手になってしまったTON店長だったのだが、月に150~180kmの走行距離をコンスタントに稼いでいるので自分ながらも脅威なのである。

しかしそこはど素人の付け焼き。
ストレッチの何者も知らないでやっているのだから、しょっちゅう故障している。

膝から始まって足裏、足指、足首、腰、股関節、肘と次々に連鎖反応を起こす。

もともと腰が悪いから無理もないと思えばそうなのだ。無理しすぎなのかもしれないのだけれど、実は腰を悪くした原因もよくわかっていないしストレスが原因の可能性もある。原因を探しながら走っているようなものなのだ。
ただ、痛いものは痛い。
ガキッと足の根本がいやな音を響かせ転びそうになったこともあったけれど、構わず走って直した。ヘルニアも見つかった。いつのキズやらわからないけれど(自転車競技をやっていた時の落車のキズなのかどうなのか・・・)、腰の骨折箇所も発見されたもう直りませんと宣告された。

そんなこんなで、痛みを伴わない走りというものに巡りあわない。

こんなでいいのかな・・・と弱きの虫が騒ぎ出していた。
よくしたものだ。二人の友人が店を訪ねてくれた。
SNSの友人なのだが何かしら波動が合うというのか、気疲れをしないでいられる。
2月14日という日も幸いして予想外のお土産もどっさりいただいてホクホクしながらお話しをさせてもらった。

お一方はハーフマラソン経験者。でも体の持病を持ちつつのアスリート。痛みを伴わない走りはないという。

もうお一方は、ウルトラマラソンを複数回経験してきている走りの猛者。

それこそ病との闘いに明け暮れ、医療と気力で痛みを押さえ込み、
フルを走り、次の100kmまでも射程距離に置いているという。
一歩一歩が激痛だというのに。

ふむ~~~。
唸ってしまった。
(そこまでして何故走るのと思うとしたらの未だ走らざる人の弁だろう)

そうなんだよね。
自分だけを見ていたら、
自分の世界が全てと思っていたら、
そこが最高になりもし・・・
最低にもなるんだよね。

だからこそ人と人は情を結び合い、お互いを知らないといけないんだよなぁ・・・。

友人と話をすることでなんかしら吹っ切れた気がした。

す~いすい

久しぶりにお腹を壊した。
食事中に下の話しで家族のひんしゅくをかったその天罰が下ったのだと思う。

朝のジョギングは休みたくない。
でも・・・
おなかがゆるんで力が入らない。

かな?っと思いきや、これがかえって余計な力を加えられない分、足の運びがスムーズになったみたい。すいすい走れる。

怪我の功名というやつか・・・

けれど、いかんせん、お腹は「出ますよ」と警告のしっぱなしなので、半分の距離で終了。
無事家までたどり着くことができた。
明日もすいすいだといいな。

朝から文化

いつものように朝は駒形橋から隅田川沿いをぐるっと一周してきた。

最近よく見かけるのは外人の観光客の姿。
一つはバックパッカーの姿。
一人ないし二人連れが多い。

近くに安い外人向けの宿が増えたのもその一助になっているのは明白なのだが,
それだけ浅草に何らかの魅力を感じて下さっているのだと解釈している。

今ひとつは、日本人ガイドの引率による少人数のグループ。
プロの通訳もいるだろうし、ボランティアも、はたまた企業の接待もいるだろう。
TON店長が気になるのは、引率の日本人の姿勢なのだ。

ひとっ走り終えると駒形堂の境内に戻ります。
駒形堂は、浅草寺に奉られる観音様が1400年の昔、隅田川、当時の浅草ノ浦から二人の漁師の網にかかり、陸に上がった重要な場所。

それゆえに近くは戦災、震災何度もの火事に見舞われながらも、再建され今に至っている、浅草寺にとっても重要なお堂。ついでに言えば浅草寺の戒殺の地でもある。

いつもここに到着すれば、何をおいても堂内の馬頭観音さまにお礼を言って手を合わせる。

と、背後に人の気配。
パチりパチりと写真を撮っている様子。
お礼も終って、境内に下る。振り向きざまにそのグループが外人のグループとわかった。

柔軟体操をしていると、一人の男性は手をポケットの突っ込んだまま鍵のかかった堂内を覗き込んでいる。

一人の女性はお堂に上がる階段でポーズをとっている。
5~6人の一人一人ものめずらしそうに階段を上がったり下ったり。
確かに西洋に住む人々には、こんなベンガラの堂なんて珍しくていかたないだろうから興味深々なのはわかる。

かといってそこが宗教施設である以上それなりの礼儀があることは、洋の東西を問うまでもなく同一なのだ。
そこがどういう場所かを理解しているとはとても思えない行動をとっている。

わからないならば、教えなければいけない。
教えなければ、他のどこへ行っても同じ孝道をとり続けるだろう。
それを、引率の日本人がコートに手を突っ込んだまま早く行こうとばかりに足を外に向けながらも静観している。

言えば良かったと後悔した。
あなたたちはキリストの家、つまり教会に入っても手をポケットに突っ込んだままなのですか?と。

宗教はその国の文化である。文化の中の文化である。
宗教の儀式から生活様式に変化したものは・・・というより、例えば日本の文化から仏教を除いたら言語としても、生活様式としてもいかばかりのものが残るだろうか。
仏教や神道が原点、つまり文化の種になってきたのである。

海外に足を運ぶものは、他国の文化を知るために海外旅行をしているのではないのだろうか。
(それはそのまま日本人の旅行者にも言えることなのだが)
他国の文化を理解せずして帰国するなかれ。というものである。

とすれば、その文化を教えるのは誰なのか。
そこに住む我々ももちろんそうなのだが、引率する旅行社、ガイドの人が宗教音痴ではこまるのである。

参勤交代の列を前に馬上で見物して、薩摩藩士に切り捨られた生麦事件も元はと言えば他国の文化への無知から来たもの。
今の世の中切り捨てるわけには行かないが、他国の文化、否、自国の文化のベースを実地で教えない引率は害をもたらすと言っても過言ではない。と思うのである。

日本人が日本人の文化を大事にする姿を美しいと感じた幕末の外人達の驚嘆を何かの本に書いてあったことを思い出した。

そこから汲み取ることは、今の日本人が日本を、日本の文化を守ってきた先人たちの遺徳に感謝する姿があれば、外人は日本の神様を前にしておいそれと覗き込んだり、ましてやポケットに手を突っ込んだまま見物する姿にはならないだろうと思うのである。

蛙の子

勉強嫌いの三男が暮れからコツコツ何やらやっていた。
汚い部屋がなをいっそう散らかって、何が何だかわからないほどに散乱していた。

「おっ父(我が家ではそう呼ばれる)タイヤの外し方教えて」
「何んで」いぶかしがって聞き返すと、

どうやら無断で学校まで乗っていたママチャリのタイヤがいかれてしまったのだそうで「アウターを取り替えたいんだ」という。
中のビートが見えるほどタイヤが割けているようなもの。
いったいどんな乗り方をしたのか知れないけれど、タイヤチューブが透けて見えるほど。これは重症だ。

問い質すと友人とウイリーして遊んだとか言う。
馬鹿たれ。
ママチャリでウイリーやるか・・・普通。

パンク修理のやり方を実地で教え、道具一式を渋々貸し出すことにした。

最近部屋を覗いたら、見たこともない白いピッカピカの新しい自転車が部屋の真ん中をドーンと占拠していた。
ん?あいつのはどこにでもあるスカイブルーのだったはず。
手に負えなくて買ったのか?

「塗りなおしたのよ」後ろから上さんの声。

狭いベランダを確かめてみると、やつの古いフレームはない。
白いスプレーの痕跡が残っていた。
どうやらそのようである。

全く予想を超えたところで作業は進んでいたようであった。

次に次男。
「入学できたら一周してくる」という。
いつ勉強してんのと周りの心配をよそにマイペースを貫くやつ。

「どこ一周するの?」聞くと、
始めは房総半島を自転車で回ると言っていた。
そのうち山梨に行く。と予定がくるくる変わる。

友人たちと着々計画を練っているようで話は大きくなる傾向にある。

今まで自転車なんて一言も口にしたことなんてなかったのに。

ふ~ん。
次男といい三男といい、親の趣味が子供に遺伝するもんかねぇ。
親は仕事に忙しくそんな姿見せた事なかった(一回だけ見せたっけ)のに。

こんなことが遺伝するなら、そのうち親不孝もされることになるのかな。
ちょっぴり不安も湧いた。

小休止

ここ二日ほど朝の走りをさぼっている。

また股関節が痛くなりかけてきたので小休止。

以前はこのピピットサインを無視して走りこんでしまって、坐骨神経痛に至った失敗例があるから、体がほどほどで止めることを覚えた。

しかし本当にやんなっちゃう。
若い頃だったら、とっくに体がそれなりの体型になってしかるべきなのに、筋肉が大体にしてつきにくい。関節は使えば使うほど減る一方だし。

ちっくしょうと思っても、どうにもつかんものはつかんのだから仕方ない。

かと言って薬の世話にはなりたくないしなぁ。

しょうがない。気長にやろう。

というのが答えになる。

マスクをする。
しばらくしていると、ぽろっと取れる。
耳が、ではない。マスクの紐というかゴムが節操もなくポロンとはずれる。

商売人があるいは競馬の予想師が赤鉛筆をよく耳にかける。

子供の頃ためしに手にしていた鉛筆を耳にかけたことがある。
一秒も間を持つ暇もなく床に落ちて転がっていった。

授業中でなくてよかった。

どういうわけか僕の耳は上の部分が極端に短い。
だから、ゴムやら鉛筆などとんと引っかかる気配がない。
最近は要領を得て鉛筆は乗るようになったがというかくっついているが、
マスクのゴムは相変わらず敬遠される。

一時期顔の相に凝ったことがあった。
人相判断によれば耳の上から知真ん中の部分は意的、耳たぶは情を顕す。

ということは、知の足りない耳ということになってしまう。
その代わりと言ってはなんだが、真ん中部分は特出している。

要するに知もなく行動する人間、考えるより行動してしまう輩と判断されそうだが、そこらへんはオブラートに包んで行動的な人だと理解するようにしている。

ともあれ、マスクはいま、僕の耳からポロンポロン落ちていらいらさせているのだ。

どうも耳に引っ掛けるものはにがてだ。

つらつら思う

人は愛されて人になる。
無償の愛を受けて初めて人間らしさを身につける。

愛された人は、人を愛することで愛が固定する。
借り物でなくなる。
ぼくはそう思うんだな。

しつけと言う字は身を美しくすると書くけれど、
本当に「躾」られている人はどれほどいるんだろう。

人と言う字は支えあう二人の人を現すと言うけれど、
ほんとうにそのとおりだと思う。

さらに言えば人が二人と書いてひとと読ませるほうがもっと好きなのだけれど。

今は口と言う感情表現の器官を使わないでも生活できる環境になってしまった。

おはよう。こんにちは。こんばんは。下さい。お願いします。ありがとう。
ごめんんさい。

その一言がないまま生きれる環境ってどこかおかしくないかなあ。
言葉ひとつで愛することだってある。

どこかにたまりたまった愛が、分けられない愛が、いつかどこかでショートしてしまうんではないだろうか・・・

時は流れるということ

毎年のことだが、正月が七草を迎える頃ようやく我に帰る。
暮れから今頃までは全く自分の足元を見る余裕などない。

言い訳になるが、そんな調子だから年賀状を書く風習が僕の習慣から消えて久しい。
それこそ恩を受けた人は数限りなくいるから何万通出しても足りないくらいだけれど、t天を仰いで手を合わせ失礼をわびている。

ただ、どうしても外せないお寺とのご縁を子供の遊びのような年賀だけれど、これだけはずっと続けるようにしてきた。

それが七草に間に合うようにと、というか我に返ってからようやく手をつけられるということなのだ。

これだけは人の手を借りないで一点一点包装し、プチプチでガードし、袋詰めし、送り状を手書きする。送り状などドットプリンターで出せばよいではないかと思う人もいるが、それでは年賀など出さないのと同じことなのだ。
下手な字でも肉筆に意味があると思う。
無沙汰をわびるお手紙を添え梱包完了。

それを発送すると僕の中の正月の儀式は半ば終了できる。

この先生の名前書きづらいんだ・・・といつものことなのに流して書いた自分の文字に文句を言いながら、しかたないから、WEBで検索しよう。と○○寺の何某とグーグルに打ち込むと何万件とその名前は出現する。
「え~となになに・・・」
一番上の記事に目を落した。

「08年11月のご遷化された・・・」
「え!なにこれ」
僕は何も知らないで09年1月もお年賀を送っていたのだ。
慌てて確認した。

出てくるわ出てくるわ。
僕を可愛がってくれるご住職たちだもの、それ相応の年齢に至っているのは理解しているつもりなのだが、中には本当に若い方もいらっしゃる。
何だかため息が出てくる。
顔がふっと現れる。激励してくれた声が耳によみがえる。
約束が違うじゃないですかそれでも宗教家ですか、と大喧嘩をした想い出が思い出されたり。
あんたには負けたよと電話をいただいたことや何だろう・・・当時はくそ坊主二度と顔も見たくないと思ったその顔が無性に懐かしくなるんだから・・・

正月を過ぎると不思議といろいろ見えてくる。
やっぱり一期一会でその瞬間に全てのエネルギーを燃焼する出会いをしないといけないなあ。

何度も何度も同じことを繰り返しているのだけれど、また再び気づかされたのだ。

朝湯

暮れからこのかた、早朝は「しばれる」と言う言葉がちょうど似合って寒さが痛い。

朝は相変わらず同じコースを飽きもせず走り回っている。
要するに駒形橋から上流に向かい、白髭橋か、その上の水神端をぐるっと隅田川を挟んで一周してくる。それこそ花見の季節は、ほろ酔い加減の皆様と交差しながらのコースなのだ。

春夏は、川面をすべる風は実に実に気持ちが良く、やはり川沿いの良さはこの天然クーラー環境に尽きると思う。

けれど、冬は全く異なってくる。
特に今年のように寒波が理不尽にも猛威を奮う年は口が開けられないほど寒い。

特に走り出しの一キロくらいが寒くて仕方がない。
どうせあとで汗をかくのだからと、チョッキ型のウインドブレーカーだけのせいもあるけれど、とにかく痛寒い。

桜橋を過ぎる頃は半袖になって走っている。
周回して駒形堂で馬頭観音に挨拶し終わると、汗が即、冷却装置になるから油断すると心底冷えてくる。
だから・・・

出かける前に風呂に火を入れてくるのだ。
家に帰るとちょうどよい温度に湧いている。

これがいい。
昨晩の残り湯だけどまったりしてお湯に棘がない。

もう・・・最高に至福のときを過す。

温泉めぐりランなんてのも良さそうだな。などとできそうにもない夢を描きながら、朝酒朝寝のできない僕に残る朝湯に対して希望をかけている今日この頃なのだ。

このぐらいでは身上をつぶすまではいかないだろう・・・?