山家学生式
「山家学生式」
15年前、恩師の縁をきっかけで
最澄の心のほとばしりに触れて涙が流れた。
国宝とは何物ぞ
宝とは道心(どうしん)なり
道心ある人を
名づけて国宝と為す故に古人(こじん)の言わく
径寸十枚(けいすんじゅうまい)
是(こ)れ国宝に非(あら)ず一隅を照らす
此(こ)れ則(すなわ)ち国宝なりと
古哲(こてつ)また云(い)わく
能(よ)く言いて行うこと能(あた)わざるは国の師なり能く行いて言うこと能わざるは国の用(ゆう)なり
能く行い能く言うは国の宝なり三品(さんぼん)の内唯(ただ)言うこと能わず
行うこと能わざるを国の賊と為(な)す乃(すなわ)ち道心あるの仏子(ぶっし)
西には菩薩と称し
東には君子と号す悪事を己に向かえ
好事を他に与え
己を忘れて他を利するは
慈悲の極みなり
お得意さんのKさん。久しぶりに思い出したよ。
ありがとう。
讃祷歌
思いつくままに。
新年を前後すると讃祷歌でお世話になった智韻寺住職で故人となられた新堀智朝尼に
それとなく寒行の予定をおしえられるのが恒例だった。
遠まわしにだが勧めてくださるのだった。
身が引き締まる寒風の頃には決まって思い出す。
残念ながら、参加することはないままに故人となられてしまったから機を失ってしまった。
鉄砲洲稲荷神社の名物神主さんも正月には決まって禊で寒中の海に入る。
何度か水をかぶったことはあるが、海中に潜ることまではしたことがない。
機会があればやって見たい。
真夏生まれのくせに、夏にはからきし弱い。
真冬の厳しさには正直辟易するのだが反面、厳しさの中に命を感じる。そうしたことが好きな季節となったのかもしれない。
讃祷歌(さんとうか)
祷り讃美する歌と自分では解釈している。
天から降るのよと教えてくれたことがあったが、新堀尼の心の耳に響く旋律をたどたどしくも書き取ったものを歌にしたものである。
10年世の中に出すのが遅かったといつも口癖にしておられた。
その旋律には懐かしい古き日本の美徳と愛が溢れている。
世の中にもっと弘まらないものだろうか。といつも思うのだ。
世相を感じる
正月は、人のブログを読むことが唯一の慰めとなる。
十数年前にぎっくり腰をして3日間寝たのが唯一の休み。
店を開店させてから四半世紀というもの暮れから一月半ばまでは、みっちり店頭に張り付く生活が続いている。
初めの頃は除夜の鐘を過ぎて朝の4時までの営業もしていたのだから、よく体が持ちこたえたと感心する。参拝客数有数の浅草寺を目と鼻の先にありながらも、まともに人のいる時間に参拝したことなど指を何本折れるかという始末だ。
季節を感じるのも、新年を感じるのも、世相を感じるのも、全てお客様を通してというスタイルが自分には定着してしまった。
現金商売の店を経営していると、そのうち枝葉のことばかりにとらわれてくるようになりやすい。俯瞰し辛くなってくる。
要注意だ。
だから時々、非日常を体験するようにしてきた。
今年はどれだけさらっと仕事を置いて日常を捨てられるかな。
なんだかそれが自分の鍵のような気がしている。
話は替わるが、
お付き合いの営業さんが新年の挨拶に自社の羊羹を持ってきてくれた。
ただ、例年は30cmくらいあるロングサイズなのに今年は20cmのショートサイズになっていた。些細なことなのだが今を10cmの差に感じた。
雅印
落款がなんでここに出てくるかというと、
10数年ぶりに見つかったのだ。
戦前に大陸に渡り、満州の地にお寺を何ヶ寺も建立してこられたNさん。
大僧正の位を得ながら敗戦と同時に全てを捨てて引揚げてこられた。
日本人の手による寺院など戦後の中国で残るべくもなかっただろう。
戦後は僧籍を捨て檀徒として活躍してこられた。
そのNさんが僕に作ってくれたものだ。
当時80歳近かったのだから、
もうそこそこの年齢に達しているだろう。
思い出深い。懐かしい・・・。
雌伏の時間って・・・
今年もあと3日。
とみるか、
まだ3日もある。とみるか。
資金繰りですったもんだしているときは、この3日間の見つめ方、考え方、一つで結果に雲泥の差が出る時期だな・・・と、ふと思った。
サラリーマン時代ならこの時期、もうとっくに家にはいなかった。
忘年ランや年越しランの時期でもあるし、正月はとにかく旅先だった。
真冬は自転車で走るのに一番都合がよい。
汗をかいても外気で簡単にコントロールできる。
夏はこうはいかない。
冬には冬の走り方があるし、向かう場所も違ってくる。
今はもう酒をやめたし、道路交通法上いけないことになってしまったけれど、若かりし頃は、ウイスキーの小瓶が自転車バックから除かれたことはなかった。ちょっとカーブしている小瓶はお尻のポケットに馴染みよかった。
冬の峠道は登りと下りでまるで表情が違っているから面白かった。
まだ晩秋を思わせる紅葉の残る九十九折れを息せき切って上りきると、峠を境にしてアイスバーンになっているなんていうことは日常茶万事のこと。
随道が口を開けている所など、出たとたんに小説の如く雪国だったなんていうこともざらにある。
だから、峠では必ず陽だまりを見つけて一服した。
気を入れ替える為にも紅茶を沸かし、小瓶をグイと引っ掛け暖を取る。
下りへの期待感を持ちながらも、ただボーっとする。
この小休止がたまらなく至福なのだった。
この「ボー時間」、最近取れていないなあ・・・
イエス様の誕生日。
横浜本牧生まれの僕には教会が実に身近だった。
二つ歳上の姉が何かと教会の行事に出かけていた。
そのたびに何かしらもらい物をしてきていた。
僕も一緒に行きたいが、姉は小うるさい弟は連れて行きたくなかったと見え、一度も誘いわれないままにその時期は終わってしまった。
教会には子供心のあこがれと願望が達せられなかった悔しさとが妙に入り混じったへんてこりんな感覚の場所となった。
当時クリスマスと言えば、キャバレー帰りの酔っ払いが三角帽に髭つきのロイドめがねをかけた酔いどれ姿で街に溢れていた時代。
クリスマスとはそういう非日常的な特別なものだと思っていた。
少し大人になってキリスト教の祖師の生まれた日だと遅ればせながら知った。
それも教派によって若干の日にちのずれのあることも知った。
何故か?をそのままにしていた。
しばらく振りにそんな古い記憶を思い出した。
イエス様の誕生日を調べてみた。
12月25日のクリスマスは、もともとはペルシャ起源のミトラ教という太陽神ソル・インヴィクトゥス(無敵の太陽)の誕生日でした。キリスト教会は、325年のニケア公会議という会議でこの太陽神の誕生日を、義の太陽(マラキ書4:2)であるキリスト・イエスの誕生日として受け入れ、祝うようになったと言われていますが、確かなことは分かりません。とにかく、当時のローマでイエス様の誕生日が12月25日であるとされましたが、聖書のどこにも、イエス様が12月25日に生まれたとは書いてはありません。ですから東方教会という教会では、イエス様の誕生日を1月にお祝いしますし、本当の誕生日は分からないので、お祝いしない教会もあるくらいです。
と、ある教会では説明されていた。
なるほど、異教徒を伝道する為の方便として用いられたのが定着したと言うことか。
ご生誕よりも復活祭を重要視している感もある。
日本人は、商魂たくましくその真意をかみ締めるよりも儲けのチャンスとして捕らえた。
さらに、近年はマスコミがよってたかって聖夜は二人が近づくチャンス。
「クリスマスの夜はどういう予定なの?」「今年こそ二人のクリスマスを・・・」と
敬虔な夜から遠ざかり、彼を、彼女を我がものとするアタック日に変えた。
祝ってくれるのはいいけれど・・・
イエス様も苦笑いしていることだろう。
そろそろ真意に目覚めてもいいのではないかな。
今日は何の日
もう過ぎ去ったことだけど・・・
昨日22日は何の日だ。
答えはショートケーキの日。
その心は・・・
ショートケーキはどんな恰好?
ケーキの上にイチゴ(15)が乗っているからだそうです。
解らない人はカレンダーを見て下さい。
15
22
となっております。
次はまじめな話し。
では、今日は何の日かな・・・
「天皇誕生日」です。国民の休日。
そして東京裁判でA級戦犯にされた東条英機以下7名の絞首刑が執行日でもあるのです。
昭和23年12月23日
皇太子(今の天皇陛下)の誕生日にあわせて刑は執行されたといいます。
実に巧妙に日本人にとっては忘れられない日にあわせたものです。
終戦直後の20年12月よりNHKのゴールデンタイムに3年以上放送され続けたGHQの番組「真相はかうだ」「真相箱」。外堀としての情報操作とあわせて世論は作られただろう。現実に、敗戦という辛酸を舐めているのだから反論の余地はなかっただろう。
結果の前に当時の日本人に対し効果は絶大だったろう。
戦勝国による悪のレッテルを覆せる元気のある日本人がどれほどいただろうかとついぞ思わされるのです。
ちょっと鉄
「1362」と聞いて都電のレール幅つまりゲージと連想する人がいたら
かなり「鉄の血」の濃い人と見た。
JRや東武電車や小田急電鉄や世田谷線を覗いた東急、相鉄線などの1067㎜。
新幹線を始め日本の標準軌となっているのが1435㎜
関西方面では、私鉄の多くが採用している。
そのどちらともつかないのが1372㎜。
1362㎜ゲージを東京ゲージとの呼び方もある。
そのルーツは東京都電の前身で明治15年6月25日に新橋ー日本橋間に開通した東京馬車鉄道のゲージに遡る。
「馬車鉄道」つまり電気の代わりに馬が小さな客車を曳いたのだ。
日本の電車事業は明治28年に京都市内で開通した市内線が初であるから、
13年間は、馬の力を借りてレールの上を馬車が走ったわけだ。
その軌道敷を利用して電車化していったために、馬車鉄道の名残が軌道幅として摩訶不思議なゲージとして残った。
今にいたるものは、京王帝都や都営新宿線、都電荒川線、東急世田谷線ということになる。
かたや都市間を結ぶ高速鉄道。
かたや専用軌道ゆえに全廃をようやく免れ、細々と一路線で運行している下町の足。
共通項を見出すのは、電気で走る乗り物くらいにしか感じない諸兄もおられることだろう。
そこには、今では考えにくいが、今では当たり前のように行われている、鉄道の相互乗り入れの名残でもある。
京王線が東京市電に乗り入れるという計画がされた。そのために市電側の1372㎜のゲージを京王線側が採用した。
市電は都電へと移り廃止され、京王線は都市間の高速交通へと変貌していった。
後日談として、都営新宿線が京王線と相互乗り入れをするため、他の都営地下鉄線が1435㎜の標準軌を採用しているにも関わらず、京王線の1362㎜に合わして1372㎜を採用したという。
めぐり巡ってとはこんなことを言うのか・・・
京浜急行の前身京浜電気鉄道も、東京市電と直通運転を計画し、わざわざゲージを全線標準軌の1435㎜から1372㎜に変更し、めでたく品川で東京市電と乗り入れた。
その後、乗り入れはご破算となってしまい、もとの標準軌に戻すと言う手痛い試行錯誤を繰り返すのだ。
京成線も王子電気軌道との乗り入れを画策し1372㎜の当初ゲージから、1435㎜へと改変し、都営浅草線が開通を待って、京急ー都営浅草線ー京成と1435㎜ゲージで手を結ぶこととなるわけだ。
考えると実に実に可笑しな縁を感じるのだ。
だから歴史は面白い・・・
我が社のマークみたいだ
」
これが・・・・
何かといえば・・・・
おせんべい・・・
日本橋の・・

