後押し

店前の商店会の通りを敷石化して参道らしく整えることになった。
もう一年以上関わってきた。
その責任者だから技術的なことから民意のとりまとめ、集金までやらざるをえない。

今日そのための最後の地元説明会を行った。
ここに至るまでなかなか波乱万丈だった。

いろんな人がいるから、総論賛成でもいざお金を出す段になると手の平を返すものもいる。
逃げてしまうものもいる。いらぬ噂を流すのもいる。
でも、頑張ってねと予想外の声や喜捨をしてくれることもある。
ありがたくって心がぽっと温かくなる。思わずホロッとすることもある。

昔、土木の技術屋時代は、数千万の工事から数十億の工事まで関わってきた。といっても何となくやっていた。自分で稼いだ金でもない。
予算が回ってくれば、仕事としてこなすだけ。
だからあまり自分としては印象がない。
それでいて技術屋は金に左右されないんだ位の意識は持っていた。

今の仕事は昔と比べればはるかず~と小さな事業だ。

でもこの小さな力と心を集結していくことを通して、細かなお金が集まっていく。小さなお金でもそれが総意というのか民意と言うのか、とにかくみんなの期待の結晶なのだということを感じさせられる。

そんなことを思うと、ぐんと後押しされている自分に気が付く。

頑張らなくっちゃ・・・・と。

一隅を照らすと言うこと

世の中にはいろいろな方がいる。
4歳で1時間以上、心拍停止。つまり死亡した。
その間、福禄寿が自らに語り続け、ついには蘇生のきっかけを与えてくれた。

「人のために生きなさい」と自分の生の目的に芽生えた。

何十年か病院勤務を経て、ようやく本来の目的にむかって歩み始めた。
いろいろな人が聞きつけて会いに来る。アドバイスすることなすことが、相手の命運をことごとく好転させてきた。

「大変なお役をいただきましたね」
僕が言うとにこっとうなずいてくださった。
それでもまだまだ本来の目的、夢は果たされていないと言われる。

こうした直接的に天命を下された方はもちろんだけれど、天命を気づかないだけで・・・はたまた気づきながらも、天命から逃げてばかりの方もいるだろう(僕もその口かな)し、

何にせよ、伝教大師の「一隅を照らす」のお言葉は、いかなる人にも種をその身にそなえているのだ。と思っている。

そういう意味からも、年間に3万人を越えて自らの生を終らせる人たちに言いたい。

あなたの中の小さな種を信じてね。
この地上に生れ落ちた命は、無意味に生まれたのではないんだ。

僕の高校時代の親友は、その種を咲かす前に自ら枯らしてしまった。
周りの人間に一言もなく。
残された者がどれほどの生き地獄を味わうとも考えないで。
一人ひとりの立ち位置をおのれの灯りで灯すことで、自分がまた見えてくる。
自ら灯すことをしないまま、いくら見ようとしても見えないものさ。

だから信じてほしい。
人を照らす行為の末におのれの位置も見えてくるのだと言うことを。
解らなければ眼を瞑っても一歩足を踏み出してごらん。

自分の中の灯りの種のあることを信じて。

ちょっと早いけれど・・・

ちょっと・・・

ん~~~

だいぶ早いけれど・・・

僕にとっての初日の出です。

昔は正月になると必ず拝みに行った初日の出。
正月に店を空けることはできないですから

お客様と共に歳を取る

もう20年来ふらあと来店されては一言二言話をされて帰る。
帰り際に「今度買うね」と必ず一言。
でもほとんど掛け声だけで終わる。

河岸の仕事をしていたからここに来るには遠回りもいいとこなのに
季節の変わり目のようにふらあと訪れる。

まだまだ歳若いのに刺青を入れてみたり、ヤクザの真似事をして見たり、
来られるたびに風貌が異なる。
でも一貫していたのは、神仏のものに関心があるということだけ。

ボンタンのような引きずるようなジーンズにジャラジャラといろいろなものをくっつけて、邪魔じゃないの?と言ったこともある。
へへ。と苦笑いして童顔を見せた。

しばらく顔を見なかった。

突然、閉店間際に顔を見せてくれた。

こざっぱりした洋服に、髪の毛も整えて髭もない。
話し言葉も理路整然としている。
子供が産まれたという。

「え!結婚したの?」
ぐちゃぐちゃの顔になって照れる。

「子供を食べさせないといけないから
母ちゃんも働いている。俺が見てあげないといけないしさ」
へえ。お父さんをやっているんだ。

「偉いじゃん」僕が言うと
また照れる。
はにかむ顔は、昔の顔だね。

責任を持つと人間、変わるんだな。

「今度子供連れてくるからさ」
「母ちゃんも連れといで」

別れた。

こんなやり取りが好きで、
店は続いてきたのかもしれない。

夢の夢

数日前に夢の中で夢を見た。

体の調子が悪くて、入院している父親のように慕っていた恩師を訪ねた夢。
天台宗の坊さんなれど日韓の橋渡しのために文字通り命を賭して、有名寺院の住職の口もそんな暇はないと、ことごとくふってきた。
席を暖める暇もなく走り回ってこられたが、だましだまし抑えていた病がついに顕在化し入院されてしまっていたのだ。

朝鮮出兵で敵の耳を削いで持ち帰った耳塚、鼻を削いで持ち帰った鼻塚の霊を故国に戻した。日本が過去の戦争で戦利品として持ち帰り靖国神社に放置されていた北関大捷碑(韓国の国宝)を帰国させることに成功した。書くとめっぽう簡単なのだが、そこには日韓という深い溝だけではなく、国内にも官僚組織、右左の組織、法の壁、云々という恐ろしく高いハードルが待ち構えている。

一つ一つ尽力するたびに、自らの体を替わりに供えてきて傍から見ても、そのたびに犠牲を払っているように見えた。
そんな老師なのだが弱音など今までは微塵も口にされなかった。
珍しく沈んだ面持ちでポロリと一言。

「もうさよならかもしれないよ」
「そんな・・・」
はっと目が覚めた。

目を覚ました世界もまだ夢の中。

あわてて仲のよいおそば付きの方にこういう夢を見たんですよと話に行った。

「どうしたんだい」

僕の声を聞きつけたのか、奥から当の本人が病気の体を引きずるようにして現れた。

「大丈夫ですか?」

「ああ。大丈夫」とは答えず、よっこらしょっと僕の前で座り込まれた。
いつもなら正座をされるところが、足を伸ばしてぺたんと座る。

けれど、弱った体には座るという行為が難しい。
後ろにのけぞって倒れてしまいそうになる。
僕は慌てて相手の背中に自分の背中を当てて支えた。

背中のぬくもりがじわっと伝わってきた。
「ありがとね」

聞きなれた独特のイントネーションが耳に心地よかった。
でも同時にこれがお別れの挨拶なのかなあと心のどこかに思い浮かんだ。
今度は本当に目が覚めた。

不思議な感覚だった。

今日、電話をいただいて、鬼籍に入られたことを知らされた。

あかぎれ

もう切れちゃった。
今年は早い。

最近トイレ掃除が気分転換のマイブームなので、手が荒れていたのが原因かも。
念珠創りにはこの指が切れると困るんだ。
糸が食い込んじゃってまた深くなる。

これ以上切れないでね。

粋という話


浅草寺塔頭(たっちゅう)の一院の住職、塩入亮乗師。
商工会議所の集まりに招かれてもてなしの心のお話しを受けた。

江戸の粋に心が惹かれた。

江戸の粋(いき)と京の粋(すい)の話に始まり
江戸の粋の心に触れる。

しかし、良い話をいくら受けても、最期は結局、自ら実践しないとね・・・始まらない。

精神安定剤

ここんところ毎日2時近くに床に着く。

朝はお決まりのコースを走りたいと思うから12時前には寝たいのだが、決算作業やら、システムの入れ替えやら、商店会の作業やら、なんやらかんやらやっていると、この時間になっても全く仕事は終わらない。

もういい!

とばかりに途中で投げ出して寝てしまう。
だが、なんとも夢見が悪い。

毎日似たような夢を見続けている。
ストーリーは全く違うのだが、感触と言うか、夢見ごこちというのか、味わいがよく似ている。
あまり目覚めがスカッとしない。

ついに今日は寝坊をしてしまった。
いつもなら鶏と一緒に(いればの話)目覚めるものを、すでに8時を回っていた。
今日は休もうかと怠け心の誘惑も湧いてきたが・・・

しかしながら、このまま走るのを止めたら、ますますスカッとしない一日になってしまうと予測した。だいたいそうなる。

思いきって飛び出した。
せいぜい一時間だもの。

何かの本で夢は、前日受けた感情の揺り返し、中庸作用と読んだ事がある。
子供の頃は、夢を見るのが楽しくて、しかもリクエストどおりの夢を見て一日のストレスを発散していたけれど、今の僕にとっては、夢を見ることは疲れることと同義語になってしまった。

たびたび責任感を新たに感じてしまうそんな夢ばかりなんだもの。
中庸を保つ為の夢なのだとすると、いかに普段ちゃらんぽらんと言うことなのかな・・・

でも少々重荷だ。

同じコースだけれど、隅田川を一周ぐるっと一周してくることが精神安定剤になっているのかもしれないな。

理解できない

浅草を思い浮かべた時、人は何を連想するだろう。

昭和モダン。エノケンやビートたけし、渥美清、欽ちゃんを排出した喜劇やエンターテナーの町。飲み屋街。商人の町。斜陽の町(さすがにもうこのイメージはなくなったと思うけど)。花柳界。スカイツリーの見える町・・・

僕には寺町の浅草が唯一無二のすがたに見える。
商売柄というより、郷土史にのめりこむのが好きだからなのかもしれない。

郷土を愛するってよく言われることだが、どうしたら愛せるようになるんだろうか。
愛するためにはまず「知る」ことだろうと思っている。
そんな動機が発端で土地の歴史を調べる。調べると興味が湧く。興味が湧くからますます調べたくなって自分との関わりが見えてくる。

ひょんなことから浅草発展の基となった土師中知(はじのなかとも)の屋敷跡が町内にあることを知って調べ上げた。
地元で聞いても屋敷跡が明治初期まであったことをだあれも知らない。そもそも土師中知と聞いてピンとこない人も多い。

これじゃあ・・・ 次世代に伝えられないよ。
せめて説明板でも立てておかないと完全に埋没されてしまう。
そんな思いから区の教育委員会に打診してみた。
電話ではけんもほろろに予算がないからと断られた。

粘った。
友人も出かけて説明してきてくれた。
数ヶ月してじゃあ伺いますとアポイントを受けた。
ようやくまともな話ができると喜んだ。
当日は二名の担当者に来訪いただけた。

待ってましたとばかりに今までの資料を渡そうとするが受け取るそぶりを見せない。
あれ?っと違和感を感じた。
説明をしても意に介さない態度。おかしいな。

もしかしたら・・・
的中した。

次に出た言葉は、「看板を出すのは難しいですね」
「歴史的跡地というけれど、なにも残っていないじゃないか」というのが理由らしい。
「予算もないし」二言目にはこれだ。

「じゃあこちらでつけますから、教育委員会の名を入れていいですね」
というと、それも困るという。

「じゃあどこまでやってくださるのですか」と聞くと、
「監修することはします」

「じゃあ名前を出してもよいのではないですか」と聞くとダメだという。

質問を変えた。
「浅草の発展の基はどこにあると思いますか」
と聞くとはっきりとは答えない。「観音様を最初にお祀りした土師中知でしょ」ここまで出かかった。

「形あるものが何かあるなら別だが、それのないものには指定は難しいの一点張り。
指定をかけろといっているのではない。そういう浅草発展の基を築いたお方の建造物があったと残しておきたいのだ。

またさらに質問を変えて、
「浅草の歴史を調べ蔵書を何冊も出されているA氏の説に対してはどう思われますか」
と浅草の歴史はこの方(故人)の右に出る者はいないA氏の名を出し聞いてみることにした」
「あれはA氏の一説です。私はそうは思わない」

なんだ・・・自分で異説を唱えているから首を立てに降らないのか。

しかも、「土師中知が実在した人間かもわからない」とまで言い出す始末。

状況証拠は、江戸期の古図にも、明治初期の沽券図にもはっきり顕されているというのに、しかもそのことを地元も忘れ去られてしまっていて、伝えられてきていない。

浅草発祥の基になった恩人を地元も知らないというのだから。
それを絶やしてはいけないと僕は考えるのだけれど、
手をこまねいていれば、歴史は全く埋没されてしまうではないか。
どうも意見が合わない。

辟易した。いったんお帰りいただいた。

文化行政っていったいなんだろう。首をかしげた。

ローソクです


焼酎二階堂とワンカップ大関

いづれも、おさけ…ならぬローソクにござる。

故人の好きだったものをという遊び心からの商品ということになるのかな。

「んなら、本物でもよくな~い・・・」

とな。

ムムム・・・

あとで呑めるし・・・だって?

ところで仏前に差し上げたものって香りや味が変わるのをご存知だろうか。
お下がりをいただくと、時間が経っていないのに香りも味も弱くなる。

あくまで僕の経験である。
子供の頃、父親の仏前に毎日お供えをして、母親の目をかすめてよく食べた。
それでもお下がりといえばお下がりだ。
ただ、正式な手続きを踏んではいなかったのだが・・・

隠れて食べるのはちょっとしたスリルとダレよりも口にする楽しみが倍増してどことなく美味しい。

でも仏前のお下がりを口にすると
なんて味が薄いんだろぉ。
小豆の匂いがしないなぁ。

不思議だった。
でもおやつに出されるおはぎは香りも味も濃厚だった。
まさか仏前に供えるものと、子供に出すものとを別けてつくれるほど母は器用ではない。

それでも盗み食いするたびに臭わない果物、おかずを隠れて食った。

「仏様はね、香りを食べるんだよ」
「だから初物を、まずさしあげなさいというのだ」

ずーーーーとあとで耳にした。

深くうなずいたのは、えらいお坊さんの言葉だっただけではなかったと思う。