つらつら思う

人は愛されて人になる。
無償の愛を受けて初めて人間らしさを身につける。

愛された人は、人を愛することで愛が固定する。
借り物でなくなる。
ぼくはそう思うんだな。

しつけと言う字は身を美しくすると書くけれど、
本当に「躾」られている人はどれほどいるんだろう。

人と言う字は支えあう二人の人を現すと言うけれど、
ほんとうにそのとおりだと思う。

さらに言えば人が二人と書いてひとと読ませるほうがもっと好きなのだけれど。

今は口と言う感情表現の器官を使わないでも生活できる環境になってしまった。

おはよう。こんにちは。こんばんは。下さい。お願いします。ありがとう。
ごめんんさい。

その一言がないまま生きれる環境ってどこかおかしくないかなあ。
言葉ひとつで愛することだってある。

どこかにたまりたまった愛が、分けられない愛が、いつかどこかでショートしてしまうんではないだろうか・・・

時は流れるということ

毎年のことだが、正月が七草を迎える頃ようやく我に帰る。
暮れから今頃までは全く自分の足元を見る余裕などない。

言い訳になるが、そんな調子だから年賀状を書く風習が僕の習慣から消えて久しい。
それこそ恩を受けた人は数限りなくいるから何万通出しても足りないくらいだけれど、t天を仰いで手を合わせ失礼をわびている。

ただ、どうしても外せないお寺とのご縁を子供の遊びのような年賀だけれど、これだけはずっと続けるようにしてきた。

それが七草に間に合うようにと、というか我に返ってからようやく手をつけられるということなのだ。

これだけは人の手を借りないで一点一点包装し、プチプチでガードし、袋詰めし、送り状を手書きする。送り状などドットプリンターで出せばよいではないかと思う人もいるが、それでは年賀など出さないのと同じことなのだ。
下手な字でも肉筆に意味があると思う。
無沙汰をわびるお手紙を添え梱包完了。

それを発送すると僕の中の正月の儀式は半ば終了できる。

この先生の名前書きづらいんだ・・・といつものことなのに流して書いた自分の文字に文句を言いながら、しかたないから、WEBで検索しよう。と○○寺の何某とグーグルに打ち込むと何万件とその名前は出現する。
「え~となになに・・・」
一番上の記事に目を落した。

「08年11月のご遷化された・・・」
「え!なにこれ」
僕は何も知らないで09年1月もお年賀を送っていたのだ。
慌てて確認した。

出てくるわ出てくるわ。
僕を可愛がってくれるご住職たちだもの、それ相応の年齢に至っているのは理解しているつもりなのだが、中には本当に若い方もいらっしゃる。
何だかため息が出てくる。
顔がふっと現れる。激励してくれた声が耳によみがえる。
約束が違うじゃないですかそれでも宗教家ですか、と大喧嘩をした想い出が思い出されたり。
あんたには負けたよと電話をいただいたことや何だろう・・・当時はくそ坊主二度と顔も見たくないと思ったその顔が無性に懐かしくなるんだから・・・

正月を過ぎると不思議といろいろ見えてくる。
やっぱり一期一会でその瞬間に全てのエネルギーを燃焼する出会いをしないといけないなあ。

何度も何度も同じことを繰り返しているのだけれど、また再び気づかされたのだ。

朝湯

暮れからこのかた、早朝は「しばれる」と言う言葉がちょうど似合って寒さが痛い。

朝は相変わらず同じコースを飽きもせず走り回っている。
要するに駒形橋から上流に向かい、白髭橋か、その上の水神端をぐるっと隅田川を挟んで一周してくる。それこそ花見の季節は、ほろ酔い加減の皆様と交差しながらのコースなのだ。

春夏は、川面をすべる風は実に実に気持ちが良く、やはり川沿いの良さはこの天然クーラー環境に尽きると思う。

けれど、冬は全く異なってくる。
特に今年のように寒波が理不尽にも猛威を奮う年は口が開けられないほど寒い。

特に走り出しの一キロくらいが寒くて仕方がない。
どうせあとで汗をかくのだからと、チョッキ型のウインドブレーカーだけのせいもあるけれど、とにかく痛寒い。

桜橋を過ぎる頃は半袖になって走っている。
周回して駒形堂で馬頭観音に挨拶し終わると、汗が即、冷却装置になるから油断すると心底冷えてくる。
だから・・・

出かける前に風呂に火を入れてくるのだ。
家に帰るとちょうどよい温度に湧いている。

これがいい。
昨晩の残り湯だけどまったりしてお湯に棘がない。

もう・・・最高に至福のときを過す。

温泉めぐりランなんてのも良さそうだな。などとできそうにもない夢を描きながら、朝酒朝寝のできない僕に残る朝湯に対して希望をかけている今日この頃なのだ。

このぐらいでは身上をつぶすまではいかないだろう・・・?

正月風景

食っちゃあ寝の正月は小学校までだったろうか。
正月から店をあけていると、正月気分なんてTONと感じる暇がない。

僕の子供の頃を思い出した。
年の暮れは母親の御節料理の仕込みのおこぼれが楽しみだった。

お米屋さんに注文していたお餅が30日くらいに家に届き、それを小さく切りそろえるのが僕の役割だった。
まだ柔らかいお餅を切るのがもったいなくて、指で弾力を楽しんでは母親に「遊ぶな!」としかられていた。
除夜の鐘を聞く間際までなにやら台所はせわしなかったのを記憶している。

母親は紅白を観ながらお煮しめや黒豆をことことやっていたし、空いた手でそばを茹でていた。

紅白に決着がついて、行く年来る年が始まる頃には、着物に着替えて、出かける支度。
0時になれば港からは気的の音が響き渡り新年の知らせが届く。

三が日は、どこの店も全て閉じていた。

だから道を歩くと空気は昨日とは全く異なった。
師走の慌ただしさは、うそのように消えて、これが同じ町なのかと子供心にも驚いたものだった。

ちょっと醤油がないからといっても、どこも店は空いていないのだから、隣家から借りて過ごすしか方法はなかった。

そういえば、正月元旦の楽しみは、朝風呂にあった。
いつもは3時からの風呂屋が、朝の6時から開いていた。

車も通らない、しんとした通りを風呂道具を持ってカラコロ歩いていくのが何とも風流だった。

暮れに仕込んだ御節ばかり来る日も来る日も食べていれば飽きが来る。
それでもどこも開いていないんだもの、食べ続けた。
母親も正月は何も作らなかった。

七草が待ち遠しかった。

正月あけは、いつも決まってカレーライスだった。
うまかった!実にうまかった。

コンビニが出現した頃から、正月の風物詩に変化をきたしたような気がする。

あんな正月風景って戻らないんだろうなあ・・・

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。

本年も変わりませず、どうぞよろしくお願いいたします。

今朝は未明に起きて、お天とう様を拝もうと
初日の出ランを企画していたのです。
昔の自分なら、初日の出ランは、迷うことなく自転車でのツーリングとなるのですが、
そこは時間の余裕のないTON店長。毎朝走りなれている墨田川沿いを走ることにしていたのです。

そのために、さだまさしを観るのも我慢してとっとと寝てしまいました。
これで準備OK!さぞかしいいお日様を拝めることでしょうと期待していたら

えらく長い夢を見続けたのでした。
夢の中で、長い夢だなあと感じる時は、現実世界も時間の経過が早いのです。
うつろに目が覚めました。

7時。
う!。寝坊した。

もう明るくなってきています。
慌てて飛び起きて走る準備をし、個室に暫しこもり、飛び出しました。

若干薄暗いけれど、冬の光のこと、こんなものでしょうと思いながら駒形橋をわたる頃いつもの位置にスカイツリー。
正月休みでクレーンのアームも天を仰いでいて、丹頂鶴のつがいみたい。
今にも鳴き声が聞こえそうに思いました。

白髭橋を過ぎると道はもうこんな感じになってしまいます。
ここは実に猫が多いのです。
ホームレスのおじさんたちが可愛がっているから、怖がらない。

危ないぞぉ・・・
食われちゃうぞぉ。

水神大橋を渡って右岸側に移ると白髭橋までの区間が僕の解放区なのです。
じっつに気持ちが良い広々とした公園緑地になっています。

で、ここからのツリーの風景も見所であります。

こんな感じ。

あっけなく初日の出ランは終了してしまったのですが、
走れたことに感謝して、また頑張ろうっと。

あと4週間で朝のジョギングタイム、一周年になるのです。
よく続いたなあ。

子供心

正月を目の前にしながら、なんだかワクワク感が沸かない。
というのはどうしたものかと思っていた。

ボーっとしている時にふっと思った。

子供は今に生き、

青年は未来に生き、

老人は過去に生きる。

そう言えばそうだなあ・・・

子供時代は後先を考えなかった。
結果がどうなるなどとも予測しないし、経験値もない。
やることが始めての連続だった。

同じことをやっていても昨日のことは忘れていたもの。
だから常に新鮮に事に当たれた。

青年時代は先々いつかこうなりたいと、常に現状に満足しなかったし、上昇思考の中で事に当たっていた。いつかこうなると目標があったから。
何の根拠もないのに。
そう・・・自分の先々を信仰していたようなものか。

経験値が溜まってくると変に予測したがる自分が見えてしまう。それこそなんの根拠もないのに。今のような時代は経験値なんて何の役にも立たないのに。
失敗を恐れているのではないのだけれど、先を予見してしまう癖が顔をのぞかせる。

朝のジョギングでいつもの周回コースではなく、違うコースに変えり距離を伸ばしたりしたとき、子供時代のワクワク感は起きるのだから、心のさじ加減によるところが大きいのかもしれない。
子供心は消えてないようである。

新年も目の前と言うのに

正月はもう目の前なんだよね・・・

どうしたものか、今年は新年を迎えるワクワク感に乏しい。

もう年末の追い込みのなかにも正月の気分が沸騰してくるのに。

さあどうしたものかな。

時代

■セントラム登場、路面電車環状線36年ぶり復活
(読売新聞 – 12月23日 10:33)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091223-OYT1T00025.htm

地方の時代はこうして先行するんだな。
朝の情報番組で知った。

36年ぶりに「復活」という文字には何かしら不思議な感覚がよみがえる。

浜っ子の足は市電が便利だった。

安いし便利だし難点は、軌道敷内を走る自動車のために定時運転ができないから遅くなること。でもネットワークの良さで、同一料金で乗り換え自由だったし、停留所は細かくあるし・・・
電車道(軌道のある道路)がランドマークとなり年寄り子供にはよい目印になっていた。

けれど、一路線が廃止されると、ネットワークが崩れてドンドン不便になっていった。
不便になれば当然乗車率も悪くなる。悪くなれば経営も悪化していく。

「現代はモータリゼーションの時代。道路の真ん中をノロノロ走る路面電車なんて邪魔だ。古い撤廃しろ」そうして、広島や長崎など一部の都市を除いて先を争って廃止していった。

音頭をとっていたのは誰とは言わないけど子供心にも、違和感を感じたものさ。

で時代遅れと烙印を押したあの廃止廃止の狂想曲は忘れられない。

そんな時代を見てきただけに大切に運用していってもらいたいな。と思うのだ。

よき時代

http://www.tbs.co.jp/jin2009/仁がついに最終回となる。
久しぶりに日曜のこの時間のドラマを見続けていたのにちょっと残念だ。

今は日曜劇場となっているけど、僕の中ではやはり東芝日曜劇場なのである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9B%9C%E5%8A%87%E5%A0%B4

ドラマのTBSらしくじつに多くの名作を代に出し続けてくれた。
キャストを思い出してみても、実に豪華でもあり、絵になる俳優さんで占められていた。
子供心にも随分と影響されていたと思うし励まされもしていた。

パンツ屋の四季でしょ。
父親のいない母子のドラマ。その中で使われていた詩に共感された。同じような家族構成の我が家にとってどれだけ励まされたことかしれない。
パンツ屋の四季ではなく「天国のおとうちゃんこんにちは」であったことが調査の結果判明。しかも主演は森光子だった。どこで記憶が混ぜこぜになっていたんだかわからない。

女と味噌汁でしょ

かみさんと私でしょ 伊志井寛と京塚昌子の絶妙な掛け合いが楽しかった。

父子草 渥美清と竹脇無我の男同士の親子というのはこんなものかと不思議だった。
etc.etc.・・・

探してみたらこんなサイトが見つかった。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Cinema/5784/nitiyougekizyou/昭和39年から47年まではほとんど見ている。

一度しか放送されていないものでも題名を見れば「あ~あれ」と思い出される。
つくづくこの時代は、良作を毎週毎週、電波に乗せてくれていた。
本もいいし主役も脇も俳優がいい。

それだけ作り手の真剣さがあふれていたのだ。と思う。

日本テレビの黎明期に番組作りで活躍した知り合いによく話をしてもらった。
シャボン玉ホリデーの時代のプロデューサーである。話を聞くとそれはそれは大変だったことを聞かしてくれた。

生放送が当たり前の時代。適当にカット編集するわけにはいかない時代だ。
それだけに毎回が真剣勝負そのものだった。

しかも良い作品を流さなければいけないという使命感を持っていた。

並大抵の苦労ではない苦労だったけれど、充実感もあったと話してくれた。

受像機の前で観る方も、電波を送る方も、

良き時代だったんだなと感じる。
でもよき時代で終らせて欲しくはないんだけど・・・

さて、今夜の「仁」見逃さないようにしなくちゃ。

珊瑚信仰

珊瑚。
石(厳密には石ではありませんが)の意味を調べると、
愛情深く優しい気持ちにさせる。
家庭運に恵まれ、子宝に恵まれる。
そして成功を呼び込むとある。

だから、結婚した知人がいると必ずといってよいほど珊瑚にまつわるものを送るか買ってもらう。
つい最近もお子さんが欲しいけど・・・
と願う若夫婦に(厳密には若婦ではあるが・・・)持ってもらった。
しばらくいらっしゃらないなぁと思っていたら、突然見覚えのある青年が、つかつかと僕の前に歩み寄ってきた。

「店長。できたよ!」だって。
何ができたというのか・・・まさかおできではないだろう。

冗談はこっちに置いておいて・・・

実はその顔を見てすぐにピンとは来ていたのだ。
一緒に大・大・大喜びしたのを覚えている。

いまだに仏壇の納品日に雨の降ったためしはないジンクスと一緒で、
相手を思ってお勧めした珊瑚に狂いはないのだ。僕が知らないだけかもしれないけれど・・・

悪いことを信じているのではないのだからその辺の事はお許し願いたいと思う。

姪っ子たちにプレゼントした珊瑚も威力を発揮して欲しいな。
と思うTON店長なのであった。