子供と大人の境

成人年齢を18歳に引き下げる議論が起こっている。
荒れる成人式がこの時期よくニュースネタでながれる。
辟易する。ニュースとして流されるほうも流されるほう。
議論はその道の人に任せるとして、自分を振り返れば18歳にはすでに社会人になっていた。
当然、仕事場では大人として扱われた。
自分が未成人だなんて考えたこともなかったし、甘えは許されなかった。
技術屋として設計を間違えれば責任を取るのは当然のこと。
結果が出るまで徹夜仕事も当たり前に何ヶ月も続いた。

そうやって責任は取ってきた。

大人の中の未成年ではあったが当然のように酒も飲むし、煙草も公然と吸った。
「君はまだ未成年だよ」などとたしなめられたことなど一度もなかった。
だからこれで何で選挙権がないのか不思議でならなかった。

大学は夜通った。
当時は学生運動の末期。全学連の昼間の学生が二部の教室にまでオルグによく来た。
しかし、数名の学生を除いて、僕ら二部の学生は皆で総スカンした。
僕らは眠い眼をこすりながら仕事を終え、必死に机にかじりついていたのだ。
だから蔑視していたのだ。親のすねをかじりながら社会活動もないものだ。
社会も知らん子供が何を言っているのかと。

社会や仕事への責任という一線が、大人と子供の境のような気がした。

ノスタルジー

中学に入りたての頃、英語の得意な姉が馬鹿な弟をからかってやろうとばかりに、習いたての単語をぶつけてきた。

いじわる姉: 「ノスタルジー」ってどういう意味だ?
バかと思われていた弟:「郷愁だろ」

予想を裏切った答えに驚嘆のうめき。
弟を見直した・・・とか。

もちろん習っていない英単語だった。
意味は知るはずもない。

けれど知っていた。

何故か。実はニュアンスで理解していた。

市電好きの少年は、ノスタルジックなものがお好みだったのだ。
廃止の序曲の中にあった市電関連の本には、花形交通の座を降りた市電に対し、過去の乗り物と頻繁に「ノスタルジー」の単語を使うようになっていた。

しょっちゅう出会うこの単語の意味はわからずとも『「郷愁」に浸る』という感覚だけは、ちょっと背伸びした大人の感覚のようにぼくの中では醸造されていたのだ。
ノスタルジーをキーワードにしていた少年時代だったのだ。

実は玉電を調べている時に偶然見つけたサイトのメモリーのために今日は書きました。

昭和30年代初頭の雰囲気がよく読み取れる。
この時代父母も青春だったのだろう。
http://www.maboroshi-ch.com/tre/cin_01.htm
http://www.maboroshi-ch.com/tre/cin_02.htm

玉電 はこちら。
http://homepage1.nifty.com/sassy/40s/tamaden/tamaden.htm
http://osushiyo.hp.infoseek.co.jp/tama.html

とどろき

「とどろき」とつく地名は、どうどうめく、つまり川音などの水音が激しい様を表しているところに因んで名づけられた場合が多い。

だから、十中八九近くには川が流れ、本流と支流の合流地点であったり、滝があったり、谷あいであったりと川が騒がしいまさしく川音がとどろいている土地が多い。

東京の等々力も、轟も、等々鬼も地形図を見ると近くに川が走っている。

自転車で旅をしていた頃、五万図とにらめっこしながら走るコースの状況を先読みして想像するのが楽しかった。
現地に行って予想通りだと、悦に入ったものだった。

最近NHKのドキュメントで驫木(とどろき)という青森県の日本海側の小さな駅のルポを観た。

面白いと思ったのは、「馬を三つ重ね」てとどろくと読ませるところにあった。場所は五能線の水しぶきのかかる小さな無人駅。

土地の古老の話では、北風で海のとどろく様に三頭の馬が驚いて暴れたことにちなんだのだという。
厳冬の青森の厳しさは並ではないから頷ける話ではある。

ちょっと脱線するが、驫の字に触発されて調べてみた。
三文字重ねることで、様を強調したのだろうと想像する漢字は奥が深い。
訓読みがされていないも漢字もけっこう多いものだと思った。

轟(ゴウ・とどろく)・驫(ヒョウ)・灥(セン)・厵(ゲン)麤(ソ)・矗(チク)
超実直な人は矗人だの、橋にも棒にもかからないほどのお馬鹿な人には驫麤だのと、新しい表現ができそうである。冗談ではあるが。

青がえる

東急5000系、通称青ガエルが渋谷駅前に設置されてから一年半。
残念ながらまだ見に行けない。
ちょん切られたのは惜しむべきことだけど、あの狭い駅前に置くにはしかたのないことなのかな。

東横線の白楽に住んでいた小学校低学年の頃は、古い二色塗装の旧型車と、これしか走っていなかった。

急に思い出してどこかに動画はないものかと調べたが、さすがに時代が古すぎて見つからなかった。
唯一、都落ちし(しかも上さんの故郷熊本とは・・・)一両で頑張っている姿を発見。

数両編成で都会の中を疾走していた勇姿とはちょっと様子が違うけど、動かぬ銘品より老朽化していても頑張っている姿がいいな。

山家学生式

「山家学生式」
15年前、恩師の縁をきっかけで
最澄の心のほとばしりに触れて涙が流れた。

国宝とは何物ぞ

宝とは道心(どうしん)なり

道心ある人を
名づけて国宝と為す

故に古人(こじん)の言わく
径寸十枚(けいすんじゅうまい)
是(こ)れ国宝に非(あら)ず

一隅を照らす

此(こ)れ則(すなわ)ち国宝なりと

古哲(こてつ)また云(い)わく
能(よ)く言いて行うこと能(あた)わざるは国の師なり

能く行いて言うこと能わざるは国の用(ゆう)なり
能く行い能く言うは国の宝なり

三品(さんぼん)の内唯(ただ)言うこと能わず
行うこと能わざるを国の賊と為(な)す

乃(すなわ)ち道心あるの仏子(ぶっし)

西には菩薩と称し
東には君子と号す

悪事を己に向かえ
好事を他に与え
己を忘れて他を利するは
慈悲の極みなり

お得意さんのKさん。久しぶりに思い出したよ。

ありがとう。

讃祷歌

思いつくままに。

新年を前後すると讃祷歌でお世話になった智韻寺住職で故人となられた新堀智朝尼に
それとなく寒行の予定をおしえられるのが恒例だった。
遠まわしにだが勧めてくださるのだった。
身が引き締まる寒風の頃には決まって思い出す。
残念ながら、参加することはないままに故人となられてしまったから機を失ってしまった。

鉄砲洲稲荷神社の名物神主さんも正月には決まって禊で寒中の海に入る。
何度か水をかぶったことはあるが、海中に潜ることまではしたことがない。
機会があればやって見たい。

真夏生まれのくせに、夏にはからきし弱い。
真冬の厳しさには正直辟易するのだが反面、厳しさの中に命を感じる。そうしたことが好きな季節となったのかもしれない。

讃祷歌(さんとうか)
祷り讃美する歌と自分では解釈している。
天から降るのよと教えてくれたことがあったが、新堀尼の心の耳に響く旋律をたどたどしくも書き取ったものを歌にしたものである。

10年世の中に出すのが遅かったといつも口癖にしておられた。

その旋律には懐かしい古き日本の美徳と愛が溢れている。
世の中にもっと弘まらないものだろうか。といつも思うのだ。

07.5.30の日記
http://http://http://ton.wp-x.jp/wp-content/uploads/image/ton.wp-x.jp/wp-content/uploads/imageblog/10349465.writeback

08.6.26の日記
http://http://http://ton.wp-x.jp/wp-content/uploads/image/ton.wp-x.jp/wp-content/uploads/imageblog/e/10210229.html

世相を感じる

正月は、人のブログを読むことが唯一の慰めとなる。

十数年前にぎっくり腰をして3日間寝たのが唯一の休み。
店を開店させてから四半世紀というもの暮れから一月半ばまでは、みっちり店頭に張り付く生活が続いている。
初めの頃は除夜の鐘を過ぎて朝の4時までの営業もしていたのだから、よく体が持ちこたえたと感心する。参拝客数有数の浅草寺を目と鼻の先にありながらも、まともに人のいる時間に参拝したことなど指を何本折れるかという始末だ。

季節を感じるのも、新年を感じるのも、世相を感じるのも、全てお客様を通してというスタイルが自分には定着してしまった。

現金商売の店を経営していると、そのうち枝葉のことばかりにとらわれてくるようになりやすい。俯瞰し辛くなってくる。
要注意だ。

だから時々、非日常を体験するようにしてきた。

今年はどれだけさらっと仕事を置いて日常を捨てられるかな。
なんだかそれが自分の鍵のような気がしている。

話は替わるが、
お付き合いの営業さんが新年の挨拶に自社の羊羹を持ってきてくれた。

ただ、例年は30cmくらいあるロングサイズなのに今年は20cmのショートサイズになっていた。些細なことなのだが今を10cmの差に感じた。

雅印

落款がなんでここに出てくるかというと、

10数年ぶりに見つかったのだ。

戦前に大陸に渡り、満州の地にお寺を何ヶ寺も建立してこられたNさん。
大僧正の位を得ながら敗戦と同時に全てを捨てて引揚げてこられた。
日本人の手による寺院など戦後の中国で残るべくもなかっただろう。

戦後は僧籍を捨て檀徒として活躍してこられた。
そのNさんが僕に作ってくれたものだ。

当時80歳近かったのだから、
もうそこそこの年齢に達しているだろう。

思い出深い。懐かしい・・・。

雌伏の時間って・・・

今年もあと3日。
とみるか、
まだ3日もある。とみるか。

資金繰りですったもんだしているときは、この3日間の見つめ方、考え方、一つで結果に雲泥の差が出る時期だな・・・と、ふと思った。

サラリーマン時代ならこの時期、もうとっくに家にはいなかった。
忘年ランや年越しランの時期でもあるし、正月はとにかく旅先だった。

真冬は自転車で走るのに一番都合がよい。
汗をかいても外気で簡単にコントロールできる。
夏はこうはいかない。
冬には冬の走り方があるし、向かう場所も違ってくる。

今はもう酒をやめたし、道路交通法上いけないことになってしまったけれど、若かりし頃は、ウイスキーの小瓶が自転車バックから除かれたことはなかった。ちょっとカーブしている小瓶はお尻のポケットに馴染みよかった。

冬の峠道は登りと下りでまるで表情が違っているから面白かった。
まだ晩秋を思わせる紅葉の残る九十九折れを息せき切って上りきると、峠を境にしてアイスバーンになっているなんていうことは日常茶万事のこと。
随道が口を開けている所など、出たとたんに小説の如く雪国だったなんていうこともざらにある。

だから、峠では必ず陽だまりを見つけて一服した。

気を入れ替える為にも紅茶を沸かし、小瓶をグイと引っ掛け暖を取る。
下りへの期待感を持ちながらも、ただボーっとする。
この小休止がたまらなく至福なのだった。

この「ボー時間」、最近取れていないなあ・・・