時代

■セントラム登場、路面電車環状線36年ぶり復活
(読売新聞 – 12月23日 10:33)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091223-OYT1T00025.htm

地方の時代はこうして先行するんだな。
朝の情報番組で知った。

36年ぶりに「復活」という文字には何かしら不思議な感覚がよみがえる。

浜っ子の足は市電が便利だった。

安いし便利だし難点は、軌道敷内を走る自動車のために定時運転ができないから遅くなること。でもネットワークの良さで、同一料金で乗り換え自由だったし、停留所は細かくあるし・・・
電車道(軌道のある道路)がランドマークとなり年寄り子供にはよい目印になっていた。

けれど、一路線が廃止されると、ネットワークが崩れてドンドン不便になっていった。
不便になれば当然乗車率も悪くなる。悪くなれば経営も悪化していく。

「現代はモータリゼーションの時代。道路の真ん中をノロノロ走る路面電車なんて邪魔だ。古い撤廃しろ」そうして、広島や長崎など一部の都市を除いて先を争って廃止していった。

音頭をとっていたのは誰とは言わないけど子供心にも、違和感を感じたものさ。

で時代遅れと烙印を押したあの廃止廃止の狂想曲は忘れられない。

そんな時代を見てきただけに大切に運用していってもらいたいな。と思うのだ。

よき時代

http://www.tbs.co.jp/jin2009/仁がついに最終回となる。
久しぶりに日曜のこの時間のドラマを見続けていたのにちょっと残念だ。

今は日曜劇場となっているけど、僕の中ではやはり東芝日曜劇場なのである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9B%9C%E5%8A%87%E5%A0%B4

ドラマのTBSらしくじつに多くの名作を代に出し続けてくれた。
キャストを思い出してみても、実に豪華でもあり、絵になる俳優さんで占められていた。
子供心にも随分と影響されていたと思うし励まされもしていた。

パンツ屋の四季でしょ。
父親のいない母子のドラマ。その中で使われていた詩に共感された。同じような家族構成の我が家にとってどれだけ励まされたことかしれない。
パンツ屋の四季ではなく「天国のおとうちゃんこんにちは」であったことが調査の結果判明。しかも主演は森光子だった。どこで記憶が混ぜこぜになっていたんだかわからない。

女と味噌汁でしょ

かみさんと私でしょ 伊志井寛と京塚昌子の絶妙な掛け合いが楽しかった。

父子草 渥美清と竹脇無我の男同士の親子というのはこんなものかと不思議だった。
etc.etc.・・・

探してみたらこんなサイトが見つかった。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Cinema/5784/nitiyougekizyou/昭和39年から47年まではほとんど見ている。

一度しか放送されていないものでも題名を見れば「あ~あれ」と思い出される。
つくづくこの時代は、良作を毎週毎週、電波に乗せてくれていた。
本もいいし主役も脇も俳優がいい。

それだけ作り手の真剣さがあふれていたのだ。と思う。

日本テレビの黎明期に番組作りで活躍した知り合いによく話をしてもらった。
シャボン玉ホリデーの時代のプロデューサーである。話を聞くとそれはそれは大変だったことを聞かしてくれた。

生放送が当たり前の時代。適当にカット編集するわけにはいかない時代だ。
それだけに毎回が真剣勝負そのものだった。

しかも良い作品を流さなければいけないという使命感を持っていた。

並大抵の苦労ではない苦労だったけれど、充実感もあったと話してくれた。

受像機の前で観る方も、電波を送る方も、

良き時代だったんだなと感じる。
でもよき時代で終らせて欲しくはないんだけど・・・

さて、今夜の「仁」見逃さないようにしなくちゃ。

珊瑚信仰

珊瑚。
石(厳密には石ではありませんが)の意味を調べると、
愛情深く優しい気持ちにさせる。
家庭運に恵まれ、子宝に恵まれる。
そして成功を呼び込むとある。

だから、結婚した知人がいると必ずといってよいほど珊瑚にまつわるものを送るか買ってもらう。
つい最近もお子さんが欲しいけど・・・
と願う若夫婦に(厳密には若婦ではあるが・・・)持ってもらった。
しばらくいらっしゃらないなぁと思っていたら、突然見覚えのある青年が、つかつかと僕の前に歩み寄ってきた。

「店長。できたよ!」だって。
何ができたというのか・・・まさかおできではないだろう。

冗談はこっちに置いておいて・・・

実はその顔を見てすぐにピンとは来ていたのだ。
一緒に大・大・大喜びしたのを覚えている。

いまだに仏壇の納品日に雨の降ったためしはないジンクスと一緒で、
相手を思ってお勧めした珊瑚に狂いはないのだ。僕が知らないだけかもしれないけれど・・・

悪いことを信じているのではないのだからその辺の事はお許し願いたいと思う。

姪っ子たちにプレゼントした珊瑚も威力を発揮して欲しいな。
と思うTON店長なのであった。

後押し

店前の商店会の通りを敷石化して参道らしく整えることになった。
もう一年以上関わってきた。
その責任者だから技術的なことから民意のとりまとめ、集金までやらざるをえない。

今日そのための最後の地元説明会を行った。
ここに至るまでなかなか波乱万丈だった。

いろんな人がいるから、総論賛成でもいざお金を出す段になると手の平を返すものもいる。
逃げてしまうものもいる。いらぬ噂を流すのもいる。
でも、頑張ってねと予想外の声や喜捨をしてくれることもある。
ありがたくって心がぽっと温かくなる。思わずホロッとすることもある。

昔、土木の技術屋時代は、数千万の工事から数十億の工事まで関わってきた。といっても何となくやっていた。自分で稼いだ金でもない。
予算が回ってくれば、仕事としてこなすだけ。
だからあまり自分としては印象がない。
それでいて技術屋は金に左右されないんだ位の意識は持っていた。

今の仕事は昔と比べればはるかず~と小さな事業だ。

でもこの小さな力と心を集結していくことを通して、細かなお金が集まっていく。小さなお金でもそれが総意というのか民意と言うのか、とにかくみんなの期待の結晶なのだということを感じさせられる。

そんなことを思うと、ぐんと後押しされている自分に気が付く。

頑張らなくっちゃ・・・・と。

一隅を照らすと言うこと

世の中にはいろいろな方がいる。
4歳で1時間以上、心拍停止。つまり死亡した。
その間、福禄寿が自らに語り続け、ついには蘇生のきっかけを与えてくれた。

「人のために生きなさい」と自分の生の目的に芽生えた。

何十年か病院勤務を経て、ようやく本来の目的にむかって歩み始めた。
いろいろな人が聞きつけて会いに来る。アドバイスすることなすことが、相手の命運をことごとく好転させてきた。

「大変なお役をいただきましたね」
僕が言うとにこっとうなずいてくださった。
それでもまだまだ本来の目的、夢は果たされていないと言われる。

こうした直接的に天命を下された方はもちろんだけれど、天命を気づかないだけで・・・はたまた気づきながらも、天命から逃げてばかりの方もいるだろう(僕もその口かな)し、

何にせよ、伝教大師の「一隅を照らす」のお言葉は、いかなる人にも種をその身にそなえているのだ。と思っている。

そういう意味からも、年間に3万人を越えて自らの生を終らせる人たちに言いたい。

あなたの中の小さな種を信じてね。
この地上に生れ落ちた命は、無意味に生まれたのではないんだ。

僕の高校時代の親友は、その種を咲かす前に自ら枯らしてしまった。
周りの人間に一言もなく。
残された者がどれほどの生き地獄を味わうとも考えないで。
一人ひとりの立ち位置をおのれの灯りで灯すことで、自分がまた見えてくる。
自ら灯すことをしないまま、いくら見ようとしても見えないものさ。

だから信じてほしい。
人を照らす行為の末におのれの位置も見えてくるのだと言うことを。
解らなければ眼を瞑っても一歩足を踏み出してごらん。

自分の中の灯りの種のあることを信じて。

ちょっと早いけれど・・・

ちょっと・・・

ん~~~

だいぶ早いけれど・・・

僕にとっての初日の出です。

昔は正月になると必ず拝みに行った初日の出。
正月に店を空けることはできないですから

お客様と共に歳を取る

もう20年来ふらあと来店されては一言二言話をされて帰る。
帰り際に「今度買うね」と必ず一言。
でもほとんど掛け声だけで終わる。

河岸の仕事をしていたからここに来るには遠回りもいいとこなのに
季節の変わり目のようにふらあと訪れる。

まだまだ歳若いのに刺青を入れてみたり、ヤクザの真似事をして見たり、
来られるたびに風貌が異なる。
でも一貫していたのは、神仏のものに関心があるということだけ。

ボンタンのような引きずるようなジーンズにジャラジャラといろいろなものをくっつけて、邪魔じゃないの?と言ったこともある。
へへ。と苦笑いして童顔を見せた。

しばらく顔を見なかった。

突然、閉店間際に顔を見せてくれた。

こざっぱりした洋服に、髪の毛も整えて髭もない。
話し言葉も理路整然としている。
子供が産まれたという。

「え!結婚したの?」
ぐちゃぐちゃの顔になって照れる。

「子供を食べさせないといけないから
母ちゃんも働いている。俺が見てあげないといけないしさ」
へえ。お父さんをやっているんだ。

「偉いじゃん」僕が言うと
また照れる。
はにかむ顔は、昔の顔だね。

責任を持つと人間、変わるんだな。

「今度子供連れてくるからさ」
「母ちゃんも連れといで」

別れた。

こんなやり取りが好きで、
店は続いてきたのかもしれない。

夢の夢

数日前に夢の中で夢を見た。

体の調子が悪くて、入院している父親のように慕っていた恩師を訪ねた夢。
天台宗の坊さんなれど日韓の橋渡しのために文字通り命を賭して、有名寺院の住職の口もそんな暇はないと、ことごとくふってきた。
席を暖める暇もなく走り回ってこられたが、だましだまし抑えていた病がついに顕在化し入院されてしまっていたのだ。

朝鮮出兵で敵の耳を削いで持ち帰った耳塚、鼻を削いで持ち帰った鼻塚の霊を故国に戻した。日本が過去の戦争で戦利品として持ち帰り靖国神社に放置されていた北関大捷碑(韓国の国宝)を帰国させることに成功した。書くとめっぽう簡単なのだが、そこには日韓という深い溝だけではなく、国内にも官僚組織、右左の組織、法の壁、云々という恐ろしく高いハードルが待ち構えている。

一つ一つ尽力するたびに、自らの体を替わりに供えてきて傍から見ても、そのたびに犠牲を払っているように見えた。
そんな老師なのだが弱音など今までは微塵も口にされなかった。
珍しく沈んだ面持ちでポロリと一言。

「もうさよならかもしれないよ」
「そんな・・・」
はっと目が覚めた。

目を覚ました世界もまだ夢の中。

あわてて仲のよいおそば付きの方にこういう夢を見たんですよと話に行った。

「どうしたんだい」

僕の声を聞きつけたのか、奥から当の本人が病気の体を引きずるようにして現れた。

「大丈夫ですか?」

「ああ。大丈夫」とは答えず、よっこらしょっと僕の前で座り込まれた。
いつもなら正座をされるところが、足を伸ばしてぺたんと座る。

けれど、弱った体には座るという行為が難しい。
後ろにのけぞって倒れてしまいそうになる。
僕は慌てて相手の背中に自分の背中を当てて支えた。

背中のぬくもりがじわっと伝わってきた。
「ありがとね」

聞きなれた独特のイントネーションが耳に心地よかった。
でも同時にこれがお別れの挨拶なのかなあと心のどこかに思い浮かんだ。
今度は本当に目が覚めた。

不思議な感覚だった。

今日、電話をいただいて、鬼籍に入られたことを知らされた。

あかぎれ

もう切れちゃった。
今年は早い。

最近トイレ掃除が気分転換のマイブームなので、手が荒れていたのが原因かも。
念珠創りにはこの指が切れると困るんだ。
糸が食い込んじゃってまた深くなる。

これ以上切れないでね。

粋という話


浅草寺塔頭(たっちゅう)の一院の住職、塩入亮乗師。
商工会議所の集まりに招かれてもてなしの心のお話しを受けた。

江戸の粋に心が惹かれた。

江戸の粋(いき)と京の粋(すい)の話に始まり
江戸の粋の心に触れる。

しかし、良い話をいくら受けても、最期は結局、自ら実践しないとね・・・始まらない。